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怪物にされた令嬢  作者: 葦
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幸福、変容と逃亡

 カタリナは恋をしていた。

 恋の相手はヨセフという名の青年で、青みがかった銀髪に紫水晶の瞳のとても美しい青年だった。


 ふたりが出会ったのは一年前。

 カタリナの父の領地の村の祭りの夜だった。 ヨセフは異国から来た旅人で、各地の風俗や名産を研究する学者のたまごなのだと語った。


 領地の村から出たことのないカタリナにとって、異国の話をたくさんしてくれるヨセフはとても頼もしく、楽しく、瞬く間に恋に落ちた。


「カタリナ、僕のような一介の学者のたまご風情が、貴女のようなひとにこんなことを言うのは随分とおこがましいかも知れないけれど……愛してしまいました。許してくれませんか?」


 ヨセフの瞳にまっすぐに見つめられ、そう告げられた時、カタリナは天にも昇る心地だった。


「はい、ヨセフ! 私も貴方が好きよ!」


 恋にきらめく瞳でカタリナはヨセフを見つめ、ヨセフもまた優しい眼差しでカタリナを見つめ、ふたりは誰が見ても愛し合っていた。 


 しかしカタリナの両親は、ヨセフのことを良く思わなかった。


「身分が違う、学者のたまごなんて言っても胡乱なものだ」

「ゆくゆくは家格の釣り合う方とお見合いでもして、ね……」


 そういう父母ふたりに、しかしカタリナは頑なだった。


「いやよ、こんなに愛し合っているんだもの! それにいまどき、家格だなんだってナンセンスよ。ねぇエメリス、貴女もそう思うでしょう」


 カタリナの二歳下の妹エメリスは、軽く肩を竦めてみせた。

 エメリスはクールなたちで、色恋にうつつをぬかすたちではなかったので姉のこの話に口を挟みたくなかったのだ。


 それでも二人は仲の良い姉妹であり、エメリスはだいたいいつもカタリナの味方をした。


「いいんじゃないかしら、カタリナが愛するひとと添い遂げるのが一番幸せよ」


 家族の話はまとまりはしなかったが、それでもカタリナは幸せだった。





 病に冒されるまでは。





 ある日の朝、カタリナはふと体の不調を感じた。

 体が重く、少し痛いような気がした。

 風邪の引き始めかと思い、いろいろな予定をキャンセルしてゆっくりと休むことにした。 


 カタリナの不調はそれから度々起こるようになった。

 ギシギシと体が軋むように痛み、喉が嗄れる。声が出しづらくなる。


 視界がもやのかかるようにかすみ、微かな物音や匂いにも敏感になった。


 ずっと続く些細な体の痛みや小さな物音や匂いは積もり積もれば心的負荷は大きくなる。カタリナはどんどん荒んで、やつれ、人を寄せ付けなくなっていった。

 

「カタリナ、僕だよ、ヨセフだ。今日も来たよ」


 そんなカタリナに、ヨセフはいつも優しく献身的だった。

 カタリナが心を癒やせるようにと花を持ってきて、綺麗な風景画を持ってきて、病気平癒のまじないをかけたというアミュレットも持ってきた。


「カタリナ、この薬湯がきくかもしれない」

「ヨセフ……ごめんなさい、いつも、気を遣わせてしまって。私……私、どんどん自分がおかしくなっていくように感じるの。何かが変わっていくの。まるで作り替えられているみたいに。体が痛くて苦しくて……!」

