27 病的な感情
谷道を行き、雪山を駆け上がり、尾根沿いを進み、再び谷川沿いの小道に入り、アキレはひたすら走り続ける。
まるで休む気配はなく疾駆。
突風のように前へ前へ。
俺とキアラを担いだまま疾駆。
恐るべき体力だ。
俺はずっと同じ体勢のまま担がれており、最初は窮屈に感じていたが、途中からもはや何の痛みも感じなくなってきた。
まるで、目をつむりながら乗り物にでも乗っているような感覚。
道中何度も気を失った。
夕闇が迫る頃、不意に地べたに投げ出されて、意識を取り戻す。
そこは峠。
森の一角が拓かれていて、奥行きの深い大きな広場になっている。
麓の様子は雪林に邪魔されて見えないが、立派な道が麓に続いているのが見える。
薄く積もった雪が、夕焼けに照らされて真っ赤に輝いている。
大きな小屋が五棟立っている。
アキレがそのうちの一つの扉を叩く。
「おおおおい。俺だァァ。アキレだ! 来てくれぇい」
すぐに扉が開き、いかにも傭兵というガラの悪い奴らが小屋から出てくる。
背が高くてひょろひょろの男が一人。
ズングリムックリの男が一人。
「よく来たな。さぁ、暖かい部屋に入れ。伝達は届いている。双剣の英雄とお姫様をお連れしたんだってな? お手柄だな」
「おうッ。三日後には大将達も追いつくだろう」
疲れ果てて真っ青になっているキアラが、雪道の真ん中で、いきなりシャンと背筋を伸ばす。
流れをぶった切って言い放つ。
「わたし達をどうするつもりなのッ?」
「へへへ。安心くだせぇ、お姫様。貴方様は大事な、大事なお客さんですからね。悪いようにはしませんぜ」
ヒョロが応える。
「じゃあ、すぐに解放しなさいッ」
「そいつぁいけねぇ。今夜は冷える。ボロ小屋ですが、ゆっくりしていってくだせぇ」
「まったく信用ならないわ」
キアラは剣を引き抜く。
俺は、口をきく元気も、キアラを止める元気も、ましてや相手と戦う元気もない。
アキレが、頭をポリポリとかいてズングリに話しかける。
「まいったなぁ。手荒なことはしたくねぇ。俺は難しいことはわかんねぇから、おめぇから少し段取りってやつを種明かししてくれねぇかな。理解が早い奴らなんで、きっとわかってもらえると思うんだ」
「うん? お前がそういうなら、わかった。まぁ、こんなところでは体が凍えてしまう。中に入って話しましょうや」
小屋の中は、整然と片付けられており、常日頃から使用している様子が伺える。
傭兵の隠れ家なのだろうか。
こんなところに、隠れ家を用意して何を企んでいるのだろう。
ザンピエーリは、突撃公の足のところへ連れて行けと言っていた気がする。
突撃公というのは、確か、アルデア王家に使えるレオナルディ公爵。
その当主であるルイジ公のことだったと記憶している。
厳しい老人で、神聖帝国との戦いでも、守備を担い大活躍した武人だ。
そのルイジ公の足。
足というのは、間諜のことだろうか。
それならば合点がいく。
ひょっとすると、ルイジ公の街、レオナルディ城城下町はすぐ近くにあるのかもしれない。
薪の火に暖められて、徐々に元気を取り戻していく。
「俺たち大傭兵団のことをどれだけ知っているんで?」
ヒョロが聞いてくる。
俺は、核心だけを話す。
「ザンピエーリは、アルデア王国に仕える伯爵でありながら、神聖帝国にも傭兵隊長として雇われていた男だ。今回の戦いでは、アルデア王国を裏切り、大要塞を内側から切り崩し、帝国の大勝利に貢献した」
