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第118話 鮮血が繋ぐ赤い糸でひとつ

118


 聖愛学園イベントホール「ワンダーエッグ」

 午後六時。

 騒然とする会場で恵那は拘束を緩める。


「がぁぁ……、あぁ……、はぁはぁ……」

「えへへ……、ひろくん苦しかった?」

「はぁはぁ……、がぁぁ……、うぅ……」

「恵那のこと殺したいって思った? 殴りたいって思った? それとも、もっとやられたいって思った?」


――興奮した?


「感じた? 気持ちよくなった? それともひろくんは恵那の首を絞める方が好き? あ、首じゃなくてもどこでも……」

「はぁはぁ……恵那!」

「ぐへへへ……、はぁ~い! なぁに? ひろく~ん」

「はぁはぁ……、僕は……、そんなこと思わない」

「……? え? なんで?」

「なんでって……」

「だって人間でしょ? 一番、大切なのは自分でしょ? 命でしょ? 死にそうになったら、生きようとするんだよ。それが本能。それが一番気持ちいい感情だよ。恵那はね~、人間を殴ったり切ったり締めたり……、虐めたり! してる時がね……、一番気持ちがいいの!」

「一番……?」

「えへへへ~、あ~っ、でも、本当に楽しかったのは殺した時だけど~! でも……、こっちの世界じゃあんまり人殺しってできないし~、寸止めされてるみたいで気持ち悪いけど……、でも、気持ちいいからそれでもいいの!」

「僕は……、恵那を守りたいって思った」

「え? ……? ん? え? なに?」

「守りたいって思った。僕を殺そうとしてる、恵那を見て、思ったんだ」

「……んん~? は? どーゆーいみ? 恵那わかんない」

「僕だって分かんないよ。でも、思ったんだ。こんな風に思ったのは、初めてだよ」

「……ひろくんって、やっぱり変だよね」

「よく言われるけど……、恵那だっておかしいだろ」

「えへへへ~、恵那もよく言われる~! でもでも~、恵那はね、同じくらいかわい~って褒められるの! だからね~、今日はそんなみんなに向けてね、恵那の素晴らしさと可愛さを提供するお祭りだったの!」

「まぁ……、お祭り……、ミスコンだから……」


――ちょ、ちょっとあなた! 


「……?」

「スタッフさん……」


 千尋の拘束を解いた恵那を、十名以上の女子高生が囲む。お揃いの腕章をつけた運営スタッフである。千尋と共にステージに来たものの、恵那の空気感に気圧されて、しどろもどろしていた。立派なコンテストを運営しているが心は子供。大量殺人犯恵那が放つ不気味さに、足が震えるのは必然。恵那の正体は知らずとも、女子高生が持つ豊かな感受性が、本質を感じ取るのである。しかし、彼女たちにもプライドがある。大切に準備してきたミスコンを台無しにされたのだ。このままというわけにはいかない。

 勇気を出して恵那を取り囲んだ。


「な、なにを考えてるのか知らないけれど、こっちに来てもらいます」

「ん~? やだ!」

「……!? い、いいから! みんな! 取り押さえて!」

「えへへ……、無理だよぉ~!」


 リーダー格の眼鏡の女子高生を中心にして、仲間たちが恵那へ近づく。純然たる敵意。だが千尋は感じ取る。楽しそうに笑う恵那は、微塵も怯えず、むしろ興奮しているようにも思う。


「あはは……、――バコンッ、バコンッ」


 軽やかなステップを踏みながら、恵那は女子高生たちの顔やみぞおちを正確に殴っていく。

 その動きは猫のように素早く、身のこなしはプロボクサーのようにスムーズ。

 千尋は恵那を目で追えない。瞬きする度に、まるで瞬間移動したかのように、恵那は別の場所にいる。

 瞬く間に倒れていく女子高生。恵那が殴ったようだが、千尋には殴打した場面は視認できない。

 あまりにも高速で、羽が生えているように軽い。恵那の姿は、悪魔か天使か、それとも二つが混ざった怪物か。


 黒く滲んだ雨が空から降る。匂いや音が感情に混ざって、千尋に訴えかける共感覚。濁った色は経験にはない。だが、素晴らしいことではない。それだけはわかる。


「えへへへ……、もう終わり~? つまんないなぁ~」

「え、恵那……、あぁ……」

「うぅぅ……」

「みんなやる気ないなぁ~。恵那つまんない。せっかくひろくんを痛めつけて気持ちよくなってたのに~! むぅ~!」


 気がつくと女子高生が転がっている。意識がある者もいるが、悶え苦しみ、一歩も動かずうずくまる。頭部から出血している者もいる。

「ぺろり……、ん……、ちゅっ……、またひろくん締めつけたくなっちゃった」

「う……!? え、恵那……」

「血の味って美味しいよね~! 舐める度に生きてるって実感できるよね? ひろくんも舐める? 女王の生血液!」

「い、いや……、僕は」


 恵那は拳についた血を舐めて笑う。右手からも左手からも、鮮血が滴り落ちる。リミッターが外れた強烈なパンチ。だが少女の体。衝撃に拳が耐えられない。しかし痛がる様子もなく、まるでゲームを楽しむように、恵那はケラケラと笑う。恵那の笑顔には嘘も偽りもない。千尋は決意を固めるも、圧倒されてしまう。


