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第103話 楽しい文化祭

103

挿絵(By みてみん)


 校舎の中は異世界だった。

 さながら魔法の国のファンタジー。

 通路は壁一面に花が咲く。花紙で作られた秋桜や紫陽花が、折り紙の草木や水彩画の背景と共に息づいている。一枚二枚ではない。正面の昇降口から、見渡す限りの全てが、多士済々なお手製の植物園になっている。

 模造紙とイラストで作られた木々が脈打つように空まで伸びる。廊下の天井は蒼空も夕日も銀河も混ざり合い、天変地異が起きた壮大なフラスコのよう。


「すごいね~。さすが聖愛学園だね~」

「う……、うん」

「ふふふふっ、でしょ~? うちの学校結構凄いんですよ! よかったら千尋さん……、いや、千尋ちゃんたちも転校してきませんか?」

「うーん、でもあたしたち通信制の高校生だからな~、無理だっ」

「大丈夫ですよ! 私とか深紅ちゃんが勧めれば……、あ、深紅ちゃんは生徒会の副会長なので、来年は多分、生徒会長ですし、先生たちにも顔が利きますから……」

「え~、じゃああたし聖愛学園の女子高生になろうかな~? ね! ちーちゃんも一緒に女子高生やろ~?」

「ぼ、僕は女子高生じゃなくて……」

「ちーちゃんなんか震えてる?」

「う、うるさい……なぁ」

「ふふふ、千尋は女子高生一杯の学園にドキドキしてぷるぷるしてるんだよね? さすがに千尋はえっちだなぁ」

「ち、違う! 僕は……、その……、恥ずかしくて」

「興奮する、と」

「違う~! そ、その……、き、緊張するだろ。こんな大勢居るところ……」

「えっちな妄想が溢れだしておかしくなってしまう、と」

「そういうことじゃな~い~!」


 校舎の中は一層に蜜だった。招待客の大人もいるが、大抵は子供たちである。制服を着崩した女子高生たちが、甘い匂いを充満させる。若い女子の匂いは千尋を惑わす。女子に密着されるのも囲まれるのも慣れているが、知らない人は相変わらず苦手。密集した人混みは、もっと苦手。

 PTSDは改善してきたが、未だに完治はしていない。


「あ、ちょっとあたし用事があって、少し上に行って来ます」


 と山吹未来はスマホの画面を見るなり、勢いをつけて駆け出す。実行委員の仕事で忙しいのだろう、と千尋は心で思うが、口には出せない。

「大変そうね。山吹さんも」

「う、うん……」

「さて、どこに行きましょうか。行きたいところある? 千尋は」

「あ……、う……、僕は」

 

――ドンッ。


「――あ、ごめんなさい~、ぶつかっちゃった~」


 昇降口から少し進んだ階段の前――、千尋は数名の女子高生たちとすれ違い、若さが弾けとぶヒップに押されて、転倒する。


「――きみ、大丈夫? ……、って、パンツ~! 見えてる~! そんな大股開いて倒れちゃだめ~!」

「あ……、うぅ……」

「女の子なんだから、そういう時もちゃんと自分の身を守らなきゃだめよ、きみも。ほらぁ……、お姉さんが手を貸したげるから」

「ガシ――、うぅ……」

「起きられた? パンパン――ッ、ちょっと誇りついちゃったね。あ、よかったらお風呂入らない?」

「……!?」

「うちの学校のプールを借りてね、お風呂にしてるの! 元々温水プールだからね! 今日だけは入浴剤も入れて……、聖愛祭ミルキィーハニーフルール風呂。よかったら入りに来ない?」

「……え……、あ……、うぅ……」

「あ、大丈夫大丈夫! 聖愛祭は男の人ほとんど来ないしぃ。来たとしても盗撮とか恐いから校舎の中は入れないからね。女性専用風呂。それに……、ミルキィーハニー風呂の責任者が男性恐怖症だから……、もう絶対に男の人とか近寄らないようになってるから……、きみも入りに来て。あ、これ――」


