46 騎士とその主
神殿の中に、鳥頭の化物はいない。
夢でも見ていたかのようである。
しかし、現実は非情である。
目下の危機は、まだ継続している。
もっとも、俺の眼前で、全ての曲刀が食い止められている。
三体の古代兵士像によって取り押さえられているのである。
しかも、黒マント共の力ではびくともしない。
黒マント共が動きを止めた今がチャンスである。
さあ、ぶちかませ。
俺の想念に沿うが如く、最後の古代兵士像がグラディウスを構える。
そして、そのまま笑い男の背中を目掛けて突進する。
笑い男は曲刀を潔く諦める。そして、同僚の頭を鷲掴みにして古代兵士像に向かって投げつけ、これを身代わりとする。
突きを思念すると、古代兵士像はその思念どおりに黒マントの胸を深く貫く。何度も念入りにこれを貫く。
こうして呆気なく一体を屠る。残るは二体。
古代兵士像が、俺の意思のとおりに動いている。思念から行動までタイムラグもない。
何か大きな器械を、ボタンもレバーもなく、ただ自分の頭の中で描いたとおりに作動させるような、不思議な感覚がある。
しかも、その動きの一つ一つを、三次元座標軸の上で細かく支配している。
神経の通った手足ほどではないにしても、それに近い精緻な動きを実現している。
しかも、どうやら、古代兵士像四体全てが、俺の意思を反映するようである。
俺は自らの体を使わずして、超人的な彼らと頑丈な体で渡り合っている。
思わず笑みを浮かべてしまう。
「ヒヒヒヒ。懲罰の時間だ、覚悟しろ!」
対する笑い男は、上体を捻って長い手を地面に叩きつける。そして、バッタのように大きく跳躍する。
同時にもう一体の黒マントは、左右に派手に逃げ惑う。
攪乱戦法である。
しかし、俺には、両方の動きが正確に見えている。慌てることはない。
俺は、笑い男の跳躍を分析し、着地予定点を導き出す。そして、二体の古代兵士像をその着地予定点に移動させる。
と同時に、残り二体でもって、黒マントを追跡させる。
着地した瞬間に、古代兵士像を笑い男に突撃させる。笑い男はタックルを受けたまま壁にめり込む。
抜け出そうとするも、もう一体を突撃させる。笑い男はがんじがらめにあって、そこで沈黙する。
同時並行して、黒マントも処理する。
黒マントの動きに合わせて、古代兵士像を左右に回り込ませる。
そして、左右同時に剣を一閃させる。
黒マントは器用な動きでこれに対抗する。すなわち、片方を上体を反らして避けて、片方を手元のナイフで食い止める。
もっとも、その曲芸がいつまで続くか見物である。
古代兵士像は、無尽蔵な体力でもって次々に同時攻撃を仕掛ける。
しばらく、黒マントはこれを防ぎきっていた。
しかし、次第に疲弊し、裁き切れなくなっていく。やがて、古代兵士像の一撃が、黒マントをとらえる。
硬直したところを、何度も何度も切り裂く。
残るは一体。
「ヒョッフオオー!」
突如、笑い男が猛烈な怒り顔を見せる。
そして、無茶苦茶に自分の身体をナイフで刺しまくる。
溢れ出た飛沫は、押し合う古代兵士像二体にべったりと張り付く。
すると、その真下に青白い円盤が描かれる。
そして、石畳を割って、真っ赤に濡れた大きな手の平が現れる。
その全長は二メートルを超える。被膜の内側がぴくぴくと蠢いており、すこぶる気味が悪い。
手の平は、古代兵士像一体を把持し、恐るべき力でこれを締め上げる。
金属で出来ているはずの古代兵士像がいとも容易くひしゃげてしまった。
それでも、ひしゃげた古代兵士像には生命がない。根が生えたかのようにその場に留まり、もう一体とともに笑い男を拘束し続けている。
