21 真夜中の訪問者
食事が終わると、キアラは自発的に寸止め素振りを始める。
修行の一環だ。
火の近くでくつろいでいる俺を無視して、キアラは再度湯浴みを済ませる。
「わたしの側に近づかないでね。近づいたらすぐに起きてあんたの顔をひっかき回してやるんだから」
言い終わるやいなや、焚き火の近くにどうと身を投げ出し、その場で不貞寝を決め込む。
警戒されている。
これまで以上の荒れように、手の施しようがない。
「へいへい」
しばらくして、ツェリアの気配も遠ざかる。
大渓谷は、化け物だらけとか、一度谷の底へ降りたものは生きて戻れないとか、いろいろ噂はあったけれども。
要は、あの巨人が全ての元凶。
あれさえ倒してしまえば、逆にこの大渓谷こそ、我々にとっての安全地帯といえる。
もっとも、鳥頭と遭遇しなければ、の話だ。
あれはなんだったんだろうか。
てっきり、俺の心の中にだけ出てくる化け物だと思っていた。
それが現実世界でも現れてしまった。
俺が、引き寄せてしまったというのか。
この黒い指輪のせいなのか?
まるでわからん。
月が翳る。
暗闇の中、点在している白い枯れ木の幹が、薄白く輝き始める。
川向こうで、妙に発光する白い霧が発生する。
白い霧は、縦に伸び上がり、徐々に形を作っていく。
それは人の姿へと変化する。
ふわっと、足音もなくこちらに近づいてくる。
川を渡れないのだろうか、川向こうで右往左往している。
白い人は、重低音で恨みがましく、呟き始める。
「オデのアジをガエじてグレ……」
俺は、気が付かなかったことにする。
ただ、念の為、黒い剣を側に引き寄せておく。
すると、白い人の仲間が現れ、同じく川向こうで右往左往を開始する。その数は数えきれないほどである。
銘々が無秩序に呟き始める。
「オネガイダカラ、ヒをけして! アタシのイエがモエているの」
「陛下、酷うございませんか」
「ワレラをミステないでくだサイ」
「ナンでこんなことを」
「アタジのコドモをがええせええ」
次々にあがる怨嗟の声。
意味がわからない。
誰かと勘違いしているのではないだろうか。
そもそも、お願いがあるなら、フラフラしながらではなく、びしっと言えばいい。
「ちょっと静かにしてもらえますか。真夜中なんで」
白い人達は、びくっとして慌てて四散する。
俺は湯冷めしないように、外套をきつく体に巻き付ける。
「エイユウなんでショウ? ナンでコンナことをするの?」
「ワタシタチは、いらないシミンナノ?」
「結局、あなたは神にはなれなかった」
気がつけば、白い人達は再び川向うに集まっている。
相変わらず、ぼそぼそと喋りかけてくる。
「急ぎじゃないなら、日が昇ってからにしてもらえますか」
白い人達は、再びさっと逃げていく。
その時。
すっと川面を霧が覆う。
その霧の中。白い人達はなだれ込むようにしてこちら岸に移ってくる。
まさか、こちら側に来られるなんて、思わなかった。
これはまずい。
調子に乗ったことを言って、すいませんでした。
白い人が、俺の側を通りすぎる。
その瞬間、腹部に鋭い痛みを感じる。
音も立てずに、俺を切り裂いたのだ。
白い人達は、次々に襲い掛かってくる。
俺は無数の切り傷を負っていく。
グラディウスを振るっても、所詮相手は霧。切り裂くことはできない。
しかも、向こう岸には、次々に白い人達が生まれ始めている。
何故か狙われるのは俺だけ。
こいつらは、蚊のように、襲う対象に好みでもあるのだろうか。
それとも、まずは俺を倒さねばなるまいと考えているのだろうか。
ちなみに、キアラは相変わらず、スースーと安らかに寝息を立てている。
俺は、慌てて手元の火を木の棒にとり、白い人に向けて、めちゃくちゃに振り回す。
「おおおおぅぅぅぅうううう!」
白い人は火に包まれると、腹から声を出し、身をくねらせながら、天に向かって蒸発していく。
白い人達と戯れていると、巨大な影が空から舞い降りてくる。
横幅は30mもあるだろうか。
川向こうへ音もなく降り立つ、巨大生物。
知的な顔をかしげている。
それは、白くて巨大なミミズクである。
金縛りにでもあったかのように、動けない。
ミミズクは、美脚でもってとんと地に降り立つ。その瞬間、突風が吹き荒れ、白い人達が吹き飛んでいく。
