第61話 興奮しちゃうのは仕方ないか。うんうん
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「記憶は……、どのくらい戻ったの?」
「さぁ……、なにが戻ってないのか分かんないから、なんとも言えない」
「でも、私が絆の会の預言者だったことは覚えてるんでしょ」
「……、うん。恵那が崩壊させた……、んだよね」
「恵那ちゃんは敬虔な信者だったの。教典を100%遵守する原理主義者。だから、気に入らない教団の幹部を殺したの。でも、恵那ちゃん一人じゃない。やったのは、原理主義者のメンバーだった。大人もいた」
「今はなにしてるんだろうね。恵那は」
「さぁ……、琴音先生に訊いたら教えてくれるかしら」
「訊いてどうする?」
「会って、今の千尋を見て貰うの。ほらぁ、私たちの弟ちゃんはこんなに、可愛らしくなったよ、って」
「恵那は妹ちゃんだ! 僕は兄だろ、兄」
「関係ないよ。弟ちゃんは弟ちゃんだし」
「……、しかし先生も、変な設定をつけたよな。あおいちゃんが姉なら、僕は兄だろ。そして恵那が妹ちゃんだ」
「ま~、私以外は、年長者設定は無理だな~って先生は思ったのね。きっと。実際、年長者だし」
「恵那って年下だったの?」
「え? 千尋知らないの? 恵那ちゃんは、千尋と同い年だよ」
「へぇ~、じゃあ今はJKか」
「あ~! 今、えっちなこと考えたでしょ!」
「はぁ? 考えてないよ!」
「浮気! はい! 罰として口移しして! ……んっ」
あおいはハンバーガーを手に取って、千尋の口元へ運ぶ。池袋のロッテリア。サンシャイン六十階通り。窓側の席。交差点は人に溢れる。平日も休日も、止めどない人の流れ。まるで川。生きているように生命が道を巡る。せき止めるものはない。
「い、いや……、無理だ! それは!」
「誰も見ないよ。それにどうせ私たち……、姉弟かなにかだと思われてるし。くすくす……、弟がお姉ちゃんに口移しなんて……、可愛い行為じゃない」
二人は高校の制服を着ている。ブレザー。スラックス。あおいはスカート。胸元のリボンが瑞々しい。身長差は十センチ以上。千尋の童顔な顔立ちと華奢な体つきは、とても高校二年生には見えない。
「私的には、キスしても姉弟に思われちゃうのはちょっと残念だけど……、でも、千尋的にはラッキーでしょ?」
「しんかのきせきは持ってない」
「……? どういう意味? なにそれ」
「ポケモンの話しだよ。そういうアイテムがあって、ラッキーていうポケモンがよく持ってるんだ」
「……? 今、そんな話をする意味ってなにかあるの? 私はポケモンはよくわかんないし」
「……、べ、別に意味はないけど……」
「……」
「……」
「空気をおかしくした罰で、口移しは二回に追加になりました。はい……、んっ。早く食べてっ」
「え~! 二回なんて無理無理! 一回でも無理!」
「はぁ~、わがままだなぁ。千尋はぁ」
「どこが!」
千尋はあおいに頭が上がらない。あのころから、立場は変わらない。歳を重ねても、姉はあおい。弟は千尋だ。母は琴音。あのころとは違い、だらしない先生だが、母のように慕っている。
千尋は渋々、ハンバーガーを咥える。少し咀嚼して、あおいの小さな口へ、顔をちかづける。薄くて、儚い唇。ライトピンクの口紅が、色っぽい。なにかを企むように微笑む。恥ずかしいが、それがあおいにとっての、愛の確認なのだと、千尋は知っている。自分という存在を証明する行為。それが愛であり、キス。
「はむ……、ん……、じゅる……、んっ」
「れろ……、千尋。ん……、舌入れちゃ……、んんっ、だ、だめぇ……、ん」
「へ、変な声出すな! バカ」
「ん……、バカとか言ったらだめです。はい。口移し追加」
「うるさい! あおいちゃんは預言者なんだから、もっと崇高なことを言ってよ」
「……? 崇高なこと? 例えば?」
「……、わかんないけど」
「私もわかんないよ。なにを言って欲しいの? ん? 千尋はどんな言葉が欲しいのかしら? 私頑張ってあげるから、教えて」
「なんか、こう……、やる気になる言葉だよ」
「ヤる気になる言葉?」
「カタカナにするな!」
「千尋はえっちだねぇ……、こんなところで。んもう、いやらしい高校生男子なんだからぁ」
「えっちなのはあおいちゃんだろ」
「そぉ? 私そんなにいやらしいかなぁ? まぁ、美少女だし胸もそれなりにあるし……、声も綺麗だし、かわいいもんね。興奮しちゃうのは仕方ないか。うんうん」
「自画自賛するな!」
「だって、預言者っていっても……、別に、私はなにもしてないし。言われたことをしてただけ」
「……、まぁ、そうだよな」
「千尋も知ってるでしょ。私はね、人生を画面越しに見ていた。まるで映画のように、私っていう主人公の物語を観客として見ていたの。私がする行動は、みーんな他人事」
「預言者はあおいちゃんであって、あおいちゃんじゃないってこと、だね」
「うん。私は集会で犯されたり、殴られたり、刺されたり……、傷口から溢れる血を、信者に舐められたり、崇められたりしていた。画面越しに見ている私は、なにも感じなかった。でも、それが信者のみんなには、なにか、特別な存在に見えていたんだろうね。なにがあっても動じない、選ばれし子供、っていう風に」




