29 野生のお姫様
「オリヴィアから書簡が届きました」
ここは、アルデア城の一室。
その若さからは想像できないほどに、どこまでも枯れきった声で、女王は話しかける。
「どのような内容にございましたか?」
応対するのは宰相である。
「曰く『卑怯な戦法で義兄上を討ったことに大変な義憤を感じております。姉上さえお許しになるなら、今すぐ駆けつけて、敵討ちを致したく存じます』とのことです」
「左様でありますか」
宰相は小さくため息をつく。
このところ、このような申し出は、ありとあらゆる方面から耳に飛び込んでくる。
やれ、神聖帝国に蹴散らされた聖堂騎士団の仇をとりたい、やれ、義憤を感じるからアルデア王国を救援したい、などなど。
そして、ついに、アルデア王女の元に、その妹にして、共和国の執政官の一人でもあるオリヴィアから、個人的な連絡としてこのような書簡が来てしまった。
公の話ではない。しかし、王女がこれに応えて助力を請うとなると話は異なってくる。
個人的な話では終わらなくなるのだ。
未だに続くアルデア王国と神聖帝国との泥沼の戦い。
現状、フッチ城にて、アル王子が陣頭指揮をとり、なんとか神聖帝国の猛攻をしのいでいる。
この戦いに共和国が救いの手を伸ばしてくるのには、理由がある。
共和国は、アルデア王国と神聖帝国の戦いに割って入ろうとしているのだ。
何故だろうか。
それは、アルデア大陸に野心が有るからなのかもしれない。
宰相は、思わずこめかみに手を当てる。
「どうしたのですか、オクセンシェルナ?」
「いえいえ。お恥ずかしい姿を見せてしまいました。最近頭痛を患っておりまして」
宰相は、穏やかに回答する。
「それはいけませんね。あなたにも大変苦労をかけております」
宰相は優しい言葉に謝辞を示しつつ、しかし、このままではいけないと王女を見据える。
黒い喪服に身を包む王女。
その顔は、ここ1か月のうちに、驚くほどにやせ衰えてしまった。
キラキラと輝いていた瞳は、もはや、涙も枯れ尽くしたかのように虚ろなものとなっている。
宰相は、厳しい一言を掛けることを思わず躊躇ってしまう。
しかし、このようであるからこそ、自身が礎となってこの国を支えていかねばなるまいと、心を新たにする。
それは、友人であった今はなきペーター王の遺志でも有るのだ。
「私の元にも共和国からの申し出は来ております。しかし、今、我が王国に王は不在であります。回答は保留にすべきでしょう」
「私を頼りなさい。私からオリヴィアに頼んであげましょう。この書簡は社交辞令などではありません。あの子は優しいのです。きっと私の求めに応じてくれますとも」
「いいえ。慎みてお断りします」
「なぜ?」
王女は取り乱す。
「イザベラ様。よく聞いてください。あなた様が外交を司るとなると、この国の支配体制は揺らぎます。権力が分散してしまうのです。そこに目をつける輩は国の中にも外にも山のようにいるのです」
「そう……」
「はっきり申しましょう。私は一時休戦し、アルフィオ様に戴冠いただきたいと考えております」
「いけません。あの子には。あの子には重荷です」
「国王継承権を持つ者は3人いらっしゃいます。そのうち、キアラ姫の生死はもはや絶望的。レオナルディ公爵のご子息は良い噂を聞きません。であれば、もはや、アルフィオ様以外に権威を背負える正統性を持つ人物はいません。それに、アルフィオ様はその器量を十分にお持ちだと考えております」
「あの子は、決して体が強くないのです。そのような重責を与えると、寿命を縮めてしまいます。私はあの子が不憫でならない」
「イザベラ様! 貴女はお疲れのようだ」
宰相はしばし目をつむる。
かつて国の行く末を共に語らい合った、ペーター王、そしてイザベラ王女。
若き日の彼らは、夢と希望にあふれていた。
自身の私的な感情を犠牲にしてでも、この国の発展に尽くすという、意欲に満ちていたのだ。
それが、今はこのような。
このような醜態。
王女には子供がおらず、そのせいか、昔からアルとキアラを我が子のように愛していた。
もちろん、宰相にもその気持ちはわかる。
しかし、それではいけないのだ。
王国の統治を補佐するものとして、その感情に共感してしまってはいけないのだ。
宰相はニッコリと笑う。
「私に全てを一任してください。貴女様は一度共和国のご実家に戻られるとよろしかろう。ペーター様もきっとそれを望まれることでしょう」
王女ははっと顔を上げ、宰相を見つめ、そして、ゆっくりと視線を石畳の床に向け直す。
その時。
「火急の用で参りましたッ! 王女様、大臣様! いますぐ、大広間に、大広間にいらしてください」
扉の向こうから慌てふためくメイドが現れた。
