第44話 好き
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翌日。九月十四日。千尋は朝早くにマンションを出た。夜のうちに深紅のバッグから自分のスマホを奪い返した。
深紅は、よく寝ていた。寝る前に、千尋は襲われたが、元気にならないところを見て、ひとまず、先送りにされた。
朝早く。千尋は始発に乗って狭山市に帰ってきた。薄暗い街。人気の少ない世界なら一人でも家に帰ることが出来た。
LINEを見るのは恐かった。無断外泊だ。琴音やめぐみが怒るのは必至だった。
あおいには顔向けできない。未来に誘われた取材に、付き添ってもらったのに、途中で、居なくなってしまった。それも、無言で、である。
どんな言葉が詰まっているのか。想像するだけで、ドキドキとした。
――朝九時。
家。
リビングのダイニングテーブル。
千尋は、神妙な顔に囲まれている。琴音、めぐみ、あおい、は千尋を見つめている。
家族会議。議題は、昨日の千尋の無断外泊について、である。千尋は事情を説明したが、琴音たちは納得していない。
めぐみは、「ちーちゃんの貞操が奪わそうになった! これは全面戦争だ!」と、怒り狂い、「その女をあたしが襲う!」と叫んだ。琴音が「さすがにそれは」と、止めようとすると、めぐみは、「え? だってちゅーしたらちーちゃんと間接キスだし、その女からちーちゃん成分が抜けるじゃ~ん」と、きょとんとしていた。
めぐみが言う「襲う」とは、押し倒してキスをする、ということであった。
最後にキスをした相手とスピリチュアルな糸で繋がる、とめぐみは信じている。それは特別な関係で、運命の赤い糸とも同じなのだという。
だからキスを上書きしないといけない。あおいや琴音、奏なら、許すが、どこの誰とも知らないその女子高生はだめだ、と、めぐみは今にも行動を起こしそうである。
千尋はめぐみの発想に驚かなかった。いつものこと。めぐみは変わっている。血生臭いことでないなら、別にいいか、と思った。
「さて。千尋くん。奏はいないけど、まぁ、大事なお話なので、ゆっくり話しましょう」
「は……、はい」
「せんせーは仕事行かなくていーの?」
「今日は午後出勤だからいいの。そんなことより、千尋くんの無断外泊の方が問題よ」
「うん。あたしも学校より、ちーちゃんのことの方が問題!」
「千尋。ちゃんと聞いてる?」
「う、うん……、聞いてるよ」
「私、すっごい心配したの。千尋が急にいなくなって、どこかで倒れてるんじゃないかって。顔面蒼白だったの」
「元から……真っ白な肌……」
「なんだって? 千尋」
「す、すいません……」
「今はふざけてる場面じゃないの。ちゃんと分かってるの? 千尋」
「は、はい……」
「私は怒ってるの。すっごい怒ってるの。もう、キス一回じゃ許せないくらい怒ってるの」
「じゃ、じゃあ何回すれば……」
「二十四時間」
「は……はい?」
「一日中、ずっとキスしてたら少しは静まるかも」
「い、いや……、それじゃ食事もとれないし、水だって飲めないよ!」
「そうよ? なにか問題あるの?」
「も、問題しかないような……」
「なんだって? 千尋。私、最近耳が悪くてよく聞こえないの」
「耳鼻科に行った方が……」
「ちーひーろ。私は怒ってるんだよ。ちゃんと聞いてる?」
「は……、はい」
「聞いてないよね? 千尋、さっきからふざけてるよね? 私、もうキス二十四時間じゃ許せなくなった」
「す、すいません……」
「つながりたい。千尋と」
「……!?」
「千尋の初めてを私がもらいます」
「え……、あ、……、ええ?」
「ごめんね。めぐみちゃん。先生。でも、こればっかりは私……、もう譲れない。我慢出来ない」
「まぁ……、あーちゃんがそーゆーなら、仕方ない。あーちゃんなら、あたし、認められる!」
