43 血に飢えた狩人
「燃えている! 大要塞が燃えている!」
意識を遠くに飛ばしながら駆け抜けてきた先。
更なる悪意が待ち構えていた。
昏くなりゆく大空。その南の一面が赤く照らし出されている。
激しい炎が天にまで届かんとしている。
「なんということだ……」
俺は逃走する我が軍の一団に囲まれている。
周囲は皆唖然としている。
斥候が大声で前方から叫ぶ。
「いや、まだだ、まだ大要塞は落ちていません! 我が軍と裏切った部隊が要塞内で対峙しています! その戦線は拮抗中!」
「ならば。この機に乗じて、大要塞を通り抜け、コルビジェリ城まで逃げ切るのだ!」
俺の指示に一団は静かに付き従う。
要塞内は斥候の発言どおり、てんやわんやの状態。
敵味方が入り乱れて各所で散発的に戦闘が繰り広げられている。
俺は、何も見ないで、何も思い起こさず、感傷に浸ることもなく。
ただただ、南下を続ける。
少しずつ付き従う兵が減っていく。
深夜。
逃げ続けた先。
ようやくコルビジェリ城にたどり着く。
剣を持った獅子の旗がはためていている。
ここはまだ落ちていないようだ。
「なんとか、逃げおおせたか」
こわばった表情がやや緩む。
城内には、大要塞から逃れてきた、アル、ルイジ公、ロビン、フッチ伯爵、そして小領主達がいた。
見知った顔の無事な様子を確認すると、不意に体中の筋肉が弛緩する。
しかし、落ち着いてもいられない。
問題は山積みだ。しかも迅速な処理を求められている。
コルビジェリ城に籠もる我が軍。
その勢力は俺が引き連れてきた一団を併せても、800にも満たない。
一方の北から侵攻する帝国軍。
斥候の報告によれば、暗黒騎士団5,000が大挙して南下している。
大要塞を暴れまわった傭兵部隊、おそらくザンピエーリ軍3,000もこちらに向かって進軍を開始している。
コルビジェリ城の南。
南の回廊は完全にザンピエーリ軍が封鎖している。
我が軍が逃げ延びるには、南の回廊を通らず、南の森を突き抜けなければならない。
なお、激怒皇帝本軍は大打撃を食らったそうで、立て直しに時間がかかっている様子。
「私はペーター王の帰還を、この城で待ち受けるべきと考える」
ロビンが口火を切る。
「お言葉ですが、報告によればもはや王の存命は極めて可能性が低い。守りの弱いこの城に立て籠もるよりも我がフッチ城に移動されるべきかと考えます。アル様にもしものことがあれば、王国は瓦解していまう。いかがかな?」
「いましばらく。もうしばらくお待ち下さい。きっと、ひょっこり戻ってくるに違いありません。ハハハ」
ルイジ公がやや取り乱した様子で皆に訴えかける。
誰も返答もしない。いや、できない。
全員がペーター王の帰還を望んでいる。
しかし、猶予はない。
じりじりと焦りだけが精神を蝕んでいく。
今にも暗闇から暗黒騎士団が現れるような、そんな恐怖を感じる。
「ただいま、アウグスタ様が帰還されましたッ!」
「おおおおおぉぉぉ!!」
「これは、心強い!」
右足を引きずりながらも現れたアウグスタ。
皆は喜色に溢れて彼女を迎える。
王を守護していた彼女が無事に戻ってきたのだ。
さぞや喜色にも溢れることだろう。
さて、王は何処に?
「すまない……。ペーター王を失った。私は守れなかった」
「なんと!」
「なんのための英雄か!」
「おめおめと逃げ帰りおって」
「王を逃がすこともできなんだのか」
俺もアウグスタも目を伏せる。
「うるさいぞッ!」
ルイジ公が声を震わせて、小領主達を怒鳴りつける。
「勝敗は時の運。王も当然それは覚悟していただろう。たとえ王を失ったとしても、あの激怒皇帝の本軍をしばらく再起不能なまでに砕いたメルクリオ様とアウグスタ様には感謝しかない!」
小領主達は黙り込む。
「さぁ、アル様。もはや覚悟を決めて出立なされませ。落ち込んでいる暇はない。敵は目と鼻の先まで近づいている。ならば一刻も早く出立なされるのです」
「僕には王は務まらない……」
「何を仰る。これだけ多くのことを経験し、色んな人の活躍を見てきたあなただからこそ、この国を統べる資格がある。もう喋っている場合ではないのです。私がこの城に立てこもり、敵軍を食い止めましょう。英雄のお三方。アル様を無事、フッチ城までお導きください! よろしく、頼みますぞ」
ルイジ公は身軽に立ち上がり、我々から背を向ける。
「無謀だ。敵の戦力はこちらの10倍を超える! たとえアル様を逃がせたとしてもあなたは自ら死にに行くようなものだ」
ロビンが叫ぶ。
そのとおりだ。
目をつむって俺は自分の思いを逡巡させる。
ここで逃げたら俺はおしまいだ。
何のためにこの国に呼ばれた?