「お義姉様、お久しぶりですわねッ!」
その場に似つかわしくないような陽気な声が、広間の真ん中から広間全体に轟きわたる。
そこには、青いドレスを身にまとい、髪をアップにした女性が堂々と立っている。
王女も宰相も口をパクパクとさせて、何も言い返すことが出来ない。
「あれ、嬉しくないのかしら。私、キアラよ? 戻ってきたのよ」
「どうして?」
「いったい?」
「あらあら! 王国の人達は、長文が喋れなくなる病にでも罹っているのかしら。とんでもないわね。しっかりしてくだいましッ! 兵士達ともろくに会話ができなくて、困っていますのよ」
「馬鹿!」
次の瞬間。
イザベラはキアラにかじりつき、ひしと抱き寄せる。
その瞳は再び、キラキラと輝き、枯れたとばかり思われた涙がとめどもなく溢れ出す。
キアラは、驚いたふうだったが、やがて、イザベラの背中を優しくさすりながら、ニッコリと笑顔を作る。
何事かと集まった、王城の侍従、メイド達、使用人達。
皆がもらい泣きをする。
「いったい全体、どうしたっていうんだ」
「どこをほっつき歩いていたのやら。この放蕩娘め」
「てっきり、帝国に捕まって、処刑されてしまったのかと思いましたわ」
「まったく。心の汚い子ほど、世間をうまく渡るっていうからな」
「違いない」
「しかし、不思議だなぁ。行方不明になってから1か月以上もどうやって生き延びてきたんだろう」
「なんだか、以前と違って、野趣味がでてきておられるぞ」
「野生のお姫様といったところか」
「常に正統派じゃないところがキアラ姫のいいところでもある」
ひどい言われようだ。
「今、悪口を言った人の顔は全部覚えたから。あとで、ご飯抜きの刑に処すッ!」
王女を抱きしめながらも、悪態をつくのをしっかり忘れないキアラ。
「あなたもこちらに来るといいわ」
キアラは王女から解放された後、扉の前に屹立する黒い男に呼びかける。
黒い男は、意気揚々とキアラに近づき、洒脱な帽子を片手でとり、キアラの足元に片足を立ててかしずく。
「この度、神聖帝国から姫を奪還したるは、この私。ザンピエーリにございますのッ」
野太い声。野獣のような眼光。そして、満面のあくどい笑顔。
その笑顔は城内を凍りつかせるに足りるものであった。
一方、フッチ城の一室にて。
暗い部屋で、ベッドに寝転んでいるアル王子に向かって、その叔父であるレオナルディ公爵ルイジが居住まいを正しながら話しかける。
「フッチ殿は妙なところで機転が利くといいますか。兵糧の蓄え、城の防護設備は正に文句のつけようがない。古来より守護のフッチと呼ばれるほど、その一族は要塞化技術に特化しておるようですからなぁ。おそらく5年は持ちこたえましょう。しかし、最近は敵襲の回数もめっきり減りましたな。今日の昼頃に包囲網を解いて、奴らは城砦に引き上げたようです」
「ひょっとすると、冬季にこの城を落とすのは諦めたのかもしれない」
「外は既に白銀世界です。あちらもまだ大会戦の損害が癒えてないとみえます。一度体勢を立て直したいところなのでしょう」
「メルクリオ様が大打撃を与えてくれたおかげだと思う」
「城内には我軍の敗残兵が集結し、結果としてみれば現在戦力は5分対5分。しかもこちらには堅固な城もある。こちらが有利です。大会戦の評価は、後世の歴史家が判断することではありますが、決して敗北ではなかったのだと思います」
「ただ、その後がよくないよ。裏切りもあったけれど、暗黒騎士団のせいで、フッチ辺境伯の城砦が6つも落とされた。メルクリオ様さえいれば、こんなことにはならなかったのに」
「私は思うのです。あの御仁は今もどこかで呑気にやっているのではないかと」
「僕もそう思う」
「なるべくなら、これ以上、我々を試すのはやめて、早めに帰還していただきたいものです」
二人の顔には、やはり濃い疲労が見て取れる。
長期に渡る籠城戦を続けてきたのだ。やむを得まい。
部屋の扉が外からノックされる。
「フッチにございます。夜分に申し訳ございません。王家から伝令があり、火急お伝えしたいことがッ!」
落ち着きなく目を動かし、ソワソワとしたフッチ伯爵が室内に入ってくる。
彼はこの城の城主である。
敬意を表して、アル王子も居住まいを正す。
「陛下に置かれましてはご機嫌麗しゅう。私どもがこの酷い戦いに巻き込まれている中、陛下は私どもをお見捨てにならず、ここまで助力いただけるとは、もうはや、このフッチ。感涙にむせっております」
「フッチ殿。落ち着いてくだされ。我々は常にあなたの良き友でありますからな」
「ハハッ!」
「ところで、どのような言伝が来たんだい?」
「それが、です。それが、あのキアラ様が、アルデア城に現れたとのこと」
「なんだって!?」
