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第110話 輝くステージへ

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「えへへ~、はーいみんなこんにちは~! 相生恵那で~すっ! 好きなものはかわいい男の子! 嫌いなものは我慢すること! ミスコンに参加したのは、優勝した後、表彰式でティアラを叩き割って騒然とする会場が見たかったからです! えへへ~、みんなも見たいよね?」


――ワァァァァア。


 ステージの光は恵那を天使にする。スポットライトは瑞々しい瞳を宝石にする。人間ではないみたいな柔らかい髪は、白くなびいて神々しい。参加者の中でもピカイチのルックスと、よく通る綺麗な声。恵那は愛嬌抜群の笑顔で笑い、堂々と観客を煽る。手慣れた慣れた様子のスピーチは、素人のそれとは一線を画している。


「なんて……、今のは冗談だけど……、でもね、恵那に投票してくれたら誰も見たことがないような、すっごいことする! 例えば……、こんな風に! ――」


――ひろくん大好き~! 恵那と結婚して~!


 恵那は叫んだ。マイクを抱え込むように声を振り絞った。反響し、音が割れる。世界が破裂するような奇声。だが、誰でも聞きとれる滑舌と声質の良さ。

 場内は一瞬なにが起きたかわからず、静寂に包まれる。


「告白です。恵那の大好きな人に、愛の告白をしました! ひろくん見てる? 約束したよね? 恵那が優勝したら、ひろくんは恵那のところに来てくれるって。恵那、こんなに頑張ってる。ひろくんに見せたくて。恵那の愛の力はね、きっとひろくんにも……、そして会場のみんなにも届くって信じてるうぅ~!! 」


――ワアアアアアアアアアアアアアァ。


「う、うぅ……え、恵那……」


 恵那は可憐なポーズをとる。ミュージカルのように手を掲げ、愛おしい視線qお会場へ届ける。客席は大歓声。まるで演劇を見ているよう。恵那の世界に引き込まれ、魅了される。ほんの120秒。それだけで、恵那は自分を表現できる。

 モニタ越しに千尋にも伝わる。

 即効性のある薬の効果で、昏倒は防げたが、会場のすみっこで縮こまっている千尋に余裕はない。画面に集中することもできない。だが、恵那の才能はわかる。人前に立つことが得意で、心を奪うのが大得意。自信満々には、根拠があったのだ。本物のタレントやアイドルのように、にこやかに笑う。恵那は凄い、と千尋は思うが、元気はもらえない。勝てない。無理だ。僕には無理だ……、と否定的な気持ちばかりが高まる。


「――はーい、番号五三番! 相生恵那さんでした~!」


――ワァァァァァア――。


「ありがと~! 絶対優勝するからみんなも応援よろしくねっ~!」


 大歓声と共に恵那はステージを後にする。光の雨はカラフルな花になって会場を包んでいる。共感覚による千尋の幻想。情緒が不安定になると、感性が鋭くなる。落ちつかないときに、雨が降る。色とりどりの模様は、雨にも雪にも花にも見える。

 共感覚とは、脳の感覚情報処理の異常である。例えば聴覚情報は耳のすぐ上の一次聴覚野で処理される。その後、大脳皮質や小脳へ送られて音を認識する。だが、共感覚者はこの時にエラーが起きる。音に聴覚だけでなく、視覚も反応し、情報を脳へ送る。見ていないのに、見えるのだ。

「まあ詳しくは解明されていないけれどね、そういる理屈だと言われているの」

 と琴音に聞いたが千尋は半信半疑だった。

 幼少期の虐待は脳の正常な発達を妨げる。感覚器情報処理を司る大脳皮質や神経細胞が異常をきたしても不思議ではない。精神的に不安定で感受性が豊かな千尋は、普通の人間にはない独特の感覚で世界を認識している可能性もある。人間は五感を通して外界の情報を処理するが、千尋の器官は一般的なそれとは違う働きをしているのかもしれない。だから人間に恐怖を感じるし、対人関係を上手にこなせないのかもしれない。HSPやパーソナリティ障害にも通ずる可能性――、琴音はそれを「千尋の個性」という言葉で説明するが、少年には納得できなかった。


 これは病気だ。心の病気。脳がおかしくなって幻覚や妄想を見ているのだ。僕は異常だ。普通じゃない僕は、現実と夢が混同するようになってしまった。元から正常な人間ではない。でも、ここまで来てしまってはもう手の施しようもない。琴音先生は優しいから、僕を傷つけないために前向きな言葉を言っているに違いない。本当は統合失調症で、僕が信じている「事実」を否定しないために、話を合わせているだけなのだけはないか、と千尋は自分を疑っていた。


「ううぅ……、僕はこんな共感覚なんていらないのに……、うぅ……、気持ち悪い……、うぅ」


 千尋はうずくまって悶える。共感覚が発動すると嘔気がする。立ちくらみもする。世界が歪んで自意識が壊れる。自分が何者なのか。不透明な千尋は余計に自分がわからなくなって絶望する。