「カタリナ。カタリナ。大丈夫だから……」


 苦痛と恐怖を訴えるカタリナの背を優しく撫でさすりながら、ヨセフが囁く。

 しかし、彼女が言ったことは事実だった。


 カタリナの姿は変わっていった。


 顔は黒くぼこぼこと硬質化していき、美しかった瞳は黒ずんで、艶やかな絹糸のようだったプラチナブロンドの長い髪は失われ、代わりにゴワゴワと棘のような剛毛に覆われた。


 口の端は耳元まで裂け、覗く歯は鋭く尖った牙となり、耳は大きく尖っていく。


 澄んだ鈴の音のようだった声は、吹き抜ける空風のように掠れて、発音も不明瞭になっていったのだ。


 化け物。怪物。お嬢様は怪物になったのだ。

 とひそひそと噂が流れる。


 そんなある日。


「カタリナ、結婚しよう」


 いつものようにやってきたヨセフが、すっかりでこぼこと岩のような肌になったカタリナの手を取り、撫でながら言った。


「でも、ワタシ、こンナ……」


 カタリナは、すっかり様変わりしてしまったその姿を恥じるように顔を俯かせる。


 ヨセフはそんな彼女のゴツゴツした手を引き寄せて、分厚く尖る爪の目立つ指先に口付けしながらと優しく微笑んだ。


「見た目なんて関係ない、僕が愛しているのはカタリナ、君の魂そのものなのだから」

「ヨ、セ、フ、」


 カタリナは彼の言葉に涙を流した。


「ア、リ、ガ、ト……」


 こんなおぞましい姿になっても、ヨセフの愛は変わらない。それがカタリナには何よりも嬉しいことだった。


 ヨセフとカタリナが、結婚の報告を彼女の両親に伝える。

 カタリナが屋敷の中とはいえ、自分の部屋を出て歩くのは、実に三ヶ月ぶりのことだった。

 カタリナが久しぶりにそうして姿を見せたことに両親はたいそう驚き、感激し、ヨセフとの愛を認めることにした。


 そうとなればふたりの行動は早かった。

 父母は密やかに司祭を屋敷に招くと、ふたりの婚姻式を行うことにしたのだ。

 カタリナの状態を思えば、一刻の猶予すら惜しかった。


「ヨセフ、カタリナのことをこんなにも愛してくれてありがとう」

「貴方も今日からは我が家の一員よ……」

「ありがとうございます、義父上、義母上」


 婚姻の成立したその夜、父母はヨセフを抱きしめた。


「ヨセフお兄様、どうか姉をよろしくお願いします……」


 妹のエメリスも、痛々しく変容してすっかり元気をなくしていくカタリナがこれで少しでも元の明るさを取り戻してくれれば、とヨセフに期待をかけるような眼差しを向けて言った。

 ヨセフは微笑み、頷いて。


「カタリナのことは、僕に任せて欲しい」


 そう力強く請け負った。


 しかし、幸せな婚姻の日からもカタリナの体は日増しに変容していった。


 これまで以上に恐ろしいほどの痛みに全身を襲われ、夜昼となく漏れる呻き声は、おぞましい化け物の咆哮のようだった。


 屋敷の使用人や領内の村人たちが、聞こえてくるその声に怯え出すほどに。


 両親とヨセフの相談の結果、カタリナを静かな森の中の古城へ移す事にしたのは婚姻の夜から二週間目のことだった。

 選りすぐりのほんの数名の使用人と、夫のヨセフが付き添うことになった。


「大丈夫だよカタリナ、静かな森の中で過ごせばきっと良くなる」

「うう、ウゥゥウぅ、グゥウウウ……!」


 カタリナはヨセフの言葉にも、ただ唸るような声しか返せなかった。


 古城に移り住んでから更に二週間ほどが経っていた。

 ヨセフがいつものように薬を持って、カタリナの眠る部屋へとやってくる。


「カタリナ、薬の時間だよ」


 ヨセフがカタリナに声をかけても、カタリナはほとんど何も言葉を返すことができなかった。


グルル、グルルと唸るような、苦悶に呻くような音を喉から発するばかり。


 そんなカタリナにすっかり慣れてしまったのか、ヨセフは気にせずにこやかに、一番皮膚が柔らかい耳の裏に注射を打つ。


 すると突然カタリナの体はガタガタと震え出し、今までにないほどの苦しみでもがき始めた。


「うがァァアっアッあぁああっ!!」


 その凄まじい声に何事かと使用人たちが集まってくる。

 カタリナは裂けた口からだらだらと涎を垂らし、ベッドから起き上がった。


 ギラギラと瞳が妖しく光って、やってきた者たちを見渡していく。


 歪曲した体からだらりと伸びた腕が突然目にもとまらぬ早さで鞭のようにしなると、その先の鋭い爪が集まる使用人たちを薙ぎ倒していった。


「キャァアアアアア!!」 


 悲鳴が起こる。


「カタリナ様が、カタリナ様が!」

「本物の化け物になってしまわれた!」


 それはまさに阿鼻叫喚であった。

 逃げ惑う使用人たち。


 薙ぎ払われ巻き込まれて、尻餅をついたヨセフが、カタリナを見上げている。

 その顔はいつもの優しいそれではなく、すっかり怯えているような。


(嗚呼! 嗚呼っ……!!)


