09 英雄の出陣
俺は、アウグスタと共に、宰相に連れられて練兵場を視察する。
王国軍は、宰相が一から鍛えたそうだ。そのためもあってか、宰相は各兵種ごとに熱心に説明してくれる。
「こちらは、我が王国軍の要、重装歩兵です。いかなる事態が起きても戦列を崩さぬよう、徹底的に鍛え上げました、槍衾形態により、騎馬の突撃を防ぐこともできます」
鎖帷子を装備し、長槍と大盾を持つ。
戦列を組み一丸となって前進する。動きは鈍重であり、方向転換も不可能に近い。しかし、鉄壁の守りと圧力のある攻めを両立している。
「次に戦場の花形、騎兵になります。突破力のある重騎兵と、移動力のある軽騎兵を備えております」
重騎兵は、全身を覆う甲冑フルプレートを装備し、長大な馬上槍ランスを持つ。
シルエットが大きく、動きが鈍いため、格好の的になりがちである。しかし、その代わりに鎧を着こみ、防御力を高めている。
相手の戦列に差し込み、瓦解させる。そのために用意された、錐のような存在である。
一方の軽騎兵は、皮革の鎧を装備し、長槍を持つ。
的が大きく、かつ紙装甲である。取柄はただ、動きが素早いことにある。
斥候部隊として重宝するのは間違いない。
しかし、彼らに戦闘をさせるとなると、どうなのだろうか。彼らの運用を間違うと呆気なく全滅することだろう。
ところが、メルクリオといえば、軽騎兵を使った戦術が得意だそうである。
メルクリオを名乗る俺としては、とても困った話である。
「次に弓兵です。彼らは通常の弓を用います。重騎兵や軽騎兵も、クロスボウという器械式の弓を扱えるよう訓練させております」
軽装に大盾を背負い、弓と矢を持つ。
相手の攻撃範囲外の遠距離から、一方的に攻撃できる点にアドヴァンテージがある。何となれば、この兵種こそが最強と言ってもいい。
もっとも、精密に射撃できる範囲は短距離である上、盾で防がれる可能性もある。したがって、確実性のある攻撃とまではいえないのが、欠点である。
「以上の重装歩兵、騎兵、弓兵が主力となります。他に、傭兵を雇い、農民に兵役を課したりして軽歩兵として運用することもあります」
小回りの利くところだけが利点である。
しかし、如何せん、士気は低いようである。
「こちらは工兵です。彼らは城攻めの時に塹壕を掘ったり、現地で攻城兵器を作成し、運用したりもします。そして、こちらは輜重兵です。彼らは兵站を担います」
彼らは非戦闘員であるが、彼らがいなくては、まともに戦えない。
したがって、戦闘員の数に匹敵するほどに厚く配備されている。
「最期にこちらは音楽隊になります。各隊への伝達はこれらの楽器で行うことにしています」
彼らの役割は、自軍の指揮を高めることだけにあるわけではない。
指揮官の手足となって、各部隊に合図を送るのだ。
俺達は兵舎に入り、卓を囲む。そこで、宰相が尋ねてくる。
「ご意見があればお伺いしたいのですが」
「では早速聞きたい。私とアウグスタ、いずれが指揮を執る?」
俺は嫌だ。
「英雄と魔人の大会戦において、メルクリオ様が総指揮を執り、アウグスタ様がそれを支えたと伝え聞きます。これに倣いたいと考えております」
しかし、プライドの高いアウグスタである。指揮権を奪われることに、不満があるはずである。
「私は異存がない」
ないのか?
あれほど戦いたがっていたくせに、指揮権はいらないというのか?
俺は戦いを避けようとしていたのに、そんな俺に丸投げするのか?
何でこういう時だけ謙虚になるのだろうか?
