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「ここは?」
「アカデミアの、訓練室よ」
ラファエルの肩越しに、真っ直ぐ伸びる廊下の両脇に小さなドアがいくつも並んでいるのが見える。
ラファエルは、ざっと視線を走らせて使用中ランプの点いていない部屋の扉を確認し、ルシフェルにそこに入るよう促した。
入ってすぐのところは、操作室になっているようで、正面の壁には大きな液晶壁が、その下部にたくさんのボタンやレバーが並んでいる操作盤が壁一面に設えてある。
「ここで、戦闘のシミュレーションができるの。たまには、こういうのもいいでしょ?」
にっこり笑ってそう言ったラファエルは、操作盤のスイッチをオンにした。
今のルシフェルには、すれ違う天士になにかと因縁をつけて喧嘩を売るような危うさがある。今はまだ大した被害は出ていないが、そのうち暴力による被害者も出る――そんな気が、ラファエルはしていた。
「なんか、いろいろ溜まってるんでしょ。せっかくだから、ここで晴らしていきなさいよ」
彼の言う通り、長老に『愛』などと馬鹿げた問題を突き付けられてからこっち、どうやっても求める物は手に入らず、反対に失望と焦りがかなり積もっているのは自覚している。だから、この問題について考える暇さえない――無心になれる時間が欲しかったのも事実で――ラファエルのこの申し出はルシフェルにとってありがたかった。
ルシフェルは、上着を脱ぎ、コントロールルームの椅子の背に無造作にかけた。そして、手早くパネルを操作して、シミュレーターの設定を行う。
「初めてなのに、よく操作がわかるわね」
「こういうのは、得意分野だからな」
『愛』もこれくらい判り易ければ良いのに――
半ば自嘲しながらも、シミュレーターの設定が終わると、ルシフェルはラファエルをそこに残し、奥へと通じる扉を開けてシミュレーションルームへ入った。
残されたラファエルは、椅子の背に掛けてあった上着をきちんとハンガーに掛けてから椅子に膝を組んで腰掛け、それから大きな液晶壁に目を向ける。それで中のルシフェルの様子が確認できるというわけだ。
シミュレーターといっても、実体を持った敵が次々と現れるので、内容は実戦とさほど変わりない。気を抜くともちろん攻撃を受けるし、怪我もする。ただ実戦と違うのは、シミュレーターなので致命傷を与えないように設定されているという点だけだ。
カウントダウンが終わって、モンスターが出現し始めたとたん、ラファエルは、次々と敵を打ち倒していく彼の動きに目を離せなくなった。しかも、ただ軽々と倒しているのではない、一瞬で敵の急所を見抜き、一撃で外さずに仕留めている。
その圧倒的な強さに、ラファエルはモニター右上に表示されているレベルを改めて確認する。
設定されたレベルは――最高レベルではないものの、そのひとつ下だ。
「さすが――」
新世界の創世直後は魔界からの進入を試みる魔物の防御のためによく魔界へ赴いたものた。
久しぶりに目にするルシフェルの戦い様は無駄な動きなどなく、あの頃と全く遜色なく――息を飲むほど美しい。
軽く一ラウンド終えたルシフェルがコントロールルームに戻ってくると、ラファエルはさらに驚いた。あれだけの動きをしていたはずなのに、息一つ乱れていない。
「素敵――」
少し乱れた前髪をかき上げながらルシフェルはラファエルを一瞥し、「素敵だ? ……どこに目をつけている。一匹急所を外したのに」と忌々しく吐き捨てる。
そんな苛つくルシフェルに、小さくため息を吐き、「――でも、残念なのは、優雅さがないことね」と言葉を足した。
「……優雅さは、戦闘には関係なかろう?」
「あら、アタシの中では最優先事項よ。……なんだか自棄になってる感じだけど? ――らしくないわね」
言い当てられルシフェルは、返す言葉もない。
「もう一ラウンド、どう?」
「そうだな。次はもう少し本気で――」
彼が、難易度を最高に切り替えるのを横目にラファエルは、「……ひとりじゃつまんなくない? ミカエルでも呼びましょうよ」と楽しそうに提案した。
その裏には、自分好みの男が二人、戦闘に汗を流すところを見たいだけなのだということが、透けて見える。
「あいつが来るといろいろ面倒だ」
ルシフェルが無碍に断ったちょうどそのとき、後ろのドアが開いて、「――誰が、面倒だって?」と尖った声を浴びせたのは――
「あら、ミカエル、早かったのね」
ラファエルは嬉しそうに振り返った。
あまりの手際のよさに、半ば呆れてルシフェルがラファエルに文句ともつかない視線を投げる。
「こんな機会めったにないもの――」
ルシフェルの機嫌の悪さなど意に介さず、ラファエルが上機嫌で答えた。
この状態の彼には何を言っても無駄だ。
ルシフェルは、仏頂面のままミカエルに視線を向ける。
「たまには、こういう勝負も良いだろう?」
すでにミカエルは、着ていた上着を脱ぎ、部屋の隅にあるハンガーに丁寧にそれを掛けていた。
「勝負? 俺には不要だが――」
「逃げるなよ。――先般の部下の件もあるしな」
冷たい視線を感じたミカエルは、ルシフェルを先に制す。
「誰が。こんな勝負、俺の勝ちに決まってるだろ――」
ミカエルは、にやりと嗤ってコントロールパネルに向かい、操作を始める。レベルはもちろん最高。一人モードからチームモードに変更して人数は二名で設定し直す。
チームモードは、実戦におけるペアやチームでの戦闘を考えられてのモードで、誰がどのくらいの敵を倒したか、味方の邪魔をしなかったかなどの総合的な得点が、各人ごとに計算されるモードだ。加えて、そのチームとしてのスコアもはじき出され、実際に組んだときの相性などの分析にも役立つ。
二人がシミュレーションルームに消え、静かになったコントロールルームで、ラファエルは椅子に座ってモニターを見守った。
カウントダウンが始まり、中の二人の集中力が高まっているのがスクリーンを通しても伝わってくるようだ。
先程とは、スピードもレベルも桁違いの敵が次々と二人に襲いかかるが、二人は魔物以上のスピードで、敵の攻撃をかわしざまにカウンターで急所を狙い、一撃で倒していく。
スペースに限りのある狭い部屋の中で二人が同時にシミュレートを行うということは、敵だけでなく味方の動きをも読む必要がある。
そうなると動きも鈍りそうなものだが、敵も味方も計算しながら戦う彼らは、――先程のルシフェル一人の時と比べても――むしろ、お互いに相手の動きをサポートしあっているかのように、効率良く見えた。
モニターを見つめるラファエルは眩しそうに目を細めた。