「え? そうなの?」
キアラが驚いたように叫ぶ。
「表沙汰にはなっていないだろう。でも、知っているやつは知っている。俺は奴をあえて泳がせていた。奴らは大勢力であり、王国も簡単には手出しができないのだ」
「さすが。何でもお見通しか」
「しかし、まさかあのタイミングで裏切ってくるとは思ってもみなかった」
「大傭兵団の立場は難しい。帝国と王国、どちらが大勝ちしても困りますからな。平和が訪れてしまうと商売上がったりなんです。悪く思わんでください」
「そんなことは知らん」
俺は憮然として言い放つ。
もっとも、怒ったところで何の解決にもならないから、怒りを爆発させはしない。
「しかし、我々の計算が狂ってしまった。帝国は想定以上のスピードで王国を蹂躙しています。このままでは帝国勝利でこの戦いは終わってしまう」
「そこで、今度は王国に肩入れしたいんだな?」
「よくわかっていますね。ところが、この大傭兵団の秘密を知ってしまった突撃公は激しく反発している。他の貴族もしかり。宰相の配慮で、大傭兵団が神聖帝国に加担したという事実は表沙汰にはされていない。それでも、突撃公は大傭兵団許すまじと考えていて、いつ暴発するかわからない始末なのです」
「そこで、うまいことアルデア王国と交渉し、これからも旨味を吸い続けたいわけだな」
「両国ともに今まで通り、口がきける立場であり続けたい。何なら両国における最重要人物でありたい。だからこそ、大将は、帝国からアルフィオ殿下を解放し、王国の兵団に託したのです。当然、王国に恩を売ったつもりだったのです」
アルも捕まっていたのか。それは知らなかった。
「しかし、その功績をそれはもう見事に隠蔽伯がかっさらっていきました。しかも、殿下をお救い申し上げたのは私だ、と嘘八百を吹聴して回ってるのです。我々の苦労を知りながらあえて、ですよ。間違いなく我々を排除するための意地悪なのです。酷い奴なのです」
隠蔽伯というのは、あの細目の困り顔の悪役。
デシカ伯爵のことだな。
酷い奴とは思わない。当然の流れだろう。
「だから、お姫様を。あっいや、あなた方お二人を大将自ら突撃公に送り届けたい。そうすれば、いくら突撃公といえども、大傭兵団を歓待せざるを得ない。少なくとも表面上、大傭兵団と敵対することはできなくなる」
「詳しいな」
「我々『足』は各地に散らばって、情報を共有していますので」
ふとキアラを見ると、あまり理解は進んでいない様子。
怒りの矛先をどこに向けようか逡巡しているようだ。
こうしてズングリが腹を割って話をしてくれたのは、ルイジ公の前では口裏を合わせろ、そうすれば俺達を生かしておいてやるという、ソフトな脅しを勘付かせるためだ。
目的が明確にされており、話の内容に真実味を感じる。
そもそも、無力な俺達二人の命を奪うなんて、彼らにとっては造作もない。
しかし、そのすぐに奪える俺達の命を問答無用で奪うことはしなかった。
ということは、俺達の命に何らかの価値を見出しているということ。
その態度はズングリの話の内容とも合致している。
実直そうな話しぶりも好印象。
信用に値すると確信する。
しかし、今の話しぶりからすると、俺を送り届けるのはキアラを送り届けるついでのようにも思われる。ならば、俺には選択肢がある。
俺はこのまま姫に随行し、王国で再び軍師として活躍するのか?
