一幕 一場
街は静かである。馬車の走る音も、物乞いの哀れっぽい声もしなかった。雪だけが通りを舞い、辺りを白く化粧した。
幸福な光を灯した家々が軒を連ねて、孤独な彼を見下ろした。
彼の燃えるような怒りも季節を変えることは出来なかった。やがて熱は冷め、風が彼の体を凍えさせた。歩みはだんだんと重くなり、ついに彼は疲労感に襲われて立ち止まった。
どこでもいいから横になりたかった。
ふと顔を上げると、廃屋の前に立っていた。十数年前に閉鎖された劇場である。彼は誘われるようにその中へ足を踏み入れた。
冷たく乾燥した廃屋は、棺の中のように暗かった。彼はマッチを擦った。火は心もとなく揺れ、束の間彼の口元を照らした。灯が消えてしまうと、彼は無気力に辺りを見渡した。捨て置かれた屋内には埃と隙間風とが、色褪せ、破れた垂れ幕の間で遊んでいるだけだった。彼の助けになるものは何もない。
だが、彼には充分だった。そこは寒さから守ってくれはしなかったが、安らぎを与えてくれた。そこに眠る忘れられたものたちは彼の心を慰めた。
しばらくして、彼は冷え切った体を舞台の上に横たえた。そこが、一番眠りに最適な場所だと思えたからだ。再びマッチを擦り、しなやかに揺れる炎を見つめながら、彼は物思いに耽った。彼は様々なものを失ったが、苦悩と思索することだけは常に失うことはなかった。
それは彼の誇りであり、厄介な病でもあった。
笑い声が、彼を悪夢から引き戻した。
いつの間にか、劇場の中は明るくなっていた。三人の見知らぬ人々が、椅子の取っ払われたがらんどうの観客席の中央で、彼らが熾したであろう火の周りを囲み暖まっていた。何がおかしいのか、娘はしきりに笑い、老人は時折膝を叩いて大声を出した。賑やかなものである。
彼は堪らず言った。
「此処には俺が先にいたんです。よそでやってくれませんか」
「お前さんの許可が必要だとでもいうのか」
小汚い服の老人が眉を吊り上げて聞き返す。
それに続いて、隣にいた青年が火を見つめたまま穏やかに言う。
「そんなもの我々には必要のないものですよ。火を焚くのも笑うのも、人の自由じゃございませんか」
横顔の端正な青い目の若者である。落ち着いた物言いに彼は余計に憤慨した。
「あんたらはいつもそうだ。そうやって好きなだけ騒いで単独者を追い出すんだ。迷惑なんて考えもしない!」
「僕がいつあなたを追い出そうとしましたか?あなたが此処にいるのもあなたの自由です」
「いくら自由があってもあんたらがそう賑やかになっているんじゃ、俺はおちおち休んでいられませんよ。出て行けと言っているようなもんだ」
すると青年は気遣わしげに、それでも彼に顔を向けずに、静かに言った。
「それでは、もっと静かにすることにしますよ。僕らはあなたを追い出したいわけじゃないんでね」




