魔王を倒す極大魔法の生贄にされたけど、逆に悪魔に気に入られて地獄から生還しました
「これはお前のためなんだよユウ」
そう言って勇者様は僕を殴りつけた。
「俺だって本当は怒りたくなんかない。でも、ユウならできるって信じてるから、こうして怒っているんだよ」
そう言いながら何度も何度も拳を振るう。
「好きの反対は無関心というだろう。本当に嫌いならこんなことしない。そうだろ? ユウをパーティーから追い出さないのは、本当は好きだからなんだよ」
そうだ。
僕が怒られるのは僕が悪いからだ。
4人分の荷物が重かったから、ちょっと休憩しようと思って地面に置いたんだ。
そうしたら勇者様に怒られてしまった。
荷物を持つことしか能がないくせに、勝手に休んでるんじゃないって……
勇者様も本当は怒るのが辛いって言ってるし……
今は怒られてばっかりだけど、僕がちゃんと役に立てるようになれば、勇者様もきっといつかは……
気がつくと僕は気を失っていて、いつのまにか勇者様もいなくなっていた。
勇者様のパーティーには、他に3人の仲間がいる。
剣豪と呼ばれる天下一の剣士。
千年に1人の天才魔法使い。
神の寵愛を受けた聖女様。
そして【勇者】の力を受け継いだ勇者様。
間違いなく世界最強のパーティーだ。
それに比べたら僕なんて何の力もない。
剣も振れないくらい非力だし、魔法も使えない。
いつパーティーを追い出されてもおかしくなかった。
それでも捨てられなかったのは、裏方として貢献してきたからだ。と思う。
戦えない分、みんなのことをよく見て、サポートに徹していたんだ。
みんなが寝た後に装備の補修をしたり、次に向かうダンジョンにあわせてポーションや毒消しを用意したり、モンスターの出現位置を事前に調べて書き込んでおいたりした。
僕は何もできない。
でも、みんなのためにたくさん頑張ってきた。
それを認められているから、捨てられないんだ。
僕だって、勇者様の仲間なんだ。
それが僕の誇りだった。
そしてついに、勇者様が魔王の討伐に向かうこととなった。
世界中に魔物を作り出した悪の根源であり、全生物の頂点。
どんな相手でもあっさりと勝利してきた勇者様も、この時ばかりは表情が険しくなっていた。
部屋にこもって僕以外の4人で会議をしている時も、緊迫するような声が聞こえてきた。
「魔王なんて無理に決まってるでしょ……」
「やはり逃げるしか……」
「だが今まで魔王を倒す目的で美味しい思いをしてきた……今更逃げるわけには……」
「……やはり、あれを使うしか……」
途切れ途切れで良く聞き取れなかったけど、それでも大変なことはわかった。
僕も勇者様の役に立ちたい。
戦えない僕に、何かできることはないのかな。
せめてみんなの装備の手入れをしていると、突然部屋の扉が開いた。
出てきた勇者様がまっすぐ僕の元に向かってくる。
「あっ、あの、今皆さんの装備の手入れを──
「汚い手で俺の装備に触ってんじゃねえ!!」
いきなり蹴り飛ばされた。
そ、そうだよね。
装備はみんなの命を守るためのもの。
とってもデリケートなものなんだから、勝手に触ったら怒るよね。
「ちょっと勇者。それくらいにしないと」
後ろにいた魔法使いさんが勇者様を止めた。
ちょっと笑いながらだったけど、それでも僕を心配してくれたみたいだ。
おかげで勇者様も元に戻ったみたいだった。
「ああ、そうだったな。すまなかったユウ。許してくれるよな?」
よかった。
元の優しい勇者様に戻ってくれた。
「う、うん。僕こそ勝手に装備に触ってごめんなさい」
僕も本当は魔王討伐に一緒に行きたかった。
だけどそれはできない。
だって、魔王討伐の噂を聞いてたくさんの人たちがパーティーに入れてくれって来たけど、勇者様は全部断ったんだ。
魔王は本当に強い。
例え倒せても、無事では済まないだろう。
だから、犠牲になるのは自分たちだけでいい、と。
そう言って他の人たちが一緒に来ることを断ったんだ。
そんな戦いに僕なんかが行けるわけない。
だからせめて何か役に立ちたかったんだけど……
そのとき、勇者様が僕の前にしゃがむと、僕と同じ目線でまっすぐに語りかけた。
「ユウ。俺たちと一緒に魔王退治に来てくれないか」
……えっ?
