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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第一幕 戦いをもたらす者
42/288

42 粉雪舞う灰の空

 振り返る。


 眼前に湿地帯、そして、湿地帯を挟んだ遥か遠くに対岸が見える。

 その対岸に、土煙とともに黒い無数の陰が現れる。

 漆黒の長外套を羽織った騎兵団が、整然と居並び、隊列を組んでいる。


 既に理解している。

 奴らは、漆黒公率いる暗黒騎士団だ。

 神聖帝国最強の騎士団がついに戦場に姿を現したのだ。


 予想外の速度で進軍してきた。しかし、慌てることはない。 

 重武装の部隊が、このぬかるんだ大湿地帯を踏破するのはそもそも無茶である。無論、小舟を利用しようとも、湿地帯内には障害物が多く、すぐに座礁してしまうことだろう。したがって、いくら彼らが最強であろうとも、大湿地帯を渡河することはかなわない。

 ならば、暗黒騎士団はまず、北の橋梁を目指すだろう。そこで渡河し、大きく迂回してこの戦場に戻って来る。騎兵を先行させるとしても、北の橋梁までは1日行程。

 戦場にたどり着くには行って帰ってで、今から丸2日はかかる。


 戦況は予断を許す状況ではない。

 しかし、我軍は徐々に勢いを盛り返している。


 先に、激怒皇帝直轄軍を撃破し、遅れてやってきた暗黒騎士団を迎え撃って撃破する。

 各個撃破すれば何ら問題はない。



 であるはずなのに、とても嫌な予感がする。

 

 


 湖沼の沖合。


 ぽつねんと一人の女が立っている。

 

 衣服も、衣服から突き出た細い腕も、そして長い髪も、全てが真っ白である。

 その特徴的な姿は、和平交渉で出会った白い人のものに違いない。


 舞い踊っているのだろうか。

 くるくると回り、大空に手を差し伸べる。

 

 すると、どこからともなく嫌な音が鳴り始める。

 腹の底にまで響くような、ギシギシとした音である。

 しかも、遠くの方から、急速にこちらに向かってくる。

 音が近づくとともに、大地が揺れ始める。

 

 曇天からキラキラと光るものが舞い降りる。

 雪である。


 この戦に勝利すれば、我軍は速やかに撤退し、大要塞に引きこもろう。

 後は、持久戦に持ち込むばかり。

 もうしばらくの辛抱だ。速く、決着を付けよう。


 自分に言い聞かせるのだが、それでも、嫌な予感を拭いされない。

 そこで初めて、音の正体に気が付く。


 湖沼の水面が凍っていく。

 水面は、白い女から放射状に凍り付いていく。それも恐ろしいスピードで、こちら岸を目掛けて氷が成長していく。




 俺は、いまだその意味が理解できないでいる。


 暗黒騎士団は一斉に横一列に広がる。そして、前進を再開する。

 大湿地帯は今や氷に覆われている。彼らは氷上に降り立ち、氷上を駆けて、こちらに向かってくるのである。

 とはいえ、暗黒騎士団は騎兵だけでも3,000を超える大軍だ。そんな大重量を氷で支えきることができるはずがない。

 ところが、いかれたことに、氷は割れないのである。


 つまり、白い女は、大湿地帯に氷を張ることによって、道なき道を作ったのである。




「暗黒騎士団だッ!」


 漆黒の騎兵達が、血に飢えた獣のように走り込んでくる。


 俺は反射的に指示を出す。すなわち、大湿地帯に向けて、岸辺沿いに歩兵を並べる。

 しかし、これはまずい。

 前方からは激怒皇帝。後方からは漆黒公。

 挟撃という最悪の展開である。


 


 当然敵は、俺の思考が落ち着くのを待っていてはくれない。

 

 渡河し終え、早くも我が軍の首元近くに楔を打ち込む暗黒騎士団。

 まず手始めに狙われたのは聖堂騎士団である。


 我が軍の後背に陣取っていた愚かな聖堂騎士団。

 後背から攻め寄せてきた暗黒騎士団のせいで、今や最前線に立たされることになった。

 黒い獣共が牙をむき出しにして、白豚共に襲いかかる。


 聖堂騎士団のリーダーたるドノソは向かい来る暗黒騎士に向かって大きく両手を左右に開く。

 戦場全てに轟くような大声で叫ぶ。


「おお! 神よ! あなたは私達にこのような試練を与え給うのか! 素晴らしい! さぁ、皆さん、祈りを捧げましょう! 神の御業が今ここで明らかとされるのですッ!」


 敵陣の真っ只中で短い祈祷を捧げる白騎士達。


「邪教徒共に裁きの鉄槌をッ!」


 一斉に抜剣。

 一つの塊となって円陣を組み、剣の腹で盾を叩き、敵を威嚇する。

 