「私もあおいにそう言われたら、なにも言えないわ」
「ありがとう。二人とも」
「い、いや……、あの、僕の意思は無視ですか?」
「そうよ? なにか問題あるの?」
「ちーちゃん?」
「千尋くん?」
「え? 僕がおかしいの?」
「でも、あーちゃん。ちーちゃん元気にならないけど、……、出来るのかな?」
「そこは大丈夫よ。私が、千尋くんのために、元気になるお薬を処方してあげるわよ」
「先生……、いつもありがとう」
「うん。二人の愛のためだもの。先生は、二人が結ばれることをとても愛おしく思ってるのよ」
「あーちゃんが終わったら、次はあたしとしよーね! ちーちゃん」
「もしも子供が出来たら……、千尋はちゃんと働きに出るんだよ? ホストでも結婚詐欺師でもいいから」
「は、話早すぎるんじゃ……」
「そーと分かれば、さっそくだね! あたしは、その女子高生のところに行ってくるね!」
「私はキス二十四時間するね」
「じゃあ先生は……、お薬をもらってくるか」
「え、……ええ? あ、あの……みなさんもういいんですか?」
「あ、うん。ちーちゃん連絡先教えて」
「連絡先?」
「うん! あたし、その女子高生の連絡先知らないし、LINE。教えて」
「え……、でも」
「だいじょーぶ! これから、会いに行ってキスするだけだから」
「キスくらいならいいわね。先生はその間に、病院に行ってくるかぁ」
「え? いいんですか? 先生」
「だってキスするだけよ?」
「私たちもその間にキスしましょ。千尋」
「え……、いや、その二十四時間キスってどうやるんだよ。無理だろ。どう考えても」
「無理でもやるのよ」
「え、無理は無理……」
「無理を押し通して叶えてこそ人生の喜びがあるのよ」
「なんか名言風……」
「あーちゃんはボキャブラリー豊富だよね~」
「さ、さっそくちゅーしましょ」
「いや……、奏の意見も聞いた方が……」
「かなちゃんは、応援してくれるよ。きっと」
「うんうん。かなりんも二人のこと好きだもん」
「奏は今頃学校ね。先生も学校行きたいなぁ~」
「あたしも行きたい~」
「私も……、小学校あんまり行けなかったから、なれるものならもう一回、小学生やりたいなぁ」
「ぼ、僕は……、いいや」
「なんで? 千尋が一番、なれそうなのに」
「そーだそーだ。ちーちゃん、子供みたいな見た目だから、小学生に紛れてもわからなそう」
「あ、先生のコネで小学生になってみる? 先生、色んなところにコネがあるから……」
「いや、僕は子供扱いされたくないので」
「ねえねえ! その女子高生ってランドセルとかも家にあるのかな?」
「み、水色のランドセルはあったけど……」
「あ、あぁ~。その妹さんの~?」
「多分……」
「でもきっと、コスプレ衣装あるよね? ちーちゃんみたいな子に似合う男性用のコスプレグッズ」
「私と話が合いそうね。その子。今度、うちに招待しましょうかしら」
「だめだよ~。せんせ~。そんなことしたら」
「そうですよ。めぐみやあおいがなにするか……」
「それもこれも、千尋のせいじゃないの? なんで他人事なの?」
「い、いや……、他人事ってわけじゃないけど」
「千尋は他人事だよ。解離性障害なの? 違うでしょ? 千尋は、真剣味がないんだよ。私はね、すっごい怒ってるの」
「は、はい……」
「だめ。もう許さない。キス一週間でも許さない」
「いや、それやったら死ぬでしょ」
「うるさい。口答えしない。千尋は、黙って私の言うことを聞いてればいいの」
「は……、はい。すいません」
「全部、千尋が悪いんだからね。私は、ちゃんと言ったんだから。あの時、一人でちゃんと行けるの? 着いて行きましょうかって」
「そ、そうでしたね。すいません」
「でも千尋が、突っぱねて、その結果、どうなった?」
