09 届かない手
静かに夜が忍び寄る。
月夜とは言えども森の中は暗く、視野は狭く、キアラをそれ以上歩かせることはできなかった。
少し南下した辺りで野宿する。
キアラは言葉少なに食事し、早々に爆睡を開始。
疲れちゃったのかな。歩かせすぎたか。
静かになって大変ありがたいことではある。
俺は暗闇の中、再度思案を巡らす。
王国へ逃げ延びる、そのためのルートが決まらないのだ。
大渓谷を越えるルートは三つ。
まずは、大橋梁を通るルート。
間違いなく、橋の入口又は出口には関所があり、番兵が出入りを監視している。
このまま変装なしに向かうのは危険以外のなにものでもない。
そもそも変装道具もないし。捕縛されればまず間違いなく死が待っている。
次は、大渓谷そのものにわけ入り、横切って、対岸をよじのぼるルート。
大渓谷は化け物の巣窟になっているという噂がある。
化け物ってなんなんだよ。わからないが、危険だ。
最期に大渓谷を東に迂回し、大山脈を通って南下するルート。
おそらく、ファウストと戦った第三古城あたりに出ることができる。
季節は晩秋。雪山登山になるのは必至。見通しが悪く、案内人も地図もない、そして道もない。無謀だ。
そもそも、食料がもたない。狩りをするにしても、そもそも動物の姿をほとんど見かけることがない。木の実だってたかが知れている。
どのルートを通るにしても危険がいっぱい。
ひょっとすると、詰んでる?
いっそのこと、西に向かい、漁村を見つけて船を借りて海上を南下するか?
漁村がどこにあるかわからない。当然漁村を探していては食料が尽きる。
大渓谷を実際に見た上で、考えよう。
途方に暮れて、思考をストップする。
キアラはそんな俺の悩みには無頓着。
すやすやと明るい顔で眠っている。
キィーーーー! キィーーーー!
鳥の甲高い声でうっすらと意識が覚醒する。
凛とした空気に包まれている。
さっと周囲を観察する。
日の出後間もない。
声の主を探す。
上空に鷹が一羽。
断続的に大きな鳴き声をあげている。
だんだんと体が覚醒し、不意に危険を察知する。
鷹は、俺達を見て、威嚇のために鳴いている。
素早く立ち上がり、周囲を再度見回す。
キアラの側ににじりより、周囲を警戒しながら肩をゆすり……。
何かかが来る。
俺は、その場に倒れるように伏せる。
ビューーン!
すぐ真上を矢が通っていく。
と同時に、すぐそばの木の幹にドンと矢が突き刺さる。
肩を覆うマントがざっくり裂かれる。
あぶねぇ。
すぐに二本目、三本目と飛んでくる。
いずれも、かろうじて避けきる。
森の中で俺を正確に射撃してきた。
およそ50m先ほどの位置に一人。
そのそばにもう一人。
相当の手練だ。
注意を凝らしても、その姿はよく観察できない。
「どうしたのかしら?」
のんきな声を上げるキアラを一気呵成に小脇に抱え、そのまま矢の通ってきた方向から陰になる岩の裏手に移動する。
「え? え? ちょ? え?」
うるさい。
「敵が来た!」
敵は木々に隠れながら、素早く近づいてくる。
森の中での動きを熟知している。
弓矢では俺を倒せないと判断したようだ。
ならば、近接戦をお望みか?
