7「うーん。……底知れない人。」
これといって何もやることがないので、柊を誘って、川に遊びに行くことにした。こんなのいつ振りだろう。
柊はバケツとモリを持ち、私は梅ジュースを入れた水筒と二人分のタオルを持った。先を歩く柊の背中を眺めながら歩く。大きくなったなぁと思う。高校生になった柊は、もう背も私より二十センチは高い。会うたびにどんどん大きくなってゴツゴツしてきて、なんだか不思議な感じがする。あんなに小さかったのに。でも私の知っている小さかった柊は、まだかろうじてここに残って居る。少なくとも、誘えばこうして一緒に遊びに出かけてくれるのだから。
咲き始めたひまわりを眺めながらしばらく歩いていくと、樹々が鬱蒼と茂ったあたりに小道が現れた。
「こっちに行くと川。」
柊が振り返って言った。
「よく分かったね。自分で発見したの?」
感心して言うと、柊は首を振った。
「この前、高瀬さんに教えてもらったんだ。」
「高瀬さん?いつ聞いたの?」
「ぷらぷらしてると、たまに会うんだよね。それで色々話すようになったの。俺、最近高瀬さんと結構仲良いんだよ。」
ちょっと意外である。高瀬さんと仲良くする柊も、柊と仲良くする高瀬さんも。
「へえ。高瀬さんってどんな人?」
「うーん。……底知れない人。」
底知れない人。それってどういうことだろう。油断できないとか、信用できないとかそういうことだろうか?黙り込んだ私を見て、柊が慌てて付け足した。
「あ、いい人だよ。色々教えてくれるし、話も面白いし。でも、なんていうか只者ではないって感じ。」
「まぁ、そりゃそうだろうね。こんなパラレルワールドみたいなところで働いてるんだからさ。普通の人なら勤まんないんじゃない?」
「まあね。あと味のあるイケメンだしね。」
そう言われて高瀬さんを思い浮かべてみる。高い背。うねうねした長めの髪。横に長い目。笑うとできる頬の皺。大きな口。
「確かに。あれは、味のあるイケメンだね。」
「でしょ?普通のイケメンと味のあるイケメンでは、なんとなく味のあるイケメンの方が、底知れない感じがするよね。なんだろうね、あれ。」
「うーん。普通のイケメンが、色々経ていい具合に成長すると、味のあるイケメンになるからじゃない?」
我ながら薄らぼんやりとした回答だなと思ったが、柊はなるほどとうなづいた。
「幼くして味のあるイケメンってのは、あんまり見ないよね。」
「まぁね。イケメンってのも人それぞれ定義が違うから曖昧だよね、なんとも。言われた方もめんどくさいだろうね。勝手にイケメンだなんて言われちゃうとさ。私にはわかんないけど。」
私がそう言うと、柊は振り返りながらちょっと言いにくそうな顔をしていたが、結局口を開いた。
「さっちゃんにだからいうんだけどさ。最近俺、イケメンだって結構言われるんだよね。でも言われたところで、どうしようもないっていうか。はぁどうも、みたいな感じ。勉強ができるとか足が早いとかなら、数値化できるし分かり易いんだけど。顔だけ見てイケメンって言われても、褒められてるんだかなんなんだか。ちょっとバカにされてる気さえするし。言われるたびにモヤモヤするんだけど。こんなこと人に言ってもさあ、勘違いされるだけじゃんね。」
確かに柊は、父に似て整った顔をしている。すみれちゃんもどちらかといえば父似で、くっきりとした美人だ。私はといえば、父と母がきっちりミックスされていた。他の二人のきょうだいに比べると、母の柔和な要素が入っているせいで、とっつきやすい顔に仕上がっている。見栄えだけに頼らない柊を好ましくも思うが、もう少し能天気に構えればいいのにとも思った。まだ調子に乗ってもいい年頃なんだから。
「真面目だねえ、柊は。すみれちゃん見てごらんよ。あの顔に生まれてラッキー、くらいにしか思ってないよ多分。利用できるならしてやれって感じで。それに人の気持ちを勝手に深読みして深刻ぶるのは、あんまり格好良くよくないと思うけど。みんな好き勝手言うんだからさ。」
「……そう言われればそうかも。俺も、さっちゃんに高瀬さんのこと説明するときに、イケメンだって言っちゃったしな。案外みんな何も考えずに使っちゃう言葉なのかも。俺も気をつけよう。」
柊を見ていると、日々成長だなぁと思わずにいられない。きっと今の私を見てもそう感じる人がいるのかも知れない。
そんな話をしながら樹々のトンネルを抜けると、河原に出た。木陰に荷物を置くと水着の上に着ていたTシャツとショートパンツを脱いだ。一応準備体操めいたものをして、川に足からそろそろと入った。最後に川に入ったのは、何年前だろう。水着を着るのも高校以来なのだから。東京に出て何度か海に誘われたけれど、色々と理由をつけて断ってきた。あの欲望がザワザワして、それなのにキラキラしている感じがなんとも苦手だった。足で感じる川の水は程よく冷たい。汗でベタついていた私は我慢できずに、一気に頭まで潜った。柊が少し離れたところで、飛び込んだ音がした。ゴボゴボと言う音がして懐かしいなあと思う。二人とも無言で、それぞれ好き勝手にバシャバシャと泳いだ。柊は何度か高い岩から飛び込んでいた。見かけによらずスリルが好きなのだ、昔から。
しばらくすると、柊がモリで魚を捕ると声をかけてきた。わかったと返事をして、川の流れに逆らうのにも疲れた私は、死体ごっこをすることにした。死体とは穏やかでないが、これは私たちきょうだいの中で流行っていた遊びだった。ただ川を流れていくだけなのだが、独自のルールのもと、監視役と死体役を交代しながら遊ぶのだ。まずはスタート地点とゴール地点を決める。死体役は、仰向けになりお腹の上で手を組んで、無表情で流されていかなくてはいけない。どんなに楽しくてもだ。監視役は、表情のチェックと人にぶつかりそうになったら、大声で「ストップ!」と声をかけなくてはいけない。この単純なゲームをひたすら繰り返すのだ。私は一回でも多く死体役がやりたかったし、すみれちゃんは監視役が好きだった。でもきちんとルール通りに交代で遊ぶのだ。ルールがあるから楽しい、ということを幼い私たちは知っていた。一度、私が調子に乗ってうつ伏せで流れていったことで、すみれちゃんと大喧嘩したことがあった。死体なんだからうつ伏せで流れることもあるというのが私の主張で、表情も見れないしそんなのフェアじゃないというのがすみれちゃんの主張だった。烈火のごとく怒ったすみれちゃんに、なにもそんなに怒らなくてもと思った覚えがある。すみれちゃんは遊びも全力なのだった。
今日は監視役もいないので、一人でやるしかない。一人だけども気を抜かず、無表情のまま流れた。もちろん仰向けで。
目の前には、青い空と、白い雲と、樹々の緑が、映画のエンドロールのように滑らかに流れていく。時折、枝で休む鳥や並走する虫や紅い実のアクセントがある。久しぶりの感覚に頬が緩みそうになったが、なんとかこらえた。どこまででもいけそうだったが、そのうちだんだん不安になってきたので、手で水をかき立ち上がった。
上流に目を向けると、ずいぶん遠くに鮎捕りをしている柊が見えた。