そして、残りの古代兵士像二体が笑い男に向かう。
笑い男は、成すすべなく刺突を食らう。
徹底的に刺突を食らって、やがて崩れ落ちる。
同時に、赤い手の平も空中に霧散する。
「ビヤーーーー!」
悲しい声が響き渡り、そして、静かになった。
古代兵士像は俺からの支配を失い、その場にうずくまる。
俺はぼんやりとしている。
復讐を遂げた高揚感はない。
空気が薄い。
眼の前がぼやけている。やたらと月光が明るい。
自分の足首に生暖かい水滴を感じる。
足首を見ると、血だらけである。
鼻から大量出血している。
古代兵士像の操作は自然の出来事ではない。
無茶な話である。
脳の処理容量を遥かに超えてしまったのだろう。
思考がぼやける。そして、ただただ移ろっていく。
鳥頭の顕現は、現実の事象か、夢幻か。
俺の指には、確かに今も漆黒の指輪が収まっている。
カエサルから引き継いだ謎の指輪である。
先程のどす黒いオーラは失われている。しかし、それでも見つめていると引きずり込まれそうな禍々しさを発している。
別の指には、銀の指輪がある。
これは、教会からもらった指輪である。
不思議なことに、鈍色であったはずの指輪が、今は輝く銀色にグレードアップしている。
ひょっとすると、これは、広大な視野の獲得に関わっているのかも知れない。
銀の指輪を外して、月明かりにかざす。
43,712。
指輪の内側に、意味深な数字の羅列がある。
意味はわからないが、凍える手で心臓を掴まれたかのような不快感を受ける。
アウグスタから受け取った指輪には、0と表示されていた。しかも直前は1となっており、僅かな時間で0に変化したのである。
これらの数字が意味するところは……。
意識が混濁し、その場にばったりと倒れる。
気になることがある。
黒マントのうちの一人は、まだ姿を見せていない。
奴はどこにいる?
それでも、もう体は動かない。
この世界は、見渡す限りの生き地獄である。
しかも、それが丸ごと全て現実となって襲い掛かってくる。
嫌すぎる。
もう、俺は現実を見ない……。
「ねぇ、ねぇってばぁ!」
「……」
うっすらと意識が戻る。それでも体は動かさない。
きっと、俺はもう死んでいる。
「ねぇ、起きてよ! お願いだから!」
「……」
服の端を掴まれて、激しく左右に揺さぶられる。
「生きてるんでしょ?」
「……」
雑な問いかけである。全く、失礼な女である。
しかも、顔をタオルかなにかで拭かれる。
しまいには、タオルで顔をはたかれる。
仕方なく、薄目で声の主を見る。
「起きて!」
キアラが、今にも泣きだしそうな顔で俺を見ている。
まるで、動かなくなった親を前にした子鹿のようだ。
だが、俺はキアラと気付いた瞬間に、やはり死んだふりを続行する。
この女はトラブルメーカーである。
もはや、巻き込まれたくないのである。
そのつもりだったのだが、意識が回復した途端、焼けるような痛みに襲われる。全身が収縮と拡大を繰り返すような痛みである。
これは筋肉痛ではない。もっと危険な何かだ。
「アガアア!」
キアラが凄く嬉しそうな顔をする。
「痛むの?」
背中を不器用に擦ってくる。
喉が渇いて仕方がない。
「水はあるか?」
「はい、これ」
キアラは、何かの胃袋から作ったと思われる水筒を差し出す。
俺は水筒を受け取り、中身を飲んで飲んで飲みまくる。
「ウハァ!」
「それ、私も口をつけたやつなんだけど。あんまり味わって欲しくないかも」
口をとがらせて抗議してくる。
なんだこの女。小学生か?