かと思うと、ミミズクは再び月光を背に、ゆっくりと崖の上へと去っていく。
川向うに、こちらの様子をじっと観察する獣がいる。
派手な角を持った男鹿。
40mもあろうかという巨大鹿が、おどけた足さばきで、ミミズクに次いで、音もなくとっとと去っていく。
静寂のとばりが下りる。
心配になってキアラを見やると。
「むにゃむにゃ、もう食べ切れないわ……」
翌日。
木枯らしが吹き荒れる。
南の崖の側に到着。
崖を登坂できるポイントを探す。
まるで、人工的に作られたような、なめらかな崖。
崖上に至るまで緩やかな円弧を描いており、恐ろしく精巧な作り。
自然が作ったとしても、人間が作ったとしても、匠の域としか言いようがない巨大造物。
ひとつの窪みもない。
これではよじ登ることはできない。
少しづつ東に移動しながら、観察を続ける。
崖上は、やがて城壁が途切れ、山地に入る。
しばらく進むと、昨日の川の上流にぶつかる。
崖上から滝となって、結構な水量が流れ落ちてきている。
滝の周辺は、周囲と比べて若干緩やかな坂になっている。
いくつも窪みがあり、これを伝って登攀することは困難ではあるものの、無理ではない。
うっすらと、道のようなものも見て取れる。
先駆者がいたものと思われる。
「道があるじゃないか。こんなものは、俺でなきゃ見逃してしまうわ」
信じられないものを見るような目で、キアラは道を見上げ、山頂をみやり、最後に俺を見る。
「えーー、嘘でしょ」
せっかく、登山ルートが見つかったというのに、嬉しくなさそうだ。
石ころの堆積した緩やかな坂をしばらく登っていくと、今度は、大きな崖が前面に張り出している。
垂直に近い崖を登りきると、その先は、崖に沿って、幅20cm程度の細長い道が続く。
滝にぶつかる。
滝の裏のつるつると滑る崖を用心深く進む。
このあたりから、枯れ草模様の植物がちらほら見え始める。
滝を通り越した辺りで、虹が見える。
どっと、額から汗が噴出する。
道沿いに急峻な坂を登りきると、一転、森の道へ。
少しずつ傾斜がゆるくなっていく。
既に、森の樹々は冬支度を始めており、真っ赤な落葉が道に覆いかぶさっている。
黙々と道沿いを先に進むと、天然の洞窟を発見。
奥行きは10mぐらい。浅い洞窟だ。
既に10時間ほどは歩き、夕暮れにはまだ少し早い頃。
おおよそ1.5千m程は登っただろうか。
「今晩は、ここで野宿しよう」
「いえ。まだ行けるわ」
完全にやせ我慢だ。
膝が震えているのを見れば一目瞭然。
もう限界なのだろう。
「大渓谷からは脱した。もはや、危機は去った。ここはどこにでもあるありふれた山の中だ。もう、焦ることはない」
このまま、この山を越えれば、おそらくは、第三古城あたりに出られるはず。
俺は、薪を集めるべく、洞窟の外へと向かう。
「行かないでよ」
振り返る。
キアラは、洞窟の奥で、ぼんやりとどこか遠くを見る目をしている。
「心配するな。すぐに戻るさ」
俺は踵を返し、外へ。
外界全てが赤く染まる、夕暮れ時。
点々と雪が積もっている。
この装備で雪山走行というのは、自殺願望者のすることだ。
雪に覆われる前に、山を越えたい。
おや。
小さな小屋がある。
こんな山中に建つ、謎の一軒家。
いつぞやの苦い経験を思い出す。
また、番兵小屋なのではないだろうか?
恐る恐る、小屋の近くににじり寄る。
何の変哲もない小屋だ。
むしろ、物置といってもいい。
人の住んでいる気配もしない。
あの洞窟よりも、この物置のほうがまだくつろげるだろう。
そう思って、キアラを呼び寄せるべく、踵を返そうとしたその時。
登ってきた崖とは反対側の、山の麓に一筋の煙。
注意を凝らす。
間違いない。あそこには村がある。
三軒の家が立ち並ぶ、ひなびた村。
穏やかな風が通り過ぎていく。
耳を凝らすと、賑やかな楽器の音が聞こえてくる。
お祭りだろうか。村の広場に人々が集まっている。踊っているようにも見える。
晩秋の感謝祭といったところだろう。
なんだか、ようやく戻ってきたという感じがする。
赤い夕焼けに照らされ、俺の陰が長く伸びる。
じんわり、ほっこりと、長旅の疲れが癒されていく。
俺も、その感謝祭、参加したいぞぅ!