 すぐに、乱戦となり、やがて、暗黒騎士達の一方的な攻勢に成り果てる。

 暗黒騎士は、その一騎一騎が熟練にして精強。圧倒的な突破力を見せつける。

 平和ボケした聖堂騎士団では、まるで歯が立たないのだ。


 それでも、若干の時間稼ぎにはなった。

 我が軍は暗黒騎士団に向けて横列陣を薄く張る。

 聖堂騎士団を突破した暗黒騎士団が、すぐにこれに襲いかかる。


 ところどころ善戦しているところもあるが、弱い部分から守備は食い破られていく。

 あまりにも呆気なく、それは本当に残酷。

 圧倒的暴力の前になすすべなし。


 かろうじて乱戦を保ってはいるが、後背の前線を維持できるのは、残り僅かな時間だろう。


 


 俺はその場でじりじりと後退りする。

 挟撃を受けることはすなわち、我が軍の敗退を意味する。


 敗退。

 

 立て直しが許されるレベルではない。

 それでもなんとかしないと。

 俺は活路を見出すべく、周囲を見渡す。

 

 南。

 唯一、南の細い活路が残されていることに気づく。

 

 しかし、それでは負けを認めることになる。

 鈍る思考力。視野が狭くなっていく。


 これは俺のミスだ。

 軍隊は河川を渡れないという先入観が俺を敗北に導いた。


 包囲殲滅が近づいている今。

 敗北を認めるのが格好悪いとか、そんなことを言っている暇はない。

 逃げ遅れれば遅れるほど被害は増大する。


 冷たい空気。それよりも冷たい、嫌な汗が背中を流れる。




 近衛兵に向かって、俺は告げる。


「ペーター王とアウグスタに伝えてくれ。南方面に向かい戦場を離脱せよ、と」


 敵南軍と敵中央軍の溝に楔を打ったペーター王は、敵軍の真っ只中にいる。


 王の血路を開くべく、我が軍の重歩兵の選りすぐりで隊を組み、ペーター王のもとへ前進させる。

 死地にあることを自覚した重歩兵隊の決死の進軍。

 敵軍からの激しい抵抗を受けながらも一点突破でペーター王を救出。


 ペーター王を守護する部隊を編成し、すぐさま、南下を開始させる。

 アウグスタに随行させる。


 敵は未だに南の活路に気がついていないのか。

 落ち延びていく我が軍の南下軍には無関心だ。

 いや、気づかないはずがない。

 これは騎士の情けというものか。


 と思いきや。



 渡河を終えた暗黒騎士団の弓騎兵が、一斉に我が軍の南下軍に近づいていく。

 横合いから容赦なく一斉掃射。

 見る見る間に南下軍は数を減らしていく。


 やめてくれ。

 その攻撃は、我が軍にとって致命傷になってしまう。


 さらに暗黒騎士団の一団が、落ち延びる南下軍に止めを刺すべく、行動を開始する。

 

 まるで、王が落ち延びていくことを計算していたかのような正確な動き。

 わざと、南側を開けていたのか。

 要人が逃げ出すことを期待して。

 逃げ延びるそこを狙って一気に畳み込む。

 逃げ道があれば我軍は全力で抵抗することはない。

 むしろ、逃げるために精一杯になる。

 全て裏をかかれたというのか。


 激怒皇帝との戦いで既にぼろぼろのアウグスタ。

 それでも大盾を構え、ペーター王を守っている。

 その姿が残酷なぐらいによく見える。


 俺は脱力して遠くから眺めている。

 

 祈るような気持ち。

 そんな願いも虚しく。




 一矢。




 馬上のペーター王は哀れにも貫かれ、落馬する。

 アウグスタが慌てて駆け寄る。


 そこに暗黒騎士団の騎兵が長槍を構えて近づいていく。

 落馬した王の周囲を駆け巡り、王の姿は騎馬のために見えなくなった。





「クズどもがァ! 全滅! 全滅! 全滅だ!!」



 俺は、大声を掛けられて、我に返る。

 いつの間にか、激怒皇帝が間近にいる。

 大重量のハルバードを軽く一閃し、我が近衛兵をなぎ倒す。

 ウロコで体を覆うスタイルは解除しているようだが、さきほどの負傷がまるでなかったかのような元気いっぱいの姿。

 

 俺を守護すべく、次々に近衛兵が俺の前に出るが、まるで紙をちぎるかのように、激怒皇帝は意にも介さずに突貫してくる。

 俺を守ってくれていたアウグスタもヴィゴももういない。

 カエサルも、ドゥーエも。

 

