第4話 蜂蜜いっぱいかけないと……
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入間川沿いの自宅に着いた。家は三上琴音の所有物である。琴音は国内有数の精神科医。相応の年収を貰っている。家は数年前、中古で購入した。価格は三千万円。築三十年を超えた建物には価値が殆どない。大半は土地代である。
「ただいま-」
「おじゃましまーす」
家に入る。玄関には多数の靴が置いてある。黒いパンプス、ローファー、ナイキやアディダスのスニーカー……、大半は女性物である。千尋の物もあるが、靴のサイズは二十三㎝。女性物と判別がつかない。
千尋とあおいは、リビングへ向かう。
廊下を歩くときしむ音がする。フローリング。色あせているが掃除は行き届いていて綺麗だ。家の掃除は当番制である。琴音、千尋、めぐみ、奏が、週二回のローテーションで行っている。四人いるので、一人だけ週一になる計算だ。特に雪村めぐみは、掃除が好きで熱心に取り組む。自分の当番でなくとも掃除する程である。
「ちーちゃんおかえり~」
「ただいま、めぐみ」
「おじゃましてます」
「あーちゃんも来たんだ~?」
「はい。今日はみんなと一緒に居たいなぁー、って思って」
「にしし~、うんうん! あーちゃんも、あたしたちの家族だもんね!」
「家族……、ふふ、ありがとう」
リビング。アイランドキッチン。雪村めぐみは夕食の支度を始めようとしていたところだった。細身の長身。長い茶色の髪。愛らしい顔は愛嬌がある。明るい性格で、男性にも女性に好かれる。裏表もない。無邪気で素直。
年齢は十八歳。浪人期間がありまだ高校二年生。千尋たちと同じ通信制高校に通っている。今日は自由登校の日。めぐみは予定があり高校には行かなかった。しかし、夕食は作る。今日はめぐみの当番の日だ。夕食も掃除と同じローテーション制である。めぐみは料理も得意だ。レパートリーも豊富。センスがあり、盛り付けが素晴らしい。ただし、味付けは苦手。
味覚に障害があるためである。
「よぉーし! めぐみお姉さんが腕によりをかけて、お食事作っちゃうからね~! よし! 楽しみにしててね!」
「めぐみちゃんのご飯楽しみ」
「あっりがと~! あたし、頑張っちゃうぅ!」
「ほら、千尋も。めぐみちゃんの応援しないと」
「応援って……、いつも食べてるし」
「そういうことじゃないの。ほら、ちゃんと応援」
「う……、はい。めぐみ、楽しみにしてるからね」
「にしし~! うん! ちーちゃんのためにもいっぱい蜂蜜かけとくからね!」
「いや……、それはいいです」
「え~? だって今日はめぐみお姉さんお手製のオムライスだよ? 蜂蜜いっぱいかけないと……」
「いや……、うん……」
めぐみはブラウスの袖をまくる。白いシャツ。スカート。今日は清楚な格好をしていた。めぐみは洋服が好きだ。都内に買い物によく行く。スタイルがよく、洋服がよく似合う。読者モデルをしていたこともある。
ピンク色のエプロンを着用。そして冷蔵庫をいじっている。嬉々とした笑顔。喜びが溢れ出ている。太陽のような少女。しかし、太陽は夜は陰る。
雪村めぐみは、躁鬱病である。双極性障害ともいう。躁状態と鬱状態が交互にやってくる心の病気である。躁と鬱の時間は個人差があるが、めぐみは躁状態が長い。その分、鬱になった時の落差も激しい。
「えへへ~、あたしね~? ふわふわオムレツをつくる極意を掴んだのだ~」
「わぁー、ふわとろオムレツ好き」
「食感はいいんだけどな……」
「あたし、みんなのためにいっぱいお勉強してるの!」
時刻は十七時を回った。千尋はソファに座る。スマホを見ると、三上琴音からLINEが来ている。
【お仕事終わった~! これから帰るね! 今日もいっぱい頑張った! せんせーえらいでしょ? ね? だから帰ったらいっぱいぎゅーってしてね~】
三上琴音は隣の市で働いている。県立川越児童医療センター。関東近郊では有数の児童医療の専門病院である。自宅から会社まで車で三十分程度である。千尋はめぐみに言う。
「先生、これから帰ってくるって」
「あ、そー? もう出発したって~?」
「うん。これからって言ってる」
「そっか! じゃあ、もうチキンライスつくちゃっても大丈夫だね」
「奏にも言っとかないとね」
「かなちゃん何してるの? おでかけ?」
「あー、今ちょっとね……」
「……? ちょっと?」
「よーし! 頑張るぞ~!」
めぐみは再度袖まくりをする。手首には無数の傷跡。鬱状態の時は、リストカットが常習である。切った回数は数知れず。
「死にたいわけじゃない。ただ、血を見ると落ち着く……、ううん。そうじゃない。生きたいんだ、と実感したいだけなのかも。よくわかんない」
深く切りすぎて救急搬送されたことも一度や二度ではない。病院は馴染みの場所。それは千尋やあおいも同じだ。未だ、週一回のカウンセリングをかかさず行っている。主治医は三上琴音。食後の内服も欠かせない。