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影裏案件 -凍り鬼―  作者: greed green/見鳥望
六章 誘う手
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3

「いらっしゃ……あらーこの前のお嬢ちゃんじゃない」

「また来ちゃいました」

「やだ、こんなに早くまた来てくれるなんてびっくりだわー、さあ座って座って」

「ありがとうございます」


 御神さんが酒に付き合えだなんて言うものだからどこに行こうかと思った時、真っ先に私の頭にはこの間の小料理屋が浮かんだ。女将さんは前と変わらず、いや一度訪れた事で更に親密度の増した態度で接してくれた。が、女将さんの目が私の横にいる御神さんにじっと注がれる。口元がやけににやついているのがとても不穏に感じた。


「ちょっと。二度目にして自分の男連れて来るなんてなかなかね」


 予想通りの言葉に私は苦笑した。


「いえいえ、違うんです」

「私はこのゆとり君の上司です」

「へ? 上司?」


 女将さんは意表を突かれたような驚いた顔をした。


「上司って、あなたおいくつなの?」

「ご想像にお任せしますが、この子より一回り以上は離れているとだけ言っておきましょう」

「嘘でしょ!? いやいやそんな、バンジョミンなんたらじゃないんだから」

「はは。面白い方ですね」


 御神さんがふわっと笑みを浮かべると、「やだ、笑った顔も素敵ね」と女将さんは笑ったが、心なしか頬がほんのり赤い”女”の顔がちらっと覗いていた。おそらく女将さんベンジャミンバトンと言いたかったのだろうが、そっとしておいた。

 にしても、やはり御神さんは一般的にはかなりのイケメンなのだという事を再認識した。そして何よりさらっと衝撃的だったのが、彼が私より一回り以上も歳が違うという点だ。おそらくこれは冗談でも嘘でもないのだろう。御神さんの落ち着いた物腰や対応は、それなりに年齢を重ねたものでないと出来ないものだ。しかしそんなに離れていたとは。

 

 なんでも好きなだけ頼んでいいよとの御神さんのお言葉に甘え、私は気になるメニューを片っ端から頼んだ。


「遠慮を知らないね君は。期待を裏切らないよ」

「だって好きに頼めって御神さんが言ったんですよ」

「男に二言はないよ。怒ってもない。君らしいなと思っただけだ」

「あざっす」

「褒めてはないんだよね」


 料理と酒が目の前に並ぶ。私はビール。御神さんは日本酒を手に取った。


「じゃあ、乾杯」

「かんぱーい」


 ぐっとビールを喉に流し込む。


「ぷはぁー」

 

 うまい。いい喉越しだ。合コンや女子会の席以外で酒を飲む場面は久々だったかもしれない。警察に入りたての頃、部署内で歓迎会や定期的な飲み会はあったが、お酌ばかりさせられ飲め飲めと煽られ全く酒の味を楽しむ事も出来ない最低なものだった。


「おいしいね。なかなかいいお店だ」


 料理に舌鼓を打ちながら満足そうな顔をしている御神さんを見て私は少しほっとした。


「御神さん、普段お酒飲むんですか?」

「いや、普段はあまり飲まない。でもお酒は好きだよ。程よく飲む程度には健康にもいいしね」

「意外でしたよ。お酒に付き合ってなんて」

「そうかい?」

「だって初日なんてホテルに着くなりじゃ、おつかれって解散だったじゃないですか。あ、この人はオフの時は一人になりたいタイプなんだって」

「そういうわけでもないよ。頭を整理したかったのもあるし。それに部下の女の子を連れ回す趣味もないし」

「じゃあ、どうして?」

「僕だってストレスは溜まるんだよ。そんな日もある」


 よっぽど武市君の件についての影裏の事件処理が頭に来たのだろう。あまり突っ込んで聞くのも憚られたので私は特にそれ以上何も聞かなかった。


「でも、人の事ばかり言えないんだけどね」


 酒が進んできた頃、ぽつりと御神さんが呟いた。それはまるで罪を告白するような声音だった。


「僕の代になってから、僕が扱った案件は全て解決してきた。でも、先代の頃にはそう出来なかったものも、僅かながらあるんだ」


 影裏の部屋を思い出す。あそこに保管された夥しい影裏案件。あれだけの事件があれば、未解決に終わった事件がある事自体は不思議でもない。何せ内容も内容だ。


「覚えてるかい。君が最初に僕の所に来た時にした女の子の話」

「あー……確かスーパーで突然消えちゃった女の子の事ですよね?」


 そういえば、あの時御神さんは確かこんな事を言っていた。


“でもそれが真実。まあ、正直僕自身それだけでは納得のいかない部分もある事件だけどね”