「魔王討伐のパーティーにユウも入ってほしいんだ」
僕が、勇者様と一緒に、魔王を倒しに行く?
剣も触れない、魔法も使えない、役立たずの僕が?
「で、でも、僕何もできないし……」
「そんなことない。ユウでないとダメなんだ」
「勇者様……」
やっぱり、僕のことを一番の仲間と思ってくれていたんですね。
すごく嬉しい。
「だけど魔王を倒すことは難しい。俺たちでも全滅するかもしれない。それでも来てくれるか?」
勇者様の問いかけに、僕はすぐに答えた。
「はい、もちろんです! 勇者様のためならなんでもします!」
勇者様が笑った。
ニヤリと、口を歪めるように。
「そうか。ならこれをユウに預ける」
そういって一冊の本を取り出した。
それは、真っ黒な本だった。
表紙には、すごく複雑で、なにか恐ろしい模様が描かれている。
その本を見ているだけで頭が割れるように痛くなってきて、冷たい汗がたくさん流れ落ちて、なのにその本から目を離すことができなくって、だんだん、いしきが、うすれて……
気がつくと、勇者様が倒れた僕を見下ろしていた。
他にも魔法使いさんも、剣士さんも、聖女さんも、僕を取り囲むようにして見下ろしている。
「どうやら本物のようだな」
「これなら間違いない」
「ゆう、しゃさま……?」
「ああ、気がついたか」
怖い顔をしていた勇者様が、笑顔に戻った。
「魔王は強い。だから秘密兵器を用意した」
「ひみつ、へいき……?」
「それがこの本だ。これを使うことで、魔王すらも倒せる極大魔法が発動できる」
ええっ! すごい!
そんなものを用意できるなんて、さすが勇者様です。
「これはとても大切な本だ。だから、ユウに預ける」
「えっ!?」
「ずっと肌身離さず持っててくれ」
「で、でも、どうしてそんな大切なものを」
「ユウこそが俺たちの真の仲間だからだよ」
勇者様、僕のことをそこまで……
僕は感激して、真っ黒なその本を強く抱きしめた。
その様子を見て勇者様も満足そうに笑みを深めた。
「さっきユウは俺のためならなんでもするといったよな。俺のためなら、ユウは死んでくれるか?」
「はい。もちろんです」
「神に誓えるか?」
「はい」
「なら、その本を抱いたままこう言ってくれ。『この命を貴方に捧げます』と」
訳がわからなかったけど、勇者様の言うんだからきっと意味があるんだろう。
僕は言う通りにした。
「この命を貴方に捧げます」
その瞬間、抱えていた真っ黒な本が笑ったような気がした。
でも次の瞬間には元に戻っていた。
あの、目にするだけで頭が割れるような、強力な魔力も消えている。
かわりに、本の表紙にあった模様と同じ模様が、僕の手の甲に刻まれていた。
「よし。これで契約は完了した。良くやったユウ」
勇者様が僕の頭をなでて褒めてくれた。
こ、こんなに優しい勇者様はじめて……!
よーし、頑張るぞー!
それから僕たちは魔王討伐の旅に出発した。
そのあいだ、みんなが僕のことを守ってくれていたんだ。
こんなこと初めてだったからとても嬉しかった。
だから、僕も戦い以外のところでたくさん貢献した。
食事を作ったり、夜営の準備をしたり、たくさんのお手伝いをしたんだ。
僕もみんなの力になれてるんだと思うと、どんな苦も苦にならなかった。
僕も勇者様の仲間なんだ。
そう思うだけでいくらでも力が湧いてきた。
今までも十分幸せだったけど、この旅が今までで一番幸せだった。
この時間がずっと続けばいいのに。そう思ったくらいなんだ。
でも、旅には終わりがある。
あらゆる障害を乗り越えて、ついに僕らは魔王の城へとやってきた。
一番奥の部屋に入った僕たちを、体長3メートルはある巨大な魔物が出迎える。
その瞳がこっちを見ただけで心臓が凍り付く。
立ち上がった威圧感だけで空気が震え上がる。
これが魔王。
すべての悪を生み出した存在。
勇者様が剣を構える。
「こいつを倒せば俺たちは英雄だ。いくらでも好きなことができるぞ!」
他の仲間たちもそれぞれの武器を構える。
僕は部屋の入り口から見守っているだけだった。
応援しかできないなんてはがゆい。
勇者様、頑張って……!
