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さよなら、桐山家。  作者: さの梅子
3/33

3「ロマンチストだからね、男は。」

 「こんなことあるのかねぇ。私まだ受け止められないんだけど。」

すみれちゃんが剥いてしまったバナナをかじりながら言った。それに、と続けた。

「お父さんもさぁ。普通は一緒に過ごす券の方、選ぶでしょ。なんだってこっち選ぶかね。」

それはおそらくみんなが思っている事だった。しかし母はすでに受け入れたらしく落ち着いた様子で言った。

「まぁお父さんのことだから、何か考えがあったんじゃない?そういう人だもの。」


そうだ。今までだって私達はいつも決定事項のみ知らされてきたのだ。その考えに至ったプロセスや理由などはほぼ知らされることがないし、父の決定が覆ることは皆無に等しかった。もちろん、たまに反旗を翻してみるのだけど、大抵はこちらが泣く羽目になる。(文字通り「泣く」のだ。)

今思えば父は、世の中の悪意あるものや予想外の出来事に傷つけられる私達に耐えられなかったんだろう。それなら先回りしてでも良いように調整してやろう、本気でそう思っていたように思う。そして私達がそんな父に従っていたのは、その気の弱さを、過保護さを、妻なり子供なりに理解していたからかもしれない。

 父は私たちの運動会や発表会を見に来たことがほとんどない。それは自営業であるが故に時間が取れないせいだと思い込んでいた。

中学生くらいの時にふとしたきっかけで母とその話になり意外な事実を知った。そうじゃないの、と母はさも可笑しそうに言った。

「お父さんの心臓がもたないんだって。」

首を傾げる私に母は説明してくれた。すみれちゃんの初めての運動会を張り切って見に行った父は、リレーで走るすみれちゃんを周囲が引くくらいの大声で、身を乗り出し手を叩いて応援した。みんなに見られてすごく恥ずかしかった、と母は言った。そしてその夜、父は寝入る寸前に母にきっぱりと告げたという。

「あんなの毎年見せられたら、俺は心臓がもたない。だからもう見に行けない。」

それ以来、本当に見に来ることはなかったのだと言う。

自分のことみたいにガチガチに緊張しちゃってさ、と母はあははと笑いながら話してくれた。それを聞いた私は中学生ながらに、父の子等への愛情の根っこを見た気がした。同時に、お父さん大人げないよ、とも思ったのだが。

 「もう少しだけ、お父さんに付き合ってあげましょうよ。楽しそうよ。いいじゃないの、長い休暇なんて。」

と母が言った。長年父に鍛えられたおかげで、想定外の展開には滅法強いのだ。そして昔から私たちきょうだいも、楽しむことにベクトルを合わせるのが得意なのだ。

なんにせよ腹が決まると、今度は猛烈にお腹が空いてきた。そう言えば高瀬さんが色々揃えてくれたって言ってたよね、と言う話になりみんなで確認して回った。台所に入るなり懐かしさに目眩がした。オレンジ色の花柄の床に、モスグリーンの冷蔵庫、ステンレスのシンク。テーブルの上の果物が盛ってある籐のカゴ。

「この床、懐かしい!」

私がそう言うと、すみれちゃんが

「ほんと。夏になるとさ、なんかペタペタするんだよね。」

とかすかに眉間にしわを寄せ、それでも懐かしそうに言った。柊と母は冷蔵庫をチェックしながら、でっかいハムが入ってるとか何日かは持つわねとか言い合っている。覗き込むと冷蔵庫にはぎっしり食材が詰まっていた。シンクの下には調理器具と調味料も完備され、台所の外にある大きな戸棚の中には、粉類や乾物やアルコール類がきちんと収納されていた。

「うん、なんとかなるわね。」

母が満足そうに言って食事の支度を始めた。すみれちゃんが手伝うと言ったので、私と柊は家の中を見て回ることにした。

数少ない家族旅行の記憶では、私と柊がその日泊まる宿の部屋をチェックして回る役目だった。何かを発見するたびに父と母と不安顔のすみれちゃんに報告した。「ほう。」とか「それはいいわね。」とか言われると随分誇らしかった覚えがある。

「お父さん、なんで昔の家を選んだんだろうね。せっかくお金かけてリフォームしたのにさ。」

と柊は客間の襖を開けながら言った。

「ロマンチストだからね、男は。」

そう答えると、柊は腑に落ちないような顔をして私を振り返った。ご飯できたよー、とすみれちゃんの声がしたので、居間に戻った。

すでに食卓は整っていた。黄身がピンク色の目玉焼きと焼いたハム、バタートースト、茄子と油揚げのお味噌汁。我が家の朝食はパンであろうとご飯であろうと、必ずお味噌汁が付くのだ。母は、お味噌汁が子供を健やかに育てる一端を担っていると信じてやまない。

 

ご飯を食べ終わると、近所の散策に出てみることにした。柊を誘ったら案の定母も行きたいと言い出した。じゃあ私もとすみれちゃんが言うので、結局四人でゾロゾロと出かけることにした。果たして玄関を出ると見慣れた光景が広がっているはずもなく。四人とも顔を見合わせ「だよね。」と言い合った。目の前には見渡す限りのどかな風景が広がっていた。

「うわーなにこれ。楽しくなってきた!。」

と私が言ったら母が笑った。とにかく歩いてみる。季節は春の終わりで完璧な散歩日和である。

途中、大きな畑があった。誰が管理しているのかわからないけれど、とてもきれいに整備されていた。コンクリートでできた建物や民家らしき建物もあった。小さな山があり、澄んだ小川も流れている。道に沿っていろんな種類の花が咲き乱れていた。

「素敵ね。お花がいっぱい。これ摘んでいってもいいのかしら。今度高瀬さんに聞いてみよう。」

植物が好きな母が興奮気味で言った。母の影響で私も植物は好きな方だ。小さな頃から花の名前をたくさん教えてくれたから。大きくなってからは、私が帰省するたびに、庭に仲間入りした新顔を紹介されるのだ。母は植物好きが高じて、子供の名前も植物で統一した。すみれに、さつきに、柊。お父さんの反対意見は頑として聞き入れなかったらしい。母は「あの頃は私も強気だったわね。」と言って笑った。そんな母の名前は「一生食べることに不自由しないように、一生米にありつけますように。」と願いを込めてつけられたそうで、その名は米子よねこである。

「気持ちはわかるけどさ、なんかがっついた名前よね。現実感がありすぎ。」と母は言った。だから自分の子には、誰かが呼んだらいい気分になるような名前がつけたかったそうだ。意味などなくて軽やかな名前。

そういえば小学生の時に、自分の名前の由来を披露するのが流行ったことがあった。どんな願いが込められているんだろうとワクワクして尋ねたものの、意味などないと言われてなんだか裏切られたような気持ちになった。学校では「うちのお母さん、花が好きだから。」と言うふわっとしたものを由来として乗り切ろうとしたが、女子のまとめ役を自認するユキちゃんが「さつきちゃん、五月生まれでしょ?五月のことさつきっていうんだってママが言ってたもん。」と訳知り顔で参戦してきた。へえ!という他の子達の好感触。一瞬乗っかろうかと思ったが、すんでのところで留まった。どうせバレるのだ。嘘をつくことには昔から慎重だった。

「……いや、九月生まれ。」

ユキちゃん、ごめん。

そしてそんなことはお構いなしに、母は今日も元気に花を愛でている。


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