こちらには飛び道具はない。
近接戦で雌雄を決することになる。
一対二か。
格段に不利だな。
ショートソードの柄に手をかける。
ええい。
俺はキアラをその場に置いて、岩の立ち、そのまま走ってその先にある木の陰に隠れ直す。
間髪入れずに投げナイフが次々に飛んでくる。
俺はスライディングしてこれをかわす。
あらためて、別の木の陰へ。どんどんと先へ進む。
キアラの存在から相手の目を逸らせるためにも。
相手の動きが突然、ピタリと立ち止まる。
俺も立ち止まる。
距離にして約10m。目と鼻の先。
木の向こうに隠れている相手の様子をじっくりと観察する。
少年が一人と、老人が一人。
いずれも軽装備。手元には短い剣を一本ずつ。
投げナイフを数本ずつ。そして弓矢。
正規兵ではないだろう。
いちかばちか。
俺は、手元のはいのうから、金貨を取り出し、相手に投げる。
ちょうど、相手の手前に落ちる。
だが、相手は拾わない。
努めて明るく。
「通行料だ。まずは、受け取ってくれないか」
返事はない。
少年と老人。
こちらは痩せているとはいえ、働き盛りの大人。
どちらかというと、身長も高いほうだ。
相手は決して分のある戦いとは思っていないはず。
下手に傷を負いたくはないだろう。
平和に解決できるならそれに越したことはない。
金さえ手に入ればいいんだろ? 正規兵じゃないのなら。
「無事に通してくれるなら、さらに追加料金も払おう!」
それでも、返事はない。
逆に見くびられてしまったか。
仕方あるまい。多少は驚かせてやるしかないな。
石ころを二つ拾ってゆっくりと構え。
一投目。
蓄積されたイメージ通りに投擲。
放物線を描いてゆっくりと。
すぐに二投目。今度は直線的に飛んでいく。
二つの石が相手の隠れている木のすぐ側、その空中でぶつかり、少年と老人に向かって跳ねる。
少年と老人は跳ねた石の直撃を受ける。
勢いはない。
ダメージは小さいだろう。
それでも返事は来ない。
俺は仕方なく木の陰から姿を表し、完全に無防備な姿勢で、敵意がないことを示す。
「ほら、このとおりだ。今のはただの大道芸。楽しんでもらえたかな?」
しんとしたまま。
「戦いたくはない。このとおり。すぐに立ち去るから。俺たちのことは見なかったことにしてもらいたい」
木の陰から手が伸び、さっと木のそばに落ちている金貨を掴み、すぐに引っ込む。
少年と老人が左と右に別れて、下がっていくのが見える。
少しは俺の投擲力に恐れをなしてくれたものと見える。
俺は慎重にキアラの側に戻り、キアラの腕を捕まえて前進を再開する。
今回ばかりは空気を呼んでくれていて、失神することなく静かに付いてきてくれる。
周囲に気を配りながら、少年と老人から目を離さず。
少年と老人もこちらをずっと警戒している。
彼らのそばを通り抜ける。
二人の姿がちらりと肉眼で見える。
戦闘力が高いような印象はない。
それでも、気を緩めることなく、進んでいく。
彼らは後ろから、尾行している。
ああ。わかっているとも。
俺はお礼のための金貨を少年に向けて放り投げる。
少年は空中でキャッチして、老人とともに森の奥へと消えていく。
ファウストから金貨10枚を貰った。そのうちの2枚をくれてやった。
10万ゴールドを貰ったとのことだから、2万ゴールドを彼らに譲ったことになる。
まぁ、必要出費として諦めよう。
何より、たとえ金の力でも一難を逃れられたことを喜ぼう。
「どうして戦わなかったの? 相手は子供と老人じゃない?」
「そう言われても……」
「私が邪魔で動けなかったから?」
「何が何でもこちらを殺してやるっていう雰囲気じゃなかったので、ですかね」
「あんた、メルクリオを名乗るぐらい強いんじゃなかったの?」
「それをついに言ってしまいますか」
「本当は戦っても勝てないと思ったから、お金で解決したんじゃないの? しかも凄い勢いで頭を下げたりして」
「人一人の力なんてたかが知れてます。数の暴力には勝てません。万が一負けたら、取り返しが付きませんよ。平和に解決するのが一番」
「ふーーん、そうなんだ……」
とても冷めた目で、俺を見て、ゆっくりと近くの木々に目を移す。
ファウストが余計なことを吹き込んだんだな。
なんだかんだ言って、ファウストの言葉を真に受けて、俺のことを一対二程度なら武力でひっくり返すような凄い武人だと頼りにしていたのかもしれない。
本物のメルクリオなら確かに戦いを避けたりはしなかっただろう。
奴らを生かしておくと帝国に密告されるかもしれない。殺してしまおうってな感じで。
ところが、俺が見せたのは、相手に対する弱腰の態度。
俺が弱かったらどうしようかとキアラが不安に思っていたところに、この俺の態度。
そして、不安を解消させるような発言もなく。
でもたぶん、これで正解。
変に頼りにされたところで、実力はそれに伴っていないのであるから、必ずどこかで破綻する。
それが最悪の結果に結びつくのは、もう嫌というほど体感した。
むしろ現在進行系で今も体感しているのだ。
ついでに言わせてもらうと、一対十は戦うな、一対二は戦えという理屈はよくわからん。
小さな呟き声が聞こえる。
「別に最初っから期待してやいないわ。所詮普通の人間だものね。まぁ、私のイレブンナイツオブラウンドの足下にも及ばないわね。そもそも、期待するほうが馬鹿ってことなのよね……」
俺を追い越して、勝手に前を進み始める。
めんどくさいなぁ……。
グゥーーーーグルウウ! グワァアン! ワン!
