44 偽りの英雄
夕闇の中、苔むした大きな倒木をまたぐと、そこは外からは気づかれにくい大きな窪地になっていた。
俺が先に窪地へ降り立ち、アウグスタに手を伸ばす。
俺の手をとって窪地におりたアウグスタは足におった負傷のせいか、バランスを崩し窪地の中に倒れ込む。
二人とも肩で息をしている、このまま走り回るのは不可能だ。
少し休もう。今は追手の気配もない。
俺も窪地にへたり込み息を整える。
倒木と地面との間にできた細い隙間から森の中の道の方に目をやる。人の気配はやはりない。
シダ植物が気まぐれに入り込んでいる夕日に照らされて橙に輝いている。
「私が動けないばかりに」
アウグスタはテキパキと止血のため自身の衣服を切り裂き、患部近くに巻きつけながら小さな声で語りかけてくる。直ぐ側に顔がある。
「大丈夫。逃げ切れたみたいだ」
息が落ち着いてくる。
「敵は相当執念深いようだから、あまりゆっくりもできないと思う」
黒フードの連中がしつこく追いかけてきた。
ようやく彼らを巻けたのか、その姿は見えない。
「よしっ、これで大丈夫」
止血処置が済んだようだ。
立ち上がろうとしたアウグスタはすぐにバランスを崩して再度倒れ込む。
「あれ……」
「無理するな。日が暮れてから動いたほうが見つかりにくくて安全だろうから、しばらく休もう。あの黒フードの連中もここまでは追って来られないだろう」
思った以上に調子が悪かったのだろう。
何の根拠もない俺の意見を素直に受け入れ窪地に身を潜ませる。
窪地には風が入り込んで来ず、温かい。
「あの黒フードは暗黒教団の信徒。その中でもエリートのラケデモンと呼ばれる異能の処刑部隊。でも心配しないで。何があっても私があなたを守るから」
「無茶だよ」
「あなたさえいればこの国は大丈夫。だから絶対に私が守ってみせる」
自分に言い聞かせるようにして強く小さく言い放つ。
どうしてこう使命感に燃えているんだろう、日本にいたら大学生程度の年齢だろうに。
しかも偽物の俺なんかのために。
疲れているんだろうか、それとも歳のせいだろうか、目頭が熱くなる。
だめだ何弱気になっているんだ、死と隣り合わせの世界だぞ。
もっと、明るい話をだな。そして何か作業をして紛らわせないと。
「俺が敵将ならば確実に俺の息の根を止めるべく、この森の中に兵を潜ませているだろう。敵将もまだまだ最後の詰めが甘いというか、仕事が粗い。底が知れるな。そして俺を逃してしまったことを後悔しても遅い」
せっせと意味もなくグラディウスを使って穴を掘り始める。妙にふかふかした土で、穴が掘りやすい。
もっと楽しい話をだな。
「王国に帰ったら、商売でもやってやろうと思っているんだ」
アウグスタは静かに俺を見る。
「急になにを? でも、あなたらしい。優しい人だから人を傷つけたくないのでしょう」
「いろいろアイデアがあるんだ、貴族に出資をさせて大きな会社を作る。海洋を行き来して物珍しい産品を買い集め売りさばく。徹底的にやってみせる。商売が戦いよりも面白いってことを大陸中に教えてやるんだ。そしたら君を用心棒に雇ってあげる。心配しなくても1ヶ月に10万ゴールドはだすから」
「ハハハ」
夕日がひときわ明るくなる。アウグスタのほどけた金の髪が光り輝く。
いつになくやわらかな笑顔。
いままで気が付かなかったが、内側から輝くような楚々とした美しさ。
一瞬気を取られたがすぐに穴掘り作業に戻る。
意味はない。俺たちの周りにいくつも穴を掘ってやろう。落とし穴風に。
アウグスタは真面目な顔に戻ると、静かに口を開く。
「武人メルクリオらしくない」
そのとおり違うんだ。
俺はメルクリオじゃない。
メルクリオじゃない俺を知って欲しい。俺は俺なんだ。
彼女には、彼女だけには俺として認識して欲しい。
「ひとつ伝えたいことがあるんだ」
「私も伝えたいことがあります」
すぐに意外な返事が来る。
穏やかな表情。
真っ直ぐにこちらを見ている。
彼女に俺の秘密を伝える機会が二度と来ないとは思ってもいなかったんだ。
何も考えず、先を譲った。
「先に言ってもらっても構わない」
俺ってば紳士。
「メルクリオ様、初めからご存知だったのでしょうが、どうしても自分の口から言いたいのです」
ひょっとして?
