Will she wake up someday?
何か気になる夢を見た気がして目が覚めた。知っている筈のない誰かと、何かを約束したような。
カーテンの隙間から、光が漏れている。もう朝だ。
ベッドの上に身を起こすと、すかさず侍女が入って来た。
「お目覚めですか、姫様」
私は侍女を睨んだ。どうせ監視魔術で私が起きたことを感知したのだろう。
「お怪我の具合は如何ですか」
「大丈夫です」
そっけない返事も、侍女はものともしない。
「朝食をお持ちしました」
ベッドサイドのテーブルに置かれたのは、パンとスープ、少しの野菜と焼いた卵。こんな粗末な食事をこの私に出すなんて。
「あなた、これを少し食べなさい」
毒や異物を感知する魔術を施した銀のカトラリーなど、ここにはない。何か入れられているか探るには、毒味をさせる他はない。
「心配しなくても、変なものは入っていませんわ」
言いながら、侍女は朝食を少しだけ口にした。
私は帝国統治下の小国・ヴァンディリア公国の公女ナタリアだ。皇帝アシュ・ヴェグランド2世陛下はこの大陸全土を統一しようとし、実際大陸の三分の二を制圧した。しかし、残った国々は連合軍を組み、抵抗を試みた。
連合軍の勢いは日毎に増し、我が国も戦の末に連合軍の手に落ちた。父上は戦死し、私も重傷を負って捕虜としてここに囚われた。
だが、皇帝陛下は魔術に長けたお方だ。いずれそのお力で、連合軍など駆逐するものと信じている。
それまで、不本意ではあるが私はここで傷を癒やすしかない。
「ご機嫌如何ですか、姫様」
白衣を着た医療魔術師が入って来た。いつもの診察だ。後ろから、若い助手の男も入室する。
「では診察を始めましょう。あなたのお名前は?」
この医療魔術師の流儀なのか、診察はいつも名前を訊くことから始まる。
「……ナタリア・ヴァンディールです」
いつものことだが、私が名乗ると助手の男は少しばかりがっかりしたような表情を見せる。何故だかは判らない。
侍女が包帯を替え、医療魔術師が薬を調合すると共に治癒魔術をかける。助手はその間、衝立の向こうで器具などの準備をしていた。
その時。
バタバタと足音がしたかと思うと、ドアが荒々しく開かれた。
「ナタリア様! おられますか!」
「何者だ⁉」
助手の男が立ち上がる。衝立が倒れた。
覆面を被った、四〜五人の男がいた。黒っぽい革鎧を着て、短剣を持っている。一人が言った。
「お迎えに参りました、ナタリア様。我々とお来し下さい」
迎えだ。私を救出に来てくれたのだ!
「ここだ!」
私は男達に叫んだ。すかさず侍女と医療魔術師が、私をベッドに押さえ込んだ。侍女は意外と力が強く、身動きが取れない。
「離せ!」
何処に隠し持っていたのか、助手の男が剣を抜いた。
「悪いが、彼女には指一本触れさせる訳には行かないんだよ」
助手の男は、見事な剣技で黒い男達を倒して行く。一人が戦いの隙を見てこちらに近付こうとしたが、医療魔術師が咄嗟に張った結界に阻まれ、助手に斬り捨てられた。
「もう二度とおまえらになど連れて行かせない──リーサを!」
……リーサ?