だけど。
魔王は強かった。
魔王が腕を振るだけで剣士さんの盾が割れて、魔法の一撃で魔法使いさんの杖が砕け散った。
そのすきに勇者様が剣で切りつけたけど、逆に剣の方が折れてしまった。
「ちっ、これ一本でいくらしたと思ってるんだクソが!」
勇者様が折れた剣を投げ捨てる。
「やはりアレをやるしかない。お前ら時間を稼げ」
そう仲間達に怒鳴りつけると、勇者様は僕の方にやってきた。
「ああ、あの、僕……」
「さっさとあの本をよこせ!」
僕が抱えていた真っ黒な本を奪い取る。
倒れた僕には目も向けずに、本を開いて何かを詠唱し始めた。
「原初の悪魔よ。真なる混沌よ。我が呼に応じて現れ出でよ」
黒い本から禍々しい魔力が立ち上って行くのがわかる。
異変に気がついた魔王が勇者様に向かって襲いかかった。
「無垢なる魂を贄に、我が願い叶えよ。──あのクソ魔王をぶっ殺せ!」
魔王の巨大な腕が勇者様を引き裂く直前に、地面から生えてきた真っ黒な手が魔王をつかんだ。
そしてそのまま握りつぶした。
まるで水風船のように、あの巨大な魔王が破裂する。
一撃だった。
あの強大な魔王が、あっさりと倒されてしまった。
同時に、僕の体が真っ黒なもやに包まれる。
「ゆ、勇者様! これ……!」
「ありがとうユウ。お前のおかげで倒せたよ」
僕の、おかげ?
「この本は【原初の悪魔】とつながる魔導書なんだ。しかしその力を使うためには生贄が必要になる。だからユウにはその生贄になってもらったんだ」
「いけ、にえ?」
「お前みたいな役立たずでも最後はちゃんと役に立ってくれて良かったよ」
それだけを告げると、勇者様は去っていった。
僕の足下が真っ黒な闇に染まっていき、そのまま地面に沈み込んでいく。
「ひぃっ!!」
沈み込んだ足先から感覚がなくなっていった。
このままだと、死よりも辛い何かが待っている。
それを生物としての本能が理解した。
「勇者様、勇者様ぁ!!」
必死に助けを呼んだけど、勇者様たちは誰も振り返らなかった。
僕を助けようとするどころか、かわいそうと思うことも、バカにすることもない。
まるで僕なんかいないと言うかのように、何事もなく去っていく。
今まさに僕が生け贄にされようとしているのに、誰も見ようとすらしなかった。
「どうして!? 僕のこと仲間だって、信じてるって、いってくれたじゃないですか!」
答える声はなく、ただ遠くからみんなの声がかすかに聞こえてくる。
「あーやっと終わった! これで俺たちも英雄だな!」
「金でも女でも、欲しいものはなんでも手に入るぞ」
「勇者はいいよな。帰ったら王女様と結婚できるんだろ」
「帰ったら美味しものをたくさん食べましょうね」
「聖女はいつもそればかりだな。だから太るんだよ」
「えっ!? ふ、太ってませんよ! まだ……」
僕の話は、一度もなかった。
いっそ笑って欲しかった。
騙されて生贄になるなんて、最後までバカなやつだったなと笑って欲しかった。
お前を仲間と思ったことなんか一度もないと、そう蔑んで欲しかった。
なのに。
それすらもない。
折れて使えなくなった剣や盾が床に捨てられている。
それと同じだった。
生贄となり使えなくなった僕という存在も捨てられ、忘れられていた。
ずっと一緒にいたからわかる。わかってしまう。
これは裏切りですらない。
仲間じゃなかった。
僕は、道具だったんだ。
「どうして、どうして、どうしてっ!!」
誰もない空間に声が響き、そして僕の体は、真っ黒な闇の中に沈んでいった。
何もない闇の空間を、僕はどこまでも沈んでいく。
何者かが僕の魂に手を触れた。
優しく、だけど無遠慮に、僕という存在そのものを陵辱する。
絶対に他人に触られてはいけない部分を握りしめられる。
その恐ろしさを前にしても、僕の頭にあるのは、これまでに感じたことのない感情だった。
どうして! どうして!! どうして!!!
ずっと旅をしてきたのに、あんなに一緒にいたのに、こんなに思っているのに!
