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第22話 リア充ライフ

 22


 午後一八時一〇分。琴音、めぐみ、千尋の三人は病院を後にする。自動車に乗っている。運転しているのは琴音。自家用車。黒のノア。年式は二〇一九年。購入価格は二〇〇万円を超えたが、琴音には微々たる額。年収は一〇〇〇万円以上。収入源は医療センターの給料以外にもある。執筆、監修した書籍は一〇冊以上。印税収入が一定の額ある。講演会の依頼もある。児童心理臨床の世界で著名な三上琴音は、小学校や大学等、オファーが絶えない。大学の客員教授の肩書きもある。出勤するのは月に一回程度だが、研究協力をしている。

 三上家に住む子供三人。学費生活費。相応の額はかかるが、全て琴音が負担している。医師として有能。しかし、千尋は半信半疑だ。先生のだらしない姿をみているから、である。


「じゃあ夕食はお寿司ね~。奏を迎えに帰ってから、どこに行きましょ?」

「築地寿司ー」

「なんでもいいですよ」

「ま、近場でいいわよね。安いし」

「うんうん! 倹約大事~!」

「先生はお金持ちだけど、節約は大事ですよね」

「そうよ。お金は使い出すとすぐになくなっちゃうからね~。いいなぁーって思った本をポチポチしてたら、後でびっくりしちゃうもの」

「なんの本だ、なんの」

「ひ・み・つ」

「せんせーのえっちな本、あたしもけっこ好きだよ~」

「そう~? めぐもついに目覚めたか」

「変態が増えたな」

「あたしね、小さいころ弟が欲しかったの。あたしんち、家族関係、なんかドライだったし、かわいー弟がいたら、寂しくないのになーって」

「なんで弟?」

「妹は、面倒くさいし~。あたしも女だから、女の面倒なとこわかるし~。弟かなーって」

「お兄ちゃんじゃだめなの?」

「だめだよ。あたしよりちっちゃくて、バカじゃないとだめ。じゃないと、逃げられちゃうから」

「あはは……」


 助手席にはちひろ。後部座席にはめぐみが座る。めぐみは前方の座席へ首を伸ばし、会話をしている。

 病院から自宅までは二〇分から三〇分程度。奏にはLINEで連絡をしてある。

 国道一一四号線と一六号を通り車を飛ばす。暗く染まった空。信号機。ヘッドライト。ブレーキランプ。電灯。夜の街を照らす。

 千尋は密室が苦手。自動車も同じだ。密閉された空間。逃げだせない閉塞感。檻と同じ。監禁された部屋。鉄格子。トラウマを引き起こすきっかけになる。

 

 過去を全て忘れていた中学生時代。教室へ行くと息が詰まる感じがした。話し声。喧噪。自分の悪口のような気がして、いても立ってもいられなくなった。そのうち、外にも出られなくなった。人と会えない。人の目が恐い。見られるのが恐い。ただ不安だった。絶えられない。逃げだしたくなる。でも、足が竦む。パニックになる。冷や汗。動悸。止まらない興奮。困惑。その理由が千尋には分からなかった。


 都合よく改変された記憶。疑うこともなかった。中学二年生で不登校になり、琴音と出会った。あのころから、狭いところは苦手だった。自動車も苦手。でもそれは、「車に酔いやすいから」と、勝手に思っていた。


 監禁事件の事実を思いだしたのも、こんな日常の途中。児童医療センターへ行き、琴音の車で家に帰る途中だった。

 ふいに、フラッシュバックした。

 父と母。自分。雨。軽自動車から降りてビルのなかへ。エレベータ。三階。首輪をはめて、鎖で繋がれる。母は知っている。父も知っている。でも、この場所の記憶はない。

 自分は別室へ。犬小屋。それもとても大きい。会話をしながら檻のなかへ入る。そして錠をかけられる。不気味に笑う父。無表情の母。


 今年の四月頃。そんな体験をした。以来、怒濤のように過去が溢れだした。栓が抜けた湯水のように。処理しきれず昏倒することも増えた。何度か転倒時に頭を打った。出血もあった。琴音やめぐみの過干渉が増えたのもそれからだった。


「ねえねえ、土曜日か日曜日は釣りしよ?」

「なんでまた釣りなんて」

「え~、あたし釣りしたい!」

「じゃあすれば?」

「ちーちゃんも一緒にしよーよ」

「釣りなんて出来ないよ」

「釣りに出来るも出来ないもないでしょ。釣り糸垂らしてぼーっとしてるだけだよ」

「まぁ……、うーん。なんか違う気もするけど」

「しないしない。竿もあるし、餌は買ってくればいいし」

「どこで釣るの?」

「家の前でいーじゃん」


 自動車を走らせる。入間川の橋を渡る。家はもうすぐだ。入間川で鯉や鮒が釣れる。釣りには許可証がいるが、釣具屋で買える。一日、五〇〇円。近所。歩いて五分くらいの場所だ。餌も手に入る。竿や針は家にある。琴音も千尋も釣りは詳しくない。めぐみも素人だが、以前から興味があった。四月から始めた「入間川を綺麗にする会」のメンバーに釣りのやり方を指導して貰い、道具を揃えた。家は、入間川の土手の隣。裏庭の塀を越えれば、その先は土手。そして、川だ。釣りはいつでも出来る。


 土手の上で、毎日散歩をするのが千尋、めぐみ、奏の日課だ。生活リズムを整えること。自然光を浴びること。適度な運動をすること。が主目的だ。指示をしたのは琴音。一定のリズムでの有酸素運動はセロトニンの分泌を促す。太陽光も同じ。一日に、大体一五分浴びるのがいいとされている。最近は散歩をしながら、ゴミを拾うようになった。会の活動にめぐみはいい影響を受けている。めぐみを見て奏は真似をしている。めぐみに叱責されるので、千尋は嫌々やっている。


「いつやるの? 時間」

「うーん。いつでもいーけど、午前中とか? あ、あおいたんも呼んで、そのままバーベキューでもしよーよ」

「めんどうだなぁ」

「ちーちゃんはもっと食に対して関心を持ちなさい」

「関心ねぇ……」

「食欲のついでに、性欲や睡眠欲ももっと本能的になってもいーのに」

「なれるならなってるよ」

「あー、やっぱりえっちなことしたいんだ?」

「したいっていうか、普通になりたいよ。なれるならね」

「うーん、でもなれないじゃん。あたしたちには」

「そ。だから、別にこれでもいいのかなって、最近は思ってるけど」

「だめだよ。ちーちゃん。普通にはなれないかもしれないけど、なろうとする努力は必要だよ?」

「まぁ、頑張りは大事」

「だから、あたしと釣りしてバーベキューしてリア充ライフやろうよ」

「それリア充ライフなの?」


 自動車は橋を渡って一六号を進む。闇夜を照らす文明の光。人の声。開いた窓から涼しい風。水分をふくんだ匂いが頬を撫でていく。

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