――お風呂チケット。


 ピンク色の色っぽい柄のチケットを手渡しで受け取る。黒髪ポニーテールの彼女は、健康的に笑うと爽やかに走っていく。石鹸の香りがほのかに通り抜ける。ただのシャンプーではない。とろりと甘く、乳製品のように濃厚な匂い……、ミルキィーハニー風呂の匂い? と千尋は思うが、知らない人に話しかけられた頭は相変わらず真っ白になっている。

 静観していたあおいは、そんな千尋に言う。


「へぇ。お風呂。いいわね。行こ、千尋」

「はぁはぁ……、いや……、うぅ……、いけるわけ……」

「息上がってるじゃない。無理しなくていいの。行きたいなら、行きましょ」

「そういう……、意味で……、息があがってるわけじゃない……、から」

「じゃあどういう意味なの?」

「う、うるさい……」

「まあまあ。いいじゃない。男の子なんだから。あ、今日は女の子だけど、だったら、尚更いいじゃない。女の子が女の子風呂に入るなんて自然なこと。あ、でもさすがに脱いだらバレちゃうかしら。あ、でもタオル巻けば……」

「ちーちゃんのちーちゃんはちっちゃいから大丈夫――」

「――パコン! めぐみ! へ、変なこと大きい声で言うな!」

「うえぇ~ん、痛いよ~! あたしの頭は殴るためじゃなくて、撫でるためにあるんだからね~!」

「ごめんね、めぐみちゃん。千尋、興奮して正常な状態じゃないから」

「ふ、二人して僕をいじめるな。ぼ、僕は……、もう、パニックで汗もやばくて、ドキドキが止まらないんだ」

「じゃあ、いいじゃない。お風呂入ってすっきりして、湯船に浸かって、心を静めましょう」

「ふ、ふざけるな」

「タオル巻いておけばバレないでしょ。千尋の千尋は、お子様サイズだし」

「あ、でもおっきくなるかも」

「なったらそれもまたよし。今まで大きくなったことないんだし、それで大人になれるなら、私も嬉しいし。千尋も嬉しいわよね?」

「こ、この変態共……」

「違う。私は千尋のためを思って言ってるの。千尋は心があのころから止まったままだから、体もお子様なの。先生もよく言ってるでしょ。逆を言えば、体が大人になれば、心も大人になるかもしれない。私はいつも千尋のコンプレックスを解消したくて言ってるの。PTSDだってそう。小さかった千尋には対抗できない大人っていう絶対の存在に、大きくなったら勝てるかもしれない。今なら勝てる。そう思えたら、改善するかもしれない。そうでしょ?」

「それは……そうかもしれない……、けど」

「にしし~! じゃ、決まりだね! みんなでお風呂行こ~!」

「え……、なんで」

「つべこべ言わず、来る」

「あ……、ガシ――」


 千尋はあおいとめぐみに両腕をホールドされて、あの爽やかな少女が言ったプールの方へ連れていかれる。横幅八メートル程度の大きな廊下は、どこもかしこも人、人、人。誰も彼もが女の子。女子ばかりの空間は無防備で、汗ばんだ体を冷ますためか、スカートを短く織り込み、ブラウスのボタンをはだけさせる。千尋が性欲がないことなど誰も知らないし、そもそも今は女の子。女装した千尋を、女子高生たちは男だとは思わない。それを知ってか知らずか、見たくない秘部まで、簡単に見えてしまう。手を伸ばせばどんなところにでも届きそうなくらいに、近く、甘い香りが千尋を余計にパニックにさせる。