年甲斐もなくときめいてしまう。
いや、そんな訳無いか。
「私はアウグスタではありません。あなたの知っているアウグスタではないのです。嘘をついています」
えっ?
あまりの展開に俺は思考停止する。
「偽物だっていつバラされてしまうのかずっと心配でした。でもあなたは黙っていてくれた」
「そ、そうなんだ……」
「本物のアウグスタ様は美人だったでしょうに。私ですいません」
「い、いやいやいやいや。いろいろ複雑な事情があったんだね」
「物心ついてしばらくした頃に両親が他界して、身よりもなく妹とともに教会の孤児院に引き取られました」
「……」
「神父様から銀の指輪を授かり、その力を気に入ってくれた宰相様に引き取られたんです。宰相様は私の指輪に雷の能力があることを見込んでいて、初めから雷神アウグスタのふりをさせるつもりだったんでしょう。王国軍の士気を鼓舞するための策だと伺っております。剣術を徹底的に叩き込まれ、貴族の作法を学び、戦術戦略を学びました」
「大変だったんだね」
「でも、アルフィオ様が本物の古代英雄であるメルクリオ様を召喚してしまわれた。私はもう用済みだったのです。宰相様は私を捨てるのが忍びなかったようで、それならばメルクリオ様に取り入ってくれ、あわよくばアウグスタ様を演じてくれ、と」
「ハハ。君が目一杯頑張ってきたのは俺もよく知っている」
「最初、お城の大広間で決闘した時は私が勝ちましたよね、今思えばあの時私、不用意に調子に乗っていたのだと思います。本当にごめんなさい」
弱いって。
やはりそう思われていたんだな。
そのとおりなのだが、俺のプライドは粉々だ。
「それと、メルクリオ様が好き勝手に動いておられるのをみて結構苛ついていました。失礼な態度をとってしまったこともすいませんでした」
「お、おぅ」
思いつめた顔をしている。
俺のことはさておき、何か言ってやらねば。
謝罪ではなく感謝を。
「ありがとう。君にはいつも助けられている。本物か偽物かも関係ない。片腕だと思っている」
「私を認めてくれるなんて。こんなに嬉しいことはありません」
ふと、眼の前の女性は破顔する。
そして静かに目を伏せる。
救われた顔をしている。
メルクリオに認められたことに救われたんだろう。
そんな女性に対して、俺は、ついに俺の正体を告げることはできなかった。
静かな時間が流れ、森の中はゆっくりと暗闇に包まれていく。
どれぐらい経ったのだろうか、森の中は暗く、僅かに月光が差し込んでくる。
倒木の隙間から見える森の道は、気味が悪いほど明るく輝いている。
先程から鳴り止まない虫の音がふと静かになる。
「ハッハッハッ。フゥーーーーッ。フッフッフッフフフフフ」
「ヒヤーーーーハッ」
「ヒフフーーーーフ」
森の雰囲気に溶け込もうとしつつも違和感満載の大音量の鳴き声が、近くから遠くから森のなかにこだまする。
明らかに動物の鳴き声ではない。
「ハーフーーーーン」
「ロホロホロホロホ?」
野太い声、甲高い声。泣いているような。笑っているような。
ひどく精神的に削られる。
森の道に人影が見える。一人。
いや。
森の中の陰影から人の姿が浮かび上がり、何人も森の道に現れる。全員で4人。
最初から道に突っ立ている一人が月光に照らされる。
先程の敵と同じく黒いローブに覆われている。マントを着ていてもわかるような人外と言ってもいい肩幅が広すぎる体格。
先程の敵とは異なり、フードを被っておらず、丸刈りの頭が見える。
相当な距離があるはずなのに、もの凄い笑顔なのがわかる。
