02 精神の衰弱
王皇大会戦から四日。
俺は、とある城塞に収監されている。
目隠しされたまま、馬車でこの城塞に連行された。
しかし、驚くべきことに、俺の空間認識能力は飛躍的に高まっている。銀指輪の力である。だからこそ、目隠しされたままでも、道中の景色を知覚出来たのである。
したがって、この城塞が大陸のどの辺りに位置するのか、大体把握している。
大要塞以北には荒野があり、荒野の東には、南北に大山脈が走っている。
この城塞は、大要塞の北東およそ三十キロメートルにあり、ちょうど荒野と大山脈の境に屹立している。
俺は、中央棟の一室に監禁されている。
室内は牢獄といった風ではなく、簡素ながらも日常生活に不自由のない部屋となっている。
武器の携帯は許されないものの、指輪を始めとして私物の携帯は許されている。
有難いことに拷問はない。
とはいえ、自分の正確な立ち位置が分からない。
俺は、捕虜として生かされるのだろうか。それとも、処刑されるのだろうか。
先行きが不安で、常に心が落ち着かない。
ファウスト・コルビジェリは、面倒見がよい。
俺を収監した後も、しばしば俺の下を訪ねてくる。
今の俺にとって、彼こそが唯一の情報源である。
「では、貴方が城主というわけではないのだな?」
「我が父コルビジェリが城代である。もっとも、二、三日もすれば皇帝陛下がこちらにいらっしゃる」
激怒皇帝が来てしまうと、俺の命などどうなるか分かったものではない。
奴が来る前に何とかしなければならない。
ここで、同じく収監されている出汁のことを思い出す。
「私の命はともかくだ。キアラ姫の身の上が心配でたまらない。父君の力で、我々を早急に解放していただけないものだろうか」
ここ数日、ファウストと会話してみてわかったことがある。
彼は、かつてアルデア王国の将軍を務めていたのであり、王国を裏切った後も、未だに王族に対する忠誠心を持っている。
そして、キアラとて王族の端くれ。
つまり、俺がキアラのことを邪険に扱えば、彼は俺に対して不信感を抱く。ならばこそ、逆も然り。
「心配ご無用。姫殿下のことは、神に誓って私が守る」
「もちろん、その言葉を信用している。しかしだな。皇帝の気まぐれ一つで、我々の命は消し飛んでしまう。そういう可能性がある」
「陛下は女子供に手を上げるようなお方ではない」
ファウストは、キアラの身の安全を保障する。
しかし、それでは足りない。
「そもそも私は敗軍の将であり、願望などとても言える立場ではない。それでもあえて言わせていただく。つまり、キアラ姫を釈放するなら、私も併せて釈放いただきたい。キアラ姫を王国まで送り届けるのは、私の任務であるべきだからだ。これは、姫の騎士として当然のこと」
俺は、下を向いたまま、努めて殊勝な物言いを心掛ける。
それでも言い終わった後に、ちらりとファウストを見る。
とても冷たい目で見られている。
「皆が尊敬するメルクリオ様に相応しいお言葉だ。ところで、我が白薔薇騎士団が、姫殿下を王国まで送り届ける手はずである。何の心配にも及ばない」
ファウストは、どうやら、神殿前の俺とのやりとりを鮮明に記憶しているようだ。つまり、俺が俺の命を最優先にするものと看破している。
だから、俺に対して強い不信感を抱いている。
俺は、あの時、自分の心の内を素直に表現してしまった。今猛烈に後悔している。
「しかし、それでは私の気が収まらない」
「ご安心なさい。貴方も、身代金が支払われれば、じきに釈放されましょう」
ファウストは、完全に俺の下心を見透かしている。
「本当か?」
「このことは不文律となっています」
「有難い! いやいや。決して、私は自身の生き死にを憂える者ではない。我が身など、キアラ姫の明日に比べたらどうでも良いこと」
どうやら、生き延びることが出来そうである。
俺は、頬に熱を感じている。
とにかく、誰でもいいから早く身代金を支払ってもらいたい。
道化師風の男が入室してくる。
「お元気ですか、メルクリオサァン」
「貴方は、和平交渉でお会いした……」
「セバスチャンにございますよ」
「これはこれは」
あまりにもインパクトのある見た目であり、一度見ればもはや忘れようがない。
「このような形で再会することになるなんて、神は実に悪戯好きなものです。クキャキャ。あのメルクリオサァンが捕虜になったと聞いて飛んでまいりました。ただ事ではありませんね。でも、昔のことを振り返りますと、アウグスタにも敗れて捕虜にされたと聞きます。だとすると、今更再び捕虜になったとしても、どうということもありませんね。よかったよかった!」
「……」
「ほら、貴方達は知り合いなのでしょう? ちゃんとご挨拶差し上げなさい」
「無様な末路だこと。オホホホホ!」
