32 エレガントな日々
「遠慮して打ち込めないのなら、解雇するわよッ!」
雪かきされたアルデア城の中庭にて。
キアラとその配下、ナイツオブラウンドの隊長が剣術の稽古をしている。
王女に成りそこねたキアラは、相当荒れている様子。
「私の本気を見たいのであれば、もっともっと修練下さい。その剣技はまるでなっておりませんなぁ。まるで野生の動物のようだ。誰から学んだのです?」
隊長は呆れた様子で応対する。
「ザンピエーリ伯爵よ」
「どうりで。剣技を習得したければ、まずは私から学ぶべきでしたな。まるでなっちゃいない」
「うるさいわね」
稽古が一休憩に入った時分を見計らい、メイドが二人に近づく。
「司教様がいらっしゃいました」
小太りのイーヴォ司教が、白い法服姿で中庭に通じる廊下に立っている。
司教の周囲には、メイド達が集まっている。
どうやら、お菓子を持参しており、甘いものに目がないメイド達に大変喜ばれている様子。
「リンゴの蜂蜜漬けを持参しました。キアラ殿下もいかがです?」
「おやおや、随分と……。話は聞いておりますぞ。神聖帝国から道中飲まず食わずでアルデアまでお戻りになられたとか。その苦労、慮るに余りあります。まことに苦労されたのですな。もはや、恐ろしいばかりにお痩せになっている。それは本当にいけないことです。ほら、どんどんお召し上がり下さい。ふふ。そんなに慌てなくても、リンゴは逃げはしませんぞ」
イーヴォは優しくキアラに話しかける。
「ありがとうございます。訓練後の甘いものは格別ですわね」
返すキアラは口いっぱいにリンゴをワシャワシャ頬張っている。
残念ながらお姫様らしさの欠片もない。
イーヴォはその顔を見て、閉口してしまう気持ちをなんとか抑えつつ続ける。
「ところで、いつも思うのですが、殿下の側使いであるナイツオブラウンド。彼らは大変素晴らしい」
「ありがとうございます。ごくり」
「彼らが殿下を守護する以上、殿下自身が訓練される必要はないと思うのですが?」
「そういうわけにもいきませんわ。王族である以上、また同じようにさらわれてしまう可能性がありますので。それに他人に頼りっぱなしというのはもう嫌なのです」
きっぱりとした拒絶に、イーヴォは覚悟を決める。
キアラの将来を考えるからこその、心のこもった言葉を届けたい。
「いけません。それは神の道に外れた行いです。それに聞くところによると、最近はよくない輩、卑しき傭兵共と親しくしているようではありませんか。悪い交わりは美徳を損なうといいます。いけないいけないことですよ」
「ザンピエーリ伯爵はわたしの命の恩人です。恩人を無碍にするのも悪い行いだと思います」
イーヴォは囁やくように返す。
「彼は殿下に対して見返りを求めるつもりで、つまり、下心をもって近づいているのです。信用してはなりませぬぞ」
「そうかしら」
「ええ。本当に頼りになるのは、殿下の目の前に居るタンポポの如き人物。人々に踏みつけられようとも、健気に、太陽であるあなた様を見上げ続ける、法服の者でございますよッ」
「あっ、ザンピエーリ伯爵がいらしたわ!」
「ヴェっ?」
イーヴォは慌てて周囲を見渡す。
しかし、それらしい姿は見えない。
「嘘ですわ! ハハッ!」
「まったく……。困った人でごじゃる」
「ごめんなさいませ。でも、そこまで驚かれることはないと思いますわよ。クククク」
キアラはハンカチで口を隠して笑いを抑え、イーヴォはハンカチで額の脂汗をぬぐう。
「ええと。そんなことよりもですね。しばらく、私は王国を留守にいたします。南の共和国に渡り、枢機卿の任命式に立ち会わなければならないのです」
「司教様も、枢機卿になられるということですか?」
「その可能性はあります。そして、もし枢機卿になった暁には、是非折り入ってお話したいことが」
「?」
「私の留守中は、何かありましたらデルモナコ様を頼られるとよろしかろうと思います。彼は大貴族、我が国最大の領地を有する大貴族ですからな」
「ど田舎貴族の間違いですわね。ウフフ」
「え?」
「少し体が冷えてまいりましたので、剣の稽古に戻ります。司教様はゆっくりなさっていって下さい」
「相当にあばずれてしまわれた。お姫様らしさの欠片もない。うぬぬ。よくないですぞ。早いうちに矯正しておかねば、悪魔のようになってしまうわぃ」