どうして僕を見てくれないんだ!!!
「……あぁ、なんて素敵な悲鳴なの」
どこからか甘い声が聞こえた。
「あいつらが本当に好きだったのね。
勇者たちは契約通り、誰よりも純真無垢な生贄を捧げたのでしょう。だけど。知らなかったのね。
誰よりも純心で、無垢で、善良だからこそ、裏切られたとき誰よりも強い憎しみを生み出す。
好きだからこそ無関心ではいられない。諦めることなんてできないというのに。
何年経っても、人間はなにも変わらないのね。
ああ、ああ。すばらしいわ。あなたのその真っ黒に濁った魂。なんて素敵なの」
僕の魂をつかんでいた手が離れていく。
かわりに、壮絶なまでの美人が目の前に現れた。
うっとりと熱の帯びた瞳で僕を見つめ、その両手が慈しむように優しく僕の頬を包みこむ。
「うふふ。こんな純粋でどす黒い魂。
今食べるなんてもったいない。
もっと熟れて熟して成熟させて腐り落ちるまで成長させた貴方の憎しみは、一体どんな味がするのかしら。
あはぁ、想像しただけでイっちゃいそう。
貴方の願い。
叶えてあげる。
だから。もっと。もっと。堕ちましょう?
ねえ。
あなたは。
どんな復讐がお好みかしら?」
気がつくと僕は魔王を倒したあの場所に戻っていた。
どうやら夜みたいで、部屋全体が薄暗い。
だけど背後に何かの存在を感じた。
妖艶な悪魔が、その身体を押し付けるように僕の背中から抱きつき、耳元で囁く。
「ふふ、ご主人様。貴方の願い、なんでも叶えてあげる」
「なんでも?」
そんなわけはない。
どうせ悪魔がついた嘘だろう。
そう思ったけど、悪魔は妖艶に笑うだけだった。
「もちろん。なんでも叶えるわ。私は原初の悪魔。この世界の想像を司った神の一側面。できないことは何もないわ。
ただし。願いには代償が必要。一つ願いを叶えるごとに、その願いの大きさに応じた分だけ、ご主人様の体を少しいただくわ」
「じゃあ、あの剣を直して」
試しにそう願ってみる。
勇者様が魔王に斬りかかり、へし折れてしまったまま捨てられた剣だ。
「ふふ、そんなの簡単よ」
悪魔が囁くと、次の瞬間には剣は元の形に戻った。
まるで最初からそうであったかのように、それは一瞬で元に戻ってしまった。
壊れた武器を直す修復魔法は僕も見たことがある。
壊れた部分が逆再生するように動いて元通りになったんだ。
けど悪魔のはそうじゃなかった。
戻る時間さえ飛ばして、一瞬で元の形に直してしまったんだ。
これが、悪魔の力。
同時に、僕の髪の毛が数本抜け落ち、空中で溶けて消えた。
これが代償だろう。
剣を直すかわりに、髪の毛がいくらか悪魔に持っていかれたんだ。
「ずいぶん代償が軽いんだね」
「ふふふ。ご主人様が願えば、この世界を消すことだってできる。ご主人様の魂にはそれだけの価値があるの。剣を直すことくらい、願いの内にも入らないわ。
これでわかったでしょう。私の力。それで、ご主人様はなにを願うのかしら」
僕は少しだけ考えた。
ずっと仲間だと思っていた勇者様たちに裏切られた。
だから復讐する。
そのことに少しは良心が痛むかと思ったけど、何もなかった。何もなかったんだ。
これが本当の僕だったのかな。
それとも悪魔に魅入られたから?
