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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第二幕 翼のある使者
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14 釜の底

「ありがとう……」


 小さな声が聞こえた。


 身の危険を感じるが、目を開けようにもいうことを聞かない。

 全身が動かない。


 もういい。

 覚醒する努力を放棄し、そのまま眠りに移行する。




 ふと、目が覚める。

 

 見慣れぬ薄暗い世界が広がっている。

 急いで半身を起こし、注意深く周囲を見渡す。


 大渓谷の谷底へ落とされたはず。


 俺の体の下には、ふわふわした濃緑のコケがびっしりと、そして分厚く繁茂している。

 高いところから落下したはずなのに、奇跡的に俺の体が無事だったのは、コケがクッションになってくれたからだと思う。


 空気がひんやりとしている。

 しかし、かじかむような寒さではなく。

 まるで晩秋とは思えないほどの穏やかな温度なのだ。


 どうやら、大きな倒木の上で寝ていたようだ。

 幹の下には、澄み渡る泉が広がっている。

 水深は浅く、どこからか、水が流れ込む癒やしの音が聞こえてくる。

 

 泉の中には点々と浮島があり、浜辺へと続いている。


 白い浜辺。

 そこにはいくつもの巨木が屹立し、薄白い大きな幹を天に伸ばしている。

 



 静かだ……。


 谷底は、化け物が跋扈すると聞いていたが、そんなこともなく。 




 巨木の根元。

 そこには、一筋の煙。


 焚き火の隣に、キアラの姿があった。

 


 

 俺の金属製の小さな片手鍋が、直火で炙られている。

 大麦でも炊いているのだろうか。

 こういうことは全くできない純正のお姫様だと思っていただけに意外だ。


 しかし、煙はまずいだろう。

 敵の兵士も、この谷に落下したはず。

 無事でいるかどうかはわからないが。


 周囲に意識をこらす。


 ……。

 

 いない。

 少なくとも周囲に敵はいない。

 どこまでも薄暗い森が広がっているだけ。


 仮に、敵兵が生きていたとしても、彼らにとってもこの地は未知の土地。

 俺たちを探索する余裕なんてないだろう、と気楽に結論づける。

 

 

 

「あっ! 起きたんだ」


「おう」


「お粥がもうすぐできるからね」


「意外だな。こういうことをするなんて」


「見くびらないでよッ。わたし、使用人の仕事、庭師の仕事から料理人の仕事まで、だいたいのところは習得済みなんだからね」


「女王希望ではなく、使用人希望だったんだね」


「違うわよ。人の上に立つもの、下々の苦労も知っておく必要があるのよ」


「はい、はい」




 