イーヴォは、暗くなりつつある城内の廊下をいそいそと歩いていく。
将来の伴侶が豹変してしまった。
それに伴い、幸福な将来設計図が、音をたてて崩れていくように感じてしまうのだ。
ふと顔を上げると、一人の男が立ち止まり、こちらを見ている。
「おや、ひょっとすると、それはキアラ様のことですか?」
真面目な顔をして訪ねてきたのは、イーヴォが常に敵視する人物。
オクセンシェルナ宰相だ。
「そ、そうなのです。誠に困ったことです。言葉遣いこそ丁寧ではあるが、以前とは別人のように国政だとか戦争だとかに夢中になられているように思えるのです」
「司教様もそう思われていましたか。私も、キアラ様におかれましては、そのような血なまぐさいものからは遠い存在、平和の象徴としてあり続けて欲しいと思っているのですが」
キアラという共通の敵を得て、今日ばかりは司教と宰相とで意見が一致する。
突然、イーヴォは閃く。
「そうだ! そういえば、聞いたことがあります。バルトロメウ男爵という人物がおって、彼はどんなあばずれでも三日で貞淑なお嬢さんに矯正してしまうという……」
「なるほど! さっそく、男爵を呼んで、事に当たらせましょうか。さしずめ、毒をもって毒を制すといったところでしょうな」
「ヒヒヒ! いつもながら、素早いご決断ですな。舌を巻いてしまいますわい。ヒヒヒ」
「お褒めに預かり恐縮です。司教様が出立なされる前にお会いできて本当に良かった!」
いつの間にか、妙な連帯感が芽生えている。
数日後。
「姫様! 宰相様が剣術の先生を寄越して参りました」
日頃からキアラに対して姉貴風を吹かせているメイドが、キアラに問いかける。
「え? オクセンシェルナが剣術の先生を? 礼儀のお作法の先生ではなくて?」
「はい。これ以上姫様に無駄な筋肉がついてしまうと、嫁の貰い手がなくなってしまうので、個人的にはお断りしたいと思っておりますが」
「おしゃべりが過ぎるわよッ! でも、宰相が寄越したとなると怪しいわね。なにかきな臭いわ」
「ではさっそくお帰りになっていただきます」
メイドはいそいそと踵を返す。
「待ちなさいッ!」
メイドはゆっくりと振り返る。
「興味があるのですか? ちなみに、メルクリオ・バルトロメウ男爵様、そう名乗っているそうです」
「えッ?」
アワアワとし始めるキアラ。
「追放しますか?」
「あー」
「わかりました、全力で排除してまいります」
「ままま待ちなさい!」
「はぃ?」
「会います! 応接間にお通ししなさい」
「名前を聞いた途端に豹変しましたね。怪しいですね。双剣の英雄と同名だからですか?」
「うるさいわよ。早く行きなさいってば」
メイドが部屋から出ていった途端に湧き上がる色味豊かな感情。
この複雑な感情はなんと呼ぶのだろうか。
足下がふわふわとする。
キアラは、いそいそと美しいドレスを身にまとい、髪をアップにして自身を着飾る。
「心が落ち着かない。一体、どうしたんだろう。頼れるのはザンピエーリ伯爵ただ一人なのに! これからはアルをしっかり支えていかなきゃいけないっていうのに! こんな浮ついた気持ちじゃいけないわ」
自分に言い聞かせている。
それでも、まるで魔法にかけられたように、口角が上がっていく。
下げても下げても、まるでバネのように跳ね返ってしまうのだ。
だんだんと腹立たしくなってくる。
「なんなのかしら。今になって! 本当に今までどこに行っていたのよ。お別れだとか急に言いだしたりして。むかむかするわ。本当にわたしはむかついているのッ」
脱いだ服をベッドに叩きつける。
そして、しょんぼりとしてみせる。
「はっ? そうだわ。改造されているのよ、わたし。心の中までね。つまり、何もかも奴の手の中ってわけね。だったら仕方ないわ」
宝石箱から取り出したのは月型のペンダント。
ナイフの成れの果てである月型のオブジェを、メイドがネックレスに仕立てたものだ。
首から掛けるとニッコリと満面の笑顔になる。
「姫様、先程から笑顔ですね」
メイドがドン引きした声で呟く。
「うげッ! あんたいつからいたのよ?」
「だいぶん前からです。いつだって相談に乗りますからね。一人で抱え込まないで」
「バカッ!」
走るようにして応接間の扉に駆け寄る。
ガランッ!