「あわ……、うぅ……、はぁはぁ」

「ちーひーろ。あんまり、興奮しすぎて襲ったりしないでね」

「はぁはぁ……はぁはぁ……はぁはぁ」

「ちーちゃんはえっちだなぁ。おっぱい揉む?」

「も、揉まない……」

「じゃあ、えっちする?」

「な、なんでだよ!」

「したいことをするのが人間らしさだから。それが自分らしさだし、アイデンティティーを形作る大切な発達心理学なのよ。千尋は無学だなぁ」

「恵那みたいなこと……、言うな」

「でも恵那ちゃんの言葉は、あながち間違いでもないし」


 人が大勢居る場所は落ちつかない。心がざわついて、余裕がなくなる。動悸がして、呼吸が苦しくなる。息が浅くて、熱い。脳が溶けていくように、視界が歪んでいく。


「――ひろくんは嘘をついてる。自分に素直になって、したいようにすればいい。男の子は、エッチでかわいい恵那のことをみーんな、自分のものにしたがってる。だからひろくんもそうしたらいい。そういうひろくんが見たい」


 相生恵那の声がフラッシュバックする。

 いやらしくも純情で瑞々しかった恵那の笑顔が、あおいの瞳に幽霊のように映る。幻影か妄想か。あおいと恵那が重なるのは、同じ宗教団体の出身者だからか。めまぐるしい思考の中で、現実がわからなくなり、千尋はパンクする。


「はぁはぁ……うぅぅぅ」


――もみもみ。


「あんっ……、ちーちゃん、そこはおっぱいじゃなくて、太もも……、ん……、なんだけどぉ~」

「はぁはぁ……、うぅぅぅぅ……」

「はんっ……、ちーちゃんそんなぎゅってしたらぁ……、感じちゃう……」

「千尋は太もものほうが好きなの?」

「うぅ……、ぼ、僕は……」


 めぐみの太ももを力一杯に触る。まるで乳房を揉む赤ん坊のように、一心不乱に握る。

 千尋は発作を起こしていた。

 PTSDのパニック発作は、千尋を錯乱状態にし、自分でもなにをしているのかわからなくなる。以前は、突然に大声を出したり、全速力で走りだしたり、あるいは奏の件で無我夢中になり、誘拐犯を殴り倒したこともあった。内服の調整によりある程度落ち着いたが、ストレスが重なるとこうして発症する。


「ふふふ、私の太ももも揉んでいいよ」

「うぅ……、はぁはぁ……、ぎゅ――」

「ん……、そこは太ももじゃなくてほっぺたなんだけど」

「ぎゅ……、ぐに……、ぐにに……」

「千尋。あの、痛いんだけど」

「ぐにぐに、ぐに~。ぐに――!」

「痛い。やめて」

「ぐににににににに~」

「千尋。痛い。あたしもこうしてやる――むぎゅう」

「……!? むぎゅぐぐぐぐ……」

「千尋のほっぺたむぎゅむぎゅにしてやる。このこの」

「はぁはぁ……、むぎゅぐぐぐ……」

「あん……、ちーちゃんそこは太ももじゃなくて……、あん……、だめぇええ」


 入浴できるように今日だけ特別に改装した温水プールまで数百メートル。

 混雑する女子高生の空間を、体を触り合いながら歩く女二人と、女装男子。

 生き生きとした空気に飲まれて、口数が少ない少女――、日高奏は初めての文化祭に緊張していた。めぐみやあおいの後をくっついているだけで精一杯。千尋と同じように、PTSDの影響から、奏は知らない人が苦手だ。

 いつまた誘拐されるか――、常々そんなことを考えているわけではないが、無意識に恐怖を感じる。

 だが、女装男子がミニスカ女子高生の太ももを一心不乱に揉む光景。女子高生は拒絶せず、いやらしい声をあげてさらなる行為を求める。嫉妬したもう一人の女子高生は無表情に女装男子を煽り、ほっぺたをつねりあいをする。

 そんな光景を見ているうち、思う。


奏:【文化祭って楽しいね!】


 高速フリック入力でLINEを送った奏は、発作を起こす千尋の背中にダイブした。


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