「今すぐここを離れるべきだ。この神殿は狙われている」
「あんたがいれば大丈夫よ。知らないけど」
「逃げるんだ。戦わないに越したことはない」
俺は、全身の痙攣をおして立ち上がる。
眩暈と耳鳴りが止まらない。
それでも、歩ける。
その後ろを、まるでアヒルの雛のようにキアラがついてくる。
元の世界に通じる道はこの神殿のすぐ近くにある。
今のうちに逃げ切ってしまおう。
だが、キアラはどうする?
俺の世界に連れ帰るわけにもいかない。
とはいえ、見殺しにするのか。
入口から外に出た瞬間。
朝日が、煌々として世界を照らし始めている。
長い夜も、必ず終わりが来るのだ。
周囲には広葉樹が立ち並ぶ。
黄色く色づいた木の葉が、その表面に朝露を乗せて、美しく朝日を照り返す。
だが、朝日の下に浮かび上がってきたのは、更に残酷な現実であった。
神殿は、重装備の兵士によって既に囲まれている。
三十人はいるだろうか。各々が甲冑に身を固め、赤いサーコートを羽織っている。四角い盾には白バラが装飾されている。
帝国旗下の白薔薇騎士団である。
おそらく、黒マントの最後の一人が呼び寄せたのだろう。
なかなか組織的な判断をする。
「メルクリオ殿。久しぶりだな」
「貴方は、ファウスト・コルビジェリ」
武人ファウストが俺の前に立ちはだかる。
「状況はおわかりかな?」
「周りを見ればなんとなく」
「貴方には恩義を感じているが、これは戦争だ。あえて言わせていただく。捕虜になるか、死を選ぶか、どちらを選択する?」
万全の態勢でもって、一対一で戦っても、勝てる相手ではない。
古代兵士像を動員しても、三十人の兵士に適うとは思えない。
そもそも俺は満身創痍であり、これ以上の戦闘は不可能である。
それでも……。
「私は敗将だ。語るべきことはない。だが!」
「だが?」
するすると頭の位置を低くする。
無駄な力の入っていない素晴らしい土下座である。
妄念にとらわれない会心の出来だ。
「降伏でも何でもします。ですので、助けてください」
「え?」
「ほら思い出してください。私も、貴方のご兄弟を見逃してあげたじゃありませんか」
「なんと!」
ファウストは目を見開き絶句する。
「しかも、さらにお願いがあります。こちらのご婦人はさる高貴なお方。なんと、ペーター王の妹君、キアラ姫殿下。つまり、捕虜として大変価値のあるお方。ですから、その命を保障していただきたいのです。もっとも、私が助かるならば、彼女のことは無理にとは言いませんが……」
「ちょっと、なに? え? それひどーーい!」
さすがのキアラも絶句である。
「……」
そんなことよりも、俺が気にかかるのはファウストの顔色である。
困ったことに、徐々に苦々しく変わりつつある。
「わたしのためにあんたが盾になるんでしょ? それが騎士の誇り、英雄の誇りよ。メルクリオ名乗ってるならしっかりしてよ。あーあ、あんたなんか助けなければよかった。だいたい……」
キアラの猛抗議が始まった。この後五分ほど続くのだが、それは省略しよう。
その後、ファウストは呟くように宣言する。
「姫殿下の身の安全は保障する。しかし、貴方は、主君であるペーター王を失うにとどまらず、姫殿下を出汁に使って、一人生き永らえようとする。それでも叶えたい貴方の野望というものを、私は理解出来ない。潔く、覚悟を決めていただきたい」
嘘だろ?
死にたくない。
こんなことになるぐらいなら、キアラを先行させて囮にして、俺は神殿に隠れておけばよかった。
平原の野戦から始まった王国の逆襲、そして俺の闘争は、こうして幕を閉じた。
キアラと俺はファウストに捕らえられ、帝国のとある城塞に収監されることとなった。
それは、秋が深まり、ついに冬の訪いを感じさせる一日。
ホウキ雲が大きく空に描かれていた。