どうでもいい。
もう、どうでもいいんだ。
勇者様は誰よりも強かった。
あれは神に選ばれた本物の勇者だった。
誰よりも才能に恵まれ、誰よりもその力を使いこなし、そして、誰よりも手段を選ばなかった。
勝つためならなんでもした。
その実力だけでも、本気で戦えば魔王くらい倒せたはずだ。
それでも決して油断しなかった。
絶対に勝つために、僕という生贄を用意した。
だからこその最強。
だからこその勇者。
勇者様に比べれば、天下一と呼ばれた剣豪も、千年に一度の天才魔法使いも、神の寵愛を受けた聖女も、まるで話にならない。
絶対に敵にしてはいけない。
それが勇者様だった。
ましてや4人一緒にいる時なんて、絶対に戦ってはいけない。
圧倒的な悪魔の力を手に入れたとしても、油断をしたら負けてしまう。
どんな相手でも、手段を選ばずに勝ちに行く。
それを僕は勇者様から学んだんだ。
倒すなら必ず1人ずつ。
なら、4人の中で最初に誰を狙うべきか。
それはすぐに決まった。
「悪魔。これから僕の言うところに飛ばせ」
「ふふ、わざわざ言わなくても平気よ。ご主人様の願いは私の願い。言わなくても全てわかってるから。ご主人様はただ私に、願いを叶えろと命じればいいだけ。
それと、私の名前はクリフォトよ。悪魔なんて他人行儀な呼び方は嫌。私たちはもう魂まで一つとなった運命共同体なんだから。ずっと、ずっと、ずぅーーーっと、永遠にひとつなんだから」
うっとりと上気した表情を浮かべる。
もっとも、どれだけ魅力的な顔をされても、僕の心は動かない。
「クリフォト。僕の願いを叶えろ」
「ふふふ。楽しい時間の始まりね」
クリフォトが僕を空間転移させる。
まばたきした次の瞬間には、周囲の景色は全く別のものとなっていた。
同時に右手の親指に鋭い痛みが走る。
見てみると、親指の爪がなくなっていた。
空間転移の代償は爪一枚のようだ。
転移した場所は、とても豪華な内装の部屋だった。
広い室内と、高そうな調度品。たぶん王宮のどこかの部屋なんだろう。
窓の外を見るとかなり高い位置にあるから、王族とか、そのレベルの賓客が使うような部屋だ。
宝石箱のように豪奢なベッドの上で、誰かが驚いたように体を起こした。
「お、お前、いったいどこから!?」
それは、寝間着姿の勇者様だった。
勇者様は強い。
僕は、パーティーメンバーのことならなんでもわかる。
特に憧れだった勇者様のことは、行動から、考え方まで、完璧に把握している。
だからわかるんだ。
もし他の仲間を先に倒せば、勇者様は警戒して、僕を倒すまで決して一人になろうとはしないだろう。
だからこそ、最初に倒すべきは勇者様だった。
「まさかお前、ユウか!?」
勇者様が慌てたように僕を見て叫ぶ。
「お前は生贄になったはずだろう!? どうしてこんなところにいるんだ!!」
「勇者様、僕は──」
僕が口を開いた次の瞬間、勇者様の腕が高速で動いた。
ベッドのどこに隠してあったのか、さっきまではなにも持っていなかったのに、振り抜いたその手にはしっかりと剣が握られていた。
慌てているフリをして僕を油断させ、言葉を発しようとした一瞬の隙を狙って僕の首を切り裂いたんだ。
本当に抜け目ない。その強さと、油断の無さ、突然の事態に対する対応の早さ。
何もかもが僕とは大違い。
勇者様は、本当に勇者様であることを確認して、僕は感動してしまった。
いつもの僕ならとっくに死んでいたはずだ。
でも、今の僕には悪魔クリフォトがいる。
勇者様が剣を振るうと同時に、僕の体は一歩後ろに空間転移していた。
そのおかげで、首筋を狙った剣の一撃は空振りに終わっていた。
勇者様の顔つきが怖いくらい真剣なものになる。
「ユウごときが俺の一撃を避けるだと?」
その表情にはもう驚きも油断もない。
敵を見据える戦士の顔になっていた。
「うふふ。私がいなかったら今ので死んでいたわねえ」
クリフォトが背後でささやく。
指の爪が1枚弾け飛んだ。
空間転移の代償だろう。
僕がそれを確認する間に、再び勇者様が斬りかかってきた。
今度はギリギリでかわしても当たるように、かなり深く踏み込んで振り下ろしてくる。
さっきのように一歩分後ろに移動していたら、頭から真っ二つにされていただろう。
そのため、僕の体は勇者様の真後ろに転移した。
「チッ、面倒な……!」
勇者様が飛び退いて距離を取る。
クリフォトがいる限り、勇者様の剣では僕を殺せない。
だけど、すでに爪を2枚も消費してしまった。
時間をかけるのは良くない。
戦うと決めたら、一切の手加減をせず最大火力で敵を瞬殺する。それが勇者様の戦い方だ。
髪の毛の数本で折れた剣が元に戻り、爪の一枚で空間を転移できる。
なら、今の僕にできる最大の力は──
