第54話 ありす
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三週間後。
十月十日。日曜日。昼十時過ぎ。
入間川の自宅。千尋たちはリビングに集まっている。
ダイニングテーブル。椅子は六つ。家族四人は席に着いている。
「えー、ということで、こちらの。高柳有理栖さんに、これからね。みんなに音楽を教えてもらうことになりました! 拍手!」
「お~! ぱちぱち~!」
「……」
【ぱちぱち~】
琴音が嬉々と言う。琴音の隣には、若い女性。長い茶髪に、大きな瞳が特徴的な美女である。
名前は高柳有理栖。吊り上がった目尻。猫のような愛らしさを感じる。
歳は二〇歳。ロックバンドの「さなりす」のボーカル兼ギタリスト。CDセールスは累計二十万枚を越えている。
叙情的で内省的な歌詞がバンドの特徴の一つ。「中学生の作文」等と称されるように、感情をストレートに表現している。
作詞作曲の大半は、有理栖が行っている。
ハスキーなボーカルも特徴的。高音が擦れ、泣き叫ぶように聞こえる歌は、リスナーの心に響く。音程を外すことが多く、発声も悪い歌は、いわゆる上手な歌ではない。が、「ヘタウマ」とも言われ、好き嫌いが分かれる。
さなりすは一部に熱狂的なファンを持ち、某王手音楽雑誌において、「世界に必要なバンド」と称えられ、業界内の知名度は高い。
「は~い! 有理栖です! よろしく~!」
「お願いしま~す!」
「お……、お願い……、し、します」
【有理栖さん素敵です】
三者三様のリアクション。めぐみは元気に愛想よく。千尋はオドオドと落ちつかない。一方で奏は落ち着いて礼儀正しい。
「私ね……、有理栖ちゃんとは仕事柄、付きあいがあってね。で! うちの子に音楽を教えてもらえたらいいなって頼んだら、あっさり受けいれてくれたの!」
「えへへ……、うん。あたしなんかでよければ、いつでもお手伝いしますよ」
「いや~! 有理栖さんにギター教えてもらえるなんて、最高じゃないですか~! ね? ちーちゃん」
「……、ん……、あ……、あぁ……」
「きみが千尋くんだね? よろしく!」
「あ……、あぁ……え!? あぁ……、はい、あの……、ごにょごにょ……」
「ごめんなさい有理栖さん。ちーちゃんちょっと変わってて……、人見知りで……」
「いや!? あ! あの……、はい。すいません……」
「ううん。そういう感じ好きだよ。あたしは」
「あ……、はい……、すいません」
「よくわかんないけど、なんかピュアな感じがして、好きだなぁ。きみ」
「ちーちゃんやっぱりモテモテ……、あおちゃんがゆーみたいに、詐欺師になるべきだよ! 絶対!」
【千尋サイテー。浮気だ!】
「ちが……、僕は……、あの」
「あはは……、千尋くんはモテるんだよね。琴音先生に聞いたことがあるよ」
「いや……、僕はその」
「それはきっと心に素敵なものがあるからだよね。それって音楽の才能だよ」
「才能?」
「うん。ま、言葉で説明するよりも……、弾いた方が早いよ! 早速、練習しよ」
「あ……、あぁ……」
有理栖は椅子を引く。壁に立てかけているギターバッグをとりに行く。
三上琴音は精神科医である。専門は児童心理臨床。高度な医療を必要とする子供を重点的に治療する。
治療に際しては、様々な方法がとられる。
千尋たちが入院していた時には、男女の子供三人で、「家族ごっこ」を日常的にさせた。千尋は弟。あおいは姉。相生恵那は妹。そして琴音が母である。
家族ごっこを通して「共同体感覚」を獲得させることが狙いだった。
音楽療法が導入されることもある。音楽は聴覚を刺激する。五感を一つだけに絞ることで、別の部位が活性化する。脳である。聴覚情報が、感情や記憶を刺激する。琴音は多数の音楽を治療に使った。
高柳有理栖の音楽もそのひとつだった。有理栖の歌には、子供たちを刺激するなにかがあった。
琴音は立場を利用し有理栖の連絡先を手に入れた。子供たちを刺激する歌の秘密を研究するためである。
「ま、楽器なんて簡単だから。大事なのは、目的であって手段ではない。なんてね」
「おー、楽器持つとやっぱりかっこいいですね!」
「でしょでしょ! ふふふ~ん、あたし天才だから! 天才!」
「自分で言う……」
「そこのきみ! なんか言った?」
「いえ……、なにも……」
「まぁー、みてなさい! あたし、歌ったら凄いんだからね」
「はぁ……」
琴音と有理栖が初めて会ったのは、池袋の喫茶店。
有理栖は、「コーヒーは苦手だ」と渋い顔をしながら、ホットコーヒーをすすっていた。
「うげぇ~! 熱いものも嫌いだ~!」と、言いながら、琴音の質問に答えた。
「ん~、あたしにとっての音楽は……、表現なんですよね~。上手く言えないけど……、歌を通してだったら、なんか、言えるんです」
琴音は有理栖を面白いと思った。
以来、定期的に連絡をとってきた。
有理栖の言う「表現」とは、いうなれば生き方である。
心に問題を抱えた少年少女の生きづらさの理由。
歌を通して、千尋やめぐみたちが、自分を見つめ、表現し、そして認めることが出来るようになれば……、少しでもきっかけが掴めれば……、と琴音は楽器の指導を頼んだ。
週一回。忙しい合間を縫って、しばらくの間、指導をしてくれる予定である。
「ひとりぼっちだった教室に~♪ きみが現れてから~♪
な~にもかもが♪ 美しく思えたんだ」
【ひとりぼっちの教室】
中学生時代の男の子との出会いについて。歌った歌である。
さなりすのデビュー曲。
Dのキーにカノン進行。BPMはゆったりとしており、フィンガーピッキングのアルペジオギターはシンプルだが、印象的な音階とリズムを奏でる。
有理栖は三分強の歌を堂々と歌い上げた。
顔を上げ、笑う。
「わ~! 素敵です~!」
【かっこいい!】
「……、おぉ……」
「ふぅ~、ど? かっこいい?」
「はい! 素敵です!」
【サイコー!】
「……、まぁ……、はい」
「きみは……、本当に面白い子だね」
「そう……、ですか」
「人見知りなんだか、鈍感なのか……、不思議な子だ」
千尋は心に思ったことを口ずさんでしまう癖がある。
無意識のうちに、口が動く。想いが言葉になってしまう。人が恐い。苦手だ。だが、失礼なことをよく言う。初対面相手。オドオドとしながら、冷静にツッコミを入れてしまうのは、そのせいだ。皮肉もよく言う。
「とても才能がある!」
「……どうも」
その日から、日常に音楽が流れるようになった。




