第一章1話 『始まりの始まり』
「――っ!?」
――嫌な夢を見た。私が私で無くなっていく、鉄色の夢。
「……もう一回寝るか」
嫌な感覚を振り払うように木陰へ身体を委ね、ボーッと風景を見つめる。
遠くからでも見える賑やかな露店、声は聞こえないが小さな粒程の人は常に大通りを流れていく。街を見下ろせる光景が綺麗に見えるここは、私達の秘密基地。その中で重くなる瞼を……
「――ルー! ベルー!」
……聞きなれた少女の声で瞼を開け、声のする方向へ顔を向ける。
「ベル? いくら良い天気だからって、こんな所でお昼寝はお行儀が悪いわよ?」
私に呼びかけた少女は、風に長い髪を揺らされながら、大きめの荷物を背負って歩いて来た。
灰色の長髪に真っ白の肌、それに見合わない鮮やかな緑の瞳を持った少女は、どこかモノクロのようで儚い雰囲気を持ち……病弱な細身の身体は軽く押せば折れるぐらいの脆さを感じてしまう。
そして寝ぼけている頭を起こしながら、起こされた事に対して若干の文句を交え、声を掛けた姉代わりの少女『リナ=ハインド』の呼びかけに答える。
「別に良いじゃんリナ姉。誰かに見られてる場所じゃ無いんだし」
眠い目を擦りながら身体を起こし、リナ姉と担がれていた荷物を見つめる。空のカゴを持ってわざわざ私の所へ来るという事は多分、来た理由は買い物か。
「ごめんね? 少し仕事が溜まってて、買い物を頼まれて欲しいかな~って。……お願いできる?」
その言葉に少し面倒臭さを感じながらも、姉の頼みをあまり無碍には出来ない。
そう思って荷物であるカゴを受け取り、本来ならリナ姉の隣にいるはずの人物『アリアガット=マクドネル』がいない事を、少し呆れながらも問いかけた。
「……また抜け出したら、アリアさんに怒られるよ?」
今までもリナ姉は何度か泡沫のように消える時があった。
その度にリナ姉を探すが、大体は街の人達からの情報ですぐに見つかって、リナ姉の従者であり実質保護者のアリアさんにこっぴどく叱られるまでがセットだ。
「たまには身体を動かさないと。それに、アリアは心配性だから走ったりすると怒るんだもの」
だけど、一度だけ私が見つけた時がある。私がうたた寝をしていたこの場所、誰も知らないであろう秘密基地で、胸に手を当て苦しそうに息を切らすリナ姉の姿を。
――リナ姉は不治の病に侵されている。
生まれた頃からの物で、千切れた腕がくっ付くぐらい強力な薬でも治らなかった。
リナ姉の父親が色々な国を回り、様々な医者に見せても息苦しさを抑える薬ばかりで何も変化がなく、薬を使い過ぎたせいで髪の色も抜けていく……それでも、治らなかった。
幸いリナ姉が秘密基地で倒れていた時は、アリアさんから持たされた薬を飲ませて事なきを得たが……流石にこんな出来事、二度目は御免だ。
「でも、そうやって抜け出した後に倒れたリナ姉を見つける方の身にもなってよ……」
ベル姉は反省の素振りも無いような顔で微笑み、全く懲りてそうもないリナ姉に少し頭を悩ませていると、遠くから話題の中心だった人物の声が聞こえる。
「リナお嬢様ー! どこでございますかー!」
「ほら、リナ姉。アリアさんが呼んでるよ?」
遠くからでも響く声。私の身体を盾にして隠れるリナ姉をよそに、その手を握って声のする方向へ歩き出す。リナ姉とアリアさんを引き合わせる為に。
憂慮にゆがんだ表情で辺りを見回す女性。私の後ろにいるリナ姉の存在に一転、安堵の表情を見せながらも段々と怒りに似た冷たい雰囲気を大きくさせ、炎のような眼を鋭く尖らせながらこちらに近づいてくる。
「リナお嬢様! あれだけ一人で出かけないで下さいと――」
「少し身体を動かしたくなっただけよ。それよりも、もうお客様はいらしたの?」
飄々とした様子でアリアさんからの説教を軽くあしらうリナ姉。取りつく島もないが、何度もこの押し問答を聞いている私にはもはや日常の一部だ。
その上でリナ姉は溜まっていた仕事の内容を持ちかけ、頭を切り替えようとしている。仕事半分、説教されたくないのが半分の心持ちだろうか。