続いて現れたのは、ファウストの妹、ブリジッタである。
前にあった時とは一転して、貴族らしく振舞っている。もっとも、背伸びをしている感は否めない。
「この男は、誠に見るに耐えない男です、セバスチャン様。あらゆる悪徳が、今回り回って自分自身に降り掛かっているのですから、この世はよく出来ているものです、はい」
もう一人は、ファウストの弟マッテオである。
こちらは、徹頭徹尾セバスチャンに取り入ろうとしている。
ところで、彼らに権力があるとは思えない。そして、今、俺はファウストという権力者と太いつながりを得た。
ならば、わざわざ彼らの機嫌をうかがう必要もない。
そこで、俺は間髪入れずに返す。
「ひょっとして、君達は私を笑いに来たのか?」
「そんな曲解はよして欲しいものですねえ。私達にはまったくもってそんな悪趣味はありませんので。そんな意地悪を言われると、このセバスチャン、心底悲しくなってしまいます」
一々大袈裟である。
「それで本題に入ると?」
「陛下の入城前に、捕虜を処刑しようと思いましてね」
「私を処刑するのか?」
「さぁてどうしましょうか。クキャキャ。せっかくですので、公平を期して、ゲストの二人に決めてもらいましょうかね」
「……」
この二人は俺に敵意を抱いている。彼らの意見を聞いたところで、俺にとっていい結果にはならない。
予想にたがわず、何の躊躇もなく、マッテオが続く。
「死刑にしましょう。全ての元凶はこいつにありますから、はぃ」
ブリジッタはこちらも見ずに、投槍に続く。
「どっちでもいいわ。どうせ、セバスチャンが勝手に決めるんでしょ?」
「妙なことを言いますね。これは全員の合意ですよ。ほら、遺骸の山で陛下をお出迎えすると約束したじゃありませんか。私は無関係、みたいなそんな愛のない物言いは嫌ですよ、キャキャ」
これに対して、ファウストは一言も発しない。
俺は、目の前が暗くなるような感覚を覚える。ひょっとすると、ファウストの帝国内の立ち位置は、セバスチャンに劣るのではないか。
「私に対してそのような……。王国が黙ってはいないだろう」
「そこで、王国にもう一発ぶちかます! ああ、気持ちいい!」
セバスチャンは、恍惚とした表情で天井を見ている。
話が通じる相手ではない。
「……」
「そんなメルクリオサァンにビッグチャンスをプレゼント!」
「え?」
「貴方とプリンセス・キアラ、どちらか一方だけを生かします。もう片方は即死刑!」
ここで、マッテオが口を挟む。
「素晴らしいです、セバスチャン様。食料の浪費を極限まで絞りつつ、王国との交渉の余地も残す。はい、天才的判断」
ブリジッタはちらりと俺の顔を見る。
「今、ほんの少しだけ可哀想に思えたわ」
ここで、セバスチャンは手を叩く。
「今からプリンセス・キアラをこの部屋に呼びます。そこで、自由に決断してください。そう、自由。自由とは素晴らしい概念です!」
「……」
セバスチャンは、わざとらしく短剣を床に取り落とす。
「この短剣を使った事故が起きても、私は関知しない」
俺は、短剣をじっと見る。
つまり、俺は、キアラさえ亡き者にすれば、生きながらえることが出来るのである。
途端に、セバスチャンは髪をかきむしり、歓喜に歪んだ顔で大声を上げる。
「うああああああ、凄い眼差し! 生きるために必死なその眼差しは最高に尊いですよ!」
そこで、沈黙していたファウストが口を開く。
「もう、やめてくれ」
「は?」
「彼はメルクリオではない。単なる一般人だ。今後我らの脅威になるものでもない。処刑する必要は全くない」
セバスチャンは鼻の穴を大きく広げて、音を立てて息を吹き出す。
「おやおやおやおや、それはつまらな、じゃなくて。そんな甘い対応を、陛下がお許しになるとでも?」
「陛下は貴方と違って武人の鑑である。一般人に手をかけるようなことは決してしない。それに、教皇が彼に執着している。教団の意向をないがしろにする訳にもいくまい」
「さすがお兄様。私もそう思いますわ」
明らかに、ファウストは俺を庇ってくれている。
しかし、今、俺はセバスチャンの誘惑にかられて、僅かな瞬間、確かに反倫理的な決断を選択肢に入れた。
それは否定しがたい事実である。
「それならばそれでもよろしいです。ただし、教団の認識は正しいかもしれないし、正しくないかもしれないし。それに、彼がもし本物のメルクリオなら、教団は彼を許せないでしょう。裏切りの英雄ですからね。まずは、その辺りをはっきりさせる必要がありそうですね、キャキャキャ!」
いつの間にか、暗黒教団が俺の後ろ盾になっている。しかも、俺がメルクリオでないことをその前提としている。それはつまり、どういうことだ? そもそも、何故俺に執着している?