爪の残りが2枚になった右腕を、真っ直ぐ悪魔に差し出した。
「右腕をすべて捧げる。勇者様を殺せ」
「あはぁ」
愉悦の声が響くと同時に、僕の右腕が雑巾のように捻じ切られた。
「あぐぁっ……!!」
激痛に思わず膝をつく。
痛みをこらえてなんとか顔を上げると、勇者様もまた同じ目にあっていた。
「貴様なにおぐぉぐぱぁ」
全身が雑巾のように捻られる。
肉が潰れ骨の砕ける音が響きわたった。
なのに。
その体には傷ひとつなく、血の一滴もこぼれていなかった。
生きたまま全身をねじ切られたんだ。
「ふふふ、ご主人様ったら。嘘はダ・メ・よぉ」
悪魔が豊満な体を押し付けながら、耳元で囁く。
「全部わかってるって言ったでしょう? 殺せ、だなんて、そんな思ってもないことを願うなんてダメ。あなたはとーーっても優しいんだもの。勇者様にだって、本当は死んで欲しくない。そうでしょう?」
「……そうだね」
僕はうなずく。
「勇者様は僕の憧れだった。たとえ嘘だったとしても、仲間として扱ってくれて本当に嬉しかった。一緒に旅ができて、本当に幸せだった。本当に、幸せだったんだ」
「頼む、殺して……ころして……」
「だから。クリフォトの言う通り、殺さないでおくよ」
捻られた勇者様の体が、さらに縦に押し潰されていく。
「痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいたいたいあいたいたいちあいあいあちあちあいたいあいあいあっあっあっあっ」
丸い肉塊となったそれから、くぐもった声が響いてくる。
クリフォトがそれをつまむと、口の中に放り込もうとした。
「やめろ。勇者様は僕のものだ」
「……残念」
好きだった。本当に好きだったんだ。誰よりも。きっと。愛していた。
だから。
「代償は僕の体じゃなくてもいいのか?」
悪魔が僕の心を見透かしたように笑う。
「……うふふ。それは条件次第よ。代償とは、すなわち痛みだもの。全くの他人じゃダメ。
ご主人様にとって自分と同じか、それ以上に大切な人の体なら、生贄になる資格があるわ」
何かを察したのか、僕の手の中で勇者様が震えた。
「やめて……やめて……」
「勇者様の魂を生け贄に捧げる」
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」
「僕の右腕を元に戻せ」
「あはぁ」
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて」
「あぁ、そんなに怯えないで。あんまりにも美味しそうで、ガマンできなくなっちゃうじゃない」
勇者様だった物をつまみあげると、一口で飲み込んだ。
同時に僕の右腕が元に戻った。
いや、少しだけ元の腕とは違う。
その腕には、これまでに感じたことのないほどの莫大な力──勇者様の力が宿っていた。
「これがご主人様の望みなんでしょう。魂を私に捧げるかわりに、肉体は貴方のもの。これで勇者はずーっとご主人様と一緒だもの。
うふふ。勇者の魂、とっても美味しいのよ。今も私の中で泣き続けてる。たすけて、たすけてって。噛めば噛むほど悲鳴がしみ出してきて、堪らないの」
恍惚とした笑みを浮かべる悪魔を見ながら、僕は思う。
きっと僕の最期は、これすら優しいと思えるようなおぞましいものになるんだろう。
それでも構わない。
「それで次は誰にするの、ご主人様?」
世界の創生に関わる原初の悪魔を呼び出す本なんて、勇者様でも簡単には手に入らないはずだ。
きっと国王様も手伝ったんだろう。
国民だって、勇者様の非道さは知っていたはずだ。
それでも勇者様を称賛し、止めなかった。
それで魔王が倒せるなら構わないと、見て見ぬ振りをしたんだ。
王宮では今も宴の声が聞こえている。
窓から見下ろす街並みは、夜だというのに真昼のように輝いていた。
誰もが平和は与えられて当然と思っている。
それをどうやって勝ち取ったのかも知らずに。
誰が犠牲になったのかも知らずに! その平和が当たり前であるかのように!
願いには。
対価が必要だ。
そうだろう?
「……全員だ。僕を裏切った全員に復讐する」
「うふ」
悪魔が嗤う。
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
とおーーーーっても素敵な夜になりそうね」
悪魔を背後に従えて、僕は王宮に足を踏み入れた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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よろしくお願いします。