表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

106/122

第106話 夢の途中

106


 温水プールから数百メートル。

 イベントホールの外観は宇宙船のように丸い。さながらSF映画に迷い込んだようだ。


「はいっ、優木、千尋さんですね。では連絡先をこちらに」

「う……、は……、はい」

「あなたかわいいからきっと決勝までいけますよ! 応援してますね~!」

「う……、うぅ……」


 ホールのエントランスで第四十回、聖愛学園ミスコンテストの受付を済ます。隣にいるあおいもめぐみも資格は満たしているが、今回は出場しないという。


「だって千尋が頑張るための挑戦じゃない。私は応援に徹しないと」

「うんうん。おやごころ、ってゆーやつだね~」

「どうせ僕がオドオドするのを見て楽しむんだろ、くそ」

「それのなにが悪いの?」

「……?」

「人を楽しませるのに、いいも悪いもないでしょ? 千尋が頑張ったら私たちは楽しいし嬉しいのよ? それっていけないことなのかしら?」

「うぅ……、あおいちゃんは口が上手すぎる……」

「だって私、聖女だし。日本最大級のカルト宗教の信仰対象だった女の子だもん。そりゃぁ、カリスマよ。カリスマ。天性の宗教家ね」

「はぁ……、その自信が羨ましい……」

「まあ、私が出たらどうせ私が優勝しちゃうし……、それじゃ千尋も可哀想だし、今回は優勝を千尋に譲ります」

「はぁ……」


 溜息ばかりの千尋の心は許容量をオーバーしてパンクしている。

 ミスコンの予選は十三時からこの会場で行われる。

 一人ずつ一二〇秒の持ち時間を与えられ、パフォーマンスを行う。内容は常識の範囲内で自由。

 その姿は背後の巨大なモニターにライブで映される。撮るの優秀な聖愛学園の放送部である。


「まあ、ほどほどに頑張って。応援してるから」

「ちーちゃんならかわいいから絶対大丈夫だよ!」

【がんばって】


 時刻は十二時を過ぎている。

 予選に参加する生徒が控え室で待機する時間だ。申し込みも早々に、千尋は一人で舞台裏に進んでいく。【参加者はこちら】という立て札を真っ直ぐに進み、奥の扉を開ける。

「「がんばれ~」」

 と少女達が手を振る。あおいはやる気のなさそうにゆっくりと、めぐみは踊るように軽快に、奏は跳びはねながら小さな手を、思い思いに振る。


「なんでこんなことに……」


 今日は人生最悪の日だ。

 僕はこんな辱めを受けるような、悪いことをしたのか。いや、していない。それに、これは辱めではなく、挑戦だ。少しずつ自分を変えるための、一歩。

 千尋は思い直し、ドアをくぐる。


――ザワザワ――。


 控え室の中は広かった。

 詰め込めば二百名は入れそうなスペースに、鏡やロッカー、横に広いデスクが置かれている。

 

 スタッフと参加者。ざっとみて百人程度。無数の声が重なり合い、渦巻いている。

 立ちくらみがする。

 鼻から脳味噌に吹きぬけていくのは、甘い香り。女性ばかり密集した控え室は、千尋には刺激が強い。


「うぅぅ……、はぁはぁ……」


 隣には誰もいない。あおいもめぐみも、奏も、客席で千尋を待っている。学園でPTSDが発症しないのは、彼女たちのおかげだった。

 一人ではなにもできなくても、隣で手を繋いでくれれば、少しは歩ける。だけど今はいない。


「はぁはぁはぁはぁ……、うぅぅぅぅ」


 途端に一人を自覚する。恐怖が伝染し足が竦む。呼吸が荒くなり、意識が朦朧とする。歪む視界の中で女子高生が裸になり、衣装を着替えている。嗅いだことのない匂いに包まれて、正常では居られなくなる。

「早く……薬を」

 咄嗟にポケットの薬ケースを取り出す。精神安定剤セルトラリンを服用し、落ちつきを取りもどそうとする。一日100㎎まで内服許可を貰っているが、今日はまだ50㎎。錠剤は一粒で25㎎。ケースの蓋を開け、薬を取ろうとするが……、

「うぅ……――ガタッ」

 パニック発作により遠近感が失われ、千尋はバランスを崩し床に転げおちてしまう。

 周囲の目はわからない。

 だが倒れた千尋に注目が集まったのはわかる。


 あぁ、もう終わった。もうだめだ。やっぱり僕は一人ではなにも出来ない。無理だ。もう立ち上がれない。こんな大勢が居る場所に一人で来るなんて、無理な話だったんだ。僕はやっぱりなにも変わってない。あおいちゃんやめぐみがいるから、外に出歩けるだけで、一人では外出もまともにできないひきこもりのままなのだ。あのころから、なにも成長してない。この体がそれを証明している。未熟な精神は未熟な体を作る。めぐみの言うとおりだ。大人になれないのは、心が止まったままだから。どこにも行けない。千尋は無性に自己否定が止まらなくなり、全てを投げだそうとする。


「大丈夫――?」


 うずくまった千尋は震えて泣いている。まるで赤子か子犬のよう。だけど助けは要らない。知らない人の手は、優しさにならない。恐いのだ。人が。みんなが。誰も彼もが苦手。嬉しいけれど、やめてほしい。


「えへへ~、大丈夫? ひろくん」

「……?」

「もぅ~、こんなに薬こぼしてぇ……、だめでしょ。お薬なんかに頼ったら」

「……え、あ」

「えへへぇ~、不安になったらしたいことをいっぱいして、神様に褒めて貰うのが一番気持ちよくなれるの! そうしたらなんでもできるんだよ! きもちいいし、嬉しいし楽しいし! でしょ? ひろくん!」

「……、あ、なんで……ここに」

「えへへ、言ったでしょ? 聖愛学園の学園祭に恵那も行くって! でねでね! 恵那ね、かわいいからミスコンに出ようって思ったの! きっと優勝できるし褒められるの大好き~! だから!」

「……え、恵那」

「えへへ、ひろくんもそうなの? ひろくんもかわいいから、出場してかわいいかわいいって褒めて貰いたいの? うーん、でもそんなことしなくても、恵那のところにきたらずっといいこいいこしてあげるのに~!」


 ――ぎゅうう。


 そこに居たのははち切れそうな巨乳と若さが弾むミニスカートが特徴的な少女――相生恵那だった。ブラウスのボタンは胸の圧力に押され今にも飛んでいきそう。恵那はうずくまる千尋を太ももに引き寄せると、母性溢れる手触りで巨乳を押しつける。その顔は聖母のようにも悪魔のようにも見える表情だが、千尋は分析する余裕はない。恵那の乳房や柔肌の感触に浸る余裕もない。だが、安心する。不思議な感覚だった。真っ暗な海の中で溺れそうだったところに、現れたクジラに飲み込まれた。死を覚悟するけれど、胃の中は快適で、死んだのか生きているのかもわからないが、安らぎに満ちている。千尋は夢の中にいるようだった。


「えへへ、えなのおっぱい吸いたい? もみたい? ちゅーする? えへへぇ、なにをしてもいいよ。恵那はね、ひろくんのこと好きだから! ひろくんがしたいことをするのをいっぱいみたいの!」

「そ、そんなこと……、しない」

「えへへ、いいこいいこ、よしよし。うんうん。我慢しないで恵那のこといっぱい好き放題して」

「し、しない!」

 

 恵那の言動に千尋は夢から覚める。恵那の体から勢いよく離れて、立ちあがる。そう、立ち止まらない。うずくまらない。前に進むのだ。今日はそのために生きるのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