 俺もキアラもぼんやりとしている。

 だからこそ、いつもの会話のドッヂボールはおきない。


 まだ助かったという実感はない。

 油断はしてはいけない。

 危険な地域に踏み込んだという認識でいなければならない。

 なんせ、あの噂の大渓谷、地獄の釜の底なのだ。


 しかし、とりあえず、追手はいない。

 当面の危機は去ったとみてもよかろう。 


 俺はさらなる長旅に備え、自分のはいのうの中身を確認する。


 サーベルは失った。戦闘中にどこかに放置してしまった。

 中には、水筒と食料。大麦オンリー。

 三食食べるとして、おおよそ二人で1週間。一人で2週間は持つだろう。


 他に、クロスボウ。ナイフ3本。

 あとは、火打金、岩塩、サバイバル用具一式。





「よく、頑張ったな」


 ぽつりと呟く。


「うん」


 キアラは視線を脇に逸らす。


 俺は岩塩を削り、お粥にひとたらし。

 キアラの分と俺の分をそれぞれの木皿に盛る。


「それ。食事のときは外したら?」


 俺の鉄籠手を指差してくる。

 破れた裾の隙間から、鳥の足のようなものに変化した俺の腕が相変わらず見えている。

 手の平。

 直接視認しなくても、動かしてみた感触でわかる。

 もう、ほとんど、人間の手ではないだろう。


「外さない主義なんでね」


 笑ってごまかす。

 こうして命があるだけでも幸福だと思わなければならない。


「そうなんだ……」


「大渓谷の谷底は、危険な地域だと聞いていたのだが、拍子抜けしてしまうな」


「そんなこと言ったら、また怖い目に遭うわよ」


「化け物が闊歩するところだって聞いていたんだが、そんな様子はないしな」


「谷を冒険しに行った人が戻ってこないというのは、たぶん本当よ。私の使用人の凄腕冒険家も戻ってこなかったし」


「何か、この谷底に恐ろしいものが棲んでいるのだろうか」


「わからない」


 静かになる。

 唐突に現実に引き戻された感がある。




 ゆっくりと、キアラが嘆息する。

 おもむろにハンカチを取り出し、自分の後ろ髪をくくり始める。

 瞳に決意がにじみ出ている。


「わたし! さっきも言ったけど、女王になるの」


「あっ、そうなの」


「そうなの。絶対になるの」


「じゃあ頑張ってね」


「そのためには何でも利用するつもりなの。そうね、例えばあんたとか」


「言っちゃてくれるねぇー」


「これからは自分の身は自分で守る、だから、あんたはあんたでわたしのために、わたしの王道を切り開くことに全力を尽くしなさいッ」


「?」


「だから、わたしに教えなさいよ。その、野蛮なけんかの仕方をッ!」


「えっ? あんなに嫌がっていたのに? どうしたの? いまさら? えッ? えー?」


「うっさいわね」


「ぎゃー。これは嫌な予感がする。怖いと言わざるを得ない」


「どうしていつもそんなうっとおしいのかしら。つまりッ! 使用人メルクリオ、下々であるあんたの技をいただくだけのことよ」


「やれやれ」


 ようやく自覚を持ってくれたみたいだ。徹底的に鍛えてやろうじゃないか。




「俺の動きをよく見て、そのまま真似てくれ。初心者はゆっくりやってくれてオッケーだ」


 幸い、キアラは城内でのふりふりの服装ではなく、動きやすい格好をしている。

 まずは、左右に軽く動き。準備運動。

 そして、いきなりスクワット!


「そんなに張り切っちゃって! 気味が悪いわね! それに、切り合いの練習をするんじゃないの?」


「何を言っているんだ。まずは筋肉! 肉体改造からだ」


「なにそれ? 邪教徒みたいな動きをするわね? 何を召喚するつもりなのかしら? なかなかしんどいじゃない」


「女王ほどの方でも、下々の技を会得できないことがあるんすね」


「そ、そんなの余裕に決まっているじゃない」


「その調子! はい、カウントッ」


「ワンッ! ツー! なんで言わされてるのよ」


「ほら、ほら、リズム感が違う、やり直し!」


「はひ……」


 残念ながら、俺自身、筋トレをやるのは高校生以来。

 最近流行りの故障しにくい筋トレなんぞ、全く知らない。

 腕立て、腹筋と昔ながらの筋トレを一通りやらせると、キアラはひぃひぃ言いながら、その場にぶっ倒れた。

 まぁ、初心者はこんなものだろう。

 十分に休憩をとってから、次のメニューだな!




「さぁ、打ち込んでくるがいい」


 キアラは、半笑いしながら周辺に転がっている中でも、もっとも大きな木の棒を握りしめる。

 俺に渾身の一撃をぶつけたいのだろう。目がギラギラしているぞ。

 まるで、俺に対する本物の殺意を抱いているみたいじゃないか、ハハッ。


「やああああー」


 右手で振りかぶって、バランスを崩し、後ろに倒れそうになりながらも前進してくる。


 俺は素早く突きを繰り出し、キアラの心臓の手前で停止。


「あっ!」


「はい、瞬殺。俺ぐらいの達人になると今の一撃で相手を倒してしまう。君、この業界を舐めてるんじゃないかなッ? もっと、動きを俊敏に。そしてフェイクを交えながら」


「はひ……」


 しおしおとその場に崩れる。

 先は長いなぁ。


「さぁ、もう一度。気を引き締めてッ」


「わかってるわよッ」


 今度は右から討ってくるとと見せかけて、左から棒を振り下ろそうとする。

 しかし、大きな棒に逆に振り回されて、ぐるんぐるんと、体が左右に揺れる。

 しまいには、石にけつまづいてしまう。


 首元を掴んでシャンと立たせる。


「ちゃんと周囲を確認するッ」


「はひ……」




 体が自分の意志通りに動いていないようだ。

 これは駄目だ! 実戦訓練はもっと先だ。


「まずは、木の棒を振れ。何度も何度もだ。ただし、ただ漠然と振っていても意味はない」


 巨木の幹に向かって、木の棒袈裟懸けに振り下ろし。

 幹にあたる瞬間。

 

 寸止する。


「幹に当たってしまったら、失敗。全力で振り下ろす。そして寸止め。余力を残して打ち込むとトレーニングの効果が失われる。相手の動きや自分の武器に振り回されず、体の重心を支配する。これが戦闘の基本だ」


「なんだか、スカッとしない練習方法だわ。でも、わかった。やってみる。それならできそう」


「左右交互にやるんだ。筋肉の動きを常に意識しながら」


 カーーン!


 すぐに幹から大きな音が鳴り響く。

 さっそく失敗しているじゃないか。

 困ったな。

 想像以上に運動能力は絶望的、なのかもしれない。


「そういえばいい忘れていたのだけれども。棒きれが幹にぶつかったら、そのたびに、俺を褒め称えなければいけないことにしよう! でないと、トレーニングの効果が失われる」


「えっ、それは嫌な罰ゲームね。あんたを褒める自分の姿を想像しただけでも身震いしそうだわ」


「喜びに打ち震えるってやつか、ありがとう」


「バカッ、言ってなさいよ」




 カーン!