 我が軍の前衛の横列陣も、後衛の横列陣も、それぞれ激怒皇帝、暗黒騎士団にずたずたに切り裂かれ、完全に秩序を失っている。そこかしこが乱戦状態となっている。


 俺は観念し、じっと自分の手を見る。

 まったく覚悟は決まらないが、ゆっくりと双剣のグラディウスを引き抜く。


 ハハ、勝てるわけ無いだろう。あんな化物。


 アウグスタとヴィゴを二人同時に相手にしながら、それらをものともしなかったその強さ。

 さらに、メルクリオとカエサルとも同時に渡り合ってしまう。

 その強さは人外。

 こいつこそ、本物の古代英雄なのではないだろうか。

 

 なんだか、悲しい気持ちになってきた。

 この世界にやって来たのは何ヶ月前だったろうか。

 持ち上げてもらって、期待に応えようと頑張っちゃって。


 結局、最悪のタイミングで最悪の状態で俺の化けの皮は剥がれる。

 そして、これでもかというぐらいに叩きのめされる。

 おまけに、俺自身の生命も風前の灯。




「ぼさっとするな!」


 俺に背を向け、敵と相対する者がいる。

 真っ黒の上着の裾が翻る。

 その通った後には、敵兵士が累々と横たわっている。


 メルクリオだ。

 失われた双剣の代わりに、適当に調達したであろう短剣を両手に握っている。


 同時に、どん、と背中に硬いものが当たる。

 振り向くと、それはカエサル。

 大きく手を広げて、俺の後背を守護してくれている。

 いつだって俺を守ってくれてきた、無敗のゴーレム。

 それでも、今や右手はひしゃげ、見るも無残な姿だ。


「もう、いいんだ」


 ポツリと呟く。


 カエサルに対峙するのは、漆黒の騎士。

 漆黒の馬にまたがり、漆黒の甲冑をまとい、漆黒の長外套を羽織っている。

 意志の強そうな眉に恐ろしく鋭い目で、こちらの様子をじっくりと観察している。


 周囲に10騎が続いている。

 けたたましく、おどろおどろしい鳴き声で、黒い馬がうめき鳴く。

 俺達に向かって次々に長槍を構え始める。


「ユルゲンよ。貴様にしては遅かったな」


 激怒皇帝が楽しさを隠しきれない声で語りかける。

 そんな声がけにも無反応。


 こいつがペーター王を殺めた暗黒騎士団の漆黒公ユルゲンか? 

 怒りがこみ上げてくる。

 これは戦争だ。殺し殺されるのはやむを得ないとわかっている。

 覚悟もしていたはずなのに、自分勝手な憎しみだけが膨れていく。


 俺は双剣を握りしめ、カエサルの脇を素通りし、馬上の敵に向かっていく。

 しょせん、それは素人の剣。

 恐れるものではないだろう。


 それでも、何を考えたのか、ユルゲンは早々に馬首を返して俺たちに背を向け、一声を発することもなく去っていく。

 ユルゲンの率いてきた暗黒騎士達が代わって我々を囲む。

 時間が経つほどに、暗黒騎士達はその数を増し、戦場を我が物顔で闊歩し始める。




 唐突に、近衛兵が俺に声を掛けてくる。


「メルクリオ様、こちらの馬をお使いください」


 うやうやしく手綱を俺に捧げる。

 俺は諦念に満たされ、思考力を大幅に失っており、何も考えずに飛び乗る。


 あばたのある愛嬌のある顔。

 赤毛の少年。どこかで会ったことがある気がする。


 あぁ、それよりも。

 俺はこれから向かう先なんてもうないんだったな、ハハハ。

 

「俺にどこへ行けと?」


 赤毛はニッコリ笑う。


「森の道で狼を退治した、あの時から私はあなたのファンでした。どうかご武運を!」


 カエサルが、暗黒騎士に向かっていき、道を開いてくれる。

 それでも俺はぼんやりとその姿を眺めているだけ。


 赤毛は俺の乗った馬の尻を叩く。

 馬は大きくいななき、南を目掛けて疾走を開始する。


 周囲には弓矢が止むことなく雨あられと降ってくる。

 それでも偶然にも、俺に矢は当たらない。




「我こそはメルクリオ! 我の命は安くはないぞ! 激怒皇帝よ、貴様の部下の命2、3,000は道連れにしてやろうぞ!」


 赤毛の甲高い声が曇天に轟く。


 激怒皇帝とメルクリオ、そしてカエサルが死闘を開始しているのを目の端に捉える。

 俺はためらいがちにゆっくりと、南へ、逃走先へと顔を向けた。

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