第119話 いっぱい痛めつけて、好き放題する
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恵那は切なげにマイクを手に取る。
紅い頬。高揚とも悲嘆とも感じる表情は、年齢を不透明にする。
「みんな……、伝わる? 恵那の気持ち」
恵那は観衆へ向けて投げかける。唖然とした観客。声をあげることも、手を振ることもない。
飲み込まれる。恵那の魅力に魅了され、支配される。まるで神の後光のように、スポットライトが恵那を照らす。信仰や崇拝の対象。現人神。
視野を失った人々の中で、唯一冷静な少女。――川澄あおいはこの異様な空気をよく知っていた。
「恵那ちゃん……、これじゃまるで……」
川澄あおいと相生恵那が育った飯能の山中。絆の会、第三楽園の集会場。神に捧げる儀式を行う聖なる日曜日には住民が密集した。
幻想的な光を照明が作り、反響するコンクリートが音響のいいスピーチを生む。
ステージには神官と預言者の少女――あおい。
あおいは用意された台本を読み上げる。
「私は神様に言葉をもらった。ここは選ばれし者たちの国。世界は私たちのもの」
あおいが無感情に言葉を紡げば、信者たちは涙し、笑い、感動する。誰も目線をそらさない。多数の人々は一歩も動かず、ただ一人に集中し、祈る。
「絆の会と同じ……」
隣にいるめぐみと奏の視線は動かない。瞳がきらきらと輝き、天使の羽が浮かんでいる。恵那の魔法。人を惹きつけるオーラ。
予め用意された台本を読んでいた私とは違う、天性の才能。あおいは素直に関心する。
「えへへ……、どぉ? みんな、恵那のショー? 楽しかった? ねえ?」
――パチパチパチパチパチパチパチ――。
恵那が客席を煽ると盛大な拍手が花火になって空へ飛ぶ。色とりどりの花が咲く。
――ワァアアアアアァァアア――。
同時に莫大な歓声が波になってステージへ押し寄せる。恵那の隣にたつ千尋は、大波の幻覚に怯えて、つい恵那の体にすがりついてしまう。
「やぁんっ……、えへへ? なあに? ひろくん」
「あ……、いや……、妄想が……」
「えへへ、大丈夫。妄想も幻覚も夢想も、恵那は受けとめる。ほらっ」
「あ……」
恵那が両手を開くと母のように見える。千尋が、共感覚と精神心疾患が見せた妄想、と思っている大波を恵那は体一つで受けとめる。
波は龍になり、空へ飛んでいく。花火とのコントラストは芸術のよう。
千尋の瞳は恵那に夢中。
遠巻きにあおいは胸中を察する。同時に千尋の心配をする。立ち上がり千尋の元へ行こうとする――、が、それ以上の歓声が邪魔をする。
――ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――。
「なに? どういうこと?」
満席四千人。ざっと見て三千人。突然に立ちあがると大歓声と共にスタンディングオベーションをする。異様な光景にいよいよ状況の深刻さを理解するあおいだが、不安はない。自分がすることは決まっているし、未来も変わらない。あおいはブレない。恵那の虜にもならない。冷静に周囲を見渡し、意味を考える。この祭りを企てた恵那のことを考える。
「え、恵那……、これは」
「えへへ、ひろくんっ。大丈夫。恐くないよ」
「で、でも……」
「恵那にね、ぎゅっと捕まっていればいいの。そうしたらひろくんたちは頑張らなくていい。もう、苦しまなくていい。ありのままでいられる場所に、恵那が連れていってあげる」
「……? どういう……」
「――みんな~? みんなにね、王国の新しい国民を紹介するね~? ここに居る彼。彼はね、恵那の家族で恵那がとっても大切にしてる兄妹なの! 名前は優木千尋くん~! みんな盛大な拍手~!」
――パチパチパチパチパチパチパチ――、
――ウォオオオオオオオオオオオ――
恵那がマイクを方手に煽ると、立ちあがった人々は熱狂的に声をあげる。千尋には状況が理解出来ないが、圧にたじろいでしまう。恐くて、恵那から離れることができない。
「えへへ……、ひろくんのことずっと見てきたんだ」
「……?」
「ずっとずっと見てきたよ。ひろくんのことを調べてね、ひろくんがどんな人生を送っているのか知りたかったの」
「え……?」
「山吹未来ちゃんって、知ってるよね?」
「……!? 未来さん……?」
「うん。あの子はね、恵那の国民なの。ひろくんに近づいて、色んなことを調べてもらったんだ~」
「……? そんな……」