「うげッ。メルクリオ様。まるでカモシカのような足、を狙う悪どい猟師、の持つ弓矢のようにしなやかな動きをお持ちですわね」


 カーン!


「うげ。メルクリオ様。突風のように騒ぎ散らす風、に押される柳のような、しなやかな体格ですわね」


 カーン!


「メルクリオ様。肉食獣のように下卑た物欲しそうな目つきですわねッ!」


「ああッ? それは間違いなく悪口だろう」


「違うわよ。肉食獣のようにワイルドでカッコいいと思ってるだけよ」


「姫の発言は全てが悪口に聞こえる。真面目にやらないと俺、君が頑張る姿を諦めちゃうからね」


「わかってるわよ、さぁ、続きッ!」


 その後、日が暮れるまで特訓は続けられたのだった。




「うう……」


 キアラの体はもうぼろぼろ。

 手にできたマメが無残に潰れており、布切れで手の平を覆っている。


「そういえば女王になりたいって、そう言っていたように思うのだが」


「何よ。文句でもあるの?」


 焚き火に照らしだされているキアラの怒り顔。

 心まですっかり、ささくれだってしまったようだ。

 目だけが相変わらずギラギラしている。


「少し興味がある」


「そう」


 周囲は真っ暗闇。

 真っ白な巨木の幹が、うっすらと発光しているような錯覚。

 虫の音もなく。

 ひたすら静か。

 寒くもなく。暑くもなく。


 倒木の上のコケのベッドにて。

 少し離れて、二人して足をだらんと中空に浮かせて腰掛けている。




「順当に行けば、アルが王様になると思うのだが」


「そうね、男系が王になるのが普通ね」


「それでもあえて?」


「あんた、アルに王様をやらせるつもり?」


「人の話をよく聞くし、素直だし。みんなから愛されているし。誰かさんとは大違い」


「それではたして王様が務まるのかしら。人の上に立つ者。当然、非情な判断だってしなきゃいけないし。それに……」


「?」


「なんでもないわ。確実に言えるのは、わたしの方が人の上に立つに相応しい器ってことね」


「は、はぁ?」


「はぁ、じゃないわよ。わたしは今は未熟かも知れないけど。大器晩成なのよ。わたし、自分の才能が開花するのが怖くなってきた」


「あっ……。はい……」


「むかつく返事ねッ!」


「ハハッ。冗談はさておき。女王になりたいっていうよりは、自分の才能を周囲に認めて欲しいってことだろ? それなら……」


 キアラは顔を上げ、まっすぐ俺の目を見る。


「違うわ。それは違う」


 間違っているのか?


「人々に褒め称えられるっていうのは大事なことだろう。どれだけ価値のあることをしても、人から認められないんじゃ意味がない、そうは思わないんだ?」


「ええ。思わない。正義をやるの。嫌われることでもやる。王が国民の顔色を伺うのは違うの。もっと見据えるべき何かがあるのよ」


「誰からも認められる行いが、正義なんじゃないのか? でないと、正義だって自分で思っているだけで、実際は独りよがりになってしまう、そうは思わないのか?」


「思わないわ。正義ははっきりしているもの」


「そうなんだ……」


「あんたにはわかるかしら?」


 その瞳はどこまでも汚れを知らない。


「わからないかもしれないなぁ」


「そう、変な返事ね」


「わかったふりをしたくないだけだ」


「正直ね。少し残念だわ」


 その横顔は安心した顔。

 妙なところで俺を信用してくれたようだ。


「王になったら、何をするつもりなんだ? そもそも、正義ってなんなんだ?」


「そうね。戦争を終らせる。そして、3つの国で手を取り合って幸福を分かち合うの」


 うっとりと語り始める。


「抽象的だなぁ。もっと具体例はないの?」


「えっ。大都市こーそー?」


「自分の頭でちゃんと考えてくださいよ、女王陛下。次までに答えを用意しておいてください」


「そ、そうね。わかったわ」


「女王になった暁には、そうだな。宰相の地位に俺をつけて欲しいかな。それで、優秀な部下と商人を揃えてくれ。さらに、大きな領地をくれ。銀山。金山。鉄もとれる山。豊かな小麦畑。海沿いがいい。貿易船を仕立てられるからな。そして。王国中の美人を俺のもとに集めてくれッ。なっ、できるだろ? これこそ正義じゃないか! 頼んだぞッ!」


「……バカ」

 

 絶対零度の冷めた目で見られる。




 交代で夜中の番をすることとする。


 俺はコケの上に横たわる。

 久しぶりに落ち着いた心を取り戻す。


「そうそう。今日は停滞してしまったが、明日は移動日にあてる。訓練は、旅を続けながら行う」


「わかったわ」


「必ず。お前を安全な場所まで送ると約束しよう」

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