その名を聞いた途端、激しい頭痛がした。同時に、覚えのない筈の記憶が朧気に浮かぶ。
父さん……母さん……そして。
「……ジェス……」
知らない名前が口からこぼれた。
私は意識を失った。
*
連合軍ヴァンディリア方面小隊長のアルマ・リュクスとその部下が到着し、襲撃者の死体は早々に片付けられた。医療魔術師が部屋全体に浄化魔術をかける。
アルマは女であったが、勇猛果敢で知られる武人の一族・リュタン家の血を引く戦士だった。簡素で実用的な鎧に身を包んでいる。その美しさは、戦場でより輝くと言われていた。
ベッドに横たわる意識のない娘を見て、アルマは傍らの部下に言った。
「あれが〈姫〉か」
「はい」
娘の枕元には、一人の青年が付き添っている。医療魔術師の助手に扮していた青年だった。
「あの男は?」
「ジェス・ルーシス。ヴァンディリア公の拠点の一つだったケルツァ城陥落の際、多大な戦功を上げた志願兵です。……イルダの町の出身です」
「……なるほど」
ジェスはただ〈姫〉を見つめている。
「しかし、帝国も堕ちたものだな。亡くなった本物の公女の代わりに、偽の公女を擁立して兵の士気を高める旗頭にしようなどとは。あの娘は、公女とは似ても似つかぬというのに」
「自らを公女だと信じ込んでいる者なら、その辺りはどうにでもなるという公算でしょう。末端の兵であれば、公女の顔を知っている者も少ないですし」
「いずれにせよ、あの娘を帝国に渡すわけには行かん。残党が残っていないか、辺りの警備を強化せよ」
「はっ!」
部下は敬礼をして、部屋を出て行った。アルマはジェスに近寄り、声をかけた。
「ジェス。〈姫〉の奪還を阻止出来たのは、君の手柄だ。よくやった」
「……功績を上げたくてやったわけではありません」
ジェスはアルマを振り向きもせず、答えた。
「俺はただ、彼女を誰にも渡したくなかった。それだけです」
それは一介の志願兵が分隊長に対して取るには無礼な態度であったが、アルマは不問に付すことにした。この若者が背負っているものを察したからであった。
「……二年、です」
しばしの沈黙の後、ジェスは誰にともなくぽつりと言葉を口にした。
(そう、たった二年だ)
ジェスは思い返していた。
「それだけの時間で、俺と彼女の有様はすっかり変わってしまったんです」
二年前まで、ジェスとリーサはイルダの町で仲良く暮らす幼馴染だった。二人は子供の頃からいつも一緒にいて、成長するに連れお互いを意識するようになった。
そのうち結婚して、幸せな家庭を築くのだと周りの者は勿論、本人達も思っていた。ジェスとリーサは密かに約束を交わしていた──18歳になったら、結婚しようと。
この地方では、相手の誕生日に求婚すれば幸せな結婚が出来ると伝えられている。ジェスもその例に習い、リーサの18歳の誕生日に花束を持って彼女の家に向かった。
だが。
聞こえて来たのは、リーサとその両親の泣き叫ぶ声。家の前には、帝国の軍人が乗る黒い馬車が泊まっている。馬車に無理矢理乗せられようとしているリーサ。兵士達に取りすがるその両親。何が起こっているのか、わからなかった。
──噂は、耳にしていた。公女と同じ歳の娘達が、帝国の兵士によって国の各地から何処かへ強制的に集められていると。連行されたが最後、誰一人として戻った者はいないと。それが、自分達の身に起こることとは全く思っていなかった。
「お願いです、娘を、リーサを連れて行かないでください!」
「おまえ達の娘は、皇帝陛下の命により、栄誉ある仕事を担うことになった。これは勅命である。それを拒否することは、陛下への反逆と見做す!」
隊長格らしい兵士がすらりと剣を抜き、一閃した。リーサの父親が倒れるのが見えた。リーサが悲鳴を上げた。
兵士達によってリーサが馬車に押し込められるのを、ジェスは呆然と見ているばかりだった。体が動かなかった。馬車は勢い良く走り出し、ジェスの立っている場所へ向かって来た。
誰かがジェスの体を引き寄せた。花束が手から離れる。馬車は花束を轢き潰し、そのまま町の外へ走り去って行った。
「ジェス、助けて、ジェス!」
馬車の中から漏れ聞こえたリーサの声が、いつまでも耳について残っていた。
*
「……それで、君は連合軍に志願したのか」
ジェスの告白を聞いて、アルマが言った。
「俺はあの時、何も出来なかったから……あいつらに一矢報いて、リーサを取り返したかったんです」
その為には、何でもやると決めた。剣や武術の強い者には片っ端から教えを請い、連合軍に入ってからも毎日鍛錬を続けた。幸いと言うべきか、ジェスには素質があったらしく、剣の腕前はぐんぐんと伸びて行った。
リーサが連れ去られてから一年後、リーサの母親が死んだ。夫と娘を一度に失い、傷心のうちに病に倒れたのだった。ジェスの決意はますます高まった。
噂では、連れ去られた娘達はケルツァ城に集められているという。ケルツァ城攻めの伝達が来た時は、内心躍り上がらんばかりに喜んだものだ。リーサはきっとそこにいる。
