プロローグ 『決意表明』
少し荒い林道に、身体を揺らされ続ける馬車の中。運ぶ荷物を合わせて作った急造の指定席に腰掛ける。
「お客さん! この馬車は荷物用の荒い作りですが、居心地は大丈夫ですかい?」
「ん、大丈夫」
その指定席で膝を抱えながら、思い出したく無い過去の記憶へ後悔を募らせていく。
どうしてこうなってしまったのか。
今までの笑顔は何だったのか。
何で皆、私を信じてくれなかったのか。
私は……私は一体何なのか。
こういった黒い感情が心の中で渦を巻く。
考えても意味が無いと頭が分かっていても、黒い渦はどんどん大きくなり私を蝕んで――。
「――客さん! お客さん!」
馬車の持ち主からの声でふと正気に戻り、顔を上げる。
「お客さんも『冒険者』なんでしょ!? なら目の前の奴を何とかしてくれないか?」
前を見ると『魔物』が林道の中心付近で何かの肉を貪っていた。その残骸から推測するに、たまたま通りかかった村人辺りが襲われたか。
このまま通ろうとすれば魔物に襲われるだろうが、個人的事情であまり戦闘はしたくない。なので――
「回り道とかはあるの?」
一度、交渉の余地を聞いてみる。
「一応あるが、日数が倍掛かるぐらい遠くなるんだ!」
「けど――」
「『冒険者』が乗っているなら対処してもらった方が早いだろ! 報酬は上乗せする!」
「……分かった」
もう何を言っても無理そうだと粘るのを諦め、馬車から降り目の前にいる『魔物』と対面する。
魔物の数は3匹で、その姿は4足歩行の獣。あの魔物自体はこの付近じゃよく見かける物で、対処法さえ間違えなければあまり脅威にはならない。だけど私は――
「まだ『冒険者』登録してないのよね……」
ボソっと独り言をつぶやきながら、音を立てないように少しずつ近づく。
冒険者登録をしなくとも別に魔物を狩って良いのだが、その後が問題になる。
仮にあの馬車の主が、この騒動の報告に嘘を混ぜたとしても、私には反論する身分が無い。その為の冒険者登録ではあるが、それをしていない今の私は立場上賊と変わらない。だから、余計な揉め事を起こしたくなかった。
だけど、まさか馬車に乗る為に付いた『冒険者』という嘘がここで足を引っ張るとは……。
「まぁ嘘をついたからには仕方ない」
一種の開き直りと共にナイフを抜き、あの魔物に気付かれない様少し声を潜め、馬車の主へ告げる。
「貴方はそこで待ってて、人気の無い所までこいつらを誘導する」
言葉と共にナイフを地面にある小石に当て、音を響かせる。
魔物が振り向きこちらを認知した瞬間、自身の左手をナイフで皮膚だけを切った。そして、赤色を滲ませた手を目の前の魔物へ覚え込ませるよう見せつけながら、林の中に飛び込んだ。
この『魔物』は鼻が鋭い変わりに耳と目は弱い。特に目は弱く、少し距離を取れば見失うぐらいだ。そんな目でもこの林を走り回れるのは少し疑問が残るが、それ自体はこの戦闘には必要無い。
問題は血の匂いを覚えてどこまでも追いかけてくる所だ。多分、最初の死体もどこか小さな怪我から襲われた結果なのだろう。それなら、やりようはある――。
近くの木に血の付いた左の掌を叩きつけ、血を付ける。そしてその裏に隠れ魔物を待つ。
「この作戦が裏目に出なきゃ良いんだけど」
するとすぐに真後ろで木の軋む音が聞こえた。
それを合図に、目視せず右手に持ったナイフを軋む音の方向へ振り下ろす。
骨を切る鈍い感覚だけで魔物の首を切断した事を確信するが、私の瞳は2体目の魔物を据えていた。
