第四章7話 『大教会』
太陽という光すら落ち込み、本格的な闇が広がる夜。水がまだ滴り落ちる革に、自らの腕を通す。濡れた感触が心地悪い冷たさを与えながらも、鼻を刺す死の悪臭はもう流しきれたようだ。
「ベル、今から行っても……多分ギリギリになる。最小限で動かないと起きてきた市民に見つかって終わるが、それでも行くのか?」
「……噂って言う制限が無ければ一旦止まるけど、噂が広まりやすくて3日――これがある限り、急がないと」
制限時間、と言うより活動日数と考えた方が良いが……私は夜しか動けない。だから、3夜を越える前には逃げる準備まで整わせて、逃走まで踏み切りたい。
「まぁ、無理には止めないが……あのでかい武器は持って行った方が良いと思うぞ」
「重りになるだけじゃ?」
「何とも言えないが、嫌な予感がする。念には念を入れた方が良いだろ?」
「別にそこまで――」
「頼む、これは一種のお願いでもあるんだ……」
嫌な予感という曖昧過ぎる言葉。ただ、やけに言い切るレニーに押し切られ、円月輪を背中に担ぐ。……ただ、それにしても引っかかる。だって、酒場でも言える事なのに、何でこの時に言うのだろうか。
「……これで、背中のこれ使わなかったら、色々と怒るよ?」
「その時は謝るよ。当たり前だ」
心配性が過ぎるレニーに若干違和感を覚えながら、再度地図を見直すと――新しいマークが付けられてあった。
「このマークは?」
「このバツ印は、モーリス=ユージーンが持つ大教会と自宅だ。計4箇所だが、どこに何があるかは不明だ」
「教会3つもいる?」
「そこは本人に聞いてくれよ……」
3つの教会と1つの自宅。教会はそれぞれ中央の城から丁度3つに伸びており、地図で言えば大体綺麗な三角形を作れそうな位置に存在している。ただ、
「……ここは、自宅よね?」
「あぁ。流石に大司祭までの地位がある人間、暗殺なんてされたら困るからな。教皇のいる城の内部にあるのは仕方ない事だ」
自宅は城の少し外れた箇所にあり、自ずと城への侵入を余儀なくされる。と言うより、城が大きすぎる。領土の3分の1ぐらいが城として構成されているのは、色々と面倒くさい。
「とりあえず自宅は最後に回すとして、近場のここから調べるかな」
「まぁ、時間も無いしな。先に言うぞ、響き渡る音が聞こえたら切り上げて全力で戻れ。朝の崇拝っていう街を起こす事をするからな」
音……そして、街が起きる。人が起きるじゃなくて、街が……。ただ、聞いている時間も惜しい。
「分かった。じゃあ――」
「おう、無事を祈ってるぜ?」
防音の膜を通り抜け地図で言う一番の近場、船から左側を真っ直ぐ進めばある大教会の元へ走り出す。でも……レニーは一体、何を隠してるんだろうか。
気持ち穏やかな暴風が服の水分を吹き飛ばしながらも、濡れた足跡を残して飛び回る頃。遠くだが見えるそれは、大教会と呼ぶに相応しい広さを持つ建造物が広がっている。
「……時間、足りるかな」
太陽というサーチライトが無くなり、多少動きやすくはなっているが……それでも、大教会は重要拠点のようで、視線を凝らすと見えてくるのは鎧を着込んだ兵士の影。それを避けながら入るには時間が掛かりそうだ。
「見張りは見た感じ10名。それに――」
大教会へ繋がる大通りを定期的に見回っている、鋼鉄の鎧を全身に着込んだ兵士。そして、魔力の視える私だからこそもう一つの防衛手段が視えてしまう。細い魔力の線が一定の法則に従って動きながら、この教会の周囲を取り囲んでいる。
「効果は不明だけど、まぁ……絶対、侵入を知らせる類のものよね」
こんな魔力の線、普通の風景じゃありえない。なら、何らかの性質と目的があるはず。そして、教会を塞ぐようにしていた目的となるこれは、触れればそこにいると知らせる物である可能性が高い。そうなると、難易度が格段に上がる。
「……とりあえず、道取りを確認したいけど、あの兵士が問題だよねぇ」
無機質な線に対して道を見て走る事は可能だが、それは無茶な体勢を取る物ばかりで――音が出てしまう。そうなると、兵士が現れて捕まる。逆に兵士の隙間を縫ってもこの線が邪魔をする。規則通りの魔力線と無規則の動きな兵士――いや、
「……よく見ると、兵士も……操られてる?」
ぱっと見れば、頭を掻く仕草や歩幅等の特徴で、中身が入っている物だと思った。ただ、しっかり凝視すると、その歩幅が全て一致していたり、仕草や癖が一定間隔――仕草と仕草の間があまりに等間隔過ぎる。もしかすると、あの兵士も……マリオネットの類かもしれない。
「なら、行けるはず」
タイミングが一定なら魔力の線と合わせて、計れる。時間は掛かるだろうけど、見つかるよりマシ……とは思いたくないけど、マシだ。
「――よし、今だ」
そして、計ったタイミングどおりに身体を合わせてすり抜けていく。危険な体勢を含ませながら、線と視線を避けて、教会の壁に手を掛ける。後はここを登って行けば、後は上から入るだけ。そう、思ってしまった、だが――
「――あ」
僅かなズレ、僅かな油断。壁という魔力線が入らない箇所と思ってしまったが故に、片足が僅かに魔力線に触れてしまった。
――不味い、不味い、不味い、不味い。たった1手ミスを犯した結果、全てが水の泡になる焦燥感と捕まるかもしれない不安感が心に募る。狂気の街人、暗殺部隊等の言葉と顔が走馬灯のように一瞬駆け巡った。だが、
「……あれ?」
不思議と音も無く足から通り抜けて行く魔力の線。周りの兵士も無関心のように見回りを続け、線が通る事自体に痛みも伴っていない。周りに侵入を知らせるでも無く、兵士を向かわせる訳でも、この線自体が直接攻撃する類でも無い。一体どういう事だ……。
「まぁ、これで侵入は出来た」
ただ、これはこれで好都合。見つからないなら、そのまま続行するだけだ。
教会の壁。少し出てきた突起物に手をかけ、虫の様に登っていく。足の出力で直接飛び乗る事も可能だが、この大きさだと地面が少し割れる。それは痕跡を残す事へ繋がり、迷惑をかけてしまう。だから、僅かな取っ掛かりに指をかけて登る。
「……取っ掛かりが無いと、登れなくなるけど」
壁の僅かな取っ掛かり。それは上に行けば行くほど無くなり、難易度を上げていく。ただ、ここまで登れば――
「後は、飛べる」
腕と足に力を込め、その力で身体を押し上げる。耐えられなかった切れ目は、小さな石となって地面に落ちていくが、それよりも先に屋根へ身体がたどり着く。そして隠れながら下へ目をやると、石の音で反応した兵士が、真下まで集まってくる。
「――やっぱり、教会も傷は残ってるし……うーん」
真下にいる兵士の騒ぎが落ち着くまでの間、何で家の正面だけ新品なのかを考えていた。
大教会にも、建物の風化した傷は残っていた。そうなると、より深まる懸念。大教会ですら傷があるのに、歴史はあるのに、どうしてあそこだけ……あの場所が変わらない事に意味があるのか?
そんな思いを心に残して、兵士が通常の巡回に戻るまで、待機を続けた。




