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「おい、ゆとり刑事」


 定時を周り、さあ週末の合コンに士気を高めようとした背中に冷や水のように声を掛けられた。

 

 ――嘘でしょ。


 その声を聞いた瞬間に一気に気分が沈んだ。この男に声を掛けられてろくな目にあった事がない。しかも今この男は私の事を”ゆとり刑事”と呼んだ。普段なら安部と呼ぶところをわざわざだ。この時点で確定だ。

 つい一か月ほど前、同じように呼びかけられ「今からこれを資料にまとめろ。今日中だ」と書類を渡された。二百名以上のプロフィールがまとめられた資料だった。定時で上がるはずだったのに、その日仕事が終わったのは時計の針が二十一時を過ぎた頃だった。

 あの日の悪夢が蘇る。うんざりした表情を隠す事なく私は彼に振り向いた。


「なんすか?」


 振り向いた先に、鷹のような鋭い目をした男が立っていた。

 梅崎栄治うめさきえいじ。私の三年上の先輩で、私と違って現場でバリバリと事件を解決している刑事の一人だ。

 岩男と称されるのも納得の柔道で鍛えあげた体躯といかついベースボールのような顔面。まさに悪を憎む正義の刑事そのものを体現したような男だ。


「その舐めた口調がいつか可愛げに映る日が来るのかと思って過ごしてきたが、いつまで経ってもうざってえな。やっぱり直せ」

「めんどくせえっす。別に困りませんし」

「こっちが困るんだよ」

「どう困るんすか?」

「イラつく」

「じゃあやめないっす」

「マジでうぜえ」


 バンっと私の机の上に梅崎先輩は手を置いた。そこには席を離れる前まではなかった資料ファイルが置かれていた。


「で、早く帰りたいんで、何の用事すか?」

「お前みたいなめんどくさがりが家に帰って何をする事があるんだ」

「あ、パワハラっすよ! 先輩それパワハラと捉えますよ!」

「うるせえうるせえ! こんな程度で訴えられちゃやってらんねえよ」


 そう言って手の下にあったファイルを私に向かって投げつけた。私は真っ直ぐに飛んできたファイルを両手で真剣白刃取のごとくキャッチした。


「いやあぶなっ! 顔にぶっ刺さるじゃないですか!」

「たいした用じゃねえ。それをある場所に持ってくだけだ」

「持ってくだけ?」


 その言葉に私は拍子抜けした。なんだ、それだけなら容易いじゃないか。と思ったが、


「いやそれなら自分で持ってってくださいよ」

「俺は忙しいんだ。今から帰るだけのお前と違ってな」

「そっすか」


 まあそう言われるだろうと思ってたし、これ以上に無駄に突っかかっても時間と労力の無駄だ。さっさとお使いを終わらせて帰ろう。


「で、どこに持ってくんすか?」


 梅崎先輩はくいっと首を動かした。手にしている資料を見ろという意味らしい。私はそこで初めて渡された資料に目を向けた。資料の表紙にこう書かれていた。


 “影裏案件として処理とす”


「かげ、うら?」

「かげりだ」


 なんだそれ。聞いた事もない言葉だ。

 怪しい。怪しすぎる。こんなに怪しい字面をまさか警察という場で見る事になるとは。影に裏。なんとなく想像を働かせる。行き着いた答えに思わず苦笑する。

 マジか? そんなの小説やらドラマやらで何度も擦られた設定じゃないか。そんなものが実在するとでも言うつもりか?


「あのー、先輩?」


 恐る恐る梅崎先輩を見る。こんな時こそいつもの小馬鹿にした悪い笑顔でいてほしかった。なのに、先輩の顔は恐ろしいぐらいに真顔だった。


「これって、あのー、そういう……」


 まさか、本当に?

 言ってしまえ。そして何馬鹿言ってんだと先輩に言われればそれで終われる。


「何も言うな。行けば分かる」


 そう言って梅崎先輩は一枚の小さなメモを私に渡した。


「後でちゃんと燃やせよ」


 それだけ言って先輩は言ってしまった。私はもらったメモに目を落とす。どうやら、目的地への行き方らしい。


「……はぁー」


 思いっきりため息を吐いた。こうなってはもう断りようも逃げようもない。やるしかないらしい。


 ――ただ運ぶだけ。そう、それだけだし。


 自分に言い聞かせる。やる事はシンプルだ。大量のデータ入力作業に比べれば楽勝だ。そのはずだが、どうしてもそう思えない自分がいる。今までにない嫌な予感がしていた。


「はぁーぁ!」


 もう一度思いっきり息を吐き散らした。


「うるせぇぞ、安部! 呼吸も静かに出来んのかぁ!」


 また多々良の声が飛んできた。私はぎっとハゲ面刑事の方を睨んだ。


「はぁーーーーーあ!!」


 私は大声で多々良さんに叫んでやった。ぽかんと時間の止まったように静まり返った空気をものともせず、私は部屋を後にした。


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