──思った通り、確かにリーサはケルツァ城にいた。
連合軍の兵士が厳重に鍵のかかった部屋に踏み込むと、そこに一人の若い娘がいた。娘は入って来た兵士達を睨んだ。
「おまえ達、何者だ?」
「連合軍ヴァンディリア分隊の者だ。おまえは?」
「私は公女ナタリアだ。皇帝陛下に反逆する輩ども、そこに直れ!」
彼女は公女の名前を名乗り、剣を取って連合軍の兵士達に斬りかかって来た。やむなく兵士達は反撃にかかる。公女であれば、討ち取れば手柄にもなる。
「リーサ!」
そこに援軍の一団の一人として駆けつけたのがジェスだった。
「やめろ、それはリーサだ!」
「その娘は公女ではない! 殺すな!」
ジェス以外にも、公女の顔を知っている者がいたのが幸いした。彼女は重傷を負って保護された。
同じ頃。
アルマの率いる一隊は、城の地下牢の入口を発見し、中の探索に入っていた。
「……何だ、これは……」
アルマは目の前に広がった光景に、思わず声を漏らした。
城の地下牢には、廃人同様になった娘や、発狂した娘が何人も閉じ込められていた。いずれも公女と同じくらいの年頃の娘で、国の各地から集められた娘達に違いなかった。
ここで何が行われていたかは、連合軍内の魔術師連盟の調査によって判明した。
皇帝アシュ・ヴェグランド2世は魔術に耽溺する皇帝であった。魔術を独占しようとして侵攻と弾圧を行ったこの苛烈な皇帝の知的好奇心は、最悪の形で発揮されることとなった。即ち、帝国及びその領内の各所で、魔術による人体実験の数々が行われていたのだった。
ケルツァ城も実験場の一つだった。ここでは、人の記憶を他人に移すという記憶改竄の実験が行われていた。
集められた娘達は、ナタリア公女の記憶を植え付けられる魔術の実験台にされていたのだった。地下牢にいたのは、実験に失敗し精神を破壊された者達だった。
リーサは、実験の唯一の成功例だった。彼女の記憶は、そっくりナタリア公女のものと入れ替えられていた。
リーサという娘は、もういなかった。
*
「どうして……」
ジェスはつぶやいた。
「どうして、みんなリーサをそっとしておいてやらないんだ」
せっかく取り戻したリーサは、リーサではなくなっていた。医療魔術師の手当てを受けてはいるが、記憶改竄の魔術の影響は強く、記憶を取り戻すには時間がかかりそうだという。
ヴァンディール公も本物の公女も、戦で討たれて今は亡い。故に、帝国の一部に公女の記憶を持つ彼女を取り返し、お飾りの旗頭に据えようという動きがある──という情報を得た連合軍は、リーサの近辺に護衛を置くよう命じ、それに志願したのがジェスだった。
帝国の魔術師にとっても、彼女は貴重な実験の成功例であり、喉から手が出る程に欲しい研究材料の筈だった。帝国は、当分彼女を放っておくつもりはないと思われる。
(だが、こちらも似たようなものだ)
アルマは思った。
彼女を〈姫〉という符丁を使ってまで手厚く保護しているのも、ひとえに彼女が皇帝の実験の被害者だからだ。連合軍の上の者達は、未だ中立を保ついくつかの国に対して、皇帝の非道さをアピールする生き証人として彼女を使おうとしている。
魔術師連盟にしても、記憶改竄の魔術の解呪方法を研究する為に医療魔術師を派遣している。解呪出来れば、逆にその魔術をかける方法も確立する。やっていることはさして変わらないのだ。
「いずれ彼女の記憶が戻ったら、君は彼女に言ってやるのか? ……言えなかった、求婚の言葉を」
話題を変えるべく、アルマはジェスにそう言葉をかけた。ジェスは一瞬意外そうな表情を見せたが、すぐに複雑な顔で自分の両手に眼を落とした。
「……わかりません」
ジェスは答えた。
「戦場に出て、俺は知ってしまいました。──敵を斬り倒す時の手応えや、……その時の何とも言えない愉悦を」
変わってしまったのは、リーサ以上に俺の方かも知れない。多分今の俺は、リーサが知っていた頃の俺ではない。
戦とは言え、何人もの敵兵を殺した。その手で俺は、リーサを抱きしめることが出来るのか?
「それでも……リーサを守ることだけはやり遂げたい。あの時何も出来なかった代わりに。だから俺は、この任務に志願したんです」
「……そうか」
アルマは目を伏せた。
「ん……」
その時、リーサの口から声が漏れた。
「〈姫〉が目を覚まします」
医療魔術師が言った。
*
夢を、見た気がする。
無理矢理に馬車に乗せられる夢。誰かがそれを止めようとするが、聞き入れられない。
目覚めるに連れ、夢は不確かなものとなり、意識の彼方に消えて行く。何か、あった筈なのに。誰かに言われなかった言葉、誰かに言えなかった言葉が。
私はそれをつかもうとした。意識が、浮かび上がって行く。
私は目を開いた。
医療魔術師が、私の顔を覗き込んでいた。他にも誰かいるようだ。医療魔術師が訊いた。
「ごきげんよう、〈姫〉様。あなたのお名前は?」
「私は──」