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第117話 苦しいのは嬉しいからだよ

117


 午後六時。

 舞台はスポットライトと歓声が混ざり合って光のシャワーになる。

 舞台袖からミスコンテストのファイナルをみる千尋は、優勝者のインタビューを心配そうに見つめている。


「えへへ~っ、やっぱりあたし優勝しちゃいました~っ。えへへ、投票してくれた人ありがとね~っ、ティアラきらきらして素敵ですっ」


――第五十回、聖愛学園ミスコンテスト――、優勝したのは相生恵那さんです~っ。


 司会の女子高生が煽ると、観衆は盛大な拍手で応える。華やかな衣装を着た恵那は、ふわふわの髪をティアラで飾って満足げに笑う。

 光を浴びても動じず、自然体に振る舞う恵那は天性のスター性を持っている、と千尋は思う。


「じゃあ、約束どぉ~り~、……、にしし……、じゅる……、このティアラ叩き割るね~っ!」

「――え?」

「せ~のっ、――えいっ」


――ガシャアアァアン――ッ。


 恵那は迷いなくティアラをたたきつける。床。硬いフローリングに破片が散らばる。マイクを通して音が会場中に響く。

 静寂――。

 ドレスを着たミス聖愛学園が、優勝ティアラを割った。それも偶然ではなく故意に――。

 なにが起きたのか理解出来ず現場は静止する。ただ一人、恵那を除いて。


「ふふふふ……、あぁ……、えへへ……、じゅる……、いい……、最高」

 

 恵那はいつものように笑って飛び跳ねる。小さな少女のように踊る姿は、宝物を手に入れた子供。自分がしたことの意味を恵那が理解していないとは思えないが、楽しそうに口を半開きにする姿は驚きを通りこして諦めも感じる。千尋は見守る。


「じゅる……、あ、やば……、涎はよくないよね。うん。みんな見てるんだし、お淑やかにしないと」

「――あ……、えっと……、あの」

「えへへ~っ、恵那はね~、みんながびっくりする姿をみるのが大好きで~す! 今のサイコーだったよね? 恵那はね、ルールを守るのが大っ嫌いなんだ~っ。こんな風にね」


――バコンッ!


 恵那はインタビューのために近づいていた司会の女子高生を、殴った。拳に力をこめて、パワフルに腕を振り上げた。


「――ッ ……ぐぁっ……、うぅ……」

「えへへ、この子ね、なんか画一的で面白くないから、殴りたくなった。だってそうでしょ? 頭よくてかわいくて、きっと優等生だよね? こういう子って恵那は大嫌いなの~っ!」

「うぅぅ……」


「え、恵那……」

 うずくまる女子高生。恵那は無邪気に笑い、マイクを奪って観衆に手を振る。

「えへへ……、みんな楽しい? 面白いでしょ?」

「恵那……」

 千尋は恵那の行動を見ていられない。舞台袖からステージへ駆け出す。

「ち、千尋くん」

「恵那!」

 有理栖の静止も聞こえない。大人しくて気弱な千尋しか知らない有理栖は驚いた。だが同時に、一目散に駆け寄っていく背中に、オーラを感じる。

 事情は知らない。しかし、大勢の人々が関わるミスコンテストの舞台に、スタッフでもない人間が飛び込んでいく勇気。

 それが出来る人は、特別。状況に飲み込まれず、唯一無二を作れる――、それが個性。スター性。

 有理栖は感覚的に思う。千尋くんはこっちの世界に来るべきだ、と。


 どよどよどよどよ――、


 騒然とする会場。大がかりなミスコンテストだが、高校の文化祭の一行事。警備員も警察官もいない。運営スタッフはしどろもどろ。千尋に触発されて舞台へ遅れて走る。


「あ~、ひろくんだ~っ。みてみて~? 恵那ね、優勝したの~! すごいでしょ! ほら~」

「恵那!」

「えへへ~、褒めてくれるの~? なでなで~? それともぎゅう? あ、ちゅーかな? えへへ、おめでとうのキス~?」

「恵那……」


 粉々のティアラを指さして踊る恵那。舞踏会の天使のようにスポットライトが神々しい。カラフルな雨。共感覚の幻は、恵那を中心に一際光る星になる。

 千尋は恵那の前に立つ。だが、言うべき言葉を持っていない。一瞬の間を置いて言葉を吐きだそうとする。けれど、恵那は待ってくれない。すかさず、千尋を抱きしめる。


「えへへ~、ぎゅうう~! ひろくんがしてくれないなら~、恵那は待てないからこっちからぎゅうするの~!」

「う……、え、恵那……」

「ご褒美はひろくんの体だね~! ぐへへぇ~、ひろくんは恵那のモノ~!」

「ち、ちが……、く、苦しい……」

「ぎゅうううう~! ちがくないもん! だってほら……、ひろくんの、こーこっ、すっごいドキドキしてるよ?」

「そ、それは苦しいからで……」

「苦しいのは嬉しいからだよね? 痛みは快感の裏返し。ドキドキにいいも悪いもないよ。だって今、ひろくん、すっごい熱くなってる」

「うぅ……、それは……」

「恵那にぎゅうされてるからだよね? 嬉しいからだよね? だってひろくんは、恵那のことが好きだから~!」

「ち、違……、わないけど……、違う」

「にしし~、素直でかわい~ね~! ひろくんは! あ~っ、首絞めたくなっちゃったぁ」

「……!?」

「えへへ、首を絞めて……、羽交い締めにして、苦しんではぁはぁして悶えるひろくんの耳をはむはむしたぁい……、じゅる……、あぁ……、いいよね? ひろくん。じゅるじゅるしてもぉ……、ぺろり……」

「……!? お……、おい……、なにを――」


 千尋が気づく間もなく、恵那の両腕が首に絡みついている。

 あまりにも素早い動き。思ったままに体が動く恵那に、千尋は追いつけない。恵那にはストッパーはない。したいことを体が実行する。思考が邪魔をする千尋は、いつも遅れてしまう。

 恵那はチョークスリーパーで千尋の首を締めあげる。


「うぅぅぅぅ……、あぁ……、はぁはぁ……恵那……」

「ぐへへへぇ~……じゅる……、んっ、……、いい! いいよ~ あっぁぁ~……ひろくんのリアクション最高! 超かぁ~いい!」

「あぁぁ……」

「ひろくん! ひろくん! もっと? もっと締めていい? 締めていい? いい? いい~~?」

「うぅ……、はぁはぁはぁはぁ……、あぁぁ……」


 一五〇センチそこそこの恵那の腕力に、千尋は勝てない。

 背後からチョークスリーパーを決められている。剥がそうと力をこめるが、恵那の腕力は女子のそれを軽く超えている。一七〇センチ近いめぐみよりも、大人の琴音よりも、遥に強い。

「――人間には本能的に力を抑える制御装置があるの。だけど、アドレナリンやエンドルフィンが多量に分泌されると、リミッターが解除される。恵那ちゃんはね……、それが常人よりも激しいの。特別なことではなく、彼女にと手はもはや普通。日常のことなの。だから恵那ちゃんは、小学生の小さな体でね、たくさんの人が殺せたの」


 薄れていく意識の中で琴音の言葉が走馬灯になる。

「はぁはぁ……、もっと! もっと! もっとひろくんぎゅううってしたいぃ~! してもいぃ? いぃ? ぃいぃ~?」


 恵那の吐息が耳元から脳へ侵入する。背中越しに伝わる恵那の体温。上昇するのは心の温度も同じ。興奮しているのがわかる。

 恵那は昔からこうだった。一度、スイッチが入ると止まらなくなり、意識がなくなるまで殴られたこともあった。当時は心を閉ざしていた。けれど、今思い起こせば、記憶の中で暴行する恵那は、笑っていた。涎を垂らし、顔を赤く染めて、荒い呼吸で暴れていた。恵那はなにも変わらない。変わったのは僕の方だ。千尋は思う。


「あぁ~、……殺し……、たい……、したい……」

「……!? うぅぅぅ……ぐあぁぁ」

「あぁ……、シテモ……、イイ?」

「……ぐぁ……、だ、……、だめ……」

「シタイコロシタイシタイシタイシタイシタイシタイ――」


 天使だった恵那が悪魔に見える。白いドレスは黒く染まり、純真な瞳は紅く発光する。八重歯は牙に変わり、今にも千尋の首元に噛み付こうとする。

「ずる……、じゅる……、るるるる……、はむはむはむはむ……」

「あぁぁぁっ……うぅぅ……、あぁぁっ」

「じゅるるるるる……、ぺろぺろぺろぺろ……。したいしたいしたいしたい」

 

 耳を舐め回す。一心不乱。甘い蜜に夢中になるクマのように。近づいた人間は皆殺し。恵那の吐息と腔内の熱。肉厚で不規則に動く舌。甘い香りで耳を溶かす粘度の高い唾液。耳から脳へ、伝わるのは恵那の気持ち。


――楽しい。


 このまま殺されてしまうかもしれない。

 そう思ったとき――、恵那はふと我に返ったように言った。


「あ……、まだだめだ」

「……?」

「まだ……、ひろくん殺しちゃだめだったんだ。えへへ……、恵那ってバカだ」

「……!?」


 千尋にはまるで意味がわからない。だが耳を通してひとつになっている今なら恵那の気持ちがわかる。恵那は本気だった。同時に、楽しさも終わらない。もっともっと大きな楽しみが先にあるように、恵那は笑った。


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