第53話 かわいい?
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十八時。空はすっかり暗くなった。あおいは、「買いたい物がある」と、千尋を連れだした。
サンシャインシティ。多数の店舗が入るショッピングモール。学校から近いこの場所に、千尋たちはよく来ている。
人の群れをくぐって、歩いていく。手は、ぎゅっと握ったままである。
ビル。無数の人。千尋は、パニックになりかけるが、耐える。
「ここ」
と、あおいが立ち止まった場所。そこは、宝石店だった。
「宝石……?」
「そう。指輪買わなきゃ」
「それ、本気?」
「うん。私が冗談を言うと思う?」
「うーん、わかんない」
「だめ。分かってよ。私のことは千尋が一番分かってくれなきゃだめ」
「そんなこと言われても……」
あおいは変わらず無表情だ。だが、最近は微々たる表情の変化に、千尋は気付ける。あおいと長く接しているからだけでなく、千尋はあおい自身が、感情の発露が出来るようになっているように感じていた。
「千尋が選んで」
「そんな、僕、わかんないよ」
「なんでもいいの。千尋が選んでくれたものだったら、どれでも嬉しい」
「しかし……」
ショーケースに並ぶ指輪は、どれも高い。ダイヤ、エメラルド
、ルビー。値札を見ると 一万円台から、百万円台まで幅広い。千尋は宝石には興味がない。知識もない。当たり障りのないものを選ぼうとする。
「じゃあ……、これとか?」
小さなダイヤモンドがついたリング。値段は十万円。安物ではないが、ささやかな輝きがあおいに似合うと思った。
「わかった。じゃあこれ買う」
「買うって……、一〇万だよ?」
「全然買える。私、物欲ないからお金いっぱいあるし」
あおいは、祖母からお小遣いをもらっている。毎月、かなりの額だ。ほとんどは消費できず、貯まっている。
「これを買ったら、千尋がね、私の側から居なくならないような気がする」
「あおいちゃん……」
「私、千尋のことが好きなんだと思う。好きって今もよく分かんないけど、でもね、千尋のことを考えると、心が揺れ動くの。私が、私になれる感覚。千尋は特別なんだよ」
あおいに告白されたのは、高校生になってすぐのころだった。英明学園。入学式も早々に、新学期。初めての登校日。めぐみは体調不良で学校を休んだ。
千尋は、一人で学校へ来た。池袋。溢れる人混みにパニックになりながらも、六〇階通りの交差点。英明学園の入るビルへ来た。
そこで、声をかけてきたのがあおいだった。
あおいは、積極的に千尋に話しかけ、その数日後には、「私の彼になりなさい」と、一方的に交際を求めてきた。千尋は分けが分からなかったが、恐くて、拒否できなかった。
それから、あおいと千尋の関係が始まった。
「千尋……、だから、私には隠しごとをしないでほしい」
「隠しごと……、なんてないけど」
「ほんとに?」
「……う、うん」
千尋とあおいが出会ったのは、もっと昔、九歳のころだ。しかし、千尋がその事実を忘れている、と思われている以上、なかったことになっている。
過去を思い出したことは、誰にも言っていない。
あおいが、自分のことを気にするのは、あの日々があったからだ、と千尋は思っている。
あおいは、九歳のころからずっと、琴音と関係を持っていた。琴音を通じて、千尋の情報を得てきた。千尋が過去を忘れたこと。トラウマに苦しんで、不登校になったこと。そして、英明学園に入学すること。琴音の家に住むことになったこと。その全てを知っていた。
あおいは、全てを理解した上で、千尋を受けいれてきた。千尋は、そんなあおいの優しさを知っている。器の大きさも、あたたかさも。
「いや……、違う。隠しごとあるよ」
「どんなこと?」
「ごめん……、あおいちゃん。僕、思いだしたんだ」
「なにを?」
「昔のこと」
九歳のころ、あおいと出会ったこと。共に過ごした日々のこと。あおいが千尋を大事に思う根幹。病院で一緒に過ごし、「家族」という設定の元、毎日、冒険をした。
「僕……、あおいちゃんたちと過ごしたあのころを、思いだした。僕の、本当の過去も、思いだした」
千尋は、東村山市児童虐待監禁事件の被害者。九歳のころ、入院し、あおいと共に琴音の治療を受けた。あおいとは旧知の仲。
「ごめん。今まで黙ってて。あの日々のことも、東村山市児童虐待監禁事件のことも……、みんな、もう分かってる」
千尋は、秘め事を話した。初めて話した。話さなければいけないと思った。こんなにも自分のことを想ってくれるあおいに、悪い気がした。あおいのように、強くならなければいけないと思った。
記憶を思い出したことを伝えるのは、勇気がいる。今の自分と、昔の自分。どっちが本当の自分なのか。分からない。あおいたちとの関係も変わってしまうかもしれない。でも、言わなければいけないと思った。
あおいに選ばれた自分なら、それくらい出来なくてどうする、と情けなくなったのだ。
「知ってた」
「……え?」
「千尋が、記憶を思い出したこと。分かってた」
あおいは、淡々と言った。いつものように無表情で、感情の読めない顔。棒読みで、無機質な話し方。どれも普段通りだ。
「なんか、言葉の節々とか。内容とか。態度とか。千尋がね、嘘ついてるのはすぐ分かる」
「あおいちゃん……」
「ふふふ、でもよかった。言ってくれて」
「ごめん……」
「言ってくれなかったらどうしようかって思ったの、千尋は私のことを信用してくれないのかなって」
「そんなことないよ。信頼してる! あおいちゃんのことは大好きだよ!」
「ふふふ……、そう? ありがとう。嬉しい」
あおいは、千尋が選んだリングを手に取って指にはめる。ささやかな輝き。
「どぉ? かわいい?」
と振り返ったあおいの顔は、笑顔だった。
千尋は驚いた。満面の笑み。女の子の笑顔。あおいがそんな風に笑うところを見たことがなかった。けれど、不思議と、初めてのような気がしなかった。
「うん。かわいい」
「ふふふ、ありがとう」
その日、二人は婚約した。