「まさか……」
「そのまさかなのでございます、話によれば神聖帝国に囚われの身になっていたところを、ザンピエーリ伯爵が勇気ある行動でお救い申し上げたとのこと」
「ザンピエーリ伯が? 嘘だ!」
「それが、キアラ様自身がそのように仰られているとのことです」
「それは本物のキアラ姫か?」
「さぁ、私は実物を見ておりませんし、なんとも」
「姫はどのような弱みを握られているのだ?」
「私にはわかりません。しかし、それ以上に。不肖の私が思いますに、王になるのは、アル様かキアラ様か、とんでもない争いになりそうな予感がするのです」
「うむ」
「姉さんには任せられないな」
「そして、もう一つ。宰相からの伝令なのですが、この辺りで神聖帝国に対して一時休戦を申し入れ、春以降の再戦を約定することを提案するとのことでした」
「確かに、今、我が国は権力者不在の状態であるから、一刻も早く休戦し、王を選定すべき時ではあるが」
「わかった。僕も覚悟を決めておくよ」
王子は天を仰ぎ、目をつむる。
その小さな体には、一つの言葉が蘇ってくる。
絶対に諦めるな、と。
同じくフッチ城。別室。
七英雄の生き残りが集まっている。
タレ目のヴィゴ、トンガリ帽子のカタリナ、ツリ目のロビン、そしてマッチョのイェルドである。
「ちょっと聞いてよ。あたしさぁ、帽子にパンを詰めて、部屋に持って帰って夜食にしようとしてたのよ。そしたら、やめてくださいって。一般兵士に言われたのよ。食料を無駄に浪費しないでくださいって! 私達の扱い、最近ひどくない? 英雄だっていうのに!」
カタリナの言葉に、ヴィゴが返す。
「そりゃあ、俺達はおまけみたいなもんだからな。メインは、メルクリオ様とアウグスタ様様だ。アイツらが居なくなったら、俺達はもう一般兵士と変わらねぇよ。な、そうだろ?」
ロビンに相槌を求める。
「何を言っている? 私達は私達の任務を全うするまで。扱いがどうとか、そんなことは重要ではない」
「ちなみに、俺、こっそりと聞いたんだが、ここいらで休戦協定が結ばれるらしいぜ」
「まさか?」
「そうなると、ますます、俺達は肩身が狭くなるよなぁ」
「イクセルさんは頼りにされてるんだけどなぁ。あたしも何か役に立てないかなぁ? 大都市構想とかさ?」
「あれはイクセル爺さんの専売特許だって。あれっきり、王都に籠もりっきりだしな」
「メルクリオも大都市構想のことが大好きだったわよね。気持ち悪いぐらいにのめり込んでいたのを見たもの」
全員が一様に懐かしむ顔をする。
彼らにとっても、メルクリオが活躍していた時期こそが、全盛期だったのだ。
「そろそろなのかもしれねぇなぁ」
「何がよ?」
「言っちゃうけどさ。俺はヴィゴなんて名前じゃねぇんだ。お前達と違って偽物の英雄ってやつさ。今まで騙していたことは謝る」
ヴィゴは手の平をひらひらとさせながら、あっけらかんと言い放つ。
「やっぱりそうよね。君みたいに下卑た人間が英雄だったら、あたし泣いちゃうわ。尊敬する英雄がこんなんだったんだって」
「うるせぇ」
「この際、便乗して言っちゃうね。実は、あたしも兄さんも偽物なんだ。ついでに兄弟関係っていうのも、宰相閣下から言われて仕方なくそう取り繕っていただけなの」
「勝手に暴露するな」
「まじかよ……」
「ちなみに、カタリナ様といえば相棒のミミズクでしょ。それで、ちっちゃなミミズクを押し付けられて、しかもそいつ全然私に懐かなくてさ。面白いでしょ?」
「違和感があったんだよな。ミミズクがいつの間にか消えていてさ。で、おめぇはどうなんだ? イェルドさんよぉ」
全員の視線がイェルドに向けられる。
「俺はディーノという」
「ホホホ」
「じゃあ、全員偽物じゃねぇか。な。ディーノ君や。笑えるな」
ディーノはむすっとしたまま。
代わりにロビンがうめく。
「それは違う。アウグスタ様と、メルクリオ。彼ら二人は間違いなく本物だった」
「ちげぇねぇ。アイツらはイカれた力を持っていたからなぁ。そういう奴に限って先にくたばっちまうというのは悲しいことだよなぁ」
「意外と、イクセルさんも本物かもよ?」
「そればっかりはわかんねぇ」
ディーノを除いた3人がため息をつく。
ヴィゴはさらに続ける。
「休戦になったら、俺は本来の仕事に戻るわ」
「本来の仕事って?」
「それは秘密だな」
「あたしは王宮に居続けてやる気よ。凡人のあたしが、ここまで取り繕って頑張ったんだしね。金銀財宝をもらえるまでは絶対に残り続けてやる」
「偉い人達に嫌われないように頼むぜ。で、おめぇはどうする? ロビンちゃん」
「私は」
「この国のために尽くす。わかってるって。ディーノ。てめぇは?」
「強きものを探し、闘う」
「……」