「はぐらかさないで下さい! 全く……お客様の方は後数十分で到着致します。用件は概ね通達した通りに人探しに――」
諦めにも似た声色でアリアさんもまた仕事へ頭を切り替え、一気に仕事モードへ入った二人を横目に『ナーシサス』の見慣れた街中を歩いていく。
あまり大きい街とは言えないがある程度活気付いた人混み、街の露店。目的の店は丁度この辺りだ。
前を歩く二人から外れるように、私はその中へ歩き出す。少し大きめのカゴを手に――
「疲れた……」
カゴいっぱいの食材を買い込み、人混みに少し疲れたのでちょっとばかりの休憩。
横に目をやると、公園の広間に少し怪しげな人が子供達を集めて紙芝居をしている。子供達は笑顔を見せ、語り手も柔らかな笑顔で側から見たら微笑ましい光景。
語り手の男はこの街では見かけない服装をしており、植物を象った装飾が目立つ。旅商人や冒険者であれば異質な服装が多く、この人もそういった類の人であれば、特に問題も見当たらない。鋭い目つきが光る紫の目も、少し怖そうな印象を持たせるだけで、顔付きも変わった印象は無い。
その上で言葉に言い表せないほんの少しの違和感を感じ、興味本位で紙芝居に目と耳を傾けた。
「――じゃ、次の話するか」
「「「はーい」」」
タイミング良く次の紙芝居をするようで、子供達も警戒心無く、食い入る様に聞き入ろうとしている。前の話がよっぽど良かったのだろうか。その内、語り手は柔らかな物腰で語り出した。
「昔々、ある所に5人の英雄と呼ばれる人達がいました――」
この紙芝居の内容は、5人の『英雄』と呼ばれる人が悪の親玉である『魔神』を打ち倒す冒険譚。紆余曲折はあるが、最終的には『魔神』を倒して平和に終わる、よくあるお話。
生まれる前からある古いお伽話で、私も子供の頃に良く聞かされていた。……だけど、このお伽話を聞くとたまに思ってしまう。5人の『英雄』はこの後どうなるのだろうか、と。
紆余曲折は細部まで描かれているのに、平和に暮らしたの一文もなく、唐突に終わる物語。まるでお伽話の頁が途中で破かれたような感覚、だからこそ気になってしまう。
「――こうして『魔神』が倒されて平和になりました」
聞き入っていたら、あっという間に紙芝居が終わったようだ。子供達も終わったと知り、散り散りになっていく。
語り手の男は親であろう人達と世間話をしており、語り手の時と違う声色で何かを売っている。そうしている内に私の目線に気付いた話し手は、柔らかな笑顔のままこちらに近づいてきた。
「あーもう紙芝居終わったんだけど、お前も聞きに来たのか?」
私の事を見て声色を変え、子供達と話す時と同じような言い回しで話しかけてくる語り手の男。まさかこの男――
「私の事、子供と思ってます?」
「ん? 逆に子供じゃないのか?」
――久々に言われた子供という二文字に、苛々が募る。
「これでも18歳なんですけど? 殴られたい?」
ちょっと身長が低いだけなのに子供と呼ばれるのは嫌だ。私だって大人だし、もっと皆から頼られたいのに、皆私の事を子供扱いして。
……私だって皆の役に立ちたいのに。
「ごめんごめん、悪かったって。だからそんなムスっとした顔するなよ」
私の左右を周り、必死に謝って来る語り手の男。その植物のような装飾から花の匂いを振りまきながら。
その本当に謝る様と、鼻を抜ける良い匂いで冷静になった頭は、男の素性を探る言葉へと変わる。
「そもそも貴方は何者なの」
「ん、俺か? 俺は『ウィリス=フォークナー』。ウィルって呼んでくれ」
ウィルと名乗った語り手の男は、声を掛けた理由について続けた。
「ここに立ち寄ったのもお前に話しかけたのも目的があってな、人を探しているんだ」
「人探し?」
「あぁ。『スヴァン=レシェコニトフ』って奴。性別は男で髪は金色、所々に黒も混じっているけど元々は金だ。身長は俺より低いが、お前よりかは高いぐらい。知らないか?」
いきなり言われても困惑してしまう。一応思い出そうとしたが……私の頭の中には、そんな人物は見当たらない。
「ごめんなさい。全く知らない」
「そうか……」
落胆し、肩を落とすウィル。……ここで見捨てるのも、少し気が引けるし――