戦うためだ。
神聖帝国と。
そして何よりも、あるべき自分の姿のために。
ゆっくりと発言する。
「確かにその作戦は無謀である」
「しかし、メルクリオ様。これ以上に策はないでしょう。捕虜になるなどはありえぬことですぞ」
「誰かが敵軍を足止めせねばなるまい、それは賛成だ。そして、その役に適任なのは。そうだな。この俺だろう」
全員が振り返り俺の顔をじっと見る。
「いけません、今、あなたの力を失う訳にはいかない。ここは私めにお任せください」
「メルクリオ様がいないと僕はやっていけません」
「それは俺が敵軍に討たれることが前提になっているのではないか?」
「信じてはいますが、それでも……」
俺は満面の笑顔を作る。
こみ上げる思い。
それは責任感なのか。それとも誰かに認めて欲しいという気持ちからなのか。
最悪な結末が頭をよぎる。
死ぬってことはとてつもない大冒険なんだろうな……。
大丈夫だ、俺は若くして課長の座にまで上り詰めた男。
そして、この世界の英雄様なのだ。
「俺の名前を言ってみろ!」
「え……? メルクリオ様です」
「違うな。ただのメルクリオではない。良くわかっているだろう?」
「はい。あなた様は、古代帝国の創始者の一人で、千年前の勇者で、古代七英雄の一人、そして古代七英雄最強の英雄。双剣のメルクリオ様です!」
「わかっているではないか。その大英雄がしんがりを務めると言っている。この先どうなる?」
「絶対に負けません!」
「この難関こそ、俺の力を発揮する局面だとは思わないか?」
「でも僕は心細くて……」
「英雄に背中を預けて心細いだと? それは覚悟がないからだ。覚悟次第で道はいくらでも開ける」
「はい」
「これから幾度もつらい局面はあるだろう。しかし、必ず道は開ける。絶対に諦めるんじゃない」
「諦めません……」
「よしっ! 利口だ」
全員が立ち上がって俺の言葉に耳を傾けている。
「さぁ、すぐに出発してくれ。しんがりには命知らずの100人を残してくれ。あとは全軍でアルフィオ王を軍師にいただき、南の森を抜け、フッチ城へ急ぎ南下するのだ!」
本軍が出払った後。
敵軍が来る前に簡単な仕掛けを施す。
コルビジェリ城の城門を下ろし、ありったけの松明に火をつけ城内を照らす。
あえて、外から内部が丸わかりの状態にする。
そして、城門付近に10人の兵士を置く。
これはいちかばちかの作戦なのだ。
俺も城門の前に屹立する。
グラディウスの柄を痛いぐらいに掴む。
さぁ、来やがれ。
ふと暗闇から現れた人影。
ぴりぴりとした空気の中飛び出してきたのは。
「カエサルじゃないか!?」
その右腕はひしゃげているが、元気そうではある。
陽気な足取りで近づいてくる。
「無理しやがって」
その瞬間。
俺の顔面に向かって何かが飛んでくる。
矢だ。
ギリギリでカエサルが矢をはたき落とす。
目を凝らしてみると、松明もつけずに大軍が城を包囲している模様。
その数は。
途方もない数……。
途中で目算をやめる。
時折がちゃがちゃと甲冑のたてる音が聞こえてくる。
俺は敵軍に向かって話しかける。
「よく来た。俺は双剣のメルクリオ! 絶対に。君たちは絶対にこれ以上先には進めない。さぁ、勇気のある奴、天国へ旅立ちたい奴から中に入ってくるがいいさッ!」
俺はゆっくりと城内へ入っていく。
ここまで大胆に内部を見せているのだ。
逆になにか策略があると踏んで、二の足を踏むはず。
しばらく時間を稼げるかな。
と思ったが、そうも行かない様子。
いぶかしがることもなく、単純に城門に向かって敵軍が突貫してくる。
まずは10騎。
入ってきた傭兵騎士に向かって、城門の影に隠れていたカエサルがタックルをかます。
まるで漫画のように全騎が城外へと飛んでいく。
俺は1つしかない城門の上の物見台にのぼる。
全体が見える位置に座る。
あぐらをかき、羽扇で自身を扇ぎながら、敵軍に睨みを効かせている。
そんな俺の様子を見て、我が軍100人の士気はふるい上がる。
「あきらめていないぞ、あの人は」
「勝つつもりでいるようだ!」
「この人数で?」
「当然さ」
「国盗りの天才だからな」
「今回はどんな策が炸裂するんだ!」
全員が満面の笑みだ。
敵軍は愚直な突貫が奏功しないことを学習し、遠距離攻撃を主体にこちらの出方を見ている。
我が軍からは圧倒的無反応を貫く。
何も仕掛けない。
ただただ、敵軍をひきつけるだけ。
相手の攻撃が止むのをひたすら待ち続けるだけ。
まったくの無反応ぶりに呆れた敵軍はやがて再び突貫を開始する。
前回とは異なり、大部隊で一気に城内へなだれ込むようだ。
俺は最後の指示を出す。
合図を送る。
城壁上に待機させていた我軍90人が一斉に城外の平原に火矢を放つ。
あらかじめ草原中に染み込ませてあった油を糧に、激しい火力が敵軍を襲う。
「さぁ、ここが正念場だ。押し返せッ!」
すぐさま城門前に全軍100人を集め、なだれ込もうとする敵軍をカエサルを先頭にして全力で押し返す。燃え盛る草原へと押し返すのだ。
狂った馬力に恐れをなした敵軍は、いちも簡単に隊列を崩していく。
「後は各自の判断に任せる! 逃げ延びた場合は王国から使い切れないほどの金銀財宝を得ることだろう!」
「うぉおおおお!!!!!!」
乱れに乱れた敵軍の中央に向かって全軍が突貫する。
全員うまく生き延びてくれよ!