「女の人に連れて行かれました」
「どこへ?」
「家に」
「そこでなにされたの?」
「お、お風呂に……、入れられました」
「お風呂でなにしたの?」
「か、体を、洗いました……」
「千尋は嬉しかった?」
「う……、うぅ……」
「嬉しかったの?」
「い、いいえ。恐かったです……。知らない場所で知らない女の人の裸で」
「ほんとうに?」
「う、うん……」
「そうは見えないけど?」
「……あ」
あおいは千尋のスマホを見せつける。深紅とのLINEには、写真が載っている。昨日の写真。深紅が撮った写真だ。千尋のLINEに、深紅が送った。千尋はスマホを深夜に奪い返した。が、あおいたちのLINE内容への恐怖で、頭が回らなかった。深紅とのLINEを確認する余裕がなく、画像も消せなかった。
家に帰り、スマホはあおいに取り上げられた。あおいは、家に帰らず、琴音の家に泊まっていた。学校は休んだ。千尋の行方を心配していたのである。
「胸、揉んでるわよね?」
「う……、うぅ」
「自発的に、揉んでるように見えるけど」
LINEには十枚以上の写真があった。深紅とのツーショットが大半。千尋が無意識に深紅の巨乳を揉んでいる画像もある。
「そ、それは……、あの」
「ねえ千尋。ほんとうに、嬉しくなかったの?」
「そ、そうだよ! 嬉しくないよ。恐かったよ! 僕は……、知らない人の前だと、人形みたいになっちゃうんだよ。スマホも奪われて……、恐くて逃げられなくて、すっごい嫌だったんだ――」
――ちゅ。
あおいは、千尋の会話を遮るようにキスをする。深紅の胸やキスと違う。唯に感じる気持ちとも違う。あおいと繋がる感覚は、すごく久しぶりのような感じがした。
甘酸っぱくて、優しいミントの匂い。石鹸の匂い。あおいの愛情の味だ。
「ん……、じゅる……」
「ん……、千尋。もう、いなくなったらだめよ」
「う……、うん。ごめん。あおいちゃん」
「私、千尋がいなくなったら死ぬから」
「え、あ……、うん」
「千尋の命と私の命は、おんなじよ。肝に銘じておくように」
「は、はい……」
「好きよ。千尋」
「う、うん……、僕も、好き、だよ。あおいちゃん」
あおいの顔はいつもと同じだった。無表情。淡泊。透明感のある顔立ち。瞳が大きくて、肌は白い。口が小さくて、鼻がツンと高い。鈴のように綺麗な声。だけど、感情を感じない無機質な話し方。
そのどれもが、今は愛おしいと思った。
もう、あおいを傷つけないようにしよう、と千尋は思った。
「よろしい。じゃ、はい。これ」
「……?」
「ジャララァ……、はい」
「……はいって?」
「これつけて」
「つ、つけるって……、これ、なに?」
「え? 首輪。千尋のために買ってきたの」
「な、なにを仰っているのかしら? あおいさまは」
「なにって……? 千尋がもういなくならないように、首輪をつけようと思って」
「……? いや、全く意味が分からないんだけど」
「だーかーら、外に居る時は鎖を首輪に繋いでおけば、もうこんななことにはならないでしょ」
「ペットか! 僕は」
「だめなの?」
「い、いや……、だめじゃないけど……、余計に目立っちゃうし」
「そう……、いい案だと思ったんだけど」
「く、首輪はあれだけど……、その気持ちは嬉しい」
「ほんと?」
「も、もうあおいちゃんに迷惑かけないようにしようって思うよ」
「そっか。よかった」
首輪は千尋のトラウマの象徴だ。子供のころ、犬用の小屋に監禁された。首輪をつけられて、閉じこめられた。そんな日々を思い起こす道具。
あおいは、過去を知っている。千尋が、首輪が苦手なのを知っている。しかし、あえて提案をした。
千尋を失いたくないという気持ちもある。繋がっていたいという想いもある。
同時に、千尋に乗りこえて欲しいという気持ちもある。
あおいなりに考えた結果だった。




