第7話 ぐへへ~っ、千尋きゅーんっ。つっかまえたぁ~っ
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九月十一日。土曜日。午前十時。三上琴音の家。同居する四人は、思い思いの時間を過ごしている。
奏は自室に籠もり本を読んでいる。日高奏は小学六年生。入院生活が長く、二年間学校へ通っていなかったことがある。病院で勉強はしていたが、遅れを取りもどしたい、という気持ちが強い。真面目な性格だ。
雪村めぐみは朝から地域の奉仕活動に参加している。「入間川を綺麗にする会」の活動だ。会は、地域コミュニティで結成されたボランティア団体。巨大な河川敷には、草花が生い茂り、川越市まで続く散歩道もある。一方で、不法投棄されたゴミも目立つ。毎週土曜日か日曜日、有志が集まり入間川沿いのゴミ拾いをする活動をしている。会員は八歳から八十一歳までの男女。総数は三十八名と多い。リタイア組から現役世代まで幅広く居る。
めぐみは、今年から活動に参加している。九月で半年。一日も休んだことはない。参加を推奨したのは、琴音だ。めぐみの薬物依存からの立ち直りを後押しするためだ。薬物により壊れた自律神経を治すには、適度な運動と正しい睡眠。川のせせらぎを感じながら、ゴミ拾い活動をするのは、めぐみには程よい。また、様々な世代の人間と接することが、いい影響を与えると琴音は思った。
狙い通り、めぐみは楽しそうだった。会のメンバーは優しい人が多く、仲もいい。仕事終わりにはバーベキューをしたり、食事にかけたりする。平和な日常。夜の世界で育っためぐみに、かけている愛情である。琴音はめぐみを優しく見守っていた。
そんな琴音は、まだ寝ている。琴音の朝は遅い。大抵、十時過ぎに起床する。寝起きは悪い。頭痛と倦怠感。二日酔いの薬が欠かせない。琴音はお酒を毎晩飲む。種類はビールから焼酎までなんでもいいが、特にウイスキーが好きだ。平日は二,三杯でやめるが、金曜日は別。夜遅く、意識が飛ぶまで飲む。お酒は弱くないが、特別に強いわけでもない。アルコールが入ると甘えたがる。悪酔いし、千尋を襲う。キス魔になる。琴音はヘビースモーカーでもある。一日一箱は吸う。銘柄はセブンスターの十一㎜。「酒と煙草で口が臭い!」と千尋はキスを毛嫌いする。
が、琴音のことは嫌ってはいない。
千尋は琴音を起こすために部屋へ行く。琴音の寝室は一階の奥にある。六畳の寝室。一階にはリビングダイニング、トイレ、浴室の他、部屋が二部屋ある。一つは琴音の寝室。もう一部屋は仕事部屋である。
二つとも煙草臭いので千尋は嫌っている。千尋は煙草の匂いが苦手だ。
「先生ー。そろそろ起きないと昼になっちゃいますよ~」
「うぅーん、ん……、んんっ……」
「先~生。朝ですよ~。っていうかもう昼」
「ん~、朝~? むにゃむにゃ……、まだ眠い~」
「いいから。起きないと生活リズムおかしくなっちゃいますよ~。めぐみに何も言えなくなりますよ~」
「いいのよ~。私は~。ん~、めぐはまだ成長期だからちゃんとしないといけないけどぉ……、むにゃ……」
「どういう理屈ですか」
「あぁ~、眠い~。千尋く~ん、眠いよ~」
「知らんがな」
「起こして~、琴音は一人じゃ起きられないの~」
「子供おばさんですか?」
「おばさんじゃないもんっ。先生だもんっ」
「かわいい声を出してもだめです」
「あぁー! 起こして~! 起こして~!」
「駄々っ子はもう卒業して下さい。いい大人なんですから」
「やだぁ~! 琴音は千尋くんに一生面倒みて貰うんだからぁ~!」
「いやいや、何故ですか? 嫌ですよ」
「え~? だってぇ、千尋くん。先生のこと大好きだし、いいかなぁって思って」
「いや、よくないですよ」
「え~? いいじゃない。先生と結婚してずっと一緒にいよ? 養子でもいいわよ?」
「本気なんだか冗談なんだか」
「本気よ~」
「はいはい。とりあえず起きて、シャワーでも浴びて下さいね。じゃあ、僕はこれで」
ベッドに寝転んだまま起きない琴音。千尋は呆れて立ち去ろうとする。
キャミソールに下着一枚の琴音。長い髪は寝起きでくしゃくしゃ。
「待ってよ~」
琴音は千尋の手首を掴む。右の側臥位になり力をこめる。
「えいっ」
と手首を引っぱる。千尋は体が小さい。体力もない。ふいの動きに対応しきれない。琴音に引っぱられ、ベッドに引きずり込まれてしまう。
「ぐへへ~っ、千尋きゅーんっ。つっかまえたぁ~っ。ん~、ちゅーちゅうっー、ちゅっ。あぁー、やっぱり若い男の子のエキスは最高~っ。肌艶々~。生き返るわ~」
「うぅ……、んん……、や、やめてください……」
「やだもんっ。ちゅー、ちゅーちゅーっ。ちゅうぅ~っ。ちゅぱちゅぱっ」
「せ、先生……、ちょ、ちょっとぉ……」
