第16話 小さい男の子が好きになったみたいに?
16
カレー屋「シンドバッド」。池袋サンシャイン六〇階通りの側にあるカレー専門店である。開業一〇年目。西口と新宿、秋葉原にも店舗を構える人気店だ。六〇階通り店は本店。ビル地下にあり、暖色系ランプが特徴的だ。ルーは二〇種類のスパイスを複合し、コクのある味を実現している。ビーフ、ポークの二種類がある。二〇時間煮込んだ具はとろとろ。
豊富なトッピングをすることも出来る。トマト、カツ、煮込みチキン、アボガド等、自分で選ぶことが出来る。
ライスの量もカスタマイズ可能。150グラムから500グラムまで。
木目が優しいテーブル席に座る。座席は五〇席。室内は狭く、席と席の間が近い。歩くと体が当たる。
千尋たちは奥の四人テーブルに座る。席に着くなり、めぐみが注文をする。
「バイキング、三人で!」
ランチタイム限定でバイキングメニューがある。一〇〇〇円で、食べ放題。ビーフ、ポークのルーとライス、煮込みチキンが自由に選べる。
シンドバッドは行きつけの店舗だ。あおいたちはよく来る。あおいの胃を満足させられるバイキングがあるからである。
三人はお金には困っていない。めぐみと千尋は、琴音からお小遣いを貰っている。琴音は高給取りの医師。生活には余裕がある。
あおいは、親戚の家で暮らしている。祖母と祖父とあおいの三人。裕福な家庭。お小遣いは有り余るほど。「なんでも好きなものを買いなさい」と、月一〇万円貰っている。あおいは物欲がない。物に価値を見いだせないのである。「そんなにいらない」といつも言っている。遠慮ではなく、必要性がない。が、琴音の言葉を信じて消費をしている。
「なにかをやってみることで、自分の感情を知ることも出来るわよ。私って意外とこういう性格なんだなぁって思ったりもするの」
「ふぅん。先生が、小さい男の子が好きになったみたいに?」
「そうね。えっちな漫画を買ってみたら、意外といいって思うかもしれない。人生は発見よ。なにごとも挑戦あるのみ」
「うぅん、そうかなぁ」
「そうそう。あおいだって実は意外な性癖があるかもしれないじゃない」
「あるのかなぁ、私にも」
「あるある! だってあおいも女の子なんだから! ときめかないと」
「それ、ときめきっていうのかなぁ」
「言うわ! 先生は千尋くんを見る度にキきゅんきゅんしてるのよぉ~」
「犯罪者?」
あおいは食欲もあまりない。解離性障害により、自分がわからない。生きたい、という意欲すら、よくわからない。しかし、以前よりは改善してきた。無限に食べるのは、満腹感がないからである。しかし、大食漢。大食いだ、と分かったのは、食べてみたからである。痩せの大食い、と、周囲に言われる。
「かわいいから、大食い番組とか出れそう~」
とめぐみたちに褒められたりもする。それは嬉しい。自分の長所。いいところだ、と思った。自分の特徴。個性。知ることで、自分というものを理解出来る。琴音の言うとおりだった。
「はい。ちーちゃんの分はあたしが選んだげるから」
「いや、いいよ。僕が盛るから」
「だーめ。そしたらちーちゃん全然食べないし~」
千尋たちは立ち上がりバイキングコーナーへ行った。大皿を持ち、ライスを盛る。めぐみは千尋の分を大盛にする。300グラムはある。
「おい、そんな食べられないから」
「食べなきゃだ~め。せんせーにもいつもゆわれてるでしょ~?」
「そうよ。千尋は栄養不足なんだからぁ、食べなきゃだめ」
「なこといわれても……、ね」
「吐いても私が許したげるから、頑張って。ね?」
「うんうん。吐くくらい、あたしもよくあったし。てゆーか今もあるし、気にしないよ?」
「いや……、しかし、お店にも迷惑かかるし」
「吐きそうになったら、あたしがすぐ袋用意してあげるから」
「そうそう。だからすぐ言うんだよ? わかった?」
「いや……、ていうかそんな食べないし」
「だめ、もう盛っちゃったんだから、食べなきゃだめです」
「はぁ? なんでだよ」
「食べ残すと一〇〇〇円プラスされるし。勿体ないでしょ」
「食べ残しはもったいない~!」
「盛ったのはお前らだろ」
「はい。だめ。お前とか私たちに言ったらだめです」
「……ッ」
「はい。罰としてキス」
「……、勘弁してよ」
「だめです。はい。キスは?」
「……ぐ……」
――ちゅ。
千尋は不満げな顔であおいにキスをする。密集する店舗内。バイキングコーナーには列が出来ている。千尋たちを見る客。怪訝な顔をする。視線をそらす人もいる。
千尋は背が低い。背のびしてあおいの口にキスをする。あおいは微笑している。ずっとその顔だ。感情が見えない。
あおいがキスを好きなのは、愛情を感じるからだ。あおいは、心を見失っている。幼少期に受けた虐待のせいだ。苛烈な虐待で、あおいは解離性障害になった。
辛いことがあると、人間は心を解離させる。酷い失敗をした後、「その後の記憶がない」と言ったりするのは、まさに解離状態を表している。
その状態が続くと、画面越しに自分を見るようになる。自分を後方から操作する感覚。全てが他人後。殴られる自分も、泣いている自分も、怒っている自分も、死にたいと思う自分も、向こう側にいる「自分」だ。
琴音の治療により、以前よりは改善した。しかし、後遺症は残る。あおいは向こう側へ戻った。が、今度は感情の受け取り方がわからない。
他人事ではない。泣きたい気持ち。怒りたい気持ち。嫉妬する気持ち。その扱い方が分からない。上手く処理が出来ない。心と体が繋がらない。
無表情、棒読みだとよく言われる。普通にしているつもり。でも、おかしい。変。普通じゃない。
だけどキスをすると、心がじーんと熱くなる。夢中になる感じ。理由は分からないが、求めたくなる味。
それをあおいは、心の味だと思っている。人を理解出来ない自分。でも、愛の味はわかる。
「好きな人とのキスは気持ちがいい」
先生はそう言っている。千尋とのキスはもっと欲しくなる。ずっとしていたくなる。だからきっと自分は千尋が好きなのだと思う。あおいは人生を頑張っていた。