「この学校だってそうだよ。聖愛学園の理事長は恵那の大切な国民。生徒のみんなにもね、布教活動をしてくれた。生徒のうち、百人くらいは国民なの」
「……ッ、そ、そんな、まさか……」
「このミスコンを使ってね、国民とひろくんに見せたかったの。恵那を中心にみんなが意気揚々と生きていける。これは決起集会なの。ううん。お祭りっていうべきかも知れないね。そのためにね、色々準備した。ほら、知ってるでしょ? 暴行事件。不登校の子ばかりを狙う狭山市の暴行事件」
「……事件……」
狭山市内で頻発していた連続未成年暴行事件。犯人は未だ捕まっておらず、事件の全容は掴めていない。だが、被害者の多さと共通項から、なんらかの意図を持って行われている連続事件であることは間違いがなかった。
山吹未来はその調査の名目で千尋たちに近づいた。ほんの二ヶ月前の話。だがそれ以来、事件は収束し、なにごともなかったかのように毎日は進んでいる。千尋も、すっかり忘れていた。
「あれはね、恵那が起こしたんだ」
「……え?」
「必要だったんだよ。これからのために――」
被害者の数は二十三人。一人でいるところを数名で狙い、暴行をする。被害者は全員不登校。未成年。事件のことは立本沙耶から詳しく聞いたが、合点はいかない。
「必要……?」
「うんっ。あれはね、儀式なの」
「……儀式?」
「うんっ。洗礼っていうべきかもしれないね。感情を解放するために行う通過儀礼。神託だよ。痛みと屈辱に耐えて、感情を解放するためのイニシエーション」
「……い、言ってる意味がわからない」
「んもぅ~、ひろくんはバカなんだからぁ。えへへ、でもそういところもかわいい! ――よしよし」
声援の異様さに震える千尋は恵那の体から離れられない。優しく頭を撫でて笑う恵那。
柔肌に吸い込まれそうなほどに沈む。ひまわりの匂いに小さいころを思い出す。
「なでなで――、えへへ、ひろくんもそうでしょ? 死にそうになったら、素直になる。今だってそうじゃん? みんなが恐いから、恵那に抱きついてる。素直じゃん。ほんとうは甘えたがりで、なにも出来ないひろくん。えへへ、よしよし」
「ち、違う……僕は」
「いいんだよ。頑張らなくて。あぁ、でもひろくんも感情のイニシエーションは必要だけど……、それは後で恵那がたくさんしてあげる」
「い、いや……、うぅぅ……、そんな……」
「ぐへへ……、あぁ、楽しみ~っ。ひろくんのこといっぱい痛めつけて……、あぁん……、じゅる……、好き放題にする……」
「う、うぅ……、え、恵那……」
「それでそれで! 恵那はね、怒ったひろくんに襲われて……、犯されて……、んっ……、あぁ……、ゾクゾクしちゃう~~~~!!
「うぅ……」
感情のイニシエーション。恵那が言う言葉の意味が千尋はなんとなく分かる。だが、PTSDのように震える心は正常に処理ができない。恵那に恐怖するも、その優しい肉体に愛情を感じてしまう。体が支配されている感覚。逃げたいが逃げたくない。相反する思考はまるで虐待監禁されていたあのころのよう。千尋は身動きがとれない。
「ぎゅうう……、えへへ、みんなはね、国民なの。言ったでしょ? 国民はたくさんいるって。今日ここにいる人たちは……、ほとんどが恵那の国民。聖愛学園の国民を使ってね、招待したんだ」
「そ、そんな……」
「えへへ、なんでそんなことするのって? 決まってるじゃん」
――したいから。
「したかったから。したくなったから。ミスコンテストに出たくなったから。それだけだよ。したいことをするの。それが人間の正しい生き方なの。ひろくんだってそうでしょ? したいことをしたい。そう思うでしょ?」
「う、うぅ……」
「恵那の体に抱きつきたい。触りたい。ぎゅうされたい。なでなでされたい。ちゅうしたい。おっぱいを揉みたい……、恵那とひとつになりたい。ひろくんだって……、そう思うよね?」
「う……、僕は……」
「思わないわけないんだよ。でもいいの。それが素直な心だから。恵那はそれを受けいれたげる。恵那はね、優しいの。みんなを幸せにするためにね、生まれてきたの」
狂気に混じる恵那の言葉に菩薩を見てしまう。千尋はもがく。心は不自由。PTSDに毒されている。したことも、したくないことも、自分では選べない。
「よしよし――、いいこいいこ~♪」
優しく頭を撫でる恵那。逃げたい。だけど抱きついているのは自分の方。恵那の体に回した腕を、離すことはできない。支配された心と体。千尋は思う。自分のしたいことは、どこにあるのだろうか。と。