第107話 病院と青春
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「恵那ね、昔から夢だったんだ~! ミスコンで優勝してプラチナのティアラを貰って、その場で叩き割ってみんなを驚かせるのが!」
「……どんな夢だよ」
「だって~、優勝のご褒美がそんな玩具なんてつまんないじゃ~ん! もっと楽しいこと……、例えば参加者みんなが恵那の奴隷になるとか……、そういう緊張感がないと盛り上がらないじゃん! これは戦いなんだからね! ひろくんもそう思うでしょ? ね? ね~?」
「思わ……ない」
「またまた~、もういい加減ひろくんも素直になった方がいいよ! ひろくんだって男の子なんだから、いっぱい願望あるでしょ? 恵那はね、たくさん知ってるの! えへへ~ん、恵那はね、病院を出てから色んな人と会って、人間の本質っていうのをね、知ってしまったのだよ~!」
「恵那は……、どんな人生を歩んできたの?」
「うーん、いっぱい! たくさん好きなことする人生? だよ~! わかんないけど、いっぱいわかったの! 恵那はね、人生経験豊富なの!」
「豊富な人の言葉には見えないが」
「ん~もぅ~! そうやって恵那のことからかって、どうしたいの? おっぱい揉みたいの? あ~! わかった~! 恵那を怒らして襲われたいんだ~? そうでしょ~? ひろくんってMだもんね~? なに? 殴られたいの? 蹴られたいの? それとも……、逆レイプされたいの?」
「……、どれでもない!」
大勢の人の喜怒哀楽が混ざり合う控え室は、感情のるつぼ。直接、話さなくとも、空間に漏れていく緊張感、期待感、不安感が伝染する。
扉の向こうとはまるで異質な空気がビリビリと痛い。
だが、発作は起きない。
一〇歳のころ、共に精神病棟に入院していた仲間であり、『家族』がいるから、と自己分析する冷静さはないが、恵那の存在に安心を感じる。
――相生恵那は新興宗教絆の会の元信者であり、教団の施設で思想教育を受けて育った。
アドレナリンやドーパミンによる快楽に従順で。そのためにはどんなことでもする。
山奥の閉ざされた『楽園』にて大勢の信者を殺し、教団を崩壊させた快楽殺人者。
琴音の元で、あおい、ちひろ、恵那の三人で家族ごっこという名の認知行動療法を受け、共に治療に励んだ仲間だが、退院後の行方は詳しくわからなかった。
だが二週間前、家の前で恵那と会った。
恵那は身長が少し伸び、瑞々しい童顔と、豊満な胸を持つ妖艶な美少女になっていた。恵那は千尋に「学園祭に行く」と言ったが、あの日のことを千尋は現実なのか妄想だったのか、はっきりと区別できずにいた。
「本当に……、学園祭に来たんだ……、恵那」
「うん、そうだよ! 言ったじゃん! 恵那が嘘つくわけないじゃん! 恵那はね、すっごぉ~く正直者なんだよ!」
「それは……、そう思うけど」
「ひろくんとは違うの! 恵那はね知ってるんだよ? ひろくんはあっちのほうも皮被りで自分を偽ってるんでしょ? だめだよ! ひろくん! 正直にならないと~」
「……ッ! な、なにを言ってんだよ! こんなところで!」
「恵那がね、むきむきしてあげる。大丈夫。えへんっ、恵那はね、たくさん経験してるんだから! それくらい朝飯前なのだ!」
「……ッ、う、うるさいな。し、静かにしろ……、ぼ、僕はその……、一応女の子ってことになってるんだから……」
ミスコンに出場できるのは女性に限らない。男性用の控え室もあるが、受付で訊いた話しでは男の参加者はいない。そもそも、聖愛学園に入場できる男性は限られている上に、一五歳から一八歳の年齢制限を満たす必要もある。もっとも元から女装している千尋には関係がないが。
「そういえば……ひろくんはなんでそんな格好してるの? あ~、わかった! 綺麗な女の子の裸を見たくて――」
「――パコンッ、なわけあるか!」
「――ッ、うぅ~! いったぁ~い! うぅぅぅ! 痛い痛い痛い痛い! ……でも、嬉しい~!」
「……は?」
「ひろくんの感情が伝わる! 恵那のなかにね、ひろくんが入ってくるの! そうだよ! ひろくん! 自分を隠さないで、思うがままに生きるの! ほら! もっともっとちょ~だい! 恵那に、ひろくんの気持ちをぶつけて!」
「アホ女」
「あぁ~! いい! そういう素直な言葉大好き! きもちぃぅぅ! すき! 我慢してきた少年の本当の想い! 貯まりに貯まって腐りかけの衝動! 恵那は……、それが一番大好きなの!」
「……、変態……ばっかり。僕の周りは」
恵那の人生を詳しく知らない。
退院してからどんな毎日を送ってきたのか、わからない。だが、病院にいたころの恵那と、なにも変わっていないように感じる。歪んだ性格も、曲がった性癖も、独特の価値観も、人生観も、あのころからそうだった。千尋は懐かしさと同時に、面影を重ねる。