大空一面にうろこ雲が広がり、気味の悪い黄色を内包している。
危機は連続的に訪れる。
鷹の次はなんなんだ?
森の至るところを飛び跳ね、こちらに向かってくる。
2、3……5匹。規律正しく、追い込みをかけてくるもの。回り込もうとするもの。
全員でチームとなって襲いかかってくる四足動物。
犬だ。それもとびっきり優秀な猟犬。中型の犬種だ。
俺の感知範囲を越える遠い位置から、匂いを頼りに追跡されてしまったようだ。
これはやり過ごせない。
匂いを嗅がれては、隠れていても意味がない。
キアラの手を引き、逃げ惑う。
しかし、すぐに追いつかれる。
追いかけてきた猟犬が、恐れを知らずに飛びかかってくる。
キアラを俺の後ろに。
同時に、もっとも近接した瞬間を狙い、俺は手元の石ころを思いっきり、猟犬に向けて投げつける。
あわてることなく、空中で体をひねる猟犬。
猟犬の腹をかすって、石ころは森の奥へ。
猟犬は、急いで地に足をつけ、旋回しながら再度俺たちを追い立てる。
その一瞬。
他の猟犬たちは全て進行方向に回り込んでしまった。
行く手を阻み、一斉に入れ替わり立ち替わりで、俺たちに襲いかかる気配をみせ、来た道を後退せよと急き立て始める。
やむなく方向転換。
左右にジグザグと逃げ惑う。
猟犬は学習する。
弱点であるキアラをかばおうとする俺の動きを早くも察知。キアラばかりを狙う。
猟犬の動きに翻弄され、俺は自由に逃げることも許されない。
じりじりと、北の方向へ、やって来た道に追い返され始める。
北へ返ると、待っているのはこいつらのご主人。
既に俺もその気配を察知している。
一小隊七人。あの鈍色の靴は、正規兵に間違いない。
おそらく、俺達を狙っている帝国兵。
出くわしてしまうと、ジエンドだ。
ここで踏ん張れ。
俺はショートソードを引き抜く
「構えるだけでいい。ナイフを引き抜け!」
俺は指示を出す。
キアラは、動かない。
動けないのか? いや。
俺を、信用していないから動かないんだ。くそう。
猟犬との対峙が続く。一進一退の攻防。
相手はこちらにとどめを刺しにこない。
追い立てることこそが仕事であり、それ以上のことを教えてもらっていないからだ。
剣を振る。
しかし、こちらの攻撃は、相手に届かない。
相手の動きもこちらの動きも完全掌握している。
しかもイメージに合わせて体も自在に動く。
にもかかわらず当たらない。
相手の動きをうまく予測できていないからだ。
そして、反射が追いついていないのだ。
前方には五頭の敵。
そして、後方には七人の帝国兵が迫る。
焦るな。
原因はわかったのだ。
後は、自分の持っている全体験から、勝ち筋をひねり出し、俺にでもできる最善を尽くす。
それ以外に俺にできることはない。できることもろくにやらないまま諦めるのは嫌だ。
あえて、ショートソードを鞘に収める。
ハーッスッ。
集中しろ!