それでいいのか? それとも……。
ズングリは、俺が了承してくれたものだと判断したのか、穏やかな顔になる。
「大将がここに到着するのはしばらく後になるでしょう。それからはいろいろ忙しくなるでしょうが、それまではゆっくりしていてください」
キアラは、用意されていた美しい衣装に身をまとう。
俺にも、傭兵たちのお古と思われる衣装が配給される。
俺だけお古なのか。
まぁ、今着ているボロボロの服よりはマシだから、文句は言わないでおこう。
全身の切り傷、打撲傷に、アキレから貰った怪しげな万能薬という薬を塗布する。
鉄籠手を外し、白い手袋を着用し、鳥の手を隠す。
大きめの靴を履き、鳥の足を隠す。
うん。間違いなく今の俺は、人間だ。
武器は取り上げられた。
少し心許ない。
着替え終わったところで、俺達はアキレに連れられて、大きな小屋に移動する。
ぞろぞろと村人たちが現れる。総勢10人。
銘々が適当に祈りを済ませ、一斉に食事を摂り始める。
晩飯はとてつもなく豪勢だった。
ウサギ肉のシチューに、白いパン。
牛乳をたっぷり使った濃厚な味わい。味付けもしっかりしている。
そして、豊かな味わいのエール。
たまらん。
自然と顔がほころんでいく。
なんにせよ、俺達は生き残った。
もはや身の安全は保障されたも同然。
ようやく長旅から解放されたのだ。
「じゃあ、叔父上の城は、この麓にあるっていうの?」
「そうですとも。姫様も気を楽に持ってくだせえ。すぐにアルデアのお城に戻れますからね」
「そうなんだぁ……。アハハハ!」
「ところで、あの大渓谷を突っ切って戻ってきたっていうのは本当なんですか?」
「それ俺も聞きたい!」
「化け物はいましたか? どんなやつでしたか?」
「そうね、あれは炎の巨人だったわね。めちゃくちゃ大きいのよ」
「大きいってこいつよりもですか?」
「もっともっと! こんなに大きくて。そう、この小屋を丸呑みするような」
「うひゃぁあ!」
キアラは純粋無垢な村人兼傭兵達から矢継ぎ早に質問を受けている。
どうやら、レオナルディ城がすぐ近くだと知って、張り詰めた精神が解放された様子。
楽しそうにはしゃいでいる。
すぐに周囲に溶け込んで、もう、座の主役になっている。
「で、大根頭が葉っぱを振り乱しながら、鎖をいくつも投げてくるわけッ」
「え? そりゃあ、いかれたやつだなぁ」
「そこをわたしがさくっと退治してね!」
「すっげぇ! お姫様は強いんですねぇ」
傭兵の少年からまともな称賛を受け取り、キアラの口は絶好調。とどまるところを知らない。
その瞳はキラキラと輝き、笑みが止めどなくこぼれている。
楽しそうで何より。
何より……。
「これは、もう、わたしが将軍を務めるしかないわよね。ね、メルクリオ?」
「そんなこと、知らねぇよ……」
キアラは、俺からのハイテンションな応答を期待していたようだ。
しかし、意外にも俺からの反応はぶっきらぼう。
少し驚いたようにして俺の顔を見て、ちょっと顔を曇らせた後、再び、傭兵達との会話に戻る。
楽しそうで何よりのはずなのだ。
しかし。
圧倒的、そして、暴力的な感情がふと鎌首をもたげる。
その感情を理解する前に、徹底して必死で押さえつけようとする。
それでも、次々に溢れ出ては、心の表層にこぼれ落ちていく感情。
それは純粋な狂気。
なんであいつは楽しんでいるんだ?
もっともっと苦しむべき。
苦しんで欲しい。
苦しみに歪んだ顔を見せて欲しい……。
何故?
そんな残酷なことを。
俺は、今も満身創痍であり、既に満足に歩くことも出来ない。
なのに、あいつは無神経にも、俺に気遣うこともない。
いやいや。
体の傷は時間が解決してくれる。きっと元に戻れる。
それはこの感情の本質ではない。
ならば。
俺の手足。
鳥の手足のように変質している。もはや元に戻ることはないだろう。
力を受けた代償なのだ。
あいつは、何の代償もなく、簡単に力を授かり、俺と肩を並べた。
そして、俺だけが能力を失った。
これは理不尽だ。
あいつも不幸な目に合うべきではないか。
いやいや、そんなことは考えていない。
それに、あいつと俺を比べてどうとか、それもこの感情の本質ではない。
俺がずっとキアラを守ってきた。
尽くしたものは尽くされるべきだ。
これも違う。そんなことは考えていない。
自分を偽ってはならない。
俺が取り憑かれている感情は、もっともっと気色の悪い感情だ。
俺だけを頼って欲しい。
他の奴らからは理不尽な扱いを受けて、俺だけを頼って欲しい。
俺から自立しないで欲しい。
成長しないままで、何も出来ない少女でいて欲しい。
いつまでも俺の可愛い人形でいて欲しい。
心配するな。俺が、何もかも代わりにやってあげる。
楯突くのはいいが、俺から離れていくのは駄目だ。
俺が用意した狭い、狭い部屋の中に、いつまでも閉じこもっていてくれ。
これは何だ?
