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第102話 未来が待つ道

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「ん~もぐもぐ……っ! ちーちゃんも食べる~? いちご納豆クレープ」

「美味いの? それ?」

「うん~、わかんない!」

「わかんないもんを勧めるな!」

「だってぇ~、あたし味覚バカだし……、あ、でも苺の甘みは感じるぅ~」

「いや、納豆の方が気になるんだけど。食べ合わせの具合が」

「それはぁ……、ちーちゃんが食べて試して! はい!」

「あ……、んん! ……、んぐ……」

「どぉ? 美味しい?」

「んぐんぐ……、んぐ!」

「そっかぁ、うんうん。めぐお姉ちゃんのキスの味と同じ……、と」

「んぐ……、そ、そんなこと……、もぐ……、言ってない…――、んん!」

「よしよし。じゃあ食べおわったら今度はあたしのちゅーを食べるんだね~、にしし~、かわいーちーちゃん大好き~」

「んぐぐ……、ぬぐ……」


 校舎に向かう途中、出店のクレープを頬張る千尋は、口いっぱいの新感覚に邪魔をされて、思うように話せない。

 苺も納豆も特に嫌いではないが、混ぜ合わせた結果は、形容しがたい味になっている。

 喩えるなら、高級フレンチのソースのように、甘さも酸っぱさも塩気も混ざり合い、千尋の浅い人生経験では感想を言いづらい。


「変な物……、食べさせやがって」

「千尋。そんな口の利き方だめでしょ」

「……ぐ! ……、くそ」

「それもだめ。今日はかわいい女の子なんだからぁ」

「なんでこんなことに……」

「自分を変えるためでしょ。千尋は頑張るんでしょ。人生を豊かに彩るために」

「それはそうだけど……」

「じゃあだめじゃない。ちゃんと、かわいい女の子しなきゃ。千尋は頑張るんでしょ?」

「そういう頑張りじゃない気が……」

「頑張ることにそういうもこういうもないの。ただ頑張るのよ。そうでしょ?」

「う……、うぅ……、なんか言いくるめられる気がする……」

「しない。千尋は女装してかわいい女の子で一日過ごすの、わかった?」

「はい……」

 

 足下がスースーして恥ずかしい。毛がない全身の感覚が、くすぐったい。風が吹く度に足が擦れて、モジモジとしてしまう。

 つい内股になり、一歩一歩が弱々しくなる。線の細い体にあどけない顔。ばっちりと化粧を施し、ウィッグを被せた姿は、可愛らしい少女そのもの。あおいよりもめぐみよりも背が小さく、奏と殆ど変わらない低身長に似つかわしい小さめの胸は、ヌーブラを二枚重ねている。

「やるなら徹底的に」 というめぐみの方針によるものだ。


「しかし……、人が多い……」

 聖愛学園の学園祭は中等部、高等部、合同で行われる一大イベントである。

 生徒総数千名を超える巨大学園の女子生徒に加え、教職員、招待客が混雑する空間は、祭りというに相応しいカオスを生んでいる。

 入間川にほど近い敷地は、東京ドーム七個分を誇る。

 並んで立つ中等部、高等部の校舎に、専用野球場、サッカー場、三棟に及ぶ体育館等、充実した設備が整っている。


 西洋建築をコンセプトにしたデザインは、見るも鮮やか。

 煉瓦造りの校門をくぐると、中央の噴水に向かって道が広々と走る。円形の噴水の周りには、炎のモニュメントが四つ。


「昼夜問わず噴水から湧き出す水は、無限に溢れる若さを象徴し、炎は青春の情熱を表しているんですよ」


 と聖愛学園新聞部部長、山吹未来は饒舌に言う。ハキハキと滑舌がいい未来は、人当たりのいい笑顔で嬉々と笑う。


「聖愛学園の理念は、個性の追求です。したいことを徹底的に突き詰められるのは、若い今だけ。それを支援するための学校だから、設備にお金をかけています。すぐ隣には智光山公園も入間川もありますし、正常な心を育む自然にも恵まれている。素晴らしい環境です」


 噴水の前は目印であり、学園のシンボルだ。

 千尋たちとここで待ち合わせをしていたのは、学園の生徒にとっては息をするように普通のことである。


「ここから四つの道に別れていますよね? 校門へ向かう道、高等部、中等部の校舎へ向かう道、校庭や体育館に向かう道……、さてもうひとつの道の先には何があると思いますか?」


 空を着飾るように、風船や花輪が学園中から伸びている。赤も青も黄色も緑も、考え得る限りの全ての色が、今日この場所を彩っている。

 人の声が宙を舞うと、カラフルな雪になって世界を染めていく。

 千尋の感性は共感覚を産みだして、現実にはない夢の世界を感じ取る。


「さあ……、わかんないけど」

「未来ですよ」

「……?」

「この道の先には未来が広がっています。だから私たちはこの道をこう呼んでいます」


――明日を待つ道。


「へぇ、なんだか素敵ね、千尋」

「うん……、そうだね」

「まぁ、実際にはその先にあるのは記念館なんですけどね。学園の歴史や運動部や文化部、卒業生が残した実績、トロフィーなんかを飾っている場所で……、私たちもそうなれるように、みたいな意味があるそうです」


 県内随一のマンモス女子校は全国的にも有名だ。運動部は各種大会で優勝し、オリンピック選手も毎年排出する。文化部も著名人を幾人も育て、芸術家を刺激する環境は、様々な媒体で取り上げられ称賛されている。


「ちなみに! 千尋さんの前にも手に届く輝かしい未来があります」

「……?」

「ほら! ここに、あるじゃないですか」

「……?」


 山吹未来は仰々しく手を広げながら、踊るように語りかける。新聞記者と言うよりも政治家や活動家のような口ぶりである。未来が目指すのは記者だと言うが、愛想のいい性格や、滑舌のいい口調は、人前に立つのも向いている、と千尋は思う。


「私の名前は未来。山吹色の未来です」


 未来は満面の笑みで笑う。冗談なのかなにか複雑な意味があるのか千尋にはわからなかったが、学園祭の空気が未来を開放的な気持ちにさせていることはなんとなくわかった。だから笑わない。噛みしめるように受けとめて、進むのだ。


「そっか。僕の前には本当に色んなものが広がってる」


 目の前には未来。左隣にはあおい。右隣には校舎へ続く道。振り返ることはない。来た道は戻らない。


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