第51話 デート♡
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九月二十二日。
千尋は池袋にいた。
午前十一時三十分。池袋には一人で来られない。同行者がいる。西武百貨店二階。婦人雑貨や貴金属アクセサリーの店舗が並ぶフロア。広々とした空間には、女性が多い。カップル客もいるが、千尋はみていられず、最深部の端で壁に張りついている。
勿論、ここに用事はない。同行者がトイレに行きたいというので、二階のトイレを借りている。今は出てくるのを待っているのだ。
「おーい!」
「……う、うわぁ!?」
「だーれだっ?」
「う……、や、やめて……」
千尋は背後から視界を塞がれてしまった。澄んだ女性の声。肌のきめ細やかさが、手のひらから伝わる。繊細。だけど、熱い。そんな性格が、手触りから伝わる。
「だぁーれだっ?」
「あ……、あおいちゃん」
「ブブー。外れでーす」
「え……、ええ? あおいちゃんでしょ」
「違います。千尋の彼女です」
「……? お、同じでしょ」
「同じじゃない。今日はデート♡なんだから、ちゃんと俺の彼女だって言わなきゃだめじゃない」
「そ、そんな……」
「はい。謝罪してください」
「ご、ごめんなさい……」
「ん」
川澄あおいは飄々としている。視界を塞いだまま、千尋の正面に回る。少年のように綺麗な肌。あおいは思う。あのころと変わらない千尋の姿。小さいころ、千尋と出会ったのは児童医療センターだった。
千尋はそのころから、小さかった。あれから、七年。千尋は十センチほどしか伸びていないように感じる。顔も変わっていない。声も幼いまま。
自分だけが、歳をとったように感じる。
「はい。謝罪のキス」
「……え、ええ~?」
「なにを驚いてるの? 普通でしょ?」
「普通?」
「彼女に謝る時は心をこめて、誠心誠意のキスをする。常識だよ?」
「どんな常識……」
「ほら、早く。早く。キスキスキス」
「い、いやでもこんなところで……」
「……? カップルばっかりだよ。キスしてもおかしくないよ? 普通よ」
「いや、だけど」
「嫌、嫌、言ってないで、早くちゅーして」
「し、しかし……」
「嫌もしかしもないの。千尋は私を困らせたんだから、今日は一日、私の言うことを聞くの。分かった?」
「は、はい……」
「よろしい。素直にしてればいいのよ。素直に」
「はい……」
――ん……、んん、ん。
「ほら、私の唇を探して。こっちよ。こっち~」
「目を隠されてたらわかんないよ」
「ん……、はぁ~。ふはぁ~。ふぅ~。こっちよ。ほら、吐息を感じて」
「み、見られてない? 大丈夫かな……」
「ふふふ、見られてたって、千尋は見えないんだから大丈夫でしょ。ほら、早く私の唇を探し当てて」
「あおいちゃん……、なんか楽しんでる?」
「え? それはもちろん」
「ちょ、ちょっと! ぼ、僕は、いっぱいいっぱいなのに~!」
「でも、楽しいでしょ? 千尋も。目隠しで私の唇を探すゲーム。ご褒美は美少女とのキス」
「そ、そんなわけないだろ」
「え~? 私とのキスが嬉しくないの? 千尋さいてーだよ」
「ち、違う、そっちじゃなくて」
「罰として二十センチ顔が遠くなります」
「え、ちょっ、ちょっと! こ、困るよ~」
「じゃあ、千尋の共感覚で私の顔を探してよ。かなちゃんの匂いは水色の光りになったんでしょ? 私はどんな色になるのかな~」
「あおいちゃん……、もしかして、僕をからかってる?」
「え? そうだけど」
「ちょ、ちょっと~!」
「だって、今日は千尋を好き放題していいって約束でしょ? こないだの謝罪なんでしょ? 千尋なりの」
「う……、そ、それはそうだけど」
「ふふふ~、今日はどんなことをしてもらおうかな~。今から楽しみ~」
「ぐ……、大変な一日だ」
「ん~? なんだって?」
「あ、いえ。幸せな一日、です」
「GJ♪」
家を出たのは午前十時頃。二人一緒だった。
千尋は昨日、退院した。めぐみや奏、琴音による盛大な退院祝いパーティーをした。あおいも参加した。学校は休んだ。そのまま、琴音の家に泊まり、今日を迎えた。
千尋が入院していた時に、今日のデートは約束していた。本当は昨日も独占したかったが、めぐみや奏の気持ちも理解は出来る。だが、あおいは怒っている。この気持ちが、怒りである、と、最近はなんとなく理解出来るようになったが、相変わらず表情には出ない。
今日は、千尋とデート。どんなことをしてもらおうか、ウキウキである。
「さーて。トイレも終わったし、まずはぁ、お買い物かな?」
「買い物って、僕、そんなお金持ってないよ」
「いいの。私が全部払うから」
「でも、そんな」
「いいじゃない。私が欲しいものを買んだから。千尋は付き合ってくれたらいい」
「そ、それはまあ」
「じゃ、とりあえず……、アクセサリーでも見ましょうか」
「うん」
雑貨店やアクセサリーの店舗を千尋と二人歩く。あおいは白いブラウスに紺色のスカート。ショルダーバッグを肩からかけている。
千尋は白いカットソーに黒いジャケット。黒いスキニーパンツである。一四五センチ、三七キロ。男性物の衣服でも、最小サイズなら着用できることもある。が、もっぱら着ているのは、女性物か、子供服である。千尋は洋服には興味がない。選ぶのは大抵、家族か、あおいである。
「ね、千尋。指輪買おっか?」
「指輪?」
「そ。おそろいで。なんかかわいいやつ」
「ペアリング?」
「そ。そんな言葉よく知ってるね」
「え、あぁ……」
「私たち結婚するじゃない? だから、その前に、ちゃんと繋がりたくて」
「結婚するの!?」
「いやなの? 千尋は」
「いや、じゃないけど」
「じゃあ、しよ。結婚!」
「そんな簡単には……、いかないよ」
「簡単よ。指輪買ってちゅーして婚姻届書くだけ。千尋がお金ないなら、私が全部するし」
「そういう問題?」
「うん! そうと決まったらさっそく婚約指輪買わなきゃね」
あおいは千尋の手をとって歩きだす。変わらず無表情。しかし、弾んでいるように見える。千尋はあおいの気持ちを考える。
あおいとは、九歳のころ、病院で出会った。それから二年近く一緒にいた。あのころのことを、自分は全て忘れたと思われている。実際、忘れていた。だけど、思いだした。あおいはあのころから変わらない。誰よりも無機質そうなのに、誰よりも熱いハートを持っている。
あおいの足の傷。走れない。運動も出来ない。障害の原因は、あおいのせいではない。けれど、気にしている様子もない。
あおいは強い。強さの理由に自分が含まれていることに、申し訳なさと嬉しさを感じる。
51話まで読んでいただきありがとうございます。
申し訳ないですがここで一度、中断致しますが、後日再開致します。
よろしくお願い致します。




