9「変な夢見たな。」
樹々の茂る小道から大きな道に出たところで、高瀬さんと出くわした。
「おお、柊くん。川行ってきたの?」
普段よりくだけた感じで、柊に話しかけた。そして後ろにいた私に気がつくと
「こんにちは。今日はさつきさんもご一緒ですか。」
と私に向かって、ニッと笑った。味のあるイケメンだのと噂していたのを思い出して、なんだかドギマギしてしまった。
「こ、こんにちは。」
それから柊と高瀬さんが楽しそうにおしゃべりする後ろを、少し間をあけてついて歩いた。しばらく歩くと、急に柊が振り返った。
「さっちゃん、今日の夜、高瀬さん呼んでうちの庭でバーベキューしていいでしょ?」
別にいいけど、高瀬さんをご飯に誘ってもいいもんなんだろうか。役割的にルールとかありそうだけど。
「もちろんいいけど、高瀬さんは大丈夫なんですか?」
「大丈夫です、特に予定はありませんから。」
高瀬さんは爽やかに答えた。
「いや、それもそうなんですけど、職業的な規則とかそういうのは。」
そう言うと、高瀬さんは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに理解したらしく笑って言った。
「そういった規則はありませんよ、各自任させれていますから。ご心配なく。」
家の近くまで来ると、時間の約束をして別れた。別れ際に高瀬さんが言った。
「そうだ。いいお肉調達していきますね。すみれさんと約束しちゃったし。」
俄然、バーベキューが待ち遠しくなった。
夜よ、早く来い。
家に戻ると、母とすみれちゃんに今日の夜の約束のことを報告した。いい肉と聞いて、二人ともウェルカムな様子だ。我が家の敷居はわりと低い。母は「浅漬けでも作っておこう」といそいそと動き始めた。多分浅漬けの他にも何品かの惣菜が並ぶことになるだろう。もてなすのが好きな母は腕をふるいたくてウズウズしているに違いない。
私はよく冷えた麦茶をコップに汲んできて一気に飲み干すと、畳に仰向けになった。縁側から気持ちのいい風が入ってきて顔の上を抜けていった。水泳のあと特有の身体のだるさと心地よい疲れが眠気を誘う。着替えてシャワー浴びたいのになあ。ああ、もう動けないな。意識がぐうと畳に引っ張られるのを感じる。
「気持ち良さそうね。」
そう言うすみれちゃんの声を聞いたような気がした。
夢を見た。
少し若い頃の父と今の年齢の私が一緒にスイカを食べている夢だった。夢の中の私は、父がもうこの世にいないことを知っていた。みんな出払っていて父と二人きり。久しぶりに二人で並んで座り、大皿に盛った真っ赤なスイカを食べていた。これは甘いね、今年は暑いからな、などとポツポツ話しながら、スイカにかぶりついていた。父は、私が食べ終わった後のスイカの皮を見て感心したように言った。
「さつきは昔から綺麗に食べるなあ。俺も見習わなきゃな。」
そう言って少し笑った。その憂いを帯びたなんともいえない笑い顔を見て、私はハッとした。
そうか。父も知っているんだな、もう自分が死んでしまったことを。
私は、自分がそれに気づいたことを父に知られたくなくて、明るい声を出して言った。
「お父さん、まだ赤いとこ残ってるじゃん。もったいないよ。」
そう言うと、父は笑みを含んだ声で答えた。
「ほんとだな。」
鼻の奥がツンとして、もう父の顔は見られなかった。
目を開けると、あたりは薄暗くなっていて部屋には冷房が効いていた。お腹にかかっていた薄いタオルケットで顔を拭った。スイカの汁がまだ顔についているような気がしたのだ。
「変な夢見たな。」
とわざわざ声に出して言うと、ほんの少しだけマシな気分になった。台所から人の立ち働く音がして、出汁のいい香りが漂っていた。のそのそ起き上がって様子を見に行く。台所に入ると、オレンジ色の明かりの中で母が振り返った。
「起きた?今起こそうと思ってたのよ。よく寝てたわね。」
「うん、柊と川に遊びに行ったからね。」
とボソボソと答えた。
「あんたは、昔からちっとも変わらないわねぇ。」
と母は後ろ姿で笑った。ぼーっと突っ立って眺めていたら、そんなに暇なら手伝ってちょうだい、という母の声が飛んできた。シャワー浴びてからね、と言い残し浴室に退散した。ラベンダーの香りがするシャンプーで髪の毛を洗い、緑色の石鹸を泡立てて顔と身体をブクブクと洗った。夏に熱いシャワーを浴びると、案外自分の身体が冷えていたことに気がつく。
お風呂から上がると着る服を選んだ。藤色のワンピースに柔らかい生地のクリーム色のレギンスを合わせた。ワンピースは裾と胸元に花の刺繍が入っていて、ふわっとした素材のエスニック風だった。これなら家族以外の前に出てもとりあえず大丈夫だろう。それに何より、お腹が隠れるワンピースは諸々気にせず、お腹いっぱい食べられる。そう思った途端、温泉に入った後のように猛烈にお腹が空いてきた。