「そうだ。あの女の子の瞬間移動能力は本物だ。でも、それだけでは説明がやはりつかない」

「どういう事ですか?」

「スーパーという衆人環視の状況でそんな事が起きたらもっと混乱が起きたはずだ。だがあの資料にもある通り、横にいる母親はまだしも、その場にいる他の人間はその異変をほとんど感じ取れてなかったんだよ。彼女の真後ろを歩いていた人間さえも、彼女が消えた事に関してその場で何も感じなかったんだ。おかしいだろ?」


 御神さんの声が珍しく感情的だった。お酒が入っている事もあるのかもしれないが、それだけではない何かが含まれているように感じた。


「あの子は、海晴は僕の友達だった」

「え?」


 みはる。消えた少女の名前。そして彼女は御神さんの幼い頃の友達。まさか偶然私が手に取ったファイルがそんな因果なものだとは思わなかった。


「だからこそおかしいと分かる事がもう一つある。先代はあの事件を、みはるの力の暴走によって起きた事だと処理した。でも違う。彼女は力のコントロールを既に心得ていた」

「じゃあ、あれは……」

「彼女は僕の前で何度か力を見せてくれた事がある。だから少なくとも、あの時の瞬間移動は彼女の意思で行われたのだと、僕は思っている。つまりそれは、力を使わざるを得ない何かが、あの時起きたんだ。それはつまり、そこに尋常じゃない力を持つ何かが存在していたという事なんだ」


 御神さんは悔し気に歯を食いしばった。この一件があるからこそ、今回の件に対して誰よりも怒りがあるのだろう。


「でも確か彼女は北海道にいたんですよね?」

「ああ。おそらくそこは本当だ。だが、一瞬でそこまでの距離を飛べる人間だ。その時は北海道にいたとしても、今はどこにいるかも分からない。第一、何故北海道にまで飛ばなければいけなかったのかも不明だ。その事情を先代は知っていたのか、彼女が話していたのか、今となっては全く分からない。でも、彼女は今もどこかにいる。僕は彼女を見つけなければいけない」

「当時の事を、知る為に?」

「それもある。でも単純に、会いたいという気持ちかな」


 言い終わった後に、自分があまりに素直に話しすぎていた事を恥ずかしく感じたのだろう。照れを隠すように勢いよく日本酒を煽った。


「ともかく、頑張らないとね」


 職場の飲み会で聞く話はどれもくだらなくて右から左へすり抜けていくようなものだった。昔はこうだった。あの事件を解決した時はこうだった。だからお前もこんなふうになれ。

 それは私にとって訓示ではなく説教や自慢話程度の価値しかなかった。凄い事だったのかもしれないが、自分の功績を称えろと言わんばかりの内容は私にとって毛ほどの興味も持てない話ばかりだった。

 でも、御神さんの言葉は違った。どんな時間になるのだろうと最初は少し不安だったが、思いもよらぬ話から御神さんの人間的な一面をまた見る事が出来た。抱える痛みを知る事も出来た。彼が仕事に向ける思いも知った。


「はい」


 だからこそ素直に頑張ろうと自分自身も思えた。

 わけの分からない事ばかりで戸惑い続けたが、また少し自分の気持ちを固める事ができた。そんな気がした。







「ありがとう、いい気分転換になったよ」

「なら良かったです」

「それと、申し訳なかった」


 そう言って御神さんは私に向かって頭を下げた。


「忘れてくれとは言わないが、くだらない自分語りをしてしまった」

「いいですよ、そんな事気にしなくて」

「そうか」


 御神さんは申し訳なさそうに少し笑った。なんだか今日の御神さんは本当に人間らしい。


「さ、帰ろうか」


 


 ぞわ。



「え」


 後ろを振り向いた。

 いない、誰も。


 ――今の……。


「前にも、同じような反応をした事があったね」


 振り返ると、もうすっかりいつも通りの御神さんの顔がそこにあった。私はそこで以前武市君の家に行った時にも同じような感覚に襲われた事を話した。


「背中をなぞられるような、すごく気持ち悪い感覚で」

「……そうか」


 御神さんは私が振り向いた先を見つめた。もう一度私もそちらを見るが、やはり誰もいない。


「見られているのかもね」

「え?」

「一人行動はなるべく避けた方がいいのかもしれない」


 見られている。その言葉私を身体の芯から一気に冷やしていった。

 誰が、一体、何故。

 だが考えられるのは、私達の調べている事が関係しているとしか思えなかった。


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