 隣には誰もいない。

 恵那は控え室には帰ってこない。出場した後は、そのまま退場。結果は、後でスマホに連絡が来る。一次審査の通過者は二〇名。あの様子なら恵那は合格しただろう。通知を見るまでもなさそうだ。

 僕は……、なにをしているのだろう。

 だけど、挑戦しなければならない。前に進む。こんなことで倒れていたら、なにも変わらない。PTSDの治療に必要なのは、認知の修正。家族に裏切られてきた僕は、琴音先生が考えた家族ごっこゲームをした。恵那が妹で、あおいちゃんが姉で、先生がお母さん。あれに効果はあったのだろうか。だが、恵那が特別な存在――、発作を和らげてくれたのだから、きっと意味はあったのだ。千尋は考える。この場を乗り切る最適な方法を、足りない経験から導き出すのである。


――では~、九七番の方~! こちらへどうぞ~!


「あ……、僕……、だ」


 そうこうするうちに千尋の番が次に迫る。ハッと気がついて周囲を見渡すと、残っているのは千尋だけだった。


「僕……、最後だったんだ……」


 知らなかった。同時にホッと一安心する。なで下ろした胸音が急速に静まりかえるのを感じる。大きな波の後は、静かな波になる。僕は波に乗らない。

 ただ、目の前にあることをこなすだけ。自分の足で、歩くために。


「あ……、は、はい」

「ふふふ~、あなたで最後です~! 大トリですよ~! 今めっちゃ盛り上がってますから、えっと……、優木千尋さん? とてもついてますね! 持ってます!」

「あ……、え……、うぅ」


 誰もいないことで安心した心に再び大波が来る。跳ねたり沈んだり、海の表情は豊か。同時に、無限の可能性を秘めた若い海。


「頑張ってくださいね! あ……、私、あなたに投票しようと思います」

「え……、? うぅ……、?」

「だってここに来てからずっとぼそぼそ独り言喋ってて……、立ちあがったかと思えば震えて座りこんだり……、見ていてとても母性本能がくすぐられたの。ふふふ、きっとそういう一面を見られた私もついていたな~って、思うわ」

「……、あ……、え……、はぁ」

「あなた、嘘ついてるでしょ?」

「……!?」

「私にはわかる。だってここに来てから一時間、あなたのこと見ていたもの」


 スタッフの女子高生――芽山鳴(めやまめい)は射貫くような瞳で千尋の芯を突く。

 千尋は心臓を鷲づかみにされて、呼吸が止まる。死にたい。消えたい。逃げ腰に火がつく。


「――本当は男の子で性別を偽って出場している」

 と、言われたらなんて言えばいいのか。どうしてバレたのか考える余力はない。いや、バレて当然だ。恵那は大声で僕の正体を話していたし、僕は僕で女の子らしく演技する胆力もない。大体、僕は男子高校生なのだから、ちょっとやそっと女装したくらいでバレない方がおかしいのだ。そうだ。むしろそっちのほうが嬉しい。バレたい。そうすれば僕は普通の男なんだって証明出来るじゃないか。そうだそうだ。と思考がぐるぐる回る。


「……あなた本当は中学生でしょ?」

「……、?」

「大丈夫大丈夫。黙っててあげるから。別に学園祭のミスコンなんだし、それくらい私はいいと思うけれど……、会長がなんて言うか……、というより副会長か……ごにょごにょ」

「……?」

 芽山鳴は、一貫していた毅然とした態度が崩れ、つかみ所のない曖昧な言動をする。会長? 副会長? とは生徒会の? だとすれば西園深紅のことかもしれないが……、今はそこに触れるのは最適ではない。と心で思うが、行動に移す余裕はない。ただなにも言えない。それだけだった。


「あ、もう時間ね。じゃあ、頑張ってね! 応援してるわ~!」


――ドンッ。


「あ……」


 芽山鳴が勢いよく背中を押した。長い廊下の先には目映い光が漏れている。薄暗いバックヤードを通って、九六人の参加者はあのステージを目指して進んでいったのだ。欲しいものは人それぞれ。目的もみんな違うかもしれない。恵那のように面白がって参加している人もいるだろうし、僕のように半ば強引に参加させられた人もいるかもしれない。

 だけど、やる気はある。いつだってあるのだ。

 僕は変わりたい。PTSDに勝利し、いつか真っ当な人生を送れるように、頑張りたい。

 これは僕なりの青春。


「では~! みなさん最後になりました~! 本日の一次予選、大トリを飾るのは参加番号九七番~、優木千尋さんです~!」


「あ……」


 千尋は歩きだした。暗い影を落とす道の向こうで輝くステージへ、踏み出すのだ。


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