第5話 えっちなことしたいでしょ。いーよ?
5
十七時四十五分。夕食の時間である。帰宅した琴音と日高奏が席についた。六人掛けのテーブルにはめぐみの手料理が並んでいる。オムライス。ケチャップでハートが絵が描かれている。海老とトマトのサラダ。ドレッシングはお手製のフレンチ。スープはミネストローネ。ピーマンの肉詰めも作った。奏の好物だ。食卓は色鮮やか。めぐみはセンスがいい。配色が素晴らしいと千尋は思う。
「じゃあ、みんな~、はいっ。いただきま~す」
「「「いただきまーす」」」
琴音が言うと、みんな手を合わせる。声はそれぞれ。千尋は声が小さい。あおいは感情が見えない。めぐみは元気がいい。奏は話せない。それぞれ、食事を始める。
美味しそうな手料理。一口目に手をつける前に、千尋はケチャップを手に取る。ケチャップはテーブルに置いてある。めぐみも自分の欠点を分かっているから、である。
「ちょと~っ、ちーちゃんっ! 食べる前からケチャップなんて失礼だよっ!」
「だって……、食べなくても分かるし」
「でも……、それは非常識です」
「そんなこと言われても……」
「せんせーっ、せんせーからもなんか言ってよ~」
「そうね。千尋くん。せっかく作ってくれたんだから、せめて一口は食べてからにしましょう。それじゃあ美味しくないって言っているようなものよ」
「いや、美味しくないわけじゃないけど……」
――ピロリンッ
奏:【うすい】
テーブルにはスマホが五台置いてある。みんなのスマホだ。画面は表側。着信が見えるようにしてある。奏のためだ。奏は声が出せない。奏のコミュニケーションの中心はLINE。日常的に使っており、フリック入力は速い。また、声を出せない代わりに、表情や身振り手振りで感情表現をするのが上手い。本人なりに努力もしたし、自然と豊かになった部分もある。いつも無表情のあおいとは対照的。喋らなくても感情がよく見える。
奏:【あじがしない】
ピロンッ、ピロロンッ、と三人のスマホが鳴る。共同生活する四人と、仲のいいあおいが居るグループLINEだ。
グループLINEは別に、共同生活する四人用のグループもある。
千尋は画面を見て奏に言う。
「だね。これは……、無味だ」
「無味……」
「無味なんて言葉、よく知ってるわね~。さすが千尋くん!」
「私は……、これはこれで好きだけど。めぐみちゃんの料理」
「うぅ……、ありがとぉ。あおいたん」
「まぁ……、不味いよりはいいよ。ケチャップで調整できるし」
「ちょっとぉ~、ちーちゃん! 酷いよ! せっかく愛情こめて作ったのに~!」
「愛情は感じるよ」
「そんなことゆってももうだめだもんっ。めぐみお姉さんは泣いちゃうんだからね!」
「嬉しくて?」
「ちーがーう!」
「だって、甘くないってことは、めぐみが僕たちのことを考えてくれたってことだから、愛は感じるよ」
「うぅ……、うわぁあん。せんせー、ちーちゃんが悪い子になった~」
「いや、褒めたのに」
「よーしよし……、めぐみはいいこいいこ。千尋くんが悪いんだよね~」
「ぐす……、うん。ちーちゃんは悪い子だ。懲らしめないと」
「だねだね~。ちょっと教育が必要よね~。ね? あおい?」
「まぁ……、はい。うん。そう思う」
「って、あおいちゃんまで! なんでだよ」
「お仕置きが必要ね。千尋くんには」
「ぐす……、うん……、ちーちゃんをいーこにするために、お姉さん頑張る!」
「わたしも頑張る」
「いや……、三人とも頭おかしすぎだろ」
「おかしいもん。あたし、メンヘラだもん! 味覚障害で、甘みしか感じない変態だもん! でも……、ちーちゃんのことは大好き」
「はぁ?」
「だからぁ……、あたし頑張る! ちーちゃんがひねくれないように、再教育する!」
「再教育ってなんだよ」
「うーん……、わかんない!」
「なんだよそれ!」
「だって……、あたしバカだからぁ……、ちーちゃんをいーこにするってゆっても、なにをしたらいいのかわかんない」
「どうしようもないな」
「教えて? ちーちゃんはどうしたらいーこになる?」
「いや、僕に訊かれても」
「ちーちゃんがしたいことしたげる!」
「それでいいこになるの?」
「なるよ! したいことしてくれるお姉さんのことは、ちーちゃんも大好きになるでしょ? そしたらいーこになるもん」
「いいこの定義とは……」
「ね? いーから! ちーちゃんはなにしてほしい? ぎゅう? チュー? それともセックス?」
「いや……、全部おかしいだろ」
「おかしくないよ。ちーちゃんは思春期の男の子だもん。えっちなことしたいでしょ。いーよ? めぐみお姉さんは、いつでも……、ちーちゃんのために一肌脱ぎます! ビシッ」
「だめだこれりゃぁ……」
雪村めぐみは元薬物依存症である。覚醒剤、合成麻薬、大麻、シンナー、なんでもやった。めぐみは家庭環境に恵まれなかった。父はおらず母は水商売をしていた。めぐみは小さいころからお店で働いた。母は冷たかった。愛された記憶はない。家に帰るのは夜遅く。知らない男性と一緒。それも代わる代わる、何人も何人も。めぐみは孤独だった。しかし、仕事を手伝うと、褒めてくれた。唯一、愛を感じられた。めぐみは小さいころから働いた。夜の世界が日常になった。そうこうするうち、非行に走り、薬物にも手を染めた。
「はいっ。ちーちゃん、しゅき~」
「お、おいっ。や、やめろ……!」
「だいしゅきアターックッ」
――ドダガラアァン。
めぐみは千尋に飛びついた。千尋は逃げるのが間に合わない。めぐみは一七〇近い長身。小柄な千尋を両手でホールドする。勢いのままに、イスごと転倒する。千尋は頭を打つ。めぐみは興奮した様子で千尋を抱きしめる。大きな胸を顔に押し当てる。
琴音と出会い、依存症は克服した。今も投薬治療とカウンセリングは続けている。完全に、乗りこえたわけでもない。薬物依存の後遺症で、味覚に障害がある。味を感じない。何を食べても同じ。無味だ。しかし唯一、甘みだけは感じられる。それも、僅か。しかし、特にハチミツの味だけは、強く感じられる。だから、めぐみはハチミツを持ち歩き、あらゆる食事にハチミツをかけて食べる。無味よりはマシだし、甘いものは元から好きだ。料理を作るときは困る。味見が出来ないから、味の調整は出来ない。勘でつけると失敗するので、味付けはしないようにしている。無味なら、後から塩、胡椒などで食べる人が調整できるから。
「ほらぁ、ちーちゃん。めぐみお姉さんのおっぱいちゅーちゅーして、いいこになーれっ」
「ごほぉ……もご……、そ、そんなこと、するかぁ!」