既に私を噛み殺そうと、鮮血で染まった牙を突き立て飛び込んでる魔物に対し、振り下ろした力のままで躱そうと身体を下に落とし込む。
「――間に合えっ!」
魔物の閉じた牙が頬を掠めたが、魔物の下を取り前方へ倒れ込む身体に反して、振り下ろしたナイフをそのまま上へ切り上げる。私の身体はすぐに地面に触れ、次の攻撃を警戒し即座に立ち上がったが……魔物の追撃はなく、飛び込んだ魔物は下腹部から縦に両断された死体となって転がっていた。
「何とかなった…… 危なかったけど、3匹目は――」
魔物の確認を終える前に左腕へ違和感を覚え、目線を落とすと3匹目が私の左腕に牙を突き立てていた。
「あ――」
左腕の皮膚がズタズタに引き裂かれ、中からは絶対に人間ではありえない、鈍く光を反射する金属の腕がめくれ上がる。私が私じゃなくなった記憶と共に――。
『――きゃああああああ!』
『来ないで…… 来ないでぇ……』
やめて――
『――来るなっ! 来るな!』
『神様助けて! この女に食われてしまう!』
違う――
『――お姉ちゃんは、人間なんだよね?』
『お、お姉ちゃんは僕を襲おうとしたの?』
私は、助けようと――
『――お前が全部仕込んだんだろう!』
『お前なんて、人間じゃない!』
『化け物だ!』
「――ああああああああっ!」
過去の記憶に飲まれ、頭の中の映像を掻き消すかのように左腕を振るう。魔物に噛まれている事すら忘れて、思い切り。
何かが弾け飛ぶような音と木が倒れ込む音で正気に戻った私は、音の中心を見つめ――自らの行いを自覚した。
木は重いハンマーで叩き折ったかのような切り口を付けて倒れ、左腕をかじっていた魔物は五体が砕け散り、一番固いはずの頭部は骨の原型すら留めていなかった。
「私は…… わた、しは」
この一撃は少なくとも素手の人間が付けられる傷じゃない……その事を頭の中で理解してしまっている。自分が化け物という証明、そうじゃないと思いたい程突き刺さる過去の記憶。
――私はもう、人間じゃない。
ずるずると木にもたれ込み、土へと倒れた身体の先には……少し前に首を切り落とした魔物が横たわっていた。
「そう、いえば」
私が何の為に馬車に乗り、何の為に旅を始めたのかを思い出した。
――私は何で作られたのか。
――私は何者なのか。
それを知る為の旅だ。
「行かなきゃ」
気持ちを整え、元いた林道まで歩いて向かう。
左腕の傷は既に治っており、服に着いた血だけが怪我の証明書になっている。これも化け物たる証だろうか。
「お客さん! 大丈夫だったか!?」
「特に問題は無い」
「そうか! そりゃ良かった。お客さんが林に入った後少しして、ものすごい音が鳴ったから心配したよ」
その言葉に少し複雑な気持ちを抱きながら、元いた馬車の指定席へ戻る。
「お客さんが魔物を倒してくれたお陰で『ハイドランジア』はもう少しだ! あそこは首都だから人も多い。だからお客さんの求める物も見つかるだろうよ」
「……うん」
「『ハイドランジア』に無ければ別の国にも足を運べば良いさ。あまりしかめっ面だと、せっかくの美人さんが台無しだぞ?」
余計なお世話、と心の中で悪態をつきながら、肌を刺す温度から逃げるように布切れを被り、荒い林道に揺られて瞼を閉じる。
人間だった頃は、何事も起こらない平和な日常を楽しんでいた。
だけどそんな物は既に無くなり、残ったのは『自動人形』と言う単語と、私を作ったであろう製作者という望み。
何で私を作ったのか、どうして私は機械なのか、そんな生きる理由を知る為に旅をする。
これは真実を求める私の、人間だった者『ベル=ウェンライト』の物語だ。