46 騎士とその主
無音。
先程までとは異なり、まばゆい月光が神殿内を照らしており、幻想的ですらある。
あの鳥頭の化物はどこにもいない。
まるで何事もなかったかのような。
しかし、現実は非情。
なにもまだ、解決はしていない!
目の前では、3本の曲刀の刃が3つの鋼鉄の腕に取り押さえられている。
3体のローマ像。彼らの鋼鉄の腕にラケデモン共の曲刀は取り押さえられているのだ。
ラケデモン共の力ではびくともしない。
今や、ラケデモン共のがらあきの背中がいとも鮮やかに見える。奴らの眼前に座っているのに奴らの後ろ姿が見える。
さぁ! ぶちかませ、ヘハハハ!
残り1体のローマ像が笑い人間めがけて突進する。
笑い人間は曲刀を潔く諦めて、仲間である黒フードの頭を鷲掴みにして自身の背に放り投げ身代わりとする。
1本のグラディウスが正確に黒フードを左から右に切り裂く。馬鹿力で真っ二つ。
残りは二人。
笑い人間はまるで骨のないような器用な動きで上体を捻り、長い手を地面に叩きつけバッタのような大きな跳躍をして俺の後ろに向かう。
もう一人の黒フードはやはり曲刀を諦め、地を這うような怪しげな動きで左右に派手に逃げ惑う。
こちらは陽動か。
「まるで全ての像が、俺自身であるかのようにぃ。ウェハハハ、ハハハハ!」
カエサルの時とは違い、ローマ像が俺の意思のとおりに動いている。
自分の体ではない、別のものを自分の思い通りに動かす不思議さ。
その動きの一つ一つが俺の絶対座標上でコントロールされる。
しかも、それが4体同時。
かつてない奇妙な感覚。
「アハハハハ! これからが真の懲罰の開始だ、ヒヒヒ」
すぐさま、3体はラケデモンの曲刀を投げ捨てる。
2体で1組とし、1組は笑い人間の下へ、もう1組は黒フードの下へ。
着地した瞬間に笑い人間はローマ像からのタックルを受け、そのまま壁まで押し切られ壁にめり込む。
右へ抜け出し逃げようとするも、もう一体のタックルを受けて動きはままならない。
ついでに頭突きを食らわす。
同時並行的に俺はもう1組も処理する。
黒フードの左右の動きは不規則だ。
だが。
黒フードの左右に回り込む。
グラディウスの一閃。ナイフで対抗してくる。
その隙きを狙いもう1体が一閃。黒フードは飛び上がってこれを避ける。
避けた上空を先の1体が更に一閃。
上体を骨が折れるほど反らしてこれも避ける。
ローマ像は視覚を共有しつつ、しかも2体もいるのだ。
交互に一閃が繰り返され、黒フードは逃げ場を失った。
瞬間マントの中から激しい煙幕が漏れ出てくる。
視界を奪うつもりなのだろうが、今回に限っては愚策。
煙の中だろうと、俺の絶対座標から逃れることはできない。
そんなことにはお構いなしに無造作に一閃、一閃。
煙幕による目くらましが逆にやつの油断を招き、致命的なミスとなる。
感情もなく一閃。
致命傷を負わせる。倒れ込んだ瞬間、心臓へ二撃。
笑い人間は笑顔に戻る。
タックルをかましているローマ像を背筋で押し返し始めた。
とんでもない背筋だな。
一瞬の隙きをついて、笑い人間はするりとすり抜け、無防備な俺に一直線に向かう。
黒フードを退治した2体が俺の前に立ちふさがる。
笑い人間の背後からも2体が詰め寄る。
圧倒的な密度。
四方を包囲され、さすがの笑い人間も逃げられない。
そして、グラディウスの一閃、一閃、一閃、一閃。袈裟懸け、刺突、横薙ぎ。
次々に4体から繰り出される。
いかな笑い人間でも、両手のナイフだけでは防戦一方であり、しかもさばききれなくなっていく。
突如、笑い人間は猛烈な怒り顔になって、無茶苦茶に自分の身体を自分のナイフで刺しまくる。
溢れ出た飛沫は4体のローマ像にべったりと張り付く。
「ヒョッフオオー!」
ローマ像の真下に青白い光が溢れ。
石畳を割って出てきたのは赤い大きな手のようなもの。
人の身長の倍ぐらいはある。
グリングリンと赤い被膜の内側がうごめいており、すこぶる気持ちが悪い。
気味の悪い動きで、次々に血まみれのローマ像を石畳に叩きつける。
俺が直接攻撃されているわけではないのだが、鼻柱をおられたような、そんなショックを受ける。
あの赤い手は切り札なんだろうか。
それでも俺は冷静にその姿を眺めている。俺の後ろで起こっていることではあるが。
鉄でできているはずのローマ像が4体とも簡単にひしゃげてしまった。
それでも、そんなことを意に介することもなく、ローマ像は立ち上がる。
そして再び笑い人間に斬りかかる。
無防備に硬直している笑い人間。
ついにまともな斬撃を喰らい、徹底的に刺突を喰らいその場に崩れ落ちた。
そうすると、赤い手もまるで灰になるように空中に消えていった。
「ビヤーーーーーーーー」
悲しい声が響き渡り、そして、静かになった。
4体のひしゃげたローマ像は俺からのコントロールを失いその場にうずくまる。
俺はぼんやりとしている。復讐を遂げた高揚感はなく。
空気が薄い。
眼の前がぼやけて、やたらと月光を明るく感じる。
痛みを覚えるほどに。
自分の足首に落ちた生暖かい水滴。
ふと我に返る。
足首を見ると血だらけだ。
鼻から大量の血が出ている。
集中しすぎたのか。
4体動時操作は脳の処理容量を遥かに超えてしまったのか。
何だったんだ、あの鳥頭は?
あのニタリ顔が忘れられない。
俺の左手中指には黒い指輪が、何事もなかったように収まっている。
先程のどす黒いオーラは失われているが、それでも見つめていると引きずり込まれそうな禍々しさ。
右手薬指には、燦然と輝く銀の指輪がこれでもかと存在を主張している。
今まで鈍い鉄色だったはず。
勝手にグレードアップしてくれたのか?
能力向上でも見込めるのかな? そもそもどんな能力が宿っているのか知らないが。
ひょっとすると、この異様な視野の広さに関わっているのかも知れない。
一度、確認してみなければな。
銀の指輪を外して、月明かりにかざす。
43,712。
指輪の内側に意味深な数字の羅列がある。
意味はわからない。
心臓がドクンと鳴り響く。氷に包まれたような違和感を感じる。
アウグスタから受け取った銀の指輪を同じくかざす。
指輪の内側には、0と表示されている。
2つの数字が意味するものは……。
意識が再び混濁し、その場にばったりと寝転がる。
まだ、何もやり遂げてはいない。
だがもう駄目だ。
なんでここまで苦労するんだろう。
どうせ意識を取り戻しても待ち受けているのはひたすら地獄。もう手放してしまえ。
ラケデモンの最後の一人の存在がうっすらと不安を駆り立てる。
あいつはどこに行ったんだ?
仲間を連れてやってくるのではないか?
そのときはどうやって対応すればいいのだ?
それでも体は動かない。見渡す限り生き地獄。
しかも、それが丸ごとすべて現実。嫌すぎる。
「ねぇ、ねぇってばぁ」
うっすらと意識が回復する。それでも体は動かさない。
俺は起きてないんだからな。
「ねぇ、起きてよ、お願いだから」
服の端を掴まれて、激しく左右に揺さぶられる。
「生きてるんでしょ」
雑な問いかけだな。
しかも、顔をタオルかなにかで拭かれる。
しまいにはタオルで顔をはたかれる。
薄目で声の主を見る。
「ねってばぁ! 起きて」
キアラが今にも泣きだしそうな悲しい顔で俺を見ている。
まるで突然動かなくなった親を前にした時の子鹿のようだ。
だが、キアラと気付いた瞬間、俺はやはり寝たふりを続行する。
体を左右に揺さぶってくる。
絶対に起きないし。
こいつはトラブルメーカーだから断るし。
つもりだったのだが。
意識が回復した途端、焼けるような痛みに襲われる。全身が収縮と拡大を繰り返すような痛み。
筋肉痛じゃない。やばいやつだ。
しかも焼け付くような喉の渇き。
「アガアア」
キアラが一瞬凄く嬉しそうな顔になる。
「痛むの?」
体を不器用に擦ってくる。
「飲みものなんて持ってないよな?」
「あるよ!」
何かの胃袋から作ったと思われる水筒を持ってきて、俺に飲ませようとする。
俺は水筒を受け取り、自分で飲む。飲む。飲みまくる。
「ウハ」
「それ私も口つけたやつなんだけどなぁ、あんまり味わって欲しくないかも」
微妙に口をとがらせて抗議してくる。
なんだお前は、小学生か。
まるでかわいくないがな。
「いますぐ、ここを離れよう、間違いなくこの神殿は帝国兵に狙われる」
「でも、帝国像はここにしかないけれども。あれがないと戦えないんでしょう?」
鋭い。だが。
「逃げるんだ、戦って運命を切り開くのが全てじゃない。戦わないことに越したことはないんだ」
とは言ったものの。
動くのか? 俺の体。
全身の痙攣をおして、立ち上がる。めまいがする。耳鳴りもする。
だが歩けるぞ。
ゆっくりとキアラが後ろに続く。
そうだ、現世に通じる道はこの神殿のすぐ近く。
今のうちに逃げ切ってしまおう。
だが、キアラはどうする?
嫌なやつだが。
見殺しにしてもいいのか?
それで俺はこの先後悔なしに生きていけるのだろうか。
入り口から外に出た瞬間。
朝日が紅々と世界を照らし始めている。
長い夜も、必ず終わりが来るのだ。
だが、闇から浮かび上がってきたのは更に残酷な現実だった。
敵はラケデモン一人ではなかった。
30人はいるだろうか。各々が銀の甲冑に身を固め、赤いサーコートを羽織っている。白バラが装飾された四角い盾を持っている。
黄色く紅葉した木々にやけに映える。
騎士団は神殿の入り口を包囲している。
ラケデモンの最後の一人が呼び寄せやがったな。
強行突破? 無理だよ……。
「久しぶりだ。メルクリオ殿。我が白薔薇騎士団が神殿を完全に包囲している。あなたには恩義を感じているが、あえて言わせていただく。捕虜になるか、死を選ぶか、どちらだ?」
赤色の長い髪。鋭い目つき。
コルビジェリ家の長男。武人ファウスト。
白い剣先を俺に向けてくる。
まさか、こんなところで出会うとは。ここで戦って勝てる相手ではない。
そもそも俺は満身創痍。
それでも!
「貴方の騎士道とやらに語りかけたい。俺は敗将だ。語るべきことはないし、語るべきでもなし。だが!」
するすると頭の位置を低くして。
無駄な力の入っていない素晴らしい土下座。
妄念にとらわれない会心の出来だ。
「降伏でも何でもするから俺の命は取らないでくれよッ! ほら、俺も以前あなた達三兄弟を見逃してあげたじゃないかッ!?」
「なんと意気地のない……」
ファウストは目を見開き絶句する。
「そしてさらにお願いがある。こちらのご婦人はさる高貴なお方。あなたも知っているだろう! なんとキアラ姫殿下! ペーター王の妹君であらせられるのだッ。捕虜として大変価値のあるお方でもある! であるから、その命は取らないでいて欲しい。もっとも! 俺さえ助かるならば無理にとは言いませんが」
「ちょっと、なに? え? それひどーーい!」
さすがのキアラ姫もあまりの言われように、即座にはいつものマシンガン抗議に移れない。
「わたしのためにあんたが盾になるんでしょ? それが騎士の誇り、英雄の誇り。メルクリオ名乗ってるならしっかりしてよ、あんたなんか救わなければよかった! だいたい……」
キアラの猛抗議が始まった。この後5分ほど続くのだが、それは省略しよう。
ファウストは唖然としている。
ややあって正気に戻る。
「そこの方はキアラ姫であると存じ上げている。丁重にお連れするつもりだ。主君であるペーター王を失い、王の妹君を出汁に使い、それでも醜く、一人だけ生き永らえようとしている。それでも叶えたい夢。私にはあなたの考えが全く理解できない。潔く覚悟を決めてください」
うそーー!
死にたくないよー!
こんなんだったら、キアラ姫だけ先行させて俺は神殿に隠れておけばよかった!
平原の野戦から始まった王国の逆襲、そして俺の闘争は、こうして幕を閉じた。
キアラと俺はファウストに捕らえられ、大要塞の北方に位置するとある一城塞に収監されることとなった。
それは、秋が深まり、ついに冬の訪いを感じさせる一日。
ホウキ雲が大きく空に描かれていた。