「私が何をしたというのだ……」
対して、セバスチャンは嗜虐的な目を俺に向ける。ただし、すぐに笑みを取り戻す。
「では、今日のおしゃべりはこれぐらいに致しましょう。はい皆さん。スマイル、スマイル!」
ところが、数時間も経たないうちに衛士が入室してくる。
俺は、目隠しされて、階下に移動させられる。
目隠しを外されると、そこは、暗い一室である。
俺は、粗末なベッドに寝かされている。
上半身は裸で、全身を拘束されている。
「旦那ァ。わかりますよね? これから何をするのか」
ベッドの傍らには、痩せこけた年齢不詳の人物が控えている。
しかも、その隣には、キアラが椅子に拘束されている。
キアラが口を開く。
「これから、何をするのよ?」
「あたしは拷問官にございます。あたしゃ頭が良くないもんで、単純なことしかできねえんです。だから、あらかじめいっときやす。この男がメルクリオなら、この男を地下牢にぶち込みやす。この男がメルクリオじゃなかったなら、この男を解放してやりやす」
教団はメルクリオを嫌っている。仮に、俺がメルクリオであれば、俺は、教団の後ろ盾を失う。だから、俺を地下牢に閉じ込めても問題ないという図式だ。
しかし、俺にはもはや英雄のプライドなどない。生きるためなら告白する。
悩むまでもないこと。
「私はメルクリオでは……」
「どうして、わたしをこの場に呼んだの? 不快だわ」
「それはですね。この男がメルクリオじゃなかった場合は、お嬢ちゃんを地下牢にぶち込むように言われているからでやす」
つまり、どちらかが地下牢にぶち込まれるという仕組みである。
「わたしは何も関係ないじゃない?」
「お嬢ちゃんを犠牲にしてまで嘘をつき通せるのか、試させてもらうんですわ」
滅茶苦茶である。
「このことをファウスト殿が知れば、ただでは済まないぞ」
「あたしゃ、いつ殺されても文句を言える筋合いではありやせん」
「そんなところで覚悟を決めるな」
「いつでも告白したくなったら言ってくださいやし」
俺の腹の上に木製のゲージが固定される。
そしてゲージの中に何かが放り込まれる。
腹の上をその何かが這いずり回っている。
押し殺したような鳴き声が聞こえる。
「珍しいものではありやせん、ただのネズミでございやす」
拷問官はゲージの上に大きな皿を置き、その中に石を投入する。
投入と同時に、水の蒸発する音がする。
「ネズミはですね、穴掘りが好きでしてね。熱いものから逃げようと、下へ下へと潜るんですよ。あたしゃ、熱した石をどんどん追加します。そうすると、ゲージの中は熱くなって、ネズミは穴を掘り始める。旦那のそのお腹の真ん中にね」
ネズミの這いずり回る感触が、とても冷たいものに思えてくる。
ひんやりとした空気の中、俺は酷く汗ばんでいる。
俺は、こんなところで死ぬのか。
こんな惨めな最期を遂げるのか。
メルクリオであると言ってしまえば、この拷問から解放される。しかし、遠からず処刑が待っている。
ならば、メルクリオでないと言ってしまえばよい。
その場合、キアラが処刑される。
しかし、俺はそもそもキアラと親しい間柄にない。むしろ、この女は、俺を偽物呼ばわりしてきた生意気な女である。その生き死になどどうでもよい。
どうでもよいはずなのだ。
キアラを見やると、大きな目を忙しくぱちくりやっている。
「俺はメルクリオだ」
「そいつはメルクリオなんかじゃない」
同時に発声する。
それは奇しくも従来の主張通り。あいも変わらず俺と彼女は平行線にある。
しかし、そこには今までにない何かが、確かに存在している。
「話になりやせん。かばい合いなど気持ち悪い。どちらかが酷い刑を食らうことになるのです。本音をさらけ出してくらさい」
ねずみ共が爪を立てて俺の腹を掻きむしり始める。
激痛が走る。
俺は叫ぶ。
「激怒皇帝イェルド。彼は俺のライバルだった。彼と張り合いたかった。だから帝国と戦った!」
シンプルな動機を捏造した。
多少なりでも真実味を感じて欲しい。
「やめなさいよ、馬鹿ッ!」
あまりの激痛のため、意識が薄れていく。
「浅ましく自分の命にしがみ付く。そんな貴方の美しい姿が見たかったのに。こんな選択、誰が望んでいたでしょう、まったくもってつまらない。ですがまぁ、貴方を、正面切って処刑出来るだけでも今回はよしとしましょう。クキャキャ」