アウグスタの横顔は、澄ましたものである。
宰相も宰相で、まるで、俺が指揮権を得て喜ぶとでも思っているような口ぶりである。とはいえ、メルクリオは、指揮権を得てガッツポーズするような男だったのだろう。結局、メルクリオのふりをするのであれば、この運命は避けられないものなのだ。
だとしても、人や国家の命運を握る重職など、俺には務まらないし、その覚悟もない。
たとえ、偽物だとばれようとも、ここは撤退すべき場面である。
「私より適任がいるだろう……」
「ご謙遜を。ところで、我々は、貴方様の戦術を研究し、更に会戦の地をつぶさに観察の上、必勝の戦術を準備しました。もちろん、メルクリオ様の思うがままに指揮していただければとは思いますが」
俺の本音は、全く伝わらないのである。
宰相は、輜重兵との打合せのため兵舎を離れ、俺とアウグスタがその場に取り残される。
「私は少し剣を振るっておく」
アウグスタは、無言で剣術の型と思われるものを披露している。彼女といえども、やはり戦いを前にして、気持ちが昂っているのだろうか。
せっかくである。俺も鍛錬に付き合ってやろう。
一振りの剣を兵舎から拝借し、同じように剣を振ってみる。
隣からは、鋭く空気を切り裂く音が聞こえてくる。対して、俺が剣を振ってもまるで鈍い音がするだけである。
単純作業においてこそ、熟練度の高低が如実に表れる。
だんだんと、剣を振るのが恥ずかしくなってくる。俺は、まともに剣を振ることすらできてないのだ。
動きを止めると、手がじーんと熱くなる。
「しかし、どうしてアウグスタに指揮を任せないのだろうか?」
思ったことをうっかり口にしてしまう。
すると、アウグスタの手が止まる。
不審なものを見るようにして、こちらを見ている。
「いやあ、貴女の方が適任だ、などと思ったわけで……」
「え?」
まずいことを言ってしまったのだろうか。
重責を押し付けようとしているなどと、ばれてしまったのだろうか。
「私は、何度も貴方に負かされた。貴方の戦術は、私よりも一枚上手だと理解している」
謙虚な物言いである。
だが待てよ。
彼女は古代において大活躍した。ならば、転移後のこの世界での日々は余生といってもいい。
そんな隠居生活の中で、大役をこなすのはさぞかし嫌なことだろう。
ええい、俺は察する男。
「それならば、ペーター王に率いてもらおうか」
「え?」
「え?」
俺の一言は、余計な一言だった。
ただでさえアウグスタの目つきは鋭いところ、今はそれが、更に険しくなっている。
俺の察しは的を外した。そればかりでなく、アウグスタから、俺が無責任な男であると思われてしまったのである。
俺に対する信用は、完全に失われたようだ。
結局、戦争に関して、俺は完全に門外漢である。活躍できそうな場面もなく、だからこそ、不甲斐ないという思いと逃げ出したいという思いで一杯なのである。
とはいえ、逃げ出すという選択肢はリスキーであり、現状に甘んじている。
すっかりと精神的に摩耗し、すごすごと城に戻ってくる。
とりあえず、ベッドに転がりたい。
自室に向かう途中、廊下の角を曲がろうとすると、甲高い声が聞こえてくる。
「貴方達、騙されているわよ」
「またまたお茶目な御冗談です。おもしろーーい」
「あいつが正体を現した時にはもう遅いのよ。その頃にはもう、国中の財宝を奪われてお終い。その時、貴女、お兄様にどう弁解するのかしらね」
「姫様は城に籠もりっぱなしで、現実と夢の区別がつきにくくなっているのかもしれませんわね。いけません。たまにはお体を動かされるのもよいかもしれませんわ」
「何なの? なんで、私の事を信用してくれないの? アルの事は信用する癖に!」
「ウフフ。キアラ様可愛いです。それよりも、午後のお勉強が始まりますわよ」
「子供扱いして! あいつが偽物だってはっきりしたら、貴女も地下牢行きだから」
角の向こうには危険なキッドがいる。城の中にも安息の地はないのだ。
自室に戻ると、机の上に一冊の本を見出す。