「そんなに落ち込むなら、一応他の人にも聞いていく? この街ならリナ姉が詳しいと思うけど」
「聞いてくれるのはありがたいが、リナ姉ってのは誰だ?」
「この街、『ナーシサス』の領主よ」
「領主ってお前、えぇ!?」
リナ姉がこの街の領主である事に驚きを隠せないウィル。……私も最初に聞いた時は同じ反応だったけど。
「って事は姉って言ってる事だし、妹か?」
「違うわよ。血が繋がってるわけじゃないの。でも、リナ姉は私の親友で、大事なお姉ちゃんなの」
込み入った事情をあっさり飲み込んだウィル。色々と聞かれると思ったが、そこまでデリカシーの無い男ってわけでは無かったらしい。
「それで、その『スヴァン=レシェコニトフ』って人についてもっと情報が欲しいんだけど?」
「あぁ、そういえば特徴しか言ってなかったな。お前の言うリナ姉って奴みたいな存在だよ」
その言葉である程度察した。ウィルにとっての親友が、この探し人だって事を。
「もしかしたら話し辛い事を聞くかもしれないけど、どうしてそんな大事な人が行方をくらましたの?」
「……色々あってな、それに多分、もう……」
その一言に胸が痛む……ウィルの言った言葉の先が安易に想像出来るから。
最悪の想定かもしれないし、生きてる事もあるかもしれない。だからこうやって探して回っているのだろうが、ウィルの険しい顔を見ればどれだけ可能性が低いか分かってしまった。
「余計な事を聞いてごめんなさい」
「良いんだ。俺から聞いた事だし気にすんな」
「……そっか。そういえば紙芝居が終わった後、何か売っていたのを見たんだけど、あれは何?」
「あぁ、あれは『スクロール』って言う魔術道具だ。俺の売り物の一つのな」
「え? スクロールって事は、ウィル……貴方『魔術師』?」
こくりと頷くウィル。魔術師という存在は聞いた事があるが、本物は見た事が無い。
『魔術師』は『魔力』という物に手を加えて、様々な現象を起こす存在。そのおかげで街に光が点ったり、火をつけやすくなったりと便利になっていった。
だけど、どうやったら魔術師になれるかは誰も知らない上に、魔術師という人達が圧倒的に少なく、原理も理解不能だ。
実際は存在すら疑う人も多く、私もその一人だ。
「すっごい疑った目で見てるなお前」
「だって、見た事無い空想上の存在を言われて疑わない人はいないでしょ?」
「はぁ、しょうがない。ちょっと見てろ」
そう言うとウィルはしゃがみ、地面に手をかざす。すると掌にぼんやりと緑色の線が現れだし、それが繋がり一つの形となっていく――。
「他の人にバレると面倒くさいから、軽くしかやらねぇからな。良く見てろよ」
掌の線が繋がりきったところで、地面が少し盛りあがり始め、通常ではありえない速度で芽を出し、一輪の花を咲かせる。
「――っと、これ以上は騒ぎになりそうだからここまでな」
それはウィルという男が『魔術師』だという証拠には十分過ぎる物だった。
「……これは、えーっと……すごいわね」
「まぁ初めてこんなの見せられたら、そんな反応になるか」
まさかこんな事が起きるなんて……でも、これが魔術。
こんな未知なる技を持っている人なら、リナ姉の病気も――
「考え込んでいる所悪いけど、お前の持ってる荷物は何処かに届けるんじゃないのか?」
「あ、そういえば――」
つい夢中になり過ぎていた。まぁ急ぎの買い物では無いし、寄り道していても怒られる事は無いだろう。それよりも、
「ちょうどリナ姉に届ける所だし、ウィル、一緒に来ない?」
「俺にとっては願ってもない事なんだが、お前は良いのか?」
「良いの良いの。ついでにこの街を案内してあげる」
……リナ姉の病気を治せるかもしれないチャンスを手放す訳にはいかない。
「じゃあその言葉に甘えさせてもらおうか。おま……えーっと、名前聞いてなかったな」
「私は『ベル=ウェンライト』よ。ベルって呼んで」
「分かった。じゃあベル、行こうか」
「それ私が言うセリフじゃない?」
ウィルと共に、未だ賑わう街中を進む。……まさか普通の買い物が、非日常に出会えるなんて――。