2-7
ルシフェルは、デスクに肘をつき、彼女の残した台詞について考えてみたかった。
『理解不能』
それが解であるとすれば、理解できたときにはそれは『愛』ではないということになるまいか。――ならどうすればいいのか……。
思考は同じところをぐるぐる周る。
と、窓の外でまたガサガサと音がし始めた。
気分を変えるためもあって彼は、ため息をついて立ち上がる。
ヴォールト天井の回廊から手入れのされていない庭に出て、荒れかけた庭を歩く。
部下に剪定を頼む時期だったか、あるいは、気の利く手の空いた部下が――?
考えながら執務室の外に回ると、茂みの前にあったのは、胴にエプロンの紐をぐるぐる巻きにし、どこから持ってきたのか――脚立の一番上に立って、バラの茂みに手を伸ばしている小さな背中だった。
「そこで何をしている――?」
いきなり声をかけられて驚いた彼女は、大きく背中を震わせると同時に振向きざま、バランスを崩した。
「わっ――」
そのまま倒れこむと、運悪くバラの茂みの中だ。
そう考えるよりも先に体が反応していた。
どうしてそういう行動をとったのか、自分でもわからない。
「――っつ……」
気がつくと、ルシフェルはミュウを腕の中に抱いて、代わりに自分が背中からバラの茂みに倒れこんでいた。
腕の中のミュウは、固く目を瞑っている。
「大丈夫か?」
この子に声をかけるのは、長老のところからつれてかえってきていらいか。
怖がらせないように、出来るだけ優しく声をかける。
「るるるるるしふぇるさまっ!」
そっと目を開けたミュウが驚いて声をあげた。
怪我がなさそうなミュウの様子に、ルシフェルはすこしほっとする。
目が合うと、ミュウが笑った。
ルシフェルは自分の頬が引きつるのを感じる。笑い返すべきなのか、叱るべきなのか、わからない。
しかし、笑えるのだからミュウに怪我はなさそうだ。
ルシフェルが立ち上がろうと体を少し動かしたところで、彼に体を預けたままミュウが再び目を閉じた。
「……おいっ?! 大丈夫か?」
慌ててルシフェルはミュウを抱いたまま体を起こす。
ちょこんと腹の上に乗ったまま、ミュウは今度は不思議そうに目を開く。
「はい。大丈夫です」
「なら……いいが――」
とはいえ、なぜかミュウはルシフェルの上から動こうとしない。
「なぜ、動かない?」
ミュウは頬をぺたりとルシフェルの肩に押しつけた。
「こうしていると、気持ちがいいからです」
そんな事を面と向かって言われたのは初めてで、心の奥が少しくすぐったい。
とりあえず試した天士達は、彼のエネルギーを貪欲に求め受け取るだけで、それがどんなふうに感じるのか教えてくれた事などなかった。
「俺のエネルギーは、強すぎやしないか?」
「いいえ――」
「なら、いい」
相手が子どもだから、無意識にセーブしているのかもしれない。
そんな事をかんがえていると、ミュウが嬉しそうに言葉を続けた。
「――まるで柔らかい、雨のようです」
そう言う彼女の言葉と一緒に、細やかなミストのようなエネルギーが降ってくる。
ルシフェルは柔らかい布にふわりと包まれたような感覚に襲われた。
こんな子どもからエネルギーを奪っても良いのだろうかと、思いつつ、それよりも不思議なのは、こんな小さな子どもから、自分が素直にエネルギーを受け取っていて、そして、それが気持ち良いとさえ感じている事だ。
――俺に必要なのは『子どもに対する愛』だった、とか? ……いや、まさか……
こんな事で混乱する自分がおかしい。気がつくとルシフェルは声を出して笑っていた。
「……るしふぇる、さま?」
いつもと違う様子のルシフェルに、ミュウが躊躇いながら上目遣いで声をかける。
「俺も、大丈夫だ。――どこも怪我していないなら、立ち上がってくれないか?」
他人には見せない自分を見せてしまったことに、自分自身動揺したが、相手はまだ子供だ。
その事実が彼の心を無防備にさせる。
ミュウの背中を支えて立ち上がらせてから、さて自分も――と思ったとき、謝罪の言葉とともに差し出された小さな手。
ルシフェルは、彼女の手を無駄にすることなく、一方で彼女に負担をかけないように気をつけて立ち上がった。
心の奥から込み上げてくる不思議な気持ちが笑いとなって溢れ出る。
「どういうことか、ゆっくり部屋で聞こう」
状況を説明しようとしている彼女を自然に笑みで制していた。
この小さな子供に『理解不能』というキーワードの手がかりがあるなどと本気で思わないが――なにより、この少女と話していると、心の中がふわりと軽くなる。それが、彼にはなんとも心地良く、もう少しこの感覚に浸っていたいと感じるのだった。