怒り狂った顔を無理して作りあげ、扉の向こうへ。
「初めましてッ! 吾輩はメルクリオ26世にございますッ! 我が家系バルトロメウ家は、双剣の英雄メルクリオにその端を発するのでありますッ! その謂れをつまびらかにするならば、古代英雄メルクリオの従兄弟ッ! その一人と結婚した娘が幼少期に暮らしたアテナイの南方の都市の一軒家ッ! その隣に住んでいた家族が育てていたオレンジッ! それを買い取った商人の取引先の息子の親友にまで遡ることが出来るのでありますッ!」
「はあ?」
その男は、体にぴったりと張り付くタイプの不思議な服に身を包んでいる。
金色の髪に青い瞳を持つ大柄な人物。自信に満ち溢れた顔に激しいジェスチャー。
どうやら人違いのようだ。
途端にキアラの心はしんと静まり返る。
「姫よッ! 今、不安に思われましたかな? わかりますともッ! 吾輩がひょっとして双剣の英雄と何の縁もない人間なのではないかと? そんな気持ちを持ってしまいましたなッ!?」
「そうね。それよりも、なんてやかましいのかしら? でも、あの宰相が普通の人間を寄越すとも思えない。きっと何かあるのよね?」
しんとした心のまま、それでも相手に付き合ってやる。
ところで、やかましいのは、キアラ姫も同じだと思うのだが。
「よろしいッ! では、お教えしようッ! そして、お目が高いッ! 吾輩こそが双剣の英雄の生まれ変わりなのですッ!」
「そ、そうな……」
「そうなのですッ!」
「でも、そんなことは証明しようがないわね?」
「証明とかそんなちっぽけなことではないのですッ! 要は魂が大切なのでありますッ! 吾輩の魂にいつも双剣の英雄は語りかけてくるのですッ! もっともカッコいい生き様とは何かッ! もっとも輝く人生とは何かッ! これはもはや双剣の英雄の生まれ変わりと言っても過言ではないッ! そうッ! 双剣の英雄は吾輩でもあり、吾輩は双剣の英雄でもあるのですッ! はいッ! 証明終わりッ!」
「は、はぁ。まぁいいわ。剣術の先生なのよね。着替えてくるから少し待ってなさい。さっそく稽古を始めましょう」
「否ッ! 剣術は魂ッ! 剣を使ってはならないッ! 心の持ちようだけで強くなるものッ! 吾輩と過ごす時間の全てが剣術の向上ッ! それにつながっているッ! そして、あなたは吾輩と会ってから既に相当の上達を成し遂げているッ! さぁ、もっとッ! もっと魂の切り結びをしましょうぞッ!」
「話にならないわね。あんたみたいに心構えがどうとか、そういうのが大好きな奴のことを知っているけれど、ろくな人生を歩んでいなかったわよ。あいつも俺こそがメルクリオだとか言っていたわね。あんたもやっていることは完全に一致してるわよ! 要は他人の真似っ子にすぎないのよ、あんた」
なんと!
キアラ姫もいつもの調子を取り戻して、さらにいつにも増してヒートアップしてきた。
しかし、メルクリオ26世は慌てない。
暴虐非道の世の細君達に数千数万の悟りを与えてきた、海千山千の男なのだ。
こういう場合は、あえて口論すべきではない。
メルクリオ26世の袖からさっと何かが飛び出す。
目にも留まらぬ動きで床に降り立ったと思うと、素晴らしいジャンプ力でテーブルの上へ。
ククッ!
テーブルの上でかわいくお辞儀をする。
その正体は、リスであった。
キアラはまじまじとその姿を見ている。
誰しも、小動物の可愛げある動作には気を引かれるものなのだ。
ククッ!
メルクリオ26世はリスの鳴き声を真似して、リスの気を引く。
そして、マジックのように手元に取り出したクルミを自身の手の平の上に置いて、手の平ごとリスに近づける。
リスはいそいそとその手の平に乗っかり、クルミを忙しなくかじり始める。
キアラの顔に、同じことをやってみたいと書いてある。
誰しも、小動物には好かれたいのだ。
そして、動物からなつかれることは森の妖精の称号を確実にする必須条件。
自身のことを森の妖精として特別視しているような人間にとって、これは聖なる儀式、聖なる試練ですらある。
そんな少女の気持ちを逆手に取った、お姫様教育係、メルクリオ26世。
その名前は伊達じゃない。
主人公亡き後、次の主人公はやはり彼に決まりなのか?
キアラはクルミを受け取り、おずおずと期待を込めた目をしながら、クルミを乗せた手の平をそっと、リスに近づける。
その瞬間。
キキッ!
鋭い警戒音が響く。
リスは弾丸が弾かれたような、凄まじい勢いで、部屋中を駆け回る。
何か、とてつもなく恐ろしいものから逃げ惑うような様子。
テーブルの下に潜り込んだかと思うと、全速力で駆けていき、テーブルの上を介して高く高くジャンプ。
落下しながらも、部屋の隅にある小さな穴に入り込もうとして、つっかえ、そのまま動かなくなってしまった。
「えと……」
「あッ! 驚嘆ッ!」
恥ずかしさを噛み締めているキアラに対して、追い打ちをかけるように、途方も無い声でメルクリオ26世が驚きの声を発する。
こっぴどく目論見が外れてしまったのだ。残念だったな。
キアラ姫に限っては、小動物を出汁にしてお近づきになる、その方法は使えないのだ。
「なんでこうなるのかしら。わたし知らないッ!」
真っ赤になって叫びながら、部屋から出ていく。
「このメルクリオ26世にもわからないのであるッ! 世の中は思ったよりも広いようであるッ! これほどまでに凶暴な者がいたとはッ! 双剣の大英雄の生まれ変わりである吾輩ですら太刀打ちできないのであるッ! キアラ姫ッ! 恐ろしい子ッ! しかし、恐怖したときこそ、真の魂の価値が計測されるのであるッ! 今こそ我が人生をかけたプロジェクトの開始なのであるッ! ええい、古き良きお淑やかなお姫様を取り戻すまで、吾輩、座して食事を摂ることはないことをここに誓うッ!」




