第20話 ちーちゃんのちは、ちっちゃいのちだね~
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午後三時四〇分。バス停、「県立児童医療センター前」で下車する。
病院は約一万平米の広さを誇る。東京ドームのグランド部分が、すっぽり収まる大きさだ。
五階建て。小児医療外来は、内科、循環器科、眼科、皮膚科等、一三種類に及ぶ。入院病棟もある。床数は二〇〇。外科手術も行う。
看護師総数は夜勤専従の契約社員を含め、五三名。医師、二〇名。事務職員、無資格の看護助手を含めた労働者の総数は一〇〇名以上を数える。
バス停の周囲は田園風景が広がる。川越名産の里芋やほうれん草が栽培されている。陸の孤島。周囲五十メートル四方。建物は小さな住宅。納屋だけ。五階建ての医療センターが一際目立つ。
バス停からは徒歩一分。閑散とした道路を渡ればすぐである。
千尋とめぐみは手を繋いで道路を横切る。人気はない。病院の横には大きな駐車場。従業員や受診する際に利用できる。収容人数は一〇〇台。すぐ隣には有料老人ホームとグループホームがある。民間の介護施設であり、病院と直接の繋がりはない。
大きなロータリーを歩く。すぐに入り口の回転ドアへ着く。ゆっくりとドアをくぐり、建物内へ。
入ってすぐに大きなエスカレータ。「受付はこちら」と書かれた案内。矢印は左へ向いている。一階は受付、内科。二階は皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、呼吸器科、整形外科。精神科は三階。
千尋とめぐみは一階の受付へ進む。診察券と保険証を提出し、エスカレータで上へ登る。見上げた天井が高い。大きな病院だが、高度な医療を必要とする専門施設のため、受診する人は少ない。地域の病院や大学病院で治療が出来ず、専門医療を必要する子供たちが利用する。
窓が多い。外光が射し込んでいる。「まるでレースのカーテンを通して眺めるような感じ」千尋はそんな喩えを考える。気を紛らせるためだ。人気は少ないが、病院は緊張する。落ちつかない。昔のことを思い出すのだ。
一年間。この病院にいた。三上琴音とあおいと共に。医療センターに来ると、時々、記憶が蘇る。封印された思い出。フラッシュバックは白昼夢のようだ。レースのカーテンの向こう側へ、突然に、吸い込まれる。真っ白。光の先にあるのは、過去の世界だ。夢をみている感覚。だけど、ハッキリ現実感がある。
九歳のころ。琴音を母とする「家族ごっこ」のメンバーは三人いた。姉、あおい。弟、千尋。妹、恵那。あおいは今より無表情。千尋は怯えて震える子供。恵那は、愛嬌のある元気な女の子だった。
三人は、精神科の入院病棟で過ごしていた。精神病棟は外来とは別の棟にあった。三階の渡り廊下から行くことが出来る。
広い敷地。建物の周りには大きな庭。館内の廊下は車イス八台はすれ違える横幅。五階建て。「姉弟」は、琴音の依頼によって、一階の売店へお菓子や飲み物を購入しに行くことが日常だった。
売店は外来病棟にある。渡り廊下を通って、三人で行った。毎日のように。それは冒険だった。知らない人。知っている人。大人。子供。色んな人がいる外の世界。精神科の隔離された空間では分からない、社会。
外は恐い。人によって心に傷を負った三人は、特に。だけど、三人で助け合って冒険に行く。それによって得られるのは、共感力。怖さを共有し、協力して乗りこえる。達成感。成功体験。人は一人では生きられない。誰かがいて、初めて自分がいる。人と比べることで、自分が分かる。アドラー心理学「共同体感覚」にも通ずることを学ばせる琴音の治療の一つだった。
怯えてばかりの千尋は、あおいの後ろで震えている。視線を落とし、不安そうだった。
恵那は二人を気にせず、自由に振る舞った。歩幅も合わせない。知らない人に声をかける。気がつくといなくなる。走りだす。自由気まま。
あおいは、そんな治療から学んだ。自分は「面倒見がいい」と。「周りがよく見えている」と。
「おーい。ちーちゃ~ん」
「……ん」
「おーい、だいじょーぶですかぁ~? おーい」
「うるさいな。大丈夫だよ」
「ちーちゃんはいつ倒れるか分かんないから、あたしは心配です」
「大丈夫だよ。今は。もうそんなには」
「なことゆって、こないだも倒れたでしょ~? ここで」
「あれはなんかフラッシュバックしちゃっただけ。すぐ治ったし」
「ぜんぜん、だいじょーぶじゃないじゃん」
「大丈夫だよ。今は、頼れるお姉ちゃんがいるからね。二人も」
「にしし~、だね!」
「うん……、ありがと」
「うん~! だからねえねえを頼っていーんだよ。ほらぁ! ん! ぎゅうう」
「う……、あ、あんまくっつくなよ。暑苦しいなぁ」
「これなら倒れても安心! あたしがぎゅっと腕を掴んでてあげるからね!」
「あ……、歩きにくいから」
「じゃあおんぶする?」
「できないだろ! さすがに」
「そっかなぁ~? ちーちゃんちっちゃいから、いけそーな気がする」
「いや……、いくらなんでも。僕だって男だし」
「でも、一四〇センチしかないじゃん! 女子以下だよ?」
「一四八センチ!」
「くす……、一緒だよ? どっちみち、ちっちゃい~!」
「バカにするな~!」
「かわいー! ちっちゃくてかわいーちーちゃん!」
「やめろー!」
「ちーちゃんのちは、ちっちゃいのちだね~」
「違う~!」
「じゃあ、ちびのち?」
「おい!」
「じゃー、なんのち?」
「千尋のちだ!」
「せーかい! おめでとー! ご褒美のちゅーだぁ~! ちゅうぅ~」
「うわぁ! は、……離れろ! バカ」
「にしし~、ちーちゃんはかわい~なぁ~」




