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さよなら、桐山家。  作者: さの梅子
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6「落ちた!」

 夏が来た。

庭の紫陽花は、朝顔に取って代わられ、日々蔓をぐんぐん伸ばしている。青空にはくっきりとした雲が浮かぶようになった。季節の中では夏が一番苦手。そう思ったのは、高校を卒業してからだった気がする。小さかった私はどうだっただろうか。季節に苦手も何もなかったような気がするが。川遊びをして、そうめんを食べて、スイカを食べて、花火をして、お祭りがあって。そんなところだろうか。特別なことはなくても、存分に夏を楽しんでいたのだろう。

我が家は、父が自営業、母は看護師だったのでお盆休みなんてものはなかった。ドラマで見るサラリーマン家庭にように、毎年毎年、旅行に出かけるなんて夢の話だった。それが普通だったので、「どっか連れてってよー。」なんて駄々をこねたこともなかったように思う。両親が忙しいのは、見ていればわかるからだ。それでも町内会主催のお祭りやキャンプがあったので、退屈はしなかった。たまに両親が揃って休めた日には、私たちは川遊びに連れて行ってもらえた。夏の川は、冷たくてスベスベして気持ちがいい。(一度だけ海で泳いでみたが、砂と塩水でベタベタになり辟易した。)

川に行く時は、前日の夜に父が作業車を空にして座席を倒し、バーベキューの道具やモリやゴザなどを積み込んだ。空いたスペースに毛布を敷いて子供達が座るスペースを作ってくれた。当日は、朝からはしゃぎすぎて一回は父の雷が落ちるのだが、この時ばかりはきょうだい同士で慰め合った。父が本格的に機嫌を損ねて、「もうヤメだ。」と言いださないように細心の注意を払うのだ。

父の号令で車に乗り込み母が来るのを待つのだが、母はなかなか玄関から出てこず、やきもきした。大抵、二回は呼びに行かされるのだ。女というものはなぜ準備に時間がかかるのだ、と子供ながらにいっぱしの顔をしてきょうだいで言い合った。嫌な子供達である。

父がイライラの頂点に達した頃に、母が乗り込みやっと出発である。車内には父が好んで聴いたジャズが流れ、私たちは父が作ってくれたスペースでお菓子を食べたり、本を読んだり、ひたすら喋り続けたりする。ちなみに本を読むのは私(車に酔わないのは数少ない私の特技なのだ)で、おしゃべりするのはすみれちゃんだ。柊は、窓の外を見たり何やらわけのわからない歌を歌ったりしていた。山道に入ると、父が「揺れるぞ。つかまれよー。」と言い、道に沿って車体が大きく揺れる。私たちきょうだいはわざと反動をつけてゴロゴロと転がりスリルを楽しんだ。まるで気が狂ったように奇声を発しながら。今思えば、父もわざと大きくハンドルを切っていたんじゃないか。まぁ今だったら完全にアウトである。

そうこうしているうちに川に到着する。スイカを冷やす係はすみれちゃんと私。浅瀬に石を重ねた小さな囲いを作り、そこにスイカを入れて冷やした。スイカ好きの私は、誰かにスイカを取られるんじゃないかと、遊びつつも常に目を光らせていた。父は諸々のセッティングを終えると、モリを手に鮎を突きに出掛ける。気が向けば子供達も連れていってくれるのだが、それはひとりづつと決まっていた。なんでひとりづつなの?と聞くと「魚と間違えて他のきょうだいの足を突いたら大ごとだからな。」と父は真剣な顔をして答えた。そんなバカな、と全員がうっすらと思ってはいたが、もちろん誰もそんなことは言わなかった。

しかし大人になってから、自分の足をモリで突いたと言う人に会ったことがあるので、あながち父の心配は見当外れでもなかったのだろう。その知人曰く「動く物体があると思って思いっきり突いたら、なんと自分の足だった」のだそうだ。なんだか悔やんでも悔やみきれない。

 

だいたいにおいて、柊はするりとトラブルを巻き起こすのである。基本的に騒がしくしないので、親たちも上のふたりに気を取られて、その存在を忘れがちである。油断しているがゆえに、気づいた時には突拍子もない状況になっているのが常である。

川で流されるというのはよく聞く事故だが、御多分に洩れず、やっぱり柊は流されるわけである。

あの日、散々泳いで疲れた私とすみれちゃんはゴザの上で母と休憩していた。それまで私たちと遊んでくれていた父は、今度は柊を連れて岩場に向かった。柊があの岩に登りたいと父にねだったのだ。その大きくて平たい岩のすぐ下は川の流れが早くなっている。そこから上手に飛び込んで水の流れに乗ると、まるで自分が魚になったような気分が味わえるのだ。飛び込んだと同時に流れに引っ張られる感覚がたまらない。ただし、小学校高学年くらいのやんちゃな子ら限定の遊びであった。まだ小学校に入る前だった柊は決して飛び込まないという約束で、父にその岩の上に連れて行ってもらった。「あの岩の上から川の流れを見てみたい。」と詠む歌のネタを探す老人のようなことを言い、珍しく駄々をこねた。父は柊を岩の上に乗せ、万が一落ちたら受け止められるように、自分は川に浸かったまま柊と遊んでいた。暇になった私たちは、そろそろスイカが食べたいと母にしつこく訴えた。最初は「お父さんが戻ってくるまで待ちなさい。」と言っていた母も、じゃあお父さんに聞いてみよっかと、言ってくれた。母は立ち上がり、父に声をかけた。

「おとうさーん、すみれたちがスイカ食べたいってえ。」

父が振り返り、何か言おうと口を開いた時だった。それまで大人しく岩にしゃがんでいた柊がおもむろに立ち上がった。

「あっ!」

次の瞬間、柊は宙を舞っていた。

「ひいらぎっ!」

「落ちた!」

いや。落ちたというより、明らかな意思をもって飛び込んだのだ。

ザボン。と飛び込んだ柊に、ものすごい反射神経で父が手を伸ばした。が、虚しくも父の手の数センチ先を柊はスイッと流れて行った。父は柊の名を叫びながら、ザバザバと追いかけるが一向に追いつかない。母が河原を走り、流される柊と並走する。柊はなすすべも無く空を眺めたまま流されていく。一部始終をゴザの上から眺めていた私たちは、あまりの恐怖に固まったまま動けなかった。修羅場である。

その時だ。少し下流にいた若者たちが父の大声に気づき、流れてくる柊をヒョイっとすくい上げてくれたのだ。追いついた父は、呆然としている柊を受け取り、若者たちに何度も頭を下げた。柊を抱えて母を従え戻ってきた父の眉間には、これ以上ないくらいの深い皺が刻まれており、その顔は青ざめていた。母が柊をタオルで包み込んで何か言おうとした時、父が母に向かって怒鳴った。

「お前は息子よりスイカの方が大事なのか!」

少しの沈黙の後、母は「すみません」と小さな声で言った。

父よ、気持ちはわかるがそりゃないんじゃないか。と大きくなった今の私だったら母を庇えたかもしれない。だが、まだ小さかった私は、父の海水パンツの柄(カラフルな外車のプリントだった)をじっと見つめて泣くのをこらえるのが精一杯だった。私とすみれちゃんがその時冷やしていたスイカは、柊を救ってくれた若者たちに引き渡された。大変楽しみにしていたスイカだったが仕方がない。大事な弟の命を救ってくれたのだから。

小さな柊は流されていく時、一体どんな気持ちで空を眺めていたのだろう。


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