 カタリナは頭を掻き毟りながら抵抗するように唸り、呻いて、体を揺さぶった。

 そうして彼を傷付ける前に、意識が全て怪物と成り果てる前に。

 カタリナは理性を振り絞って反転し、窓を突き破って古城から飛び出していく。

 そして森の奥、更に奥深くへと逃げていくのだった。



 それから半年ほどして。

 森のそばの街道を通る者たちの間で怪物の噂が立つようになっていた。


 腕自慢や立身出世を目論むものが我こそはと手柄を立てようとして、怪物を求めて森の奥に分け入っていく。


 カタリナは彼らに見つからないようにただひたすらに逃げ回っていた。


 しかしとうとうひとりの若い騎士見習いに見つかってしまったのだ。


「いた、怪物め……!」


 若い騎士見習いは得物の斧を振り回してカタリナを追いかけ回す。

 しつこくしつこく追い詰められて、騎士見習いの斧がカタリナの足を掠めるに至って。


「どうして放っておいてくれないのよ……!」


 カタリナは叫んだ。


 その声は、おぞましい怪物の咆哮として人の耳には届く。

 騎士見習いは立ち竦み、青ざめて、混乱したように無我夢中で斧を振りかぶってきたのだった。


(どうして! どうして!!)


 とうとう窮地を脱するため、カタリナは豪腕を振るう。それが彼を強かに打ちのめし、騎士見習いは昏倒した。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 カタリナはぐるぐると唸り声を上げながら、更に森の奥を目指して逃げていった。


 騎士見習いの青年は、近くを通った樵によって助けられ、カタリナの父母の屋敷に運び込まれた。

 治療され、目を覚ました騎士見習いは言った。


「とてつもなくおぞましい姿で、恐ろしく凶暴な化け物だったのです!」


 その夜、ヨセフが言った。


「こうなってしまってはもう見て見ぬ振りはできません。討伐隊を組みましょう」

「そんな!」


 ヨセフの言葉にカタリナの父母は反発した。しかしヨセフが尚も言い募る。


「それが、彼女のためでもあります。人の心を失い、本当の化け物になる前に、神御許に送ってあげるのが、せめてもの…」


 そう言ってヨセフは顔を伏せ、涙ぐむ。


「僕だって嫌です、本当なら助けてあげたかった!」


 これまでずっと献身的にカタリナに尽くしてくれたヨセフの、心からの慟哭に、両親はこれ以上強く反対はできなかった。


 それから数日して、ヨセフが手配した討伐隊が組織された。


 彼らによる大規模な森の捜索が行われる。


「こんなのおかしいです、これじゃ姉はますます追い詰められるだけじゃないですか!」


 クールなたちのエメリスが、断固として抗議に来たが、ヨセフも誰もとりあわなかった。 


 エメリスは、なぜ自分抜きでこんな大事なことを決めたのかと両親にも詰め寄ったが、ただ力なく項垂れるふたりを前に何も言えなくなってしまったのだった。

 

 大々的な森の捜索により、カタリナは更に追い詰められていくことになった。


(どうして。誰も傷付けたくなんてないのに! どうして放っておいてくれないの。こちらから手を出したことなんてないのに…)


 どこに行こうとしても物騒な武器を持った物々しい風情の男達が居て、カタリナは森から逃げることすらできなくなっていた。


 水を飲みにやってきた湖で、水面に映る自分の姿を見て、カタリナは呻く。


 嗚呼、なんと醜くおぞましい姿か。


(いっそ潔く死んでしまおうか。その方が……)


「居たぞ! 怪物だ!!」


 そう思ったところで、突然上がる声にカタリナはびくりとした。

 ギラギラときらめく恐ろしい槍や剣や斧を持つ討伐隊の姿に、いっそ潔くと思ったことも忘れて恐れおののいた。


(いやだっ、あんなの怖い……!) 


 カタリナは慌ててまた逃げ出した。

 結局死ぬことを選ぶこともできず、ひたすらに森の奥へ奥へと。


 

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