初めて抱く感情か?
いや違う。これは、無自覚に、心の奥底でずっと鬱屈と煮えたぎっていたものだ。
キアラが連れ去られる度に、キアラが痛めつけられる度に、そして、キアラが剣術の習得に失敗する度に、俺は暗い悦びと安心とに取り憑かれていた。
キアラが俺以外の人々と関わり合いになり、俺との距離ができたことで、そんな暗い感情が一気に表層化した。
そもそも、俺達が生き残っているのは俺が狂ったように戦ってきた結果。
そして、狂ったように戦ってきたのは、紛れもなくキアラを守るため。
では、何故、それほど親しくもない彼女を守り抜いた?
むろん、愛などではない。
もっとおぞましい何か。
それは正義だ。
自分からも人からも認められる正義である。
しかし、自分を欺く爛れた正義でもある。
俺は、大きな失敗を犯した。
俺を支えてきた大切な人を失い、戦争にも負けた。
その喪失感。自己否定感。
それを取り除くために、強烈な正義が必要だった。
キアラを守る、それが唯一残された俺の価値。そして、それこそが正義の本質。
自分にとって都合のいい正義を貫くために、庇護者たるキアラに自立されては困る。
俺以外に頼りになるものがいては困る。キアラ自身が強くなってしまっては困る。
弱いまま、何も出来ないままでいて欲しいのだ。
頭の中に巣食う感情の、その本質がはっきりした途端、俺はいいようのない嫌悪感を募らせる。背中を丸め、顔面を腕で覆う。
頭の中を空っぽにして、ただただじっとする。
しばらくしてから、アキレから新しくもらった杖の先で、コツコツと静かに地面を叩く。
叩くたびに、明瞭な音が響く。
はたして、人間の、人間に対して抱く感情というものは、なかなかに御し難いものではある。
もともとそれは、人間が集団生活を営むために、その機能として原始的に人間に組み込まれた複雑なシステムだったのかもしれない。
例えば、親分と子分。その関係性に適合的である依存と被依存の感情。それは、集団生活で必須となる上意下達を問答無用で成立させるために、我々に先天的に組み込まれたものとはいえないだろうか。
しかし、近代から現代にかけて、集団主義から個人主義に価値観がシフトした。
一方で、旧来の感情に係るシステムは、そんな後天的価値観の移ろいに対応して、急激に進化できるはずもない。
だからこそ、感情と価値観との致命的な乖離が発生するのだ。
などという、俺のエセ科学が、俺の頭の中で炸裂する。
コンコン。
コンコン。
次第に、杖に込める力が弱まっていく。
次第に次第に、感情が収まっていく。
じゃあ、俺はこれからどうすればいい?
対処法は極めてシンプル。考えるまでもない。
ただ、離れること。
それだけで病は完治する。
今まで自分を取り巻いていた環境が取り払われ、異世界にたった一人放り出された。
俺は、この世界に帰属意識がない分、徹底的に周囲から認められたい。
この認められたいという感情とはうまいこと向き合っていかねばならないが、そんな感情が生まれ出ること自体は決しておかしいことではない。
失敗した後ならば、なおさらのこと。
しかし、人から認められるための正義が、おぞましい感情を密かに内包している。
無自覚でいられたのは、その正義に酔っていたからにほかない。
ところが、姫は姫。
俺の歪んだ感情のはけ口になってはいけないし、依存の対象となってはいけない。
これ以上、彼女の側にいることは彼女のためにならない。
彼女を、俺の作った狭い世界に閉じ込めるのは、すなわち、彼女の未来を奪うこと。
そして、間違いなく、俺のためにもならない。
であるからこそ、この関係は、断ち切らねばなるまい。
大丈夫だ。
いつかきっと来るだろう。
再び彼女と俺が、互いが自立した一人の人間として相対するときが。
夕飯が終わる。
アキレに話しかける。
「少しキアラ姫と二人きりで話をしたい。一室をしばらく借り受けられないだろうか」