敵国の支配地からよくぞここまで。
王国はもう、目の前。さぁ、キアラを連れてこよう。
あいつもきっと、喜ぶだろう。
と思ったのだが。
不意に、小屋の扉が開く。
「ウワァオゥ!!」
謎の者がすたすたと現れる。
まったく驚いた様子もなく、しかし、ドスの利いた声であえて驚いたふりをしてくる。
中から現れたのは、その場に相応しくない、ファッショナブルな人間だった。
寒いだろうに、真っ白な肌が胸元まで見える。肩ももろ出しだ。
孔雀の羽のような、黒いフサフサが胸元あたりで四方八方へ広がる、奇異な服装。
金の髪は天に向かって逆立ち、まるでパイナップルのよう。
べったりと赤い口紅が耳から耳まで伸びている。
性別は不明。
やばい奴に違いない。
まずもって、関わり合いになりたくない。
「ハーハーハー! よく持ってきてくれたネ! 待っていたんだヨ!」
「何を持ってきたと?」
「何をって? カカカ、変わったことをいうネ。決まっているじゃないカ! その赤い指輪だヨ!」
俺は自分の指に収まっている赤い指輪を見る。
「これは、自力で手に入れたものです」
「ハーハーハ―! 持ち逃げしようなんて、どうして、どうして、悪い子だネ!」
持ち逃げ呼ばわりなのか。
「約束したんです。赤い指輪を持って崖の上の世界に戻るって。あなたとは無関係の話ですよ」
パイン頭はその頭を上下に激しく振り始める。
「悪木盗泉? 天網恢恢! 掩耳盗鐘サッ!」
何を言っている?
「せめて、どちら様か名乗って貰いたいものです」
「うん、面倒くさいネ」
そういうなり、パイン頭は自身の指を、自身の口から喉の奥に突っ込む。
グェグェ言ったと思うと、指を引き抜き。
右手から左手へ、上から下へ、何かをぽろぽろと移動させる。
左手で掴みそこねたいくつかは、地面に落ちる。
「これぐらいかナッ! イッイッイッ!」
地面に落ちたものは指輪。
全て銀色の指輪。
左手にはいくつかの指輪が残っており、これを右手の指に次々にはめていく。
金の指輪が合計5つ。
まるで、手品師のような手さばきを、俺は疲れもあって、呆然と眺めるだけであった。
途端に、真っ黒な鎖がパイン頭の左手に現れる。
パイン頭は、鎖を振るって、その先端をこちらに投げて寄越す。
甘いな。視認できるものを、俺が避けられないことはない。
鎖の先端を避け、急いでグラディウスから布を取り払い、正しく構える。
パイン頭を見ると、こちらに向かってパチン。
長くて節くれだった右指を鳴らす。
一瞬遅れて、肩口に強烈な打撃を食らう。
こんなに離れているのに。何を食らったのだ?
パチンッ!
腹にも。
パチンッ!
足にも。
パチンッ!
肘にも。
一撃一撃が重い。わけのわからないまま、全身に打撲を負っていく。
「愚かしいネ! そもそも、地獄の釜から抜けることはできないんだヨ。ここが終着点ってことサ! おしまい、おしまい! ハーハーハ―ハー!」
黒い鎖は完全に物理法則を無視して、何もないところで、直角に折れ曲がり、しかも、俺を目掛けてどこまでも伸びてくる。
痛む全身に鞭を打って、ステップ。さらに鎖の先端を避けようとした時。
足下の地面から土の手が突如隆起し、俺の足を捕まえる。
慌てて、土の手の拘束を振り払おうとしたところへ、鎖が襲いかかる。
鎖が、俺の全身に絡みついてくる。
と同時に、パイン頭の指鳴らしを合図に、上空から空気圧のようなものが降り注ぐ。
たまらず、膝を地につける。
そこを、地から伸びる土の棘に貫かれて、早くも血塗れ。
「何を油断しているんだイ? 先手をとっているのはこっちなんだヨ」
パイン頭は、流れるような作業、慣れた様子で、鎖に唇を近づけ、ふっと息をのせる。
そうすると、鎖を伝って何かが近づいてくる。
鎖の上を這ってくるのは真っ黒なアルファベット群。まるで毛虫のようにいやらしく迫って来る。
どれだけ、体を揺さぶっても、力を入れても、鎖は断ち切れない。
あと少しなんだ。
もう少しで、あの村へ。
こんなところで倒れてたまるか。
生きて戻るんだ!
「悔しいねぇ。うぇうぇ」
気持ちの悪いことを一方的に呟いている。
決して、俺とまともに話をしようとはしない。
痛みを堪えながら、素早く分析する。
鎖。地面からの棘。指パッチン。アルファベット。
5つの指輪に4つの能力。
もう1つ、能力を隠しているのか。
「『お前は、5つの能力を使いこなすのか』って言いたいんだね?」
「お、お前は5つの能力を使いこなすのか? あれッ!?」
こいつの最後の能力は、脳内情報の読み取りのようだ。
「ウワァァァーー!」
不意に、鎖が断ち切られる。
断ち切った者は俺に背を見せ、パイン頭に向かって、剣を構える。
その小さな背中はどうしようもなく震えている。
それは。
「何してんのよッ!」
全身に放電をまとったキアラだった。