「むぅ~! ひろくんだって変態でしょ~! そんな格好して、女子高生の控え室に忍び込んで……、えっちなこと考えてる変態じゃん! でもそんなひろくんも好きだよ、えへへ」
顔を赤くし、はち切れそうな太ももに手を挟んで悶える恵那の姿は、あのころよりも大人になった。面影の向こう側で、揺れるのは大きな胸や艶々の太もも。健康的な体は、千尋よりも背が大きいが、あおいよりは小さい。少し吊り上がった瞳は、笑っているようにも怒っているようにも見える。子供のように伸びのある無邪気な声、相反する大人の体と性的嗜好に従順な素直さ、子供っぽさ。思い出と重なる恵那は、夢なのか現実なのか、千尋にはやっぱりわからなかった。
「ひろくんって童貞だよね? 恵那とする? この後、どこかで。あ~でも、恵那は襲われるほうが好きだからぁ……、ひろくんがちゃんとはぁはぁしてくれないと嫌なんだけど……、あ、でも、さっきみたいな頑張ってるひろくんだったら、かわいいからそれもありかも!」
「え、恵那……、ちょっと静かに……」
「え~? い~じゃん別に! バレたらバレたで、それも興奮するじゃん! だってほら! あそこ――」
――と恵那が指さした場所では見るからに美少女と言える女子高生が、洋服を脱ぎ、下着姿のまま衣服を選んでいる。スタイルがよく、うなじがセクシーだ。
「う……ゆ、指さすな!」
「え~? なんで~? 女子通しだったら別に変なことじゃないし~、ここで男の子だって恵那がバラしたら……、みーんなひろくんのこと見てくれるよ! そうだ! ひろくんも裸になって、みんなに見て貰おうよ! そしたらひろくんもきっと気持ちいいよ!」
「あ、アホなこと言うな!」
「ひろくんって性欲ないんだよね? でももしかしたらそれって……、自分に合った性癖を見つけられていないせいかもしれないよ? ほら、よく言うじゃん! 女の子に興奮できなくて、おかしいと思っていたら、その男の子は実はGAYだったみたいな……、ひろくんもそうかも」
「僕はどんな性癖持ちなんだよ」
「うーん、羞恥プレイ?」
「違う!」
「でもMじゃん! 恵那に襲われると嬉しそうだし――、えい!」
「――ッ、う、……、お、おい――」
「にしし~、ひろくんの体ちっちゃくてほんとかわいい~! すぐ、びくんびくんするし~、震えちゃってぇ……、えへへ……、ほんと、かわいい」
からかうように千尋の体を撫でたり、小突いたりする。その度に千尋はぴくんぴくんと反応する。小刻みに震えるつづける体は、落ち着かない子供のよう。恵那は愛でるように笑ったり、刺すように冷たくなったり、様々な感情が無造作にあふれ出す。人間らしくもあるが、恐怖も感じる。
無感情なあおいとは正反対。同じ施設で育ったのに、まるで違う。と千尋は思う。
「まあ、頑張ろう。きっと~ぉ、恵那が優勝しちゃうけど、ひろくんも二番目くらいにはなれるように恵那も応援するね!」
「う、うん……」
「でもそのおっぱいじゃあ……、やっぱりだめかなぁ?」
「……ッ」
「えい――! もみもみ――」
「あ……うぅ!」
恵那は突然に千尋の胸に手をやって、小さな乳房を揉む。千尋の体型は、思春期の男子以上に小さく、小学生と変わらない。脂肪がないが筋肉もないおかげで女装しやすいが、本人に女体化願望はない。恵那の手触りがこそばゆく、千尋は思わず女性的な声をあげてしまう。
「あぁ……、ん……はぁん……、うぅ……」
「えへへ~、恵那の揉み方うまいでしょ? にしし~、恵那ね、そういう経験も豊富なんだよ!」
「ど……、あぁん……、どういう……、経験……、はぁん……、うぅ」
「えへへ、感じる? ひろくん」
「は、はぁ? ど、どういう意味……」
「恵那の想い……気持ち! 伝わる? ひろくん!」
「……、う……、うぅ」
恵那の言動は荒唐無稽だが、千尋は理解ができた。感情を隠さず、思いのままに生きることは難しい。それは自分が一番よくわかっている。恵那のように素直になれたら、きっと人生はもう少しだけ素晴らしいものになる。でもできない。だから恵那の作るという「王国」や、その「国民」になりたいという人は、いる。王国ではしたいことを好き放題できる。我慢は要らない。ただ、欲望に溺れる。自由を切望することもない。そんな毎日は、心の枷が外れた楽園、理想郷かもしれない。
「恵那は……、優しい」
「えへへ、そうだよ? 恵那はね、とっても優しいの! だからね、ひろくんもこれが終わったら恵那のところに来てほしい。恵那はね、ひろくんを助けたいの」
「……、ありがとう」
無邪気に笑う恵那の声が、安らぎに感じた。
病院がフラッシュバックする。
どんな形であれ、生きている。共に生きている。一緒に学園祭を楽しめることを喜びたい、と千尋は思った。