本能に従い!
萎縮せず!
五感を研ぎ澄ませ!
そして。
一瞬を無限に刻め!
マーライオンのような体勢で、足を四本ともこちらに向けて、高く踊り跳ねる猟犬一頭。
猟犬は大きな口をがばっと開け、俺の肩口に飛びかかる。
一閃。
どのような体勢から放たれたのかは自分でもわからない。
ただ、ショートソードは振り抜かれ。
踊り跳ねた猟犬は、そのまま宙をゆっくりと滞空し、しばらくして同じ体勢のままドサッと地に落ちる。
ギャン!
動かないな。あぁ、死んだか? 死んだとも。
見なくてもわかる。
切ったという嫌な感触が手に残っている。
残りの猟犬共は突如、恐慌に陥る。
てんでバラバラに去っていこうとする。
足がもつれて、木にぶつかるもの。
飛び跳ねた勢いのまま、落ち葉で滑って転がるもの。
ふぅ。
大きな息をつく。
「やめて、離して!」
甲高い声に俺は慌てて振り向く。
「そこまでだ。動くなよッ。うっかり手が滑ってしまうからな」
首元にナイフを突きつけられたキアラ。
その周囲には、帝国兵が七人。
忍び寄る帝国兵は既に現場に到着していたのであった。
「どうするつもりなんだ」
そんなことはわかりきっている。それでも不安に抗しきれず、つい尋ねてしまう。
「決まったこと。このまま陛下のもとに連れて返る。もっとも。現場で殺すなという命令は受けていない」
「皇帝の元に連れて行ってどうするんだ?」
「ああ。安心しろ。俺たちは若干の傷も負わせることはしない、でないと価値が下がるからな」
帝国兵は優しい笑みを浮かべる。
「もっとも、こいつは身ぎれいなまま、白き魔女が氷漬けにすることだろう。氷葬と呼んでいる。氷漬けにしたキアラ姫を王国に送りつけてやれば、王国の戦意の低下はいかほどであろうか」
気分を害する処刑方法だ。
「なぁ、お前。お前のことも殺せと言われている。だが、俺はお前のことは見逃してやろうと思っている」
帝国兵はあくまでも優しい口調で語りかけてくる。
「……なぜだ?」
「お前には同情している。まったく縁もゆかりもない王国にたまたま仕えて。言い換えると王国の忠臣という貧乏くじを引かされて、期待に応えようと頑張って我々と戦う。それでも、誰からも認めてもらうことなく暗い森の中で密かに命を散らす。そして、その事実をこの後、永遠に誰も知ることはない。そんな話、あんまりだと思うだろ?」
聞きたくはなかった。
まさにその通りだからだ。
こいつらに抵抗しても勝てる見込みはない。
多勢に無勢。
それ以前にキアラを人質に取られている。
手も足も出ない。
戦って森の中でひっそり死ぬのは火を見るよりも明らか。
「さぁ、何も言わなくていい。俺にはわかる。一人で南へ向かうがいい。悪いが便宜は図れない。それでも、残りの人生が楽しいものであることを祈るよ」
勝手に決めてくれるな。
俺は実現せねばならない。
人から求められるものではなく。
俺がなすべきと思ったことを。
顔を上げ、背を伸ばし。
相手を睨み据える。
ふと、キアラの様子が目に入る。
こちらを見てなどいない。いないのだ。
あんなに怖がりだったキアラ姫が、この状況で黙って北を向いている。
もう、俺の存在に興味すらないかのよう。
「さっさと連れていきなさいよ、最初から覚悟なんかできてるわよ」
「それは勇ましいお言葉。では帰城するぞ」
うん。いらない? 俺に助けを求めていない。求めていないのだ。
おそらく最初から?
ハハハ。アハハハ。
俺はためらいがちに、とぼとぼ、ふらふらと2・3歩進み。
やがて、膝を地につき、地に突き刺した剣で体を支える。
悠然と帝国兵たちは引き上げていく。キアラを連れて。
俺は、ただただ、その様子をしばらく呆けて眺めていた。