俺は、グラディウスを抜かない。
やることはやりきった。
我ながら諦めの早い奴だな。
気がつくと、そこは森の中。
朝霧が周囲を覆っている。
まだ、生きているのか?
起き上がると、そこは戦場の真っ只中。
カエサルが俺の前に立ちはだかり、数10人の黒フードを相手にしている。
あれは暗黒教団だな。
黒フードはこちらを遠巻きにする。
そして、一斉に繰り出される黄金の鎖。
鋭く避けていくカエサル。
しかし、多勢に無勢。
俺をかばいながらということもあってか、次々に鎖にとらえられる。
次第に動きが鈍くなっていく。
「もう、やめてくれ」
ついに、全身を鎖に縛られ、動かなくなったカエサル。
鎖は周囲の大木に結び付けられ、固定化される。
暴れまわるカエサルに呼応して、鋭い金切り音を響かせる。
それでもまるで引きちぎれる気配がない。
俺はよろよろと立ち上がる。
黒フードが一斉に俺に警戒を向ける。
鎖が俺を襲う。
しかし。
大木を根こそぎ倒して、カエサルが鎖から自由を取り戻す。
俺に投げかけられた鎖を掴み、相手の黒フードたちを引きずりよせ、渾身の一撃を喰らわせる。
さらに、倒れた大木を片手に、黒フードを薙ぎ払う。
黒フードは一人残らず弾け飛び、周囲は静けさを取り戻す。
ついにカエサルが倒れ込む。
「どうしたんだッ?」
俺は近くに走り寄る。
見れば見るほど、目を背けたくなるほど傷ついたローマ像。
全身に鎖が食い込んだ傷があり、見るも無残だ。
土手っ腹にも大きな穴が空いており、中はがらんとしている。
ふいにカエサルが俺に指輪を押し付けてくる。
漆黒の指輪。
カエサルのことが気になってしょうがないのだが、あまりにの違和感に思わず指輪に見入ってしまう。
さらに、カエサルが俺の首に自身のチョーカーを巻きつける。
ギギギと金属音を鳴らしながら、拳を突き出し。
俺は、自身の拳を突き出し、拳と拳が触れ合う。
やがて、ゆっくりとカエサルは崩れ落ちていく。
まるで全身をつなぎとめていた部品が壊れたかのように、ぼとぼとと各部品が地面に落ちていく。
「嘘だろ。やめてくれよ……」
「ハハハハ! しかし、敵軍の将軍は馬鹿だな。まるでなっちゃいない。俺たちが森林を抜けて南下することぐらい当然想定できる。ここに待ち伏せを用意していないなんて間抜けもいいところよなッ!」
俺は自分に言い聞かせるように大声で、強がりを言う。
しかし、言い終えないうち、森は不気味な音を立て始める。
ギシギシと聞いたこともないような音。
音が近づいてくるとともに、寒気が漂う。
殺気に溢れた森。
枝先が透明な膜で覆われていく。
すべてが一瞬で凍っていく。
と同時に荒々しい馬蹄が鳴り響き。
俺は周囲を黒騎士共に囲まれた。
と思う暇もなく、網で囚われていた。
乱暴に引き引きずられていく。
「あガッ、うがっ」
地面の凹凸で俺は跳ね上がったり叩き落とされたりして、全身に打撲を負う。
しばらくすると、その場に投げ出される。
すぐに周囲を取り囲まれる。
黒騎士共が騎馬のまま近づいてくる。
黒騎士共は長槍をきらめかせ。
その瞬間、青白いエネルギー塊が俺の眼前にゆっくりと降りてくる。
ふわっと浮遊し。静かな電気音を鳴らす。と思った瞬間。
途方もない爆音を立てながら、塊は周囲に無数の放電の枝を伸ばす。
黒騎士共の黒い馬に直撃し、黒騎士共は地面に投げ出される。
きらめくフルグル。
その一閃は確実に黒騎士の息の根を止める。
「絶対に諦めるなって。あなたは言いましたよね」