「恵那の血液はね~、一㎖で一万円なんだよ? すごいでしょ! 高級品なんだよ~。でもひろくんだったらいくらでも舐めていいよ?」

「い、いや、……、そういう趣味ないし……」

「え~? じゃあ今から始めようよ~! 趣味なんていくらあっても困らないんだし~、恵那も嬉しいし!」

「そういう意味じゃなくて……」

「じゃあどういう意味なの~? 恵那はね、賢いけど我慢は苦手だから、ハッキリしてくれないとイライラしてきちゃう~ぅぅ~っぅぅぅぅ!」

「あ……、う、嘘! ほ、ほんと!」


 恵那は甲高い声を響かせる。甘えたように可愛らしい美声。だが、笑顔が恐いと感じた。旧友。仲間。家族。恵那とは特別な関係だ。大切な存在。だけど、つい先ほど、死に近づいた千尋には、恵那の笑顔が死神に見える。圧倒されて、話を合わせてしまう。


「え? ほんと? 嘘? ……? どういうことぉぉぉぉぉ~~~~?」

「あ……、えっと……、ぼ、僕も……、恵那の血を舐める趣味を……始めようかな……、って」

「それが嘘?」

「いや……、ほん……と……」

「ほんと?」

「う……、うん……」

「えへへ……、そっか、じゃあはいっ」


 恵那は右手を突きだす。血液の赤は恵那の魂の象徴。脈打つエネルギー。一口舐めるだけでも恵那の魔力に体が犯されてしまいそうなほどの、パワーを感じる。衝動性の塊。肉体を凌駕する感情の生き物。無邪気に笑う少女の悪魔。恵那を形容する言葉はいくらでも浮かぶが、断る免罪符はなにも浮かばない。千尋は諦めて恵那の拳にキスをする。


「ん……、っんあぁ……、ひろくんえっちぃ……」

「じゅる……、ぺろ……、ん……」

「ひろくんの舌触りぃ~! えっちぃ……、きもちぃ……」

「へ、変なこと言うな……」


 観衆が千尋たちを見つめている。

 静まりかえる。逃げだそうとする人はいない。ざわめきもない。ただ、飲み込まれている。恵那の作る異空間に、攫われている。千尋も同じだった。四千人の目が気にならない。恵那しか目に入らない。


「どぉ……? 恵那の血……」

「う……、うん……、鉄の味が……、する……」

「えへへ……、他には?」

「え……、あ、あぁ……、他には……」


 恵那の血の味は、普通だった。濃厚で苦い鉄分の味。美味しいとは思わない。だが、そうも言えない。殺されかけた恐怖が、思考を操作する。その昔、父親の虐待で千尋に起こったことと、全く同じ。


「あ……、う……、うん……、恵那を、感じた……」

「えへへ……、うんうん。そうそう! みんなもね、言ってくれるの。恵那の血を舐めると、特別になれる気がするって。だからね~、恵那は嬉しいんっだ~っ。みんなと一つになれてね、とっても嬉しいの。恵那って優しいでしょ~?」

「あぁ……、うん」

「だからね~、恵那はね、ひろくんを国民にできて嬉しいんだ~」

「……?」

「ひろくん賭け弱いね~! あはは……、でも、恵那に勝てるわけないのに、勇気を出したところは褒めてあげる~! ――よしよし――」


 と恵那が振り下ろした手を、千尋は咄嗟に避けてしまう。思考も感情が先だつ。すると体が素早く動く。恵那を避けられるほどに。


「……? ひろくん?」

「あ……、えっと……、これは……」

「ひろくんなでなでされたくないの?」

「いや……、あの」

「されたくないの?」

「う……、え……、あ……、ご、ごめん……」

「じゃあ、殴る?」

「……!?」

「ひろくんはやっぱり殴られる方がいい?」

「え……、あ……、いや」

「むぅ~? じゃあなにがいいの? わかんない。ひろくんはわがまま過ぎるぅ~!」

「ち、ちが……、くて」

「血? 血がいいの? 恵那の血そんなに気に入ってくれたの?」

「いや……そうじゃなくて……」

「むむ~~~~! んもう~! わかんない! わかんない! わかんない! わかんない! ひろくんわがまま~! 恵那イライラする~!」

「ご、ごめん! 恵那……あ、あの僕は……」

「でも、今は許したげる。恵那、気分いいから」

「……?」

「だって、今ね、恵那はひろくんとひとつになったんだから」

「……ひとつ?」

「うん、伝わるよ。ひろくんのきもち……。恵那の血を舐めるとね、恵那とその人は繋がれるの。恵那もわかるよ。ひろくんの気持ち。ひろくんの中にね、恵那がいるの。そっちにいる恵那はね、嬉しいって言ってる。わかるの」

「そ、そっか……」


 千尋はホッと一安心する。殴られる。殺される。最悪のことばかりが頭を埋め尽くして、ついさっき決心した想いも、海の底に沈んでいる。だがやがて後悔した。恵那の気持ちに、もっと早くに向きあえていたら、世界は変わったのかもしれない、と。

 これから起こる大事件の始まりであり、予兆。「聖愛学園ミスコンテスト集会」について。


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