「ぎゅうううっ。千尋きゅーんっ。だ~いすき~っ」
「ちょ、ちょっとぉ……、もう……、く、苦しいぃ……、ですよ」
「うっふっふ、胸がいっぱいで苦しい? 幸せすぎて苦しいの? うん。いいよ。もっともっといっぱい苦しんでね~っ、ぎゅうう。ちゅうぅぅぅ」
「いや……、そうじゃなく……」
琴音は千尋を抱きしめる。ベッド上で絡まり合う。千尋は逃げようとするが、逃げられない。琴音の身長は一六〇㎝台。体重は五〇㎏台。千尋とは体格差がある。琴音が覆いかぶさると、千尋は身動きがとれない。両腕と両足でホールドされ、胸を押し当てられる。キスをされ、肌を吸われる。
琴音の柔肌に蹂躙される。千尋は息が苦しくなる。体が小さい自分が嫌いだ。
背が小さいのは、幼少期の栄養状態が原因かもしれない、と琴音には言われている。自分でも、そうかもしれない、と思っている。
優木千尋は東京都東村山市で育った。父は不動産会社の社長。母は専業主婦。姉一人。
父は権力が好きだった。支配欲が強く、人を従わせることに固執していた。母親はDVにより精神を病んでいた。千尋は小さいころから虐待を受けた。浴槽に顔を沈められたり、裸でベランダに縛り付けられたりした。
千尋が五歳のころ、姉が他界する。交通事故だった。子供を失った父は、一層、千尋に強く当たるようになった。仕事も上手く行かなくなった。ストレスのはけ口に、千尋を使った。電極を使う拷問器具を自作した。電流を浴びせられ、千尋は死を覚悟した。
そんな日々が、何年も続いた。九歳のころ。警察に発見された時、千尋は檻の中にいた。首輪をはめられ、電極が刺さっていた。
食事は制限されていた。ガリガリに痩せ細り、餓死寸前だった。学校は不登校だったが、児童相談所には通告されていなかった。予兆はたくさんあった。体にあるあざを隠すため、千尋は一年中、長袖長ズボンだった。体育の授業は体調不良を理由に不参加。一年間ずっと。体操着やハーフパンツであざが発覚するからである。それは父の指示だった。父はヘビースモーカー。メビウスの九㎜を一日二箱は吸っていた。火を、千尋の体で消すことはよくあった。千尋はあざだらけ。殴られた痕。蹴られた痕。そして煙草の火傷。
自宅は自社ビルの三階から四階。ワンフロア百平米はある広さだった。煙草の臭いが充満していた。壁紙はヤニで焼けていた。
母は父の奴隷だった。千尋を助けることはなかった。魂が抜け落ちた機械のようだった。
九歳のころ、千尋は踏みこんだ警察に発見された。通報したのは、近隣住民。時折聞こえる悲鳴を気にしていたのである。
一方で、階下で働く従業員は通報をしなかった。社長の怖さを知っていたためである。支配は従業員十八名にも及んでいた。父は逮捕され、母は情状酌量により執行猶予がついた。そして、千尋は児童医療センターで琴音と出会った。そしてあおいと。
「ちひろきゅーんっ。もういっそ先生とえっちなことしちゃおおっか? ね?」
「いや……、なんで……」
「なんでって……、男と女がベッドで二人! やることなんて一つよ!」
「やらないです!」
「ヤろうよ~? ね? ね? 先生が優しく教えたげるからぁ」
「いや、……、僕彼女いるんで!」
「関係ない関係ないっ。あおいはそういうの気にしないから」
「いや、するでしょ」
「大丈夫よ。あおいは寛大な子だから。そのうち、先生とあおいと千尋くん、三人でしようよ」
「……、朝から……、何を言ってるんですか! 先生」
「朝も夜も、人間は子孫を残すために生きているのよ。それが人間の本質。心なのよ」
「違います~! 先生がしたいだけでしょ」
「なにを?」
「はぁ~? うるさいな。もういいでしょ。僕は……、帰り……、うっ、は、離して……下さぁいぃ~!」
「だーめ! 千尋きゅんは先生の物なのぉ~! ずっと一緒にいるの~!」
「あ~、は・な・せ~!」
「い・や・だ~!」
逃げ出そうとする千尋。止める琴音。琴音はキャミソールがはだけている。パンツは履いている。ブラジャーはつけていない。胸は大きい。充分、巨乳である。動くと乳房が零れそうになるが、隠そうとはしない。千尋には性欲がある。だが、とても小さい欲だ。めぐみやあおい、琴音にアプローチされても、欲情しない。性欲を謳歌できるほどに、肉体も精神も成長していないのである。しかし、それが余計に琴音を欲情させる。
――ピロロンッ
奏:【先生】
奏:【お客さん】
奏からLINEが来る。奏からのLINEは設定を変えて、着信
音が他と違うようにしてある。
「ったく……、いいところだったのにぃ~!」
「いいところじゃないでしょ」
「はぁ……、先生はちょっとこの格好だし……、千尋くん、行ってきてくれる?」
「はぁーい……」
千尋は立ち上がり玄関へ向かった。