第56話 夕方
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夕方。
あおいと琴音はまだ帰ってこない。
千尋とめぐみは、リビングでゆったりと過ごしている。有理栖のレッスンは二時間程度で終わった。レッスンのテンションは高かった。高柳有理栖は、千尋たちに熱心に指導をした。
ギターの基本的構造や弾き方。実演を交えつつ、教えた。めぐみは嬉々として練習をしていた。奏は、真面目に聞いていた。千尋は、オドオドとしていた。
琴音が突然に連れてきた有理栖という部外者。少し接してみて、悪い人ではないと、感じていた。だが、千尋は、人が苦手だ。初対面の相手と会話するのが苦手。以前に比べれば、マシになったとはいえ、抵抗感はある。
ぐいぐい、と距離感を縮める性格。有理栖は、千尋が最も苦手とするタイプである。年上。凜とした強い眼をした美人だが、千尋には関係がない。
すらりとスタイルもよく、伸びやかでハスキーな声も魅力的。YOUTUBEのチャンネル登録者は六万人。
一部に狂信的なファンを持っている。
スキンシップが多く、体をすぐに近づける。ギターの指導をするために、千尋の指や腕をよく触る。千尋にとってそれは、苦痛である。
有理栖は昼過ぎには家を出た。
千尋とめぐみ、奏は、休日を家でまったりと過ごしていた。
――十六時三十分。
リビングにて――。
「ねえ、ちーちゃん。開放弦って、なんの音なんだっけ?」
「……、え? ぼ、僕に聞くなよ」
「なんで? ちーちゃんだってレッスン受けてたんだから、聞いたっていーじゃん」
「だめだ」
「あ! もしかしてちーちゃん……、有理栖先生がかわいーから、ドキドキして、全然集中できなかったんでしょ~? にしし~」
「ち、違う! そんなわけあるかっ」
「およ? およよ~? その反応~! ふふふ~、絶対そうでしょ~! いゃ~、絶対そうだ~っ!」
「ちーがーう~っ! ドキドキなんてしてま~せん!」
「ちーちゃん浮気症だからなぁ。めぐみお姉ちゃんは悲しいのです」
「人を変態みたいに言うな」
「でも、ちーちゃんが有理栖先生と結婚したら、あたしも有名人の親戚になれるんだね! それは、ちょっと嬉しいかも」
「浮気症はどっちだよ。琴音先生への愛はどうした。愛は」
「え~? なに言ってるの? ちーちゃん」
「……?」
「あたしとせんせーとちーちゃんとかなりんは、家族だもん。ちーちゃんが、誰と結婚しても、あたしたちの繋がりは永遠じゃん!」
「……、ま、そうなのかもしれないなぁ。僕たちは」
めぐみとの付き合いは二年近くになる。同じ家に住み、思い出を共有してきた。
千尋には秘密がある。
児童虐待事件の被害者だった事実。あおいには記憶を思いだしたことを伝えたが、琴音にはまだ、言えていない。
めぐみや奏も知らない。
「ねえ……、めぐみ。あの……、さ、僕……」
「……? なに? レッスン内容全然覚えてないんでしょ? いーよ。あたしだって全然、覚えられなかったし!」
「いや……、そういう話しじゃなくて、……さ」
「あたしバカだからなぁ~。ヤク中だし……、あはは。そのせいか、記憶力も集中力もないみたいで、全然、頭に入っていかないのです。えへへ……、欠陥人間系女子だね。あたし」
「いい感じに言うな」
「でもね……、あたしは幸せなんだよ。ちーちゃんとかせんせーとか、かなりんとか、あおたんとか、色んな人に会えて、今は、寂しいって感じることがあんまりなくて」
「騒がしいからなぁ、毎日」
「うんうん! ちーちゃんを育てるので精一杯だもん」
「なに目線なんだよ。めぐみは」
「うーん。お母さん的な?」
「いや、お姉ちゃんじゃなかったのか」
「あ! それは、どっちでもい~の! でも、設定を作ったら、ほんとにそんな風に思えるでしょ?」
「それをメンヘラって言うんじゃないの」
「うん! メンヘラ系欠陥人間女子! だね……、あはは」