何気なく目を通すと、驚くべきことに手書きで作成されている。おそらく、この世界の印刷技術は未発達なのだろう。
そして、日本語では書かれていないが、不思議な力で、「聖伝」と読める。
城内の人々は、古代の話をする時には、必ず「聖伝によれば」と前置きしていた。古代人を騙るのであれば、これを読んでおくに越したことはない。
そこで、パラパラと斜め読みを開始する。
宗教的な示唆に富む、馴染みの薄い話で進行していく。もっとも、古代の歴史についての記述もある。とはいえ、歴史書というよりは、英雄譚に分類されるべきものであり、その内容の真偽は定かではない。
大要はだいたい次の通りだ。
アウグスタは、周辺国家を服属させ、大陸を統一して帝国を建国した。
帝国建国の功労者を、彼女を含めて七英雄と呼ぶ。
もちろんメルクリオもその一人である。
初めはアウグスタと敵対し、やがて、彼女に付き従い、難敵を打ち倒した。彼が戦場に現れるだけで、敵は恐怖し、味方は勇気がみなぎったのである。
ところで、神は、アウグスタの才能に魅入られ、彼女に指輪を送った。
彼女は指輪の力で帝国をよく治め、人々は幸福を得、長きにわたり平和が続いた。
しかし、七英雄の成功を妬む者達がいた。
彼らも神様にねだって指輪を受けた。
だが、力を得た彼らは傍若無人に暴れまわった。
彼らのことを五大魔人と呼ぶ。
そして、五大魔人は邪神を呼び寄せた。
七英雄対五大魔人、そして邪神。
アウグスタは、仲間が次々に斃れていく中、最後まで戦い抜いた。結果、五大魔人をとある島に封じ込め、邪神を聖櫃に封印した。
そこで、アウグスタも力尽きてしまう。
神は、邪神討伐に機嫌を直して、今でも気前よく人々に指輪を配り続けている。
神は、人を愛し、新しい英雄が現れることを楽しみにしているのだ。
聖伝は、ゼノン教の聖典でもある。
人々に説く話である以上、全くの虚偽で構成されているわけでもなかろう。
帝国があった事、帝国内で派閥争いがあった事は真実だと思われる。だが、それ以外の記述は現実感のない話であり、信用するに足りない。
確かに、俺は教会から指輪を貰った。しかし、それは、信仰心を煽るアイテムに過ぎない。聖典の信用性を裏付ける事実にはなり得ない。
ともあれ、これである程度の知ったかぶりはできそうである。
聖伝によれば、メルクリオは凄い男である。
しかし、メルクリオを騙る俺は、そんなでもない。
とりあえず、俺の事は棚の上に置く。
これから開始される戦いに、アルデア王国が勝つ見込みなどあるのだろうか。俺にはわからない。
ただ、アルデア王国は今まで押されに押されて、追い詰められていると聞く。だとすると、次戦も負けるかもしれないし、むしろ、その方が自然である。
負けたらお払い箱か? それ以前に、捕虜になったらどうなる? 俺の命はちゃんと保障されているのか?
いつまでも心の整理がつかない。
しかし、そんな俺を無視して、出陣の朝は無慈悲にやって来る。
早朝、王国軍は粛々と王都を出発する。
俺は馬車に乗って戦場を目指す。
その馬車の後ろには三千五百の兵士、そして輜重兵が永遠と続く。
彼らはこれから、俺の指示に従って、命のやり取りをするのである。俺は、何の覚悟もなく、今まで何の縁もなかった彼らの命を預かっているのである。
深く考えるな。
俺は、ただ、宰相に言われた通りに、俺の意思に基づかずに機械的に動くだけ。
「川の近くに森林が広がっている。この辺りだろう」
戦場には予定通り、敵軍よりも先に到着することとなった。
俺は、早速、宰相から指示を受けた通りに陣を敷き、戦闘準備を整える。
しばらくすると、地鳴りが聞こえてくる。
同時に、遠くの丘の上に、黒い人影がポツリと現れる。
次いで、僅かな時間の内に、人影が増える。一気に増える。大軍である。
彼らは、丘の上に留まることはなく、そのままこちらに向けて丘を降りてくる。
敵軍のお出ましだ。
そして、戦いの始まりでもある。
俺の側に国旗が立っている。そこには、王冠を被った獅子が描かれていた。