第111話 寄り添う風と光
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――ワアアアア――。
スポットライトを浴びたことはない。大勢の人の前に立つことは、初めてだ。
暗闇から這いずり出た少年を照らす灯りと歓声に、千尋は高揚感を感じる。
「あ……、うぅ」
客席には一〇〇〇人近い観衆。どこかにあおいやめぐみたちがいるのだが、探せる余裕はない。
手にもつマイクが汗ばむ。光の中に吸い込まれていくように、天にも昇る感覚。
「千尋さん~? どうぞ~?」
「あ……、うぅ……」
華やかなドレスを着た司会の女子高生が千尋へ催促する。これはミスコンテスト。120秒の間で自分をアピールする戦いの場所である。
千尋は立ちすくんだまま呆然としている。
「うぅ……」
意をけして舞台に立ったものの、やはり荷が重い。きらびらやかなライトは不釣り合い。僕の居場所は五月の暗闇。誰も知らない洞窟の中だ。脳が追いつかない。
大勢の人に見つめられ、輝きに照りつけられて熱い。頭はオーバーヒート。見えるなら白煙を見せたい。と思うほどに、しどろもどろする。けれど、昏倒はしない。体は震えるが、心から衝動が沸き上がってくる。こそばゆいそれは、このスースーする足下のようにくすぐったい。しかし、吐き気も気持ち悪さも感じないのは、なぜだろう。そんな発作は初めてだ。
――シ――――――――――。
一言も発しない背の小さい少女に、館内は呆気にとられ静まりかえる。心配するように千尋を見つめる司会の女子高生も、戦いの場に干渉はできない。
だが、助けは要らない。
この場にいること。ここに来たこと。そして、ここで自分の気持ちを言うこと。それだけで、千尋は戦いの勝者になれる。過去と向き合い、殴りかつ傷心の戦争である。
――千尋~! 頑張れ~!
静寂の会場に聞き慣れない声が響く。蒼く澄み渡る春のように涼しげな声は、隣に寄り添う風になって千尋の背中を押す。
「あ……、あおいちゃん……」
前列後方で、声を振り絞って応援する少女――、あおいの周囲を碧色が包んでいる。カラフルなスポットライト。いや、そんなわけがない。会場スタッフが飾るのは、舞台。客席は、第三の世界。照明は浴びない。
この蒼く輝く光は、あおいの色だ。
千尋は思う。
こんな風に感情をこめて声をあげるあおいをはじめて見た。あおいちゃんじゃないみたいなのに、柔らかくて優しいぬくもりを感じる。いつも隣で僕を助けてくれる。元気づけてくれる。あおいちゃんは、あおいちゃん。なにも違いはない。
「大好き~!」
風に乗って少年は蝶になる。あおいの風が背中で渦を巻いて羽になる。お腹の中から沸き上がる感情は、心臓から飛びだして血液になって全身へ巡る。処理が間に合わない脳味噌は恐怖を感じない。極度の不安は、パニックと同時に快感を呼ぶ。アドレナリンが過剰に分泌される。自分を守るための本能。危機に立ち向かい、生き残るための原始的機能。
「あ……、ぼ、僕は! 優木千尋です! 僕は……、男です!」
――ワアアアアアアアアアアアア――。
声帯が緊張して裏返る声。恥ずかしいが歓声に飲まれて、それも消える。
「だけど……、今日は意をけしてここに来ました! 僕は……、自分を変えるためにここに来ました! 自分を隠さないで、立ち向かうために、みんなの前に立ちたいと思いました!」
突然に話し始めた少女――、いや少年の言葉にボルテージが急速に上がる。観衆は千尋にひきこまれていく。
「僕は……、いつも逃げてばかりで……、誰かの助けがないとなにも出来なくて……、でも、変わりたい。そんな自分を変えたいって……、自分の思ってることをちゃんと言える人になりたいって……、そう思ってここに来ました。僕は……、僕を信じられるそんな人になりたいんです」
溢れ出てくる言葉は栓の抜けた浴槽のように、勢いは止められない。貯まった想いは言葉になって、スピーカーを通して音の奇跡を産む。
「千尋……」
「ちーちゃん……」
声が、光りになる。
大型スピーカーから響く千尋の声が、光の雨になって場内へ降り注ぐ。千尋のいう共感覚なのかもしれない。虐待を受けて育ったあおいやめぐみにも、琴音の理屈でいえばその素質はある。だが、そんなことはどうでもよかった。
「伝わるよ。千尋の想い」
壊れてしまったあおいの心に、脈打つのは千尋の魂だった。生きたいと思う青春の熱量である。
「僕は……、男です。でも……、こんな見た目だから……、全然、男らしくなれない。でも……、ここに来られてよかったです。だって……なんだか、不思議な感覚です……。ここに来たら、なぜだかすらすら言葉が溢れてくる。それはきっとみんなのおかげです。ありがとうございます」
辿々しくも生命力に満ちた千尋のスピーチは観衆の女性の心を掴む。
千尋は思う。僕は優勝したいわけではない。ミスコンに興味があるわけでもない。だけど、言いたいことはある。言いたいことを、ただ、素直に言えるそんな人になりたい。恵那やあおいのように、まっすぐに自信を持って生きていきたいのだ。
ステージの高揚感が壁を乗りこえる力をくれた。千尋はスッキリとした気持ちで最後の言葉を言う。
「僕の……、独り言みたいなこんな言葉を聞かせてしまってすいません……、でも、ありがとうございます。すいません……」
――ワアアアアアア――。
――パチパチパチパチパチ――。
「すいません……、うぅ……」
全てを話し終えると拍手と歓声が千尋を我に返した。たくさんの人。光。千尋を見つめる目。たった一人のステージ。
「あ……、う……、うぅぅぅぅ」
突然に激しく震え出す体。胸が苦しくてお腹が痛い。だけど、気持ち悪くない。悪いものを全て吐ききってスッキリした心は、爽やかな空のように晴れやかだった。