耳から耳までつながるほどの大きな口で口角が上がりきっている。
しかも、完全に俺と目があっている。ずいぶん前から見ている。俺のことを見ている。
生気のない見開かれた目。
寒気がした。
笑い人間が異常に長い手を上に突きあげて、そのままの体勢で一生懸命俺に向かって腰から上をぐるんぐるん回転させ始める。
「オ゛ーーーーイオーーーーイオ゛ーーーーーーーーイ」
見つかった。
アウグスタが長剣を引き抜く。
俺もためらいがちに双剣のグラディウスを引き抜く。
笑い人間が全力で俺に向かって走り出す。一時も俺の目から目を離さずに。
周りのラケデモンも併せて走り出す。
俺は観念した。
「君はここに身を隠していてくれ。俺が引き付ける」
さっと倒木の上に立ち、ラケデモンを待ち構える。
ラケデモンは俺から一定の距離のあたり。
銘々がばらばらに散る。
丸刈りはそのまま直進。一人は木の上に移動。一人は左の木陰の中に、一人は右の陰の中に。
右から円盤状の武器が回転しながらゆらゆらと変則的な軌道を描き飛んでくる。
左からも短剣が飛んでくる。
ムチのような剣が上から降り注ぎ、笑い人間がすごい笑顔で俺に食らいつこうと口を開けてそのまま突っ込んでくる。
絶体絶命だ。
その時、四方八方に稲妻が走る。
俺の背後から、青白い凄まじい光量の稲妻が放たれ、円盤、ナイフ、ムチ、笑い人間を弾き飛ばす。
同時に。
俺の手は掴まれ後ろにすごい勢いで引っ張られる。
入れ替わりにアウグスタが倒木の上に立つ。
すれ違いの一瞬、笑顔の横顔が見える。
俺は窪地に落ちて倒れる。
「我こそは雷神アウグスタッ! この身は悪を断罪すべく存在する。我が相手になろう!」
俺は情けなくも、先程の絶体絶命の状況が頭にこびりついてしまい足がすくんでいる。
恥も外見もなくじたばたしながら慌てて倒木の陰に隠れる。足が震える。
逃げ出したい。でも、逃げることもできない。
いや。助けたい。
俺に力があれば。力があれば。力が欲しい。
暗闇の中。
直ぐ上空で、幾度も剣戟が鳴り響き、稲妻が虚空を照らす。
血の匂い。生ぬるい空気。陰鬱なぬめぬめとした月光。空気が張り詰めている。
息を吐き出すのもやっとだ。
恐る恐る顔を上げてみる。
首がゴキゴキ言う。
ラケデモンたちは距離を縮めず、遠距離攻撃を続けている。
それを全て1本の剣で捌き切っている。
焦れてきた笑い人間が長い手で掴みかかっていく。
アウグスタはこれを鮮やかに半回転によりかわし、背中に一撃。
その一瞬の隙きを狙い三人のラケデモンが一斉に襲いかかる。
異様な曲刀が六本。交差する。
アウグスタは全身に僅かな稲妻をまとい、尋常でないスピードをさらに加速させる。
曲刀をかい潜り。
上体をそらし、ラケデモン達の間に入り込み。
振り向くラケデモンの肩を掴んでこれを蹴りながら飛び越し瞬時に着地。
地面を蹴り込むと同時に、袈裟懸けをもう一人に食らわせる。
もはや、奴らがスローモーションに見えるレベルだ。
最後の一人が距離を取るが、それよりも早く後ろに回り込み渾身の力で切り裂く。
空気ごと鋭く切り裂かれる。
一瞬で、ラケデモン達の姿が倒木の上から見えなくなる。下に突き落とされたのだろう。
すばやく木の上でしゃがみ込み、アウグスタは敵をなおも敵を観察している。
敵は動かないようだ。
次第にアウグスタを包む青白い光が弱まる。
月が雲間に隠れ、弱い光に包まれたアウグスタが、ほの暗く浮かび上がる。
ほっと安堵した瞬間。
ゴウーーーーン!!
大きな生々しい音がして周囲は暗闇に包まれる。
自分の頭が殴られたような、変な音。
心に来る音。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
森は静けさを取り戻した。
剣戟も稲妻もない。
グラディウスを握りしめ、恐る恐る倒木の上に登る。
途端に月は光を取り戻す。
倒木の上には月光の清けき光が満ちている。
月光に照らし出された倒木の上に、アウグスタと呼ばれていた女性剣士が倒れていた。
近くには大事に隠し持っていたのであろう、月桂樹の粗末な髪飾りが落ちている。
周りに敵の気配はない。
彼女の激しい息遣いが聞こえる。
まだ生きているようだ。
急いでそばに駆け寄りしゃがみ込む。
「大丈夫?」
小さな声が聞こえる。
「来ないで!」
小さな弱々しい声が続く。
「罠だから……。逃げて、すぐに!」
しゃがみ込んだ俺の直ぐ側の暗闇の中から、悲しげな表情で俺の顔をとっくりと観察する顔が現れる。
若干遅れて俺はそれに気がつきビクッと体が震える。
そうするととびっきりの笑顔になり、顔を左右にリズミカルにひり回しながら暗闇から浮かび上がってくる。
笑い人間だ。
バンザイのように掲げられた異常に長い両手が俺に向かって振り下ろされる。
「イヒーーーーヒ!!」
「あわわわッ!」
激しい稲妻が周囲を包む。暗闇が激しい閃光に覆われる。
同時に笑い人間が弾き飛ばされる。
再び静寂が訪れる。
彼女は倒木の上を這い、無言で弱々しく俺に自身の銀の指輪を押し付けてくる。
指輪の内側に数字が見える。1と表示されている。
輝く金の髪。
光をもうほとんど映さない青い瞳。
さっきの光は最後の力を振り絞ったものだったのだろうか。
「どうか。この悲しい世界をお救いください。双剣の大英雄……あなたに夢の続きを!」
壊れそうな笑顔。
か細い声。
最期の純粋な願い。
俺の顔に手を伸ばす。
その手を力強く握り返そうとした、その瞬間。
その瞬間、彼女は幾本もの曲刀に貫かれる。
笑い人間が曲刀を差し込んだままぐりぐりとその感触を楽しんでいる。
ラケデモンが一人も欠けることなく倒木の上に集合し、俺の動きを静かに注視している。
一瞬。坂道を転がり落ちていくオレンジ。
その幻影が、見える。
茜色の空の下。
指輪の数字はいつの間にか、0と表示されている。
「アアアアッー」
俺は力任せにグラディウスを笑い人間めがけて振り回す。
笑い人間は一々おおげさに避けてはすぐさまダンサブルな動きでお腹をぽっこり突き出し、ここを切ってみろと言わんばかりだ。
俺は姿勢を崩し、倒木の上から真っ逆さまに落ち、窪地に倒れ込む。
頭を打ったようだが意識は失っていない。最悪だ。悪夢だ。
勝利を確信した笑い人間が倒木の上から窪地に降り立ってくる。
はずだったが、笑い人間は先程俺の掘った穴の中にすっぽり足を取られた。
やぶれかぶれでグラディウスを笑い人間に投げつけ、俺は全力で逃げ回る。
無茶苦茶に木々の合間を駆け抜ける。途中石ころに足を取られたり、足を挫いたりしながらも全力で走り去る。方向も適当だ。左半身が木にぶち当たってもそれでも前進する。
だが、ちらと見えた。
笑い人間が笑顔のままでこちらを見つつスキップのような動きで並走している。
勘弁してくれ。
他のやつらも木の上を飛び跳ねたりしてそれでも穏やかに並走している。
自暴自棄になった俺はついに倒木に足を取られ、頭からスライディングする。
しかしとまらない。
そのまま、空中に放り出されて崖下に落ちていく。
笑い人間が崖の上から明るい笑顔でこちらを見ている。
何回も何回も拳で地面を殴りつけている。
ガンガンガンガン!
あーーあ、やってしまいましたなぁ、という表情。




