第2話 キスすれば機嫌がなおるってことですか?
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「ねえ、ちひろ。知ってる? 最近狭山市で、暴行事件が増えてるって」
池袋。東口。サンシャイン通りの入り口。交差点のロッテリア。あおいと千尋は席に座り遅めの昼食を取っている。あおいはハンバーガーを三つほど平らげ、シェイクを飲んでいる。千尋はコーラを少量飲む。主食はあおいのハンバーガーを少し食べただけ。千尋は小食である。小さいころ、両親から受けた児童虐待のトラウマが影響している。千尋は食事をとるのが苦手。しっかり食べると吐いてしまう。
「犯人は数人。未成年を襲うんだって」
「へぇ-」
「なーに? その他人事は」
「そんなことはないけど……」
「千尋が住んでる街でしょ。もっとちゃんと集中して聞かなきゃだめじゃない」
「集中してます」
「してない。罰としてキス一回ね」
「はぁ? なんでキス」
「あおいお姉さんの話しを聞かなかった罰です。わたしは機嫌を損ねたので、はい。キス。」
「キスすれば機嫌がなおるってことですか」
「まさしくその通りです」
「こんな人多いところで……、キスなんて……」
「だめ。しなかったら一回じゃなくてどんどん増えていくから」
「いや、そんなこと言われても」
「はい。十秒経ったから二回に増えました」
「って、もう増えたの?」
「はい。じゅーいち、じゅーに、じゅーさん……」
「あぁ、もう……」
――ちゅっ。
千尋は不満げな顔でキスをする。あおいの色白の肌。ショートのボブ。黒髪。人形のような微笑。あおいは美少女である。背は千尋より少し高く、声は透明感がある。通信制高校の制服。ブレザーに紺色のミニスカート。千尋はブレザーに紺色のスラックス。そこだけ見れば、いちゃつく高校生カップルだ。
「じゅる……、ん、よろしい。よくできました」
「ん……、うるさい。あおいちゃんがやらせたんだろ」
「んっ……、でも、嬉しいよ。わたしは。千尋がキスしてくれるのは」
「うるさい」
「ふふ……、怒ることじゃないでしょ? なんで怒ってるの? キス、気持ちよくなかった?」
「そういうことではありません」
「じゃあ、気持ちよかったんだ。やだぁ、んもぅ、千尋ったらえっちなんだからぁ」
「それも違う!」
「怒りっぽかったり、えっちだったり、千尋は本当、過覚醒だね」
「うるさい」
「はい。じゃあ二回目のちゅうは? ん?」
「はい……、あおいお姉ちゃん」
「はい、ん……、じゅる、んっ……、よしよし。いいこいいこ」
川澄あおいと千尋は幼少期からの知りあいである。お互い、両親から虐待を受けて育った。千尋、あおい共に九歳のころ、虐待事件から救いだされた。そして、行きついた先が、埼玉県立川越児童医療センターだった。国内屈指の小児医療の病院である。そこで二人は出会った。当時の主治医は、三上琴音。だが、千尋は最近までその事実を忘れていた。
池袋。時刻は十五時。通信制高校の日常は少し変わっている。全日制高校との違いが多い。出席日数は年間、五十日程度で単位取得が可能。だがサポート授業という名前で、毎日、教室は開いている。授業も行われているが、予備校的側面が強い。
時間は十時から十六時まで。今日は、疲れたので、あおいと千尋は途中で切りあげて池袋で遊んでいた。高校はサンシャイン通りの裏路地のビルである。四階から八階まで。KTC英朋学園。生徒数は四百名以上だ。
二人は外に出た。九月、平日の午後。池袋は人混みで溢れる。毎日の日常だ。汚れた路面。たばこの吸い殻。くすんだ匂い。しかし、見あげた空は澄みきっている。九月の空。青空。
「ねえ千尋。千尋が好きなものはなあに?」
「はぁ? なんだよいきなり」
「ね? なに? なに? 教えて」
「好きなもの……、って、まぁ、これかな」
「……? これ?」
「うん。これ」
と見上げた先にあるのは青い空。希望に溢れる。そして視線を下げて見つめた相手。川澄